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「ルビー様、サファイア様、来てくださってありがとう。嬉しいわ」
庭園を一望できる屋敷で最も広いテラスに向かうと、白いティーテーブルに向かい合わせで腰かけていた令嬢二人が立ち上がる。そして礼をとろうとするのを手で制する。
「楽にしてください。わたしもまだ本調子ではなくて、こんな軽装でごめんなさい」
締め付けの強い衣装は苦しいので、体のラインを隠すふうわりとした柔らかい衣装である。長い髪は背に流し茶色の瞳はおそらく疲れを残しているだろう。加えて、歩くことが辛いので杖も手にしていた。
そんなわたしの姿に二人は困ったように眉を下げた。
椅子に腰かけると、すうっと柔らかい風が頬を撫でていく。
「今日は天気もよくて気持ちがいいわね」
そう言うと彼女達も目を細めて笑む。
「はい。実は二人でお買い物に行っていたのですが、以前ハーライトさまが食べてみたいと仰っていたスイーツが売っていたので、ついお持ちしてしまったのです」
え? わざわざ?
わたしはティーカップを持った姿勢のまま、驚きの表情で二人を見る。
「体調も大分回復されたとお聞きしていたのですが、お好きな物を見たらもっと元気になられるかと思いまして」
サファイアが小動物のようにおろおろしながらも、言葉を紡いでいく。
「こちらですわ」
侍女が皿にのせた小さなスイーツを給仕していく。
花の形に作られたカップケーキだ。色とりどりの小さな乾燥した果物が散らされている。
「か、可愛い……」
思わずそう呟いて口を指で抑える。
二人は安心したように相好を崩した。
「たくさんの方が並んでいて、並んでいる間に売り切れてしまうんじゃないかとドキドキしましたわ」
面白そうに笑うルビーに目を剥く。
「え? 自らお並びになったのですか?」
「はい、もちろんですわ。だってこのお花たち、一つ一つ少し色や形が違うんですよ。ハーライトさまが好きそうな物を選びたくて」
「ハーライト様のお好きな緑や青、あと薄い桃色。どうですか?」
二人はまるで褒められ待ちの犬のような期待を込めた眼差しをこちらに向けている。
この二人はこんなふうに、わたしに接する人たちだったろうか。
ずっと困ったように、でも否定もせずにずっとわたしについてきていた。断罪された時も、わたしを詰ることも恨み節をぶつけることもなかった。
今だって、パーティで酷い癇癪を起こした後だというのにまるで友人を励ますかのように接してくれている。
違う。
ずっとそうだったのに、わたしが彼女たちを避けていたんだ。
何を企んでいるんだろう。その優しさでわたしから何を奪うつもりなんだろう。
人間性が高い二人を見て、王子に恋をしているわたしは、自分の醜さに焦りを感じていたんだ。
「お二人にお伝えしないといけないことがあります」
わたしは小さなカップケーキから、二人に視線を戻す。
二人はきょとんとした眼差しを返してきた。
わたしは背筋を伸ばして、一つ一つ言葉を選び真摯に伝わるように吐き出した。
「今までおふたりに、八つ当たりや嫌がらせに加担させるようなひどい真似をしたことを謝らせてください。権力をかさに二人に無体を敷いていたこと、心からお詫びいたします。申し訳ありませんでした」
足に気合を入れて立ち上がり頭を下げる。二人が息を飲んだのが伝わった。
そして彼女たちは慌てて立ち上がる。
「ハ、ハーライトさま! 頭をお上げください!」
「こんな、こんなこと、ダメですわ!」
焦る二人の声を聞きながら、わたしはゆるゆると頭を持ち上げる。二人は困惑を隠せない表情のままだ。
「わたし、お二人がうらやましかったんです。お互いを信頼していて友人だからこそ意見も言い合えておられて。……わたしはこんな性格ですから友人もいなくて」
言いながら恥ずかしくなってきた。わたしは苦笑しながら誤魔化すように笑うと、ルビーが手を差し出す。
「ならばわたしからも謝罪させてください。友人なのに、ハーライトさまに苦言を呈することが出来なかった」
その真っ直ぐな瞳に射竦められたように息を止める。サファイアもその言葉に続いて口を開く。
「わたくしも謝ります。幼い頃から共に過ごしてきた友人であるのに、ハーライトさまの心痛を共有できなかった」
「「申し訳ありません」」
二人は言葉を合わせて頭を下げる。
想像もしていなかったことに、わたしは狼狽えた。
「ふ、二人とも頭を上げて! ええ、なんで、わたしが謝りたいのに」
パニックになっていると、くすりと小さく笑う声がした。
「ふふふ、ハーライトさま、焦りすぎですわ」
ルビーがくすくすと笑い始める。サファイアも顔を背け同じように笑いを堪えている。
「も、もう! 二人とも何故そんなに笑うの!」
まるで駄々っ子のような言葉に二人はますます笑みを深めてしまう。
「ハーライトさまがいけないんですわ。わたしたちはずっと友人だと思っていたのに、友人が一人もいないなんておっしゃるから」
「…………え」
ルビーがわざとらしくつんと顔を背けている。サファイアは笑い上戸のようだ。まだ笑っているが、堪えるように言葉を発した。
「そうですわ。わたしたちお人よしではありませんよ。友人だから一緒にいて、協力もしたんです。ええ、確かにそれはどうかと思うこともありました。でもそうですね。これからはもう少しお互い会話を致しましょう」
にっこり微笑むサファイアの綺麗な顔に胸が高鳴る。
「そ、そんな優しく微笑まれたら……緊張するわ」
頬が熱くなってくる気がしてきた。
おろおろしていると不意に足の力が抜けた。膝ががくりと折れ体のバランスが崩れる。
「おっと、危ない」
いつの間に現れたのか、倒れそうになったわたしを父が支えている。
眼前の彼女たちは安堵の息を吐きながら、すぐに礼の形をとった。
「ルビー嬢、サファイア嬢、そんなに畏まらなくていいんだ。少し顔を出しただけだから」
そう優しく告げると、父はわたしを支えながら腰かけさせてくれる。
「ハーライト、少しずつでいいんだ。少しずつ、心を癒して本来の心を取り戻していけばね」
「……お父様」
また目頭が熱くなってきて、じんわりと涙がこみ上げてくる。
父は体の向きを変え、緊張した面持ちの二人に向き直る。
「ルビー嬢、サファイア嬢。娘が迷惑をかけていたこと謝罪させてほしい。本当に申し訳なかった。そしてこれからもどうか娘をよろしく頼む」
筆頭公爵家の当主に頭を下げられてしまった事実に、二人の顔が青ざめていく。
これはさすがに過保護だろうとも思う。
「これはハーライトの父として受け止めて欲しいな」
甘い面立ちの美形である父に微笑まれ、二人の顔色は青くなったり赤くなったり大変そうだ。
「お、お父さま、困りますわ! まるでわたし、幼い子供のようで」
「何を言っているんだ。ハーライトは私にとって赤ん坊でもあり幼い子供でもあり淑女でもあるさ」
「もう、だから……」
両手で顔を隠しつつ、指の間から二人を見遣るとクスクスと笑っている。
「ハーライトさま、また来てもよろしいですか? たくさんお勧めのスイーツがあるんです」
「わたしもハーライト様が好きそうな本をお持ちしたいですわ」
にこにこ笑う二人に、また泣きそうになってしまう。
そしてすぐに涙が零れてしまう。
「ご、ごめんなさい。どうも意識が戻ってから涙もろくて」
「あら、ハーライト様は昔から泣き虫ですわ」
「え?」
「頑張り屋さんで、泣き虫で、頑固で癇癪もちで。可愛い方だと思っておりましたわ」
サファイアの言葉に父が吹き出す。なんかもう笑われてばかりだ。
「的確……ぶはっ」
口元を抑えながら笑う父に胡乱な眼差しを向けると、彼はそそくさと部屋を出て行った。
ルビーは父が出て行く後ろ姿を見ながら嘆息する。
「驚きましたわ。ハーライト様の御父君、公爵さまは想像よりも柔らかい方なのですね」
同意するようにサファイアが頷く。
「本当に驚きましたわ。いつもは厳格そうな雰囲気でしたから」
「みんな外用の顔を持っているのよね」
ルビーが紅茶を口に含む。ほっとしたように表情を和らげている。
「きっと普段のハーライト様もたくさんの鎧をまとっておいでなのでしょう」
「……え」
「すぐに全部を脱ぐことは出来ないと思いますが、わたしたちの前ではせめて可愛らしい靴を履いてくるくらいで大丈夫ですわ。わたしたちの心はいつも裸ですから」
その発言に吹き出したのはサファイアだ。彼女の新たな一面を知ってしまった気がする。
一度笑い始めると、その笑いがずっと尾をひくようだ。そんなサファイアを面白そうに見遣り、ルビーは微笑みを向けてくれる。
「ありがとう……ふたりとも」
そう小さく呟くと、二人は嬉しそうに笑った。