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スパイスファンタジー! 愛の媚薬はカレーの香り

作者: 風風風虱

「それでね、伯父様ってカンカンに怒って庭の木を全部切って……

貴方……ねぇ、貴方……」


 カレンは正面に座る人物に不満そうな声をかけた。

 年の頃は20代後半。まだ青年のような面立ちのその男は朝食の席でフォークとナイフを持ったまま心ここに有らずと言った風だった。


「アラン! 聞いてられます?」


 辛抱を切らして名を呼ばれてようやくアランは我にかえった。


「えっ? ああ、勿論聞いていたさ。そりゃ大変だったよね、うん。」

「もう、大変になるのはこれからです!

ちっともお話を聞いてませんね」


 カレンは口を尖らせ、そのまま青年の前へ置かれている皿へ目を向けた。

 皿にはベーコン、ソーセージ、マッシュポテトに目玉焼きが載っている。食べ慣れたいつものイングリッシュフルの朝食だが、ベーコンもソーセージも細かく切り刻まれるばかりで減っているようには見えなかった。

 

「それにさっきからお食事にも手をつけておられないみたいだし……

なにか心配事があるのですか?」

「いや、そんなことはないさ」


 アランはフォークでソーセージを突き刺すと口にまで持っていく、が直前でうんざりしたのようにフォークを皿に投げだしてしまった。そして、ナプキンで口を拭うと席を立った。


「あら、もうよろしいのですか?」

「ああ、すぐに仕事に行くよ」

「ええ?! もうですの? お食事してすぐに出かけなくても良いではないですか」 

「すまない。ちょっと仕事が立て込んでいてね。そうも言ってられないさ」




「では、行ってくる」


 外套と帽子を被り出かけようとするアランをカレンは引き留めた。


「貴方。ネクタイが少しおかしいですわ。

ちょっと……これを、こうして、こう。

はい、できました」

「ありがとう。では行ってくるよ」


 夫を見送った後、カレンは物憂げなため息をつくと近くのソファに倒れように横たわった。


「奥様。どうされました? ご気分がすぐれませんか?」

 

 すぐに侍女のアーリィが声をかけてきた。


 いいえ、なにも……、とカレンは言いかけたが口をつぐむとじっとアーリィを無言で見つめた。その顔は今にも泣き出しそうであった。


「まぁ、まぁ、一体どうされたのです?」

 

 そのただならぬ様子にアーリィはカレンの横に座ると彼女の手をぎゅっと握りしめた。

 アーリィはカレンの一つ上。

 子供の頃にカレン付きの侍女となり、以来ずっとカレンの身の回りの世話をしてきた人物である。歳も近かった為、主人と使用人の関係でありながら二人の間には友人としての絆が育まれていた。

 カレンがアランに嫁いだ時もカレンに付いて行くことを志願し、チューリング男爵家(嫁ぎ先)の慣れない慣習、しきたりに孤立気味のカレンに寄り添い、支え続けた。

 アランの仕事の関係でインドに赴任する事になった時も、異国の地に行くことに腰が引ける男爵家譜代の使用人達を尻目に微塵の躊躇もなく付いていく事を宣言した。カレンにとっては姉であり、親友にして戦友と呼べる特別な存在だった。


「ああ、アーリィ! わたくし、どうしたら良いのかわからないのです!!」


 だからこそだろう。カレンはアーリィの手をとると遂に泣き出してしまった。アーリィは突然の事に少し驚いたがすぐに優しく抱きしめた。


「そんなにお泣きになって。まるで子供の頃に大奥様の鏡を割ってしまった時のようですね。大丈夫です。アーリィがついております。なにがあったかお話ください」

「あのね、あのね……アランがね、浮気しているようなの」

「旦那様が浮気? まさか、そんな」


 カレンの発言にアーリィは驚いた。

 領地を持たず決して裕福とは言えないまでも爵位を持つ家柄の通例に漏れず2人は家の都合により夫婦となったが、大楊なカレンと生真面目なアランは相性が良かったのか夫婦仲は良好だと思っていたからだ。神経質でやや気弱そうなアランの顔が頭に浮かんできたが『浮気』とは結びつかなかった。


