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王立学園に再び登校した日の朝。
公爵家の豪奢な馬車に乗り、義兄のエスコートで登校したわたしは注目を一身に集めていた。
今まで目立つことはあまり好きではなかった。
周囲から向けられる眼差しは王太子に相手をされていない令嬢を笑うものばかりだった。
見目麗しい義兄と共に校門をくぐると、その後ろから二人護衛がついてくる。
その物々しい登校に眉をひそめる者たちがざわつくが、義兄がひと睨みすると皆視線を慌てて逸らす。
「想像以上だな」
「お義兄さま?」
「ハーライト。なるべく私も一緒にいるつもりだが、護衛やルビー嬢、サファイア嬢から離れないようにするんだ。目撃者を必ず置くように気をつけなさい」
「はい」
わたしが首肯すると義兄は優しく笑んだが、すぐにその表情を一変させた。
眼前から王家の馬車に乗って登校する、王太子アゲート=ルフスがやってきたのだ。
黒い髪を靡かせ赤い瞳は強い意志を感じさせる。夜の闇に浮かぶ赤い月のようで、わたしは彼を見ているだけで幸せだった。
ギャラリーは何が起こるのかと物見遊山に湧きたつ。
王太子はこちらの姿を視界に入れると僅かに眉を顰めるが、すぐにその顔に美麗な笑顔を張り付けた。
わたしは腰を曲げ、兄と礼の形をとる。
「今日から登校だったな。元気そうでよかった」
「いたみいります」
わたしは同じように笑顔を張り付けて対応する。彼は義兄や護衛に視線を向けた。
「確かダイオ殿はジェム国に留学中ではなかったか。妹が心配で編入されたのか」
既に耳に入っているだろうに。嫌味な聞き方だ。
「はい。可愛い妹がまた倒れたりしたら生きた心地がしませんので」
「でも護衛が二人は多すぎないか。わざわざ学園長に許可をとってまで」
この学園は王国法の統治外だ。学問の学び場に権力を入れたくないという、いつぞやかの国王の指示だ。
「これでも少ないくらいです」
「……むしろこちらが守って欲しいくらいだな」
ハーライトのいつもの圧から守ってほしいという皮肉なのか。義兄の眼差しがかたくなる。
周囲がざわつき始めた。注目の先を一瞥すると件の令嬢がいた。ローズ=フラックス伯爵令嬢の登場だ。
ふわふわ舞う桃色の髪と栗色の瞳は、彼女の華やかな雰囲気に合っていると思う。改めて見ても可愛らしい令嬢だ。
まさかの修羅場再び! の予感に周囲の好奇の眼差しを感じてしまう。
ふと隣を見遣ると、義兄の額に筋が浮かんでいる。これは怒りを堪えているようだ。
「まあ、ハーライト様! お元気になられたんですね」
高位の者から声をかけるのがマナーだが、無邪気な少女はアゲートとの間に割り込み笑みを浮かべる。
「ええと、こちらは?」
義兄を視界に捉えると、彼女は可愛らしく首を傾げた。
「ダイオプサイト=カエルレウムと申します。ご令嬢」
義兄は優雅に微笑み挨拶をする。ローズは義兄の存在に驚いたのか、まあと小さく声を出した。
「こら、彼女の前に立つんじゃない。また傷つけられるぞ」
小声で囁かれた言葉に眉が跳ねる。そしてその背に庇う様にアゲートが動く。
わたしの精一杯張り付けた笑顔が、引き攣るような心地がした。
「ローズ様、今まで婚約者の不実に嫉妬し、あなたに様々な暴言を吐いたことお許しください」
わたしが腰を曲げ謝罪の形をとると、アゲートとローズは驚きに固まった。
周りも同じだ。
「私からも妹の暴挙を謝らせてほしい。婚約者に恋心を踏みにじられて、妹が酷いことをした。許してほしい」
筆頭公爵家の子供たちが同じく頭を下げていることに、面白おかしく眺めていた周囲が徐々に青ざめてきた。
彼らの言外に王太子の不実が原因だと強調されていること。高位の者が自らの愚かしい行動を反省し、人前で謝罪していること。そしてその令嬢は、この国で最も高貴な貴族であり他国の姫なのだ。
自らの非は謝罪した。次はお前の番だ。周囲はそう受けとった。
「ハーライト、何を突然……」
「あら殿下、わたしは心底申し訳ないと思い、ローズ様に謝罪しているのです。殿下にではございませんわ」
微笑みローズを見ると、驚いて固まっている。
「あ、いえ、謝って頂けるならべつに」
「では許していただけるのですか」
「え、ええ」
「寛大なお心に感謝いたしますわ」
アゲートが引き攣った笑みを浮かべる。そして、本題に入ろうと彼に向き直った。
「本日、父が登城されております。ご存じですよね?」
「あ、ああ」
突然変わった話題にアゲートは困惑を深めた。
「父がおばあ様の代理人を伴って、婚約破棄の書状をお持ちしております。どうぞ末永く、ローズ様とお幸せに」
「は……、おばあ様? え、婚約破棄だと?」
驚いたアゲートがハーライトの腕を掴もうと動くが、それを護衛二人が止めた。
「なんなんだ、おまえたちは」
「この国の王太子であろうと、我が国の姫に触れることは許されません」
「……は?」
「殿下。こちらはおばあ様がわたしに直々につけてくださった騎士ですわ。魔術師でもあるそうです」
そう告げられてアゲートはぱっと身を離す。
ギャラリーも祖母がジェム国女王であることを思い出したようだ。同じ学び舎にいようと、この学園で身分は関係ないと謳われようとも、わたしは貴族の中で最高の地位にある令嬢だ。
自分たちの好奇の眼差しを、わたしが不快だと咎めればどうなるのか察すればいい。
「な、何故国外の護衛を……!」
「あらおかしいこと。わたしは産まれた瞬間からジェム王家の姫ですわ。おばあさまの代理人で、ジェム王国第二王子殿下が父と登城されておられます。詳しくは城にお帰りになった際にお聞きくださいませ」
「なにを、君は突然……!」
「突然? 先に不実を犯したのは殿下あなたですわ」
「そんな婚約者同士の痴話喧嘩に、女王陛下を持ち出すなんて!」
「痴話喧嘩? あらおかしい。わたしたち、そんな気安い会話をするような仲でしたかしら。殿下はわたしがお嫌いですものね。王家でもないのにその存在を重要視しなくてはならない令嬢。すぐ癇癪を起こす、あなたにとっては可愛くもない」
「ハーライト」
「でも貴族の婚約なんてそんなものですわよね? わたしが殿下に惚れていたから、あなたに嫌われるようなことはしないと高をくくってらっしゃいましたか?」
「ハーライト!」
「わたしも殿下が嫌いですわ。嫌われても構いません。だからわたしの持ちうる武器、ええ、地位と権力ですね。あなたもお持ちのものです。それを利用させて頂きますわ」
「話を聞くんだ、ハーライト!」
大きな声に周囲は波を打ったように静まりかえる。アゲートが我に返った頃には遅かった。
わたしはなるべく美しい微笑みを心がけて笑んだ。
「話を聞かなかったのは、王太子殿下、あなたですわ」
断頭台送りになった恐怖も。全く会話にならなかった、あなたとの過去も。全て覚えている。
同じ目に遭わせたいとか、そういうことは考えていない。
ただ、百年の恋も冷めるどころか氷点下だ。冷えた心に残るのは、凪いだ空っぽの大地。
その空気を感じたのかアゲートは踵を返した。
「城に戻る!」
そう護衛たちに声をかけ、彼はローズを連れて足早に馬車に乗り込んだ。
焦っていても、愛しい彼女の存在を忘れなかったのは褒めてあげよう。
ここに残された彼女がどういう立ち位置になるのか分かるくらいには、まだ愚かではないのかもしれない。