12
まだ寒さの厳しい薄暗い早朝。
鉄道の終点、ルフス国の西の果てにあるフラックス伯爵領に到着した。
「さむっ!」
ローブのフードを目深に被り、モルダは呻いた。きょろきょろとあたりを見回している。
「ダイオ〜、さすがにどこも店が開いてないぞ〜。腹へった〜」
「食事はもう少し後にしろ。馬車は……まだ借りられないか?」
義兄は駅舎を出てすぐの貸し馬車屋を見やるが、まだ店は開いていなさそうだ。
「仕方ない。歩こう」
私は義兄の言葉に頷き返したが、モルダは眉を寄せている。
「予想通りの発言だけど、お前ら、ここからジェムの国境沿いまで歩くのは無理だぞ」
「モルダはどうやってルフス国に来たんですか?」
「今と同じ旅程だ。 国境の関所から乗り合い馬車が出てるんだ。それに乗ってこの駅まで来て、列車に乗り公爵家に向かった。まあ、こんな短期間で、二度も往復することになるとは思わなかったけどな」
モルダはぶるりと身を震わせた。
彼がそう言うのだから、歩いて国境沿いに向かうのは無謀なのかもしれない。
義兄は地図を開いて方角を確認している。
「途中、馬車に乗れそうだったらそこで拾えばいい。店も開いていないし、少しでも進んでおいた方がいいだろう」
三人でのんびり歩き始めると、太陽が昇り景色も大分明るくなってきた。
駅の近くは比較的発展していたが、道なりに進んで行くと、次第に草原が広がり始めた。畑や林、村人たちの家が点在し、のどかな風景に癒やされる。
「おおい、店が減ってきたぞ~」
モルダが嘆く。
「でも景色が良くて気持ちがいいですね」
時折、農作業に向かう村人とすれ違うが、彼らも一様に人のよさそうな笑顔を向けてくれる。それが心地よさに拍車をかけていた。
「治安のよさそうな村だな。領主の管理がいいんだろう」
モルダはそう褒めるが、その領主はフラックス伯爵なので、私は少々素直に褒められない。
しかしモルダの言う通りだ。領地というのは治めている領主の性質が出やすい。辺境になると、一層その能力の高さを求められるものだ。
視線の先一面に花畑が現れた。地平線を橙色に染めるその光景は、美しくもあり可愛らしくもある。
「うわあ、凄いですね!」
「これは圧巻だな!」
何故かモルダまでも感心している。
「モルダは来るときに、一度見たんじゃないですか?」
「俺は移動中、ずっと寝ていたからな!」
「まあ、もったいない……」
誇らしげに答えられてしまったが、こういうところが従兄らしい。
「そういえば、フラックス伯領は繊維染色業が盛んだよ。これは染料になる花かもしれないね」
義兄は屈んで小さな花に手を伸ばした。赤と橙が混ざる淡い色の花弁が華やかだ。
ふと花に埋まるように、小さな石が積みあがっているのが見えた。
「お義兄さま、それはなんですか?」
「それ? ああ……なんだろう」
花に周りを囲まれるように、手の平サイズの平たい石が積み上がっている。
「ペットのお墓か?」
モルダは腰を曲げ、石を観察している。
「それにしては古い石に見えるね」
二人は石には触れず、距離をとりながら積み上がる石を眺めた。
「それは慰霊碑だよ」
突然の第三者の声にギョッとして振り返ると、小さな男の子が手に花を持ち立っている。
「おはよう! 観光客?」
「お、おはよう。君はこの村の子?」
私が驚きながら返事をすると、彼は頷きながら義兄の隣に積み上がる石の前に屈む。
花に埋もれ隠れていたが、傍らに花を供える瓶が置いてあったらしい。少年は枯れた花と持参した花を取り換えた。
「これは昔、この村で殺された沢山の魔法使いたちを祀っているんだよ」
つい最近話題に上っていた事柄を少年に告げられて、三人は言葉を失う。
「村には魔女狩りで殺された魔法使いを弔うために、ここと、あっちとこっちにも慰霊碑があるよ。合計三つあるんだ」
少年は指で方角を示してくれるが、あっちもこっちも景色が同じで混乱しそうだ。
「魔女狩りって、四百年くらい前の話だよね?」
「いつかは分からないけど、僕の家は代々ここを守ってるってお爺ちゃんが言ってたよ。向こうは牛乳屋さんが守ってるし、あっちはね」
彼は熱心に説明してくれるが、どうやら代々守られている由緒正しい石碑だったらしい。
少年は濡らした布で石碑を丁寧に拭き、そして踵を返した。
「じゃあね、お姉さんとお兄さん。壊したりしたらだめだよ!」
少年は冗談めかしてそう告げると、来た道を駆けて行った。
三人はしばし呆然としてしまう。嵐のような子供だった。
私は花に囲まれた石碑の前に屈み、手を合わせる。
こんな何百年も守られているのだ。当時の人々は、魔法使いたちの理不尽な死を悲しみ、密かに想いを寄せていたのだろう。
小さな石碑がとても愛しいもののように思えてくる。
そっと指先で石碑を撫でる。
ちりちりとした刺激が指先に伝わり、咄嗟に手を離す。
「ハーライト?」
同じように隣で膝をついていた義兄が訝しげな眼差しを寄越す。
一陣の風が吹いた。
瞬間、視界が白で埋め尽くされて、甲高い悲鳴が響いた。