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6 忠臣蔵

 それにしても前項のハニートラップでひっかかるのは、怪談を書くのなら、なぜお稲の亡霊が当事者に直接祟るような話にせずに、これほど回りくどい物語を作ったのか、ということである。また、品子がお稲の口惜しさを肩代わりして復讐をするという展開も、いささか唐突すぎる気がしないでもない。

 前者にかんしては、その回りくどさこそが明治後期から晩年にかけての鏡花作品の常套手段で、直接的な因果関係を斜め上へ、斜め上へと次々にズラして因果応報を消滅させるという指向性によるものなのだろう。

 鏡花には、因果関係に頼らない怪談を書きたいという意欲があったらしくて、『紫障子』、『尼ヶ紅』、『高桟敷』といったシュール系のホラーでは、それに近いところまで達成されているようにも思えるのだが、伝統的な素材や修辞と相性が合わないためなのか、徹底的に突き詰めるところまではいかなかったように思える。(ついでにつけ加えると、百年後に同じような、因果を消滅させた怪談によって世界的な成功を収めたのが、高橋洋や小中千昭の「小中理論」によるジャパニーズ・ホラーの一連の映画作品だった。)


 後者の、品子がお稲の肩代わりをして復讐をするということにかんしては、なんの予告もなく唐突に、というわけではない。一節の地の文で述べられている、松崎がちょっと前に見かけたのだという屋台に掛けられた忠臣蔵の石版画が、その行動を予告している。

 鏡花作品では冒頭近くに置かれた、まったく無関係な、話のマクラのようなサブエピソードが、その後の展開のなんらかに係わることが多い。いうまでもなく忠臣蔵は、屈辱を受けて死んだ君主(浅野内匠頭=芝居の塩谷判官)の代理となって家臣(大石内蔵助=大星由良助)が復讐をするという物語であって、品子の行動は、忠臣蔵は飯の種というほどに熟知しているはずの松崎の想像力によって、大星由良助に引き寄せられているかのようだ。

 そこまでセンシティブになると、冒頭の橋を離れた松崎が道ばたで見かけた、


 「コトンと音をさせて鶏が一羽歩行(ある)いていた」(二)


という情景にさえ、気を留めなければならない気がしてくる。忠臣蔵一力(いちりき)茶屋の段には、「(とり)しめさせ鍋焼きさせん」というセリフがあるのだが、その連想から鶏が置かれ、その後の(むしろ)芝居に登場する鍋焼饂飩と結びつけたのだ思えてくる。そんなことまで考えてしまうのは、なにしろすべてが、芝居どっぷりの松崎の内面世界であるからだ。

 品子の復讐の仕方がいささか不自然なのは、松崎が、たぶんそうではないかと内情を推察して、強引に女忠臣蔵ともいうべき復讐劇にあてはめているからで、現実はそんなに綺麗なものではなく、不倫の関係になってしまったから結果的に復讐をしたことになった、といった、うだうだした事情があったのかもしれない。

 それでは一体いつ、松崎は女忠臣蔵のシナリオを思いついたのかというと、それらしき箇所が本文中にある。松崎が妻から、品子が法学士から「後妻だと思ってくれ」と言われたのだと聞いた二十節で、


 「春狐はふと黙って、それには答えず……」


 と、意味ありげな含みを持たせた部分があって、おそらくそこで松崎は、創作の萌芽をつかんだのではないだろうか。

 松崎の妻が冗談めかしながら見抜いたように、


 「大分、お芝居になって来たわね。」(十七)


 と、どんなことも芝居に引きよせて面白がるのが、松崎の性根だと思われる。


 ちなみに本作における鳥類が占める位置はどうやら重要なようで、一節の末尾近くには、松崎の心を笑い飛ばすかもしれないと書かれた鳥たちのことが書かれているし、謎めいた新粉細工(しんこざいく)売りは、最後には鳥の姿になる(二十五)。本作では、鳥という存在は、妄想に揺さぶりをかけるような役目を負っているのかもしれない。

 とはいえ、松崎が鶏を見たのは、子供芝居にたどり着く前なのだから、それは現実なのではないか?

 いや、すでに一節の冒頭近くからして松崎が見た品子は、


 「この美しい(ひと)は、なにかのたびに思いを透きとおし、その(はだ)、その(かんざし)、その指輪の宝石をほのめかせ、心の動きを表に出すらしい。」


 と、美しさの誇張表現のようなふりをして、現実ではありえない、超自然的な能力を見せつけている。それが比喩表現ではなく、書かれた通りの、身体の内面から光を発するかのような能力であったことは、二十三節で、


 「ああ、(はだ)が透く、心が映る、美しい(ひと)の身の震う影が(くま)なく(きぬ)柳条(しま)(から)んで揺れた」


 と、松崎の想像世界のなかでの現実として示される。彼女もまた、小説冒頭の時点からして、思いがあれば、それが示すものが実態としてそこに表れるという、松崎がいだいた物語願望が練りこまれた存在なのである。



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