「奥様の思い過ごしではないのですか?」

「いいえ。最近はなにを話しても上の空なのよ」

「それはお仕事が気になっているからなのでは?」

「食事も余り召し上がらないのよ」

「それもお仕事のせいでは……?」

「違うわ! きっと外で食べていらっしゃるのよ」

「外ってどこですか?」

「勿論! 浮気相手の家ですよ!!」


 カレンはさも当然と言わんばかりに叫んだが、アーリィはそれはどうだろうか、と思わなくもなかった。そのため、一言では表現しがたい複雑な顔をする。それを見咎めるようにカレンは不満そうに口を尖らせた。


「もう! あなたまで疑うのね?

今日ね、あの人のネクタイを直していた時に確信したの。あの人から変な匂いがしたのよ」

「変な匂いとは?」

「変な匂いは変な匂いよ。今まで嗅いだことのない匂いだったわ。甘いようであり、爽やかなオレンジような匂い。臭くはないの。むしろ良い香りだったわ。あれはきっと浮気相手の女がしている香水の移り香だわ!」


 自分が嗅いだわけではなかったからなんとも言えないが、もしもカレンの言う通り香水の匂いをさせていたのなら浮気の可能性は大いにあり得りそうだと思った。カレンが嗅いだことのない香水となると英国で流行っているものではないのだろう。となると浮気相手は現地インドの女と言うことだろうか、とアーリィは思った。

 インドには英国紳士を相手にした娼館があり、そこには異国情緒溢れる(エキゾチックな)美女がひしめいているとも噂に聞いていた。アランが仕事の付き合いでそんなところを訪れて、異国の美女にお熱を上げてしまう、と言うのはありそうな話ではあった。

 

「よござんす。なら、確かめてみましょう」

「確かめるって、どうやって?」


 アーリィの言葉にカレンは驚いたように聞き返した。


「まずは、旦那様の書斎を調べてみましょう。恋文かプレゼントのようなものがあるかもしれません」

「ええ!? で、でも書斎には入らないようにと言われていますわ」

「だからこそ調べる価値があるのです。

それとも奥様はこのままずっと旦那様を疑い続けるおつもりですか?」

「それはいやだけれども……」


 最初はためらったものの結局カレンも同意して、2人でアランの書斎へと足を踏入れる事になった。

 書斎と言ってもやや大き目の部屋に本棚と机があるっきりの質素なものだ。カレンとアーリィの2人は中に入ってみたものの次になにをすべきか途方に暮れていた。取りあえず机の上の物や本棚を眺めて見るぐらいであった。


「特に怪しげな物はありませんね」

「そうねぇ……」


 アーリィに同意しながらもカレンの視線は本棚の一角に惹き付けられていた。


「あそこ、なにか不自然じゃないかしら?

あそこの本たち、他の本より少し出っ張っているわ」


 確かに本の背表紙がその部分だけ出っ張っていた。アーリィが本を引き出してみると本の後ろに隠れるように小瓶のようなものが見えた。


「隠し戸棚ですわ、奥様」


 本を幾つか引き抜くとアーリィが言ように隠し戸棚が姿を現した。戸棚には小振りのガラス瓶が幾つも置いてあった。中には薄緑やオレンジ、褐色など、さまざまな色の粉末が入っていた。


「これは一体なんなのかしら?」


 2人は瓶を前に首を捻るばかりだった。

 

