縦社会ですが、横のつながりもあります。
次の更新は来週の水曜日です。
「宇宙、エリマキトカゲ……?」
隣にいた萌木さんが不思議そうに呟く。
あの巨大エリマキトカゲ騒ぎの報道は日本全土にされていたそうだけど、名称「宇宙エリマキトカゲ」っていうのが発表されたのはつい最近だ。知らなくても仕方ないだろう。
萌木さんが来庁したときに暴れていたトカゲの話だと告げれば、彼女も納得したのか「まんま」と呟いた。
どうも上の人のネーミングセンスは、世界線を跨いでも無しよりの無しみたいだな。
そんなどうでもいいことを考えつつ、僕は課長の方を窺う。
花珠課長はといえば、猪田さんから内線を回してもらって電話にでていた。二三やり取りをした後で電話を切った課長は深いため息を吐いた。
「例の個体の目的は不明、でも進路的にどう考えても四季島市に向かっているそうです。到達は恐らく三時間後、直ちに進路上の住人に避難指示を。避難所を開設して、住民の皆さんをそちらに誘導。猪田さんほか瞬間移動・転移魔術保持者は住民の民さんの速やかな避難に協力してください」
「はい!」
猪田さん他数名が返事を返して部屋から足早に出ていく。
この市役所の地下には四季島市の住人全てが避難できる広さの地下シェルターが設置されている。本来の物理法則を曲げる空間魔術を使って作られているものだから、もって一年ほどしか全員で籠城はできない。けど、その間に空間拡張魔術を重ねがけて、施設の延命を図ることは出来る仕様になっている。
津波が来ても地震が来てもとりあえずは大丈夫。食料や生活用品の備蓄なんかもしてある。
顔色のよくない萌木さんにそう説明すると、安心したのか彼女の丸い頬に色が戻った。
その間にも課長の采配は続く。
「エリマキトカゲは市営運動場に誘導します。そこで改めて捕獲、無理なようであれば処理。誘導に関しては以前対処した箕輪君と……」
そこまで言うと課長の言葉が途切れた。
前のときは僕と姐さんが箕輪先輩と一緒に、エリマキトカゲに対処したんだけど、今日は萌木さんの案内っていう業務がある。
因みにこういう出動は日常茶飯事なんで、こんなことで見学は中止になったりしないんだよなぁ。それも込みで慣れてもらうっていうスパルタだ。
だけど見学者を連れて現場に行くことはない。となると前回の僕の役目は他の誰かがやることになる。
今日の日勤のメンバーで前線に出られるひとっていうと……。
見回していると、ぴんぽんぱんぽーんっと緊張感のない館内放送の始まりを告げるチャイムが鳴った。
放送は宇宙エリマキトカゲが四季島市に向かっていること、それに対しての避難指示、避難所の開設と各部署に住人の避難を援護するよう指示する内容で。
市役所の職員は勿論、来庁してそれぞれ手続きやらなんやらをしていた市民の皆さんが騒めく。でもいつものことなので、皆さん粛々と職員の指示に従って避難を始めた。
「えぇ……皆さん落ち着いておられますね?」
「ああ、まあ、多いときは一か月に一回とかあるし、少ない年でも一年に一回くらいは……」
「そ、そんなに!?」
「四季島は少ないほうですけどね?」
驚いて飛び上がる萌木さんに、こっちが驚いて、それから考え直す。
萌木さんの住んでいた平行世界の日本は宇宙に恒常的に人が進出している訳でなく、宇宙からの来訪者も正式に確認されてはいない。そういうのはテレビショーの中の作り話とされてきたそうだ。
だから宇宙から宇宙生物がいきなりやってきたり、異星人から侵略されたりっていう経験もない。翻って僕が住むこちら側の世界は異星人が侵略戦争を仕掛けてきたこともあれば、宇宙から来た謎の生物を保護したり研究したり共存に努めたりと、その辺の経験は豊富なんだ。
僕らのリアルが、萌木さんには非日常。異世界カルチャーギャップあるあるだよね。
ともあれそういうのが普通に市民生活に組み込まれてるもんだから、避難訓練なんか半期に一回は絶対あるし、ゆりかごから墓場に入るまで人生の至る所で避難訓練はある。なんせ保育園児から不当召喚拉致に対する対応訓練なんかも経験するんだから。
