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魔法が発展していないルフス国の移動手段は主に馬車と鉄道だ。
国土を横断するように線路が敷かれ、西と東に国境を守る辺境伯の領土があり、そこが各々終点となっている。
祖母が王太子と会うのは西側の国境沿いだ。
王都の南に建つ駅に駆けこむように辿り着き、出発ぎりぎりに座席の切符を手に入れた。
一等席室に通されると、モルダはすぐさま椅子に腰かけてしまう。
「つ、つかれた……」
椅子に座っているというより、椅子に顔を伏せて床に崩れ落ちている。
甲高い鐘の音が鳴り、がたんと列車が揺れた。どうやら発車したようだ。
「思ったよりも混んでいたわね」
私は羽織っていたローブを外し、先ほど見た駅構内の様子を思い出す。
どうやら数時間前に出発した列車に王太子たちが乗り込んだようだ。警備のこともあり、半分を貸し切りにしたため、乗れなかった一般客が後続列車の座席を買い求め、軒並み売り切れてしまっていた。
「お前が公爵家の紋章を示したから席をとれたけど、この後を考えると恐怖しか湧かないんだが……」
「でも、あのままじゃ切符買えなかったですよ?」
私だって本当は身元を明らかにするものを出したくなかった。でも、席は一等席しか空いていないと言われ、子供が買うような切符じゃないと言われてしまった。そうなると、出自を示すしかなかったのだ。
「……お母さまに殺される……」
義兄が頭を抱え呻いた。
公爵家を出てきた際、義母にはち会った。説明する暇もないので、散歩に行くと告げて振り切って出てきた。
こんな夜に散歩? とか、軽装にお忍びのローブを羽織う姿など。不審な三人に色々聞きたいことがあったはずだ。その義母を無視するように家を出てきた。義兄はおろおろとしていたが、私とモルダが家を出ようとするので、遅れてはならぬと慌ててついてきたのだ。
彼はその時の義母の表情が忘れられないようだ。
「お義兄さま、お義母さまも事情を説明したら分かってくださいますわ」
「……ハーライト。お母さまは本気で怒ると凄く怖い人だよ」
その場合、私も義兄と同じように怒られるのだろうか。早くに亡くなった母にも、娘を溺愛している父にも怒られたことがない。妙にくすぐったい心地になる。
義兄は気を取り直すように椅子に腰かけ、私もそれに続いた。
モルダはメモを取り出しながら羽織っていたローブを脱ぎ去り、ふと思いついたように口を開く。
「そういえば、屋敷で話してた続きなんだけどさ。四百年前に魔女狩り、つまり魔法使いを迫害する事件があったみたいだぞ」
「魔女狩り、ですか?」
「ああ。さほど大きい弾圧ではなかったようだけど、寵愛が失われ始めた頃と一致するし、これも一つの原因かもしれないな」
何百年も前、魔女狩りという名目で魔法使い弾圧が行われていたことは歴史の教科書に載っている。しかし魔法を有する各国からの非難が大きく、その流れからルフス国は鎖国状態になったと学んだ。
義兄は腕を組み、静かにモルダの話を聞いていたが、小さく口を開いた。
「神殿で守っていた女神の宝物を、壊してしまったのかもしれないな」
「まあ、その可能性は高いかもな。目に見えない宝物をどうやって壊したのか疑問だけど」
私はモルダが手にしていたメモに目を通す。存外分かりやすくまとめられている。彼の態度のせいで分かりづらいが、真面目な人間性を垣間見た気がした。
「あら、三百年前にも大きな魔女狩りがあったんですね」
「魔女狩りの部分だけ気になったから、ざっと四百年分の王国史に目を通したけど、魔女狩りについての大きい事案はその二件だけだったぞ」
「まあ、四百年分も目を通したのですか」
「……ハーライト、お前、俺を馬鹿だと思っているだろ」
モルダは嘆息して頭をかく。
「魔女狩りと言いながら、魔法使いを弾圧する国はたまにある。ルフス国みたいに女神の寵愛から脱却したい国とかな。でも四百年前の魔女狩りよりも、三百年前の魔女狩りの方が熾烈だったみたいだ」
「熾烈、ですか?」
「王族の血筋からも何人か犠牲になっているようだった。そりゃ、たかが百年、寵愛を失ったからといって、完全に魔法から逃れられるわけじゃないよなぁ」
女神の大切なものとは具体的にどういうものを指すのだろう。
祖母のような人間や、各国王家の血筋を特に寵愛するというのは、女神は人間しか愛せないのだろうか。
「フラックス伯領内に古代の神殿がありますね。寄ってみようかしら……」
私はメモを捲りながら、過去ルフス国内に存在した神殿の場所を確認していく。三つあった神殿の内、一つは今向かっているフラックス伯領にあるようだ。
「ハーライト、頼むから無茶だけはしないでくれよ。お前が急いで屋敷を出るから、護衛もつけてきてないんだぞ」
モルダの言葉に義兄が再び青ざめる。
「ますますお母さまに殺される……」
殺される理由が増えたようだ。義兄は考えを振り払おうとかぶりを振った。モルダはその様子を不憫そうに見やる。
なんだかんだ言いながらも、義兄と従兄は私のわがままに付き合ってくれている。
嬉しくて幸せだ。
「わたし、こんな風に家族で出かけるの久しぶりなので、とても楽しいですわ」
「……遠足じゃないんだから」
モルダは嘆息して、窓の外に視線を向けた。夜の闇が深く外の景色は見えない。
「明日の早朝に着くかな。まあ、今更悩んでも仕方ないな。俺は寝る」
そう言って彼は早々に瞼を閉じてしまった。すぐに寝息を立て始める。
「まあ、寝付くのが早いですね」
くすくすと笑ってしまうと、義兄は呆れたように告げる。
「こいつは何処でも眠れる性格だからな。羨ましいよ」
義兄は私が手にしていたメモを受け取り目を通していく。
その姿を見るとなしに眺めていていたが、列車の揺れが心地よくて眠気を誘われてしまう。
瞼を閉じると、すぐに私も眠りに落ちてしまった。
◆ ◆ ◆
青い空。
この空を覚えている。断頭台に向かう時に見た空だ。
たくさんの聴衆が見世物と化した処刑を見に広場に集まっている。貴族たちが高みの見物をする高座に、見慣れた人物の姿が見える。
アゲート。
ここの場所からでは、彼の表情を見ることが出来ない。
貴方はどんな気持ちでそこにいるのだろう。
どんな気持ちで、元婚約者の女が処刑される姿を見に来たのだろう。
胸に広がる苦々しさは、目前に迫る死に消されていく。
もういいや。
何を考えたって、何を思ったって、これ以上の想いは伝わらなくて、疑問に対する答えも出ないのだ。
嫌い。
貴方なんて大嫌い。
◆ ◆ ◆
「ハーライト!」
肩を強く揺すられて、私は弾かれたように目を開いた。
心配そうに眉を下げた義兄がこちらを見ている。義兄の向こうにはモルダもいて、私の様子を窺っていた。
「大丈夫か?」
「え、ええ。……あの」
義兄は安堵の息を吐き、肩を掴んでいた手を離した。私は傾いていた姿勢を正しながら、酷い汗をかいていることに気付く。
モルダがハンカチを差し出しながら、困惑の声を発する。
「うなされていたぞ」
「あ、ありがとうございます……」
私はハンカチを受け取り額の汗を拭う。
またうなされていたのか。夜中に取り乱して起きてしまう回数は減ったと思っていた。けれど、そうでもなかったようだ。
窓の外を見やると山稜の先が明るくなっている。もうすぐ夜明けのようだ。
「ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません」
私は居た堪れず視線を伏せてしまう。彼らが息を詰めた気配がした。
「ハーライト、もうすぐ到着するよ」
義兄は優しく私の頭を撫でた。彼を見やると、困ったような微笑みを返される。
彼らはそれ以上は何も言わなかった。
また気を遣わせてしまった。
毎回うなされ、飛び起きる夜に夢見ているのは、断頭台に向かう時のあの瞬間ばかりだ。
時が経てば記憶も薄くなって、いつか心の傷も癒えていくのだろうか。
せっかく、時を戻り毎日をやり直しているのだ。
そうだといい。