「なにかのお薬でしょうか?」


 アーリィは瓶の一つの中身を手の平に少し取ると匂いを嗅いでみた。


「木の粉みたいな匂いですね。色も黄色いし……」


 ペロリと粉を舐める。


「味はそんなにしませんね。苦くもないし、辛くもないです。なんでしょうね、これ?」

「ちょっとアーリィ! もしかしたら毒かもしれないでしょう」

「まさか。

なんで旦那様が毒なんかを書斎に隠して持っているんですか?」

「まあ、それはそうなんだけど……

あら、瓶の底にラベルが貼ってあるわ。

termeric(ターメリック)だそうよ」

「ターメリック……聞いたことのあるような名前です。ちなみに他の瓶はどうなのでしょう。ラベルにはなんと書いてありますか?」


 文字が読めないアーリィは他の瓶もカレンに見せた。


cumin(クミン)coriander(コリアンダー)cardamon(カルダモン)……ああ、この匂い! これよこのカルダモンの匂いがアランからしていた匂いよ!」

「クミン、コリアンダー、カルダモン……どれもこれも子供の頃に聞いたことがあるような……

あっ! 思いだしました。

実は、うちの母親の祖母ばあさま、もう10年以上も前におっちんまってんですが、わたしがまだ子供の頃は良く子守りをしてもらってたんですよ。で、その祖母さまは村で有名なまじない師で、家に大きな鍋やらこんな小瓶がずらりと並んだ棚があったんです。

それで色んな薬を調合しては村人に分けてたんですよ。そん中に魔よけかなにかには黄色い色が効くってんでさっきのターメリックってやつを使ってました」

「へぇ……そうなの」

「カルダモンとか言うのはなにか凄く高価なものらしいです。女王様だとかなんとか言っていたような」

「女王様のなに?」

「う~ん、なんでしょう。大方女王様がつけるような香料ということでしょうか」

「なるほどそうなのね」


 カレンは分かったような分からないような複雑な表情で頷くと、それで、結局なにがどうってことなのかしら?、と言った。


「そうですね……旦那様からカルダモンの匂いがして、書斎には怪しげな薬の小瓶がずらりと並んでいる。つまりそれは……」

「つまり、それは?」

 

 しばらく腕を組んで考え込んでいたアーリィはやがてポンと手を叩いた。


「ああ、分かりました。つまりですね、これは旦那様があれを作ろうとしているのです!」

「あれとは?」

「あれですよ、あれ、あれ。男と女が良い感じになる薬。惚れ薬とか媚薬ってやつです」

「惚れ薬!! 媚薬、ですって?!」


 惚れ薬、媚薬と聞いてカレンは耳まで真っ赤にして叫んだ。

 

「だけど、なんでアランが媚薬なんて作ろうとしているの?」

「それはですね、恐らくですが、旦那様が異国(カルダモン)の美女にお熱を上げてしまったのです。それで、その美女の気を惹くために媚薬を作ろうとしているのかと」

「ま、まあ! なんてことでしょう。もし、そうだとしたら私はどうすれば良いのかしら」

「なに大丈夫です。

こちらが先に媚薬を作れば良いのですよ。

作った媚薬を先に奥様が旦那様に飲ませれば、また旦那様は奥様に惚れ直すってもんです」

「な、なるほど。

でも、媚薬なんてどうやって作るの?

私、作り方なんて知らないわ」


 カレンの問いに、アーリィは胸を張る。


「奥様、わたしを誰だと思っているんですか?