萌木さんの眉が八の字に下がった。
「怖くなりましたか?」
不安そうなといえばいいのか、困惑していると言えばいいのか。
萌木さんから沈んだ雰囲気を感じて、何か宥められる言葉を探すけど見つからない。けど僕がまごついている間に、きゅっと萌木さんは唇を噛んでからきっと僕を見上げた。
「いえ、大丈夫です! 私、本当に別の世界に来たんだなって実感してただけなんで。ここで生きていく決心が改めてついたというか」
「あ、そうなんですか」
「はい。だって私が今まで悩まされてきたものなんか、同じ日本人のはずなのに分かり合えないし意味が解らないし言葉も通じてるようで通じないし。それと付き合ってきた環境に比べたら、怪獣も異星人も対処のしようがあるって素晴らしいことじゃないですか! 今までの環境の酷さを噛み締めて、こちらに来られたことを心底感謝してました!」
「あ、はい。こちらで新たな人生を歩まれてください」
つまり八の字に下がった眉は「今まで付き合っていたのは宇宙怪獣以下の生き物だったのか、そりゃ言葉も通じないわ」って思っていただけだったらしい。
いや、生きる気満々で喜ばしいことだけど。
「染谷君、君は安全を確保しながら萌木さんの職場見学の続きを」
「あ、はい。誘導は……?」
「長嶋課長補佐が行きます。エリマキトカゲの進路予想がキビツヒコのデッキ付近を通るとでましたので、キビツヒコの整備をスタッフに任せて現場に出るそうです」
「解りました」
ということは、特等席で巨大エリマキトカゲの捕獲を見学していろということだ。
でも「安全を確保しつつ」だから、最悪萌木さんを安全な場所において加勢しろってことだな。
そういう旨を萌木さんに説明すると、彼女は物分かりよくこくっと頷いてくれた。
彼女が望むのであれば見学自体は中止してもいいんだけれど、それを説明しても萌木さんは「いえ、大丈夫です」と力強く応じる。萌木さんは胆力のある人のようだ。
エリマキトカゲの到着は三時間後。
避難は既に開始されたわけだから、これから市役所にどんどん住人が集まるだろう。
その前に萌木さんに避難施設を見学してもらうために、彼女を地下へと案内する。
地下には職員用の食堂や購買があるんだけど、その廊下の突き当りの壁にまで行くと、萌木さんが首を捻った。
「壁……ですね?」
「はい。でもちょっと見ててくださいね」
萌木さんに壁に注目してもらって、僕はそこに手をつく。すると僕の手がずずっと音を立てて、壁の奥に引き込まれた。
萌木さんが声もなく目を見開く。
「これ、空間を歪ませてるんです。今はまだゲートを開けたところだから壁に見えますけど、あと一分もしたら避難所の看板も立ちますし扉も見えるようになると思います。空間管理の職員も降りてくるでしょうし、準備は万端ですね」
「なるほど」
今頃職員は避難者名簿を作る準備に追われてるだろう。安否確認大事だもんね。
一応中を見てもらうように萌木さんと一緒に扉を潜る。そうこうしているうちに、バタバタと中年の女性職員がやってきた。
「お疲れ様です」
「あ、地域包括不可思議現象対策課の」
「はい。今日は職場見学が入っていたので、先に見学させていただきました」
「はいはい、お疲れ様です」
お互い頭を下げると、彼女の業務を邪魔しないように萌木さんとともに避難所から出ていく。
こてりと萌木さんが首を傾げた。
「今の方は地域包括不可思議現象対策課の方ではないんですか?」
「はい。異能を持っていても魔術を使えても、地域包括不可思議現象対策課に属さない方もいますよ」
「そうなんですね」
「はい」
だから貴方だって危ない職業を選択しなくたっていいんだ。
告げそうになった言葉はきっと余計なお世話だから、ぐっと飲み込むことにした。
お読みいただいてありがとうございました。
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