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2 屑屋

『陽炎座』の舞台にかかわる、子供たち以外の謎めいた存在としては、幕のなかの人、新粉細工(しんこざいく)売り、頬被(ほおかぶ)りの若者、古女房、屑屋(くずや)の五人(人?)がいる。前四者については後回しにするとして、まずは屑屋について考えてみたい。

 といっても、あまりにも手がかりが少なすぎて、納得のいく解答を出すのは不可能な気がする。五人のなかでも最も謎めいた存在なのだ。


 「中に、目の鋭い屑屋(くずや)が一人、(はし)(かご)を両方に下げて、挟んで食えそうな首は無しか、とじろじろと睨廻(ねめまわ)す。」(五)


 「ついでに言おう、人間を挟みそうに、籠と竹箸(たけばし)を構えた薄気味の悪い、黙然(だんまり)屑屋(くず)やは、古女房が、そっち側の二人に、縁台を進めた時、ギロリと踏台の横穴を(のぞ)いたが、それ切りフイと居なくなった。……

 いま、腰を掛けた踏台の中には、ト松崎が見ても一枚の屑も無い。」(九)


 ……というのが、屑屋にかんする記述のすべてなのだが、五節から九節の間にずっとそこにいたのだから、無視できない存在ではある。

 紙や布を拾って業者に売るのが商売なのに、そんなものが出そうにない場所に居つづけてなにをしているのかといえば、「人間を挟みそうに」じろじろと見ているだけで、観察することが彼の存在理由であるかのようだ。しかもその行動は、芝居を観ている、演じている、すべての人とは、ただ一人だけ、まったく別の動機を持って行われている。

 そして屑屋が消えたのは、美しい(ひと)と若紳士と松崎が腰掛けを貸し与えられたタイミングである。


 これ以上は直感で言うしかないのだが、この屑屋は、劇作家・松崎春狐が、どこかに作品のネタになるものはないかとあちこち覗いて探りを入れている、意識下での別の自我なのではないだろうか。

 松崎自身が屑屋だとすると、松崎が客席を一通り観察し、観劇に集中する準備が整った時点で、屑屋として表された作家的好奇心の自我は消えてしまう。それと同時に屑屋も姿を消す。その点からすれば、そう考えるのも妥当な気がする。

 どうして松崎はそこにいるのに、自分の分身をそこに見ながら自分だとは気づかないのかというと、『陽炎座』の子供芝居の世界は、松崎の意識と無意識が作りあげたものだからである。なぜそう考えるのかは、おいおい述べることにする。


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