2-3
ソールに勧められるまま、料理を食べ続ける。という苦行と化した歓迎会兼昼食から、半ば逃げるようにして食堂から出たニアズは、ヴィーザルから渡された船内図を片手に船の中を一人歩いていた。
食堂やトレーニングルーム、居住区域から離れ、下に行けば行くほど肌寒くなる船内。ゴウゴウとけたたましく鳴り続けるエンジンやモーター音に加えて、充満するオイルの匂い。
長時間居続けるには聊か煩わしいであろうこの場所に、本当にヒルデは居るのだろうか?
まさか嘘を掴まされたわけじゃなないだろうな? と訝しみながらも、ニアズは目的地である【自己修復人形】安置室の前へと辿り着く。だが彼の目の前に在る自動扉は、一向に開く気配を見せなかった。
「ああ、そう言えばコレを使うのか……」
入隊試験合格後に配布された「個人を認証する船員証」なる薄っぺらな物体。首にかけていたソレを保護容器ごと取り出し、オレは自動扉の横に設置されている金属板に押し当てる。そうすれば「ピピッ」という音から一拍遅れて、目の前の扉が開いた。
「これは……」
圧巻。の一言に尽きるだろう。扉の向こうにあったのは、棺を思わせる透明な箱に各々収められた、数えきれないほどの【自己修復人形】たち。等間隔で並ぶそれらの姿を見ながら部屋の中を真っ直ぐに突き進めば、最奥であるガラス張りの壁へと行き着いた。
「下に何かあるのか?」
どうやらガラス向こうの部屋は下階と連なる、吹き抜けの部屋となっているらしい。ずい、と覗き込むようにして内部を見てみれば、そこには白鳥を思わせる純白の航空機が一機、静かに鎮座していた。
「こんな良い保管状況の戦闘用航空機は見たことが無い。近くで動いている所を見てみたいが……まあ、そう機会はないか」
「ただ【WWX】前後に作られた戦闘用航空機にしてはいささか真新しすぎるか?」と眼下にある航空機を眺めながら、ニアズが一人呟いていれば、おもむろに彼の後方から「ヴン」と何かの起動を示す音が響いた。
「……なