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祖母と鏡越しに会話をした二日後。早々に城の書庫に入る許可がおりた。
私と義兄、そしてジェム国から光の速さでやってきた従兄モルダバイトの三人で登城している。
中庭に面した廊下を歩きながら、従兄は驚きの声を発した。
「は~、想像以上に発展してる国なんだな。もっと後進国かと思ってたよ」
王家の城で発する感想ではない。
義兄が渋面を作って従兄を睨みつける。
「言葉を控えろ。その態度もやめろ」
「他に誰もいないじゃないか」
侍女と護衛は距離を保ちついてきている。誰もいないわけではないが、私が登城することが伝わっていたからなのか、廊下は人払いがされていた。
「なあ、ハーライト。こんな回りくどいことをせずに、もうジェム国に来ればいいじゃないか」
モルダは面倒そうに告げる。
ジェム国の王族は全て黒髪黒目で容姿端麗が多い。彼も例に漏れずその容姿を受け継いでいるが、とにかく軽口が多い。
公爵家に着いた際も、まるで友人のような気軽さで皆に驚かれていた。そして初めて会った従妹の名はすでに呼び捨てにされていた。
「王太子の婚約者であるうちは、国を出ることが許されないんです」
「はー……、それはあれだな。まるで囚人だな」
私はその言葉に身を強張らせる。前世で実際に牢に捕らわれて斬首までされているのだ。
「モルダ! いい加減にしろ!」
義兄は強い口調で叱責し、私の背に手を添えた。
「大丈夫か、ハーライト。顔色が悪いぞ。モルダの言葉は真面目に聞く必要ないからな」
言葉を発せず苦笑を返す。義兄は渋面を浮かべてしまった。
「いや、ダイオ。お前そんなに妹思いな兄貴だったか?」
従兄は揶揄う口調で笑い、不愉快そうな義兄の肩に腕をのせた。
「だってお前、妹が全く人の話を聞かないって愚痴ってたじゃないか」
「モルダ!」
「ひえ、怖いから睨むなって。でも本当のことだろ」
モルダは義兄の圧に怯んでいる。義兄は私を一瞥して、気まずそうに視線を逸らした。
「……ハーライトは最近素直になったから、私もそのように接しないとだめだろう……」
小さい声でそう告げた義兄の耳が赤くなっている。
「あはははは、ダイオ! なに照れてんだよ!」
モルダは爆笑しながら義兄の背を強く叩いた。
確かに断頭台で罪を贖う寸前まで、私は素直ではなかっただろう。
一体何がおかしかったのか、そればかり考えていた。
ずっと頭の中を占めていたのは王太子のことばかりで、家族が自分のせいでどうなっているかなんて考えもしなかった。
時を遡った今、家族や友人の温かさを目の当たりにする度に、自分という人間が変わっていくのが分かる。一つ素直になってしまえば、頑なに纏っていた鎧などすぐに脱ぎ捨てていけるのだと知った。
二人がじゃれ合う姿を見ていたら、なんだかおかしくて笑ってしまう。
「ハーライト……?」
「うわ! 笑ってんじゃん」
「モルダ、お前……どういう反応だそれは」
狼狽える二人がおかしくて、私は一頻り笑い息を長く吐く。
「はあ、おかしい。二人とも仲がいいのね」
「誰がこんな奴と」
「おい、ダイオ! それはないだろ!」
すぐに否定する義兄と、誰とでも馴染めそうな従兄。きっと彼らはジェム国の学園でもこんな感じだったのだろう。
同じ年頃の男性たちはこうやって軽口を叩き、笑い合うものなのか。
ふと赤い瞳の婚約者と彼らを重ねてみるが、全く想像が湧かなかった。
(きっと彼はこんな風に誰かとふざけたりしないわね……)
妙な確信があった。
禁書も保管される城の書庫は入り口に受付があった。騎士数名と司書が守るその部屋は書庫というには物々しい。
「カエルレウム公爵令嬢さまですね。陛下からお話は伺っております」
司書は同伴者二名の名を確認し、扉の前に立つ騎士に声をかけた。書庫の重い扉が開かれるが、室内にも司書と騎士が控えている。
背の高い窓が設えられ、陽の光が差し込んでいた。室内は物々しい雰囲気とは異なり明るい印象だ。
たくさんの本棚が整然と並び、机や椅子もある。
「では、何かありましたらお呼びください」
外と内の司書がそう言って頭を下げた。扉が閉まる音が静寂の中に大きく響く。
その静謐な雰囲気に、モルダまでが口を閉ざしている。
「まずは王国史を調べようか」
義兄は私にそう告げて、本棚に記されている案内板を確認していく。
「確かルフス国が魔法を失ったのは四百年前だと言われているよな。その辺りから読んでいくか」
モルダは義兄の後を追いながら、共に目的の書物を探す。
「四百年分の王国の歴史を読むのは骨が折れるぞ~」
「お前のそのでかい目で一文字も漏らさずに読めよ」
「へいへい」
二人のやり取りは妙に和む。私は小さく笑い、本棚を見ながら歩を進めた。
義兄とモルダは目的の書物を見つけたようだ。二人が手招きしている。
四百年どころか百年の歴史を記した書物は想像以上に多かった。
とりあえず四百年前から読み始めることにする。適当に三冊引き抜き、そして明るい窓際の席に向かう。
ふと奥の本棚の影に人影が見えた。
「……あ」
つい声が漏れた。
本棚の前に椅子を置き、アゲートが足を組み分厚い書物を熱心に読んでいた。彼は書庫に誰かが来たことにも、話声にも気づいていないようだ。
赤い双眸は文字を熱心に追っている。