村一番の呪い師の曾孫ですよ。

媚薬ぐらいちょちょいのちょいです」

「本当なの?」

「本当ですとも! 大船に乗っているつもりでいてください」

「そ、そうなのね。

それで、まずなにをすれば良いの?」

「まずです、コリアンダーがありましたよね。それを使いましょう。

コリアンダーは昔から恋の秘薬と言われているのです。それから男性の夜の方(あっちのほう)が活発になるとか。

媚薬のベースとしてはこれ程適したものはございません」

「え、えっとコリアンダーね。

で、量はどのくらいいるのかしら?」

「量?! えっと、沢山あると効くと思いますわ」


 アーリィに言われるままにカレンは厨房から持ってきた皿にコリアンダーの瓶を一振、二振りする。たちまちこんもりと小さなコリアンダーの山が出来上がった。


「なにか不思議な香り。フルーツの香りのようで少し刺激的な匂いね」

「それが効くのですよ。多分……

お次はクミンです」

「クミン? クミンね。ああ、これね。

うわっ、これはさっきより臭いがきついわね。私、少し苦手かも」

「うちの村ではニワトリが逃げないように撒いてますよ」

「ニワトリが逃げるのを防ぐの?!」

「ですです。ニワトリも人間の男もおんなじですって! こいつもおんなじぐらい盛っちゃってください」


 カレンはクミンも同じように皿に出すと二つの山を混ぜ合わせる。すると書斎には今まで嗅いだことのない匂いが立ち込めた。


「なにかまた変わった臭いですわ。こんなので本当に大丈夫なの?」

「う~ん、き、きっと大丈夫です。

そ、そうださっきのカルダモンを少し入れてみましょう。匂いがもう少し良くなるかもしれません」

「……ねぇ、アーリィ。あなた、さっきから適当な思いつきで話してない?」

「まさか! そんなことありません。ほら、ちょっと良い匂いになったでしょう」

「う~ん、どうかしら。まあ、臭いはともかく色がねぇ。なにか泥とか砂みたい」

「じゃあ、さっきのターメリックをいれましょう。黄色くなりますよ。東洋では黄色は幸せを呼ぶ色らしいですから」


 アーリィはカレンの返事も待たずにターメリックを作りかけの媚薬に振りかけた。が、思ったような色にはならなかった。


「ふむ。なかなか思ったような色になりませんね。もう少し鮮やかな黄色になって欲しいのですが……

えい、えい……うわっ!?」


 瓶を傾け過ぎて大量のターメリックが皿の中に投入された。


「ちょっと! アーリィ!! なにやってるの」

「あー! いや、まあ、混ぜてしまえば分かりませんよ」


 そう言いながらアーリィは皿の中の粉、コリアンダー、クミン、ターメリック、そしてカルダモン少々をぐるぐるとかき混ぜた。そして、混ぜた粉を少し舐めてみた。


「どう?」

「う~ん、ちょっとパンチが足りません」

「パンチ……?」

「そう。もう少しガツンと来るものが必要ですね」


 アーリィはそう言いながら小瓶の棚を物色しだした。やがて、これなんかどうでしょう、と嬉しそうに赤い粉の入った瓶を取り出した。


「トウガラシみたいですね。これ良いですよ。

トウガラシは食べると体かカッカッきますんで。ほら、それを恋と勘違いしちゃうです。吊り橋効果? 従兄弟のベルリがそれで嫁さんゲットしたのはうちらの村では有名な話です」


 腰に手を当てて、ルンルンとその粉を媚薬に混ぜ合わせていく。その姿にカレンは一抹の不安を感じないわけにはいかなかった。


「ねぇ、やっぱりあなた、適当にやってない?

そもそも本当に媚薬の作り方なんて習ったの?」

「えっ?! ……、習ったというか鍋でグツグツ何かを煮てるのを横で見てたって言うか……」

「……。鍋になにを入れていたかは分かるの?」

「う~ん、匂いでなんとなく」

「で、今、この目の前にある『これ』はその匂いであってる?」

「(くんくん)……、……さっ、出来ました!」

「今、明らかに『合ってる』、『合ってない』の答えを避けたわよね!」

「え――、奥様は旦那様のお気持ちを取り戻したいのですよね」

「そ、それはそうだけど……」

「なら、そんな細かいことを気にしては駄目です」

「えっ? これ細かいことなの?」

「そうですわ。細かい、細かい。そんなことをよりこれをどうやって旦那様に一服盛るかを考えましょう。ふふふふふ」


 アーリィは性格悪そうな表情で不敵に笑う。一方、カレンはこのままアーリィを信じて良いものかと真面目に頭を悩ますのだった。


「この色と臭いだとお薬と言って飲ませるのは少し無理があるかしら。絶対むせるわよねえ」

「ですね。やはり、食べ物に混ぜるのが常道でしょうか」


 少し考えた末、2人は厨房へ向かった。


「トーストに振りかけてチーズを載せて隠してしまうのはどうでしょう。焼いてチーズが溶ければ見えなくなりますよ」


 アーリィは実際に作ってみるとそれをカレンに手渡した。カレンはしげしげとトーストを確認し、すんすんと臭いを嗅ぐ。


「見た目はごまかせるけど、臭いは誤魔化せないわ。嗅いだことのない臭いよ」

「ふ~む。なら、オートミールにミルクを入れて、それに混ぜてみましょう……

ありゃ、見事に黄色くなりましたね……」

「これは駄目ねぇ。見た目ですぐに変っ! ってなるわ」

「朝食になんの説明もなく出されるとちょっと引くレベルですね。まあ、でも、これだけしか出さなければ食べるのではないですか」

「そんなわけあるか! ですわ。

あなた、アランの事を犬っころかなにかと思ってなくて?」

「いえ、まさか……旦那様のような気品に溢れた方を犬だなんて思いません。せいぜいアフガンハウンドぐらい? ですか」

「それ犬でしょ! アフガンハウンド、見た目高貴ですけど……」

「なにが高貴だって?」

「旦那様がアフガンハウンドって……わー、旦那様!!」

「アランがアフガンハウンドに似ているって……わー、貴方!!」


 背後の声に振り向いた2人は同時に悲鳴を上げた。目の前には出掛けた筈のアランが立っていたからだ。


「「ど、ど、ど、どうしてここに?」」

「いや、忘れ物をして戻ってきたら厨房からなにか匂いがしたので覗いてみたら2人がなにかをやっているのでなにをやっているのかな、と思ったのさ」

「えっと、媚薬を作って……」

「わっ! わぁー、わぁ! な、なにを言っているのアーリィわ!」」


 口を滑らせかけるアーリィをカレンは必死に止める。


「えっと、そう、新しい料理の研究を、研究をしていたのですわ」

「ほう、料理の研究かね」


 料理の研究という言葉に一瞬アランの瞳がキラリと光った。


「それは興味深いね。少し見せてもらえないか」

「えっ? いえ、まだ、始めたばかりで……

お見せできるものではないので……

えっ、ちょっと、お止めになって」

「いや、いや、いや、是非見てせくれ」


 カレンは先程作ったトーストとオートミールの皿を背中に必死に隠しそうとするがアランもかなりの熱意でそれを見ようとした。すったもんだの末、ついにアランはカレンからトーストを奪い取ると止める間もなく一口噛った。


「うむ、こ、これは」


 トーストを食べたアランは一言唸ると眉をひそめた。次に隣の皿、ドロリと黄色いオートミールの皿へ目をやった。しばらく見つめていたが突然スプーンてすくい、こっちも頬張ってしまう。


「こ、これも……! なんてことだ」


 スプーンを咥えたまま、今にも転倒しそうなほどエビぞりになるアラン。その様子にカレンは大いにうろたえる。


「え、え、それほど口に合いませんか?

た、試しに作っただけなので無理に食べてもらおうと思っては……」

「そうですわ。どうやって旦那様を誤魔化して一服盛ろうかと思案しているのにそんなにあっさり口にされては奥様の苦労が台無しです」

「きゃ――、アーリィは黙りなさい!

今の話はみんな嘘です。忘れてください。

お口に合わないでしょう。すぐに破棄しますわ」

「素晴らしい!」

「はい、ごもっともです。お気に召さないことは重々承知……

はい? 

素晴らしい?」

「うむ、凄い、凄いぞ!」


 混乱するカレンを前にアランは目を輝かせながらトーストを噛り、オートミールを何度も頬張った。


「いや、凄い。トーストもオートミールもありふれた素材なのにどちらも見事なインド風料理になっている! 一体どうやったのだ?

むむ、そのパウダーはなんだ? それがこの料理の秘密なのかい?!」


 アランは目ざとくカレンたちが作っていた媚薬の山に気がついた。

 それは媚薬ですよ、とどこかドヤっとした表情でアーリィは言う。


「ビヤク?」


 アランは首を傾げる。少し理解が追いつかないようだ。カレンは嫌な予感に襲われる。それを知ってか知らずかアーリィは胸を張り、とくとくと説明し始める。


「惚れ薬ですよ。旦那様が外で女を作ったんで、旦那様を取り戻そうと奥様と私で媚薬を……」

「アーリィは黙れと言っている!!」


 パニックに陥ったカレンは思わず手近にあった小瓶をアーリィに投げつけた。

 小瓶はアーリィのおでこにコツンと当たる。赤い煙がアーリィの顔を覆った。それは媚薬にも入れた赤い粉、その正体はカイエンペッパーだった。


「ぐぅあ、目が、目があぁ!!」


 とたんにアーリィは目をおさえ悶絶する。

 突然展開される地獄絵図に絶句するアレン。


「はぁ、はぁ、はぁ。

取りあえずしばらく馬鹿メイド(アーリィ)のことは忘れて良いです。そ、それより、さっきからなんでそんなにこの粉に執着するのですか?」


 カレンは床でのたうち回るアーリィを隠すようにアレンの前に仁王立ちになり、言う。この状況をどう誤魔化すか、それ以外のことは考えていなかった。


「いや、本社から晩餐会で出すインド風の料理の注文を大量に受けていたんだ。だけど、インドの料理は基本的に複数のスパイスを組み合わせてつくる。それも料理によって種類も量も違う複雑なものなんだ。どうにも手間と時間がかかってしょうがなくて困っていたんだよ。どうしたものかと思案をしていのだけど、そのせいで最近は食欲もなくなっていたんだ」

「食欲がなかったのは……そのせい?」

「なにか香水のような匂いをさせていたと聞きましたが……」


 カレンの背後からぬぅっとアーリィが顔を出して質問をした。目を真っ赤にさせ、ぐすぐすと鼻を鳴している。


「香水? ああ、最近は自分でもスパイスを組み合わせていたから、その匂いだろう。

実は書斎の棚にいくつもスパイスの瓶を置いて試していたんだ。でもなかなか上手くいかなくてね……」

「まあ、そうだったのですね。オホホホホ」


 笑いながらテーブルの瓶をそっと隠すカレン。


「しかし、君たちが作ったこのパウダーは実に素晴らしいよ。ぜひレシピを教えてくれ。

これさえあれば全てが上手く行く気がするんだ」

「えっ? そ、それは勿論良いですけど……」

「そうか!

君のような妻を持てて本当に嬉しいよ。

ありがとう。愛しているよ!」


 屈託ない笑顔を見せるアランに見詰められカレンは顔を赤らめた。


「も、勿論ですわ。私に任せていただければ何事も万事うまくいきますことよ。なので、大船に乗ってられると思って安心していてくださいまし。ホホホホホ」


 カレンはそう大見得を切りながら、心の中で、浮気を怪しみ媚薬を作ろうとした事は生涯の秘密にしようと固く心に誓うのであった。



 ちなみにこのパウダーは改良を重ねられ、後にクロス・アンド・ブラックウェル社からカレーパウダーとして販売され世界的に流行する事になるのだが、カレンの不断の努力の成果でこのカレー粉開発秘話は完全に歴史の闇に埋没することになるのであった。

2023/10/22 初稿


この話はフィクションです

実際の史実には全く関係しません

ファンタジーとしてお楽しみください

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