「ハーライト」
義兄は小さい声で私を呼んだ。顔を持ち上げると、彼は困ったような表情を浮かべている。
「なるべく近寄らないようにしなさい」
「……はい、お義兄さま」
義兄の背を追い、早々に席についていたモルダと合流する。
手分けして一冊ずつ読み進めていくうちに、机に落ちた影が伸びていることに気付いた。
窓の外を見やると、太陽が大分傾いている。
三人共に、何の言葉も発することなく読みふけってしまったようだ。
もちろん何が参考になるかは分からない。紙に気になった点を書き留めながら、次の巻を読んでいく。
なんとなく、暗い場所で熱心に書物を読んでいたアゲートが気になった。
読んだ王国史を手に持ち、私はおもむろに立ち上がる。すぐに義兄が気付きこちらを見た。
「ここにあるのは読んでしまったので、続きを何冊か持ってきますね」
「それは私が行こう」
立ち上がろうとする義兄を止め、苦笑を返す。
「心配しすぎですわ」
「……あ、いや、それは」
義兄の意図を察してしまった。本当にこの人は他人に対して気遣いの出来る人だ。何故死ぬ前の私はそれに気付かなかったのだろう。申し訳なくて何度詫びても足りない心地になる。
なるべく元気に見えるような笑みを向けて、私はその場を離れた。
王国史を本棚に戻し、そして新たな巻を一冊手に取る。
ぺらぺらとその場でページを捲りながら、あるページが目に留まった。
文字が少し滲んで読めなくなっている。
まるで水を零したようなそれは、貴重な書物を読む時に不注意すぎるだろうと思わせた。
前後の文脈から読み取れないわけじゃないが、これをまた数百年後に子孫が目にするのだ。
そっと指で滲みを撫でる。ぞくりと肌が粟立つような感覚に咄嗟に手が離れた。
ばさりと書物が床に落ちてしまう。
(い、今の……なに?)
心臓が早鐘を打ち始める。感じたことのない感覚に動揺がおさまらない。
「……ハーライト?」
低い声が名を呼んだ。弾かれたように声のした先を見やる。
驚きを顔に張り付けているアゲートと目が合う。
「あ……、そうか。今日登城すると言っていたな。失念していた」
アゲートは手に数冊の書物を持っている。私の足元に落ちる書物を一瞥し、そして視線を上げた。
「どうした、何かあったのか?」
おもむろに彼は眼前まで来て、落ちた書物を拾った。
それを私に差し出すが、素直に受け取れず困惑してしまう。それが顔に出ていたのだろう。
アゲートは苦笑して、落ちていた書物を棚に戻した。
「明日、アメトリン陛下とお会いすることになっている」
「え!」
私は驚きで目を瞠った。寝耳に水だったのだ。
「聞いていないのか?」
「知りませんでした。とても展開が早いですね……」
驚きすぎてしまったせいでうまく反応が出来ず、訳の分からない言葉を返してしまった。
アゲートは一瞬目を丸くしたが、目尻を下げ微笑を浮かべる。
「…………っ!」
私はその表情に言葉に詰まってしまった。彼から目が逸らせない。
いつもと雰囲気が違う。
「ハーライト!」
義兄が王太子の背の向こう側から驚いたように大きい声を発した。
私とアゲートの間に入るように立つが、礼は欠かさない。
「王太子殿下にご挨拶申し上げます」
「……うん」
アゲートは小さく笑んで頷いた。その反応に義兄も訝しそうに顔を上げる。
「ハーライト、殿下のお邪魔になるといけないから戻ろう」
本音では早くこの男から離れろと言いたいのだろう。義兄はハーライトの手を握る。
アゲートは何も言わず立ち去ろうとする私たちを見ている。
僅かな変化だった。アゲートは一瞬眉を寄せて、痛みを堪えるような顔に変わる。
思わず足が止まってしまった。
「殿下、お加減が悪いのですか?」
私は考え無しにアゲートに手を伸ばした。義兄がそれを止めようと動くが遅かった。
「触るな!」
ぱしんと甲高い音が響いて私の手は弾かれた。アゲートが私の伸ばした手を強く振り払ったのだ。
「申し訳ございません、殿下。妹が失礼いたしました」
義兄が頭を下げた。私は動揺を隠すように俯き義兄に続いた。
「おーい、お前ら何をして」
モルダの場の空気を無視した声に反応し、アゲートは振り返った。彼の鋭い眼差しにモルダは相手が誰なのかを察したようだ。礼の形をとり端に寄る。
アゲートは何も告げることなく、その場を去っていった。
しんとした静寂が戻り、モルダがそろそろと本棚に沿うようにこちらに寄る。
「お、おい、大丈夫か」
モルダは心配そうに私を見やる。黒い瞳が衝撃を受けたように揺れている。
「ええ……大丈夫よ」
「本当かよ。父上からも念をおされてるんだ。何かあったら必ず話せよ」
そう告げたモルダに首肯を返し、義兄に視線を向ける。
「お義兄さま、ごめんなさい……」
「ハーライトが謝る事じゃない」
義兄の声がかたい。緑の瞳は陰り怒気を孕んでいる。
「な、なあ、まだ時間があるんだし続きでも読もうぜ」
モルダは雰囲気を変えようと王国史の続きを探し始める。義兄は嘆息してモルダに従った。
振り払われた手がじんじんと痛む。
その痛みが胸奥に閉じ込めた痛みを刺激して目の奥が熱くなってくる。こんなところで泣いてはだめだ。義兄とモルダを困らせてしまう。
一体何だと言うのか。もう絶対に会話もしたくない。
私は決意を固くし、目元に浮かぶ涙を誤魔化すように瞼を閉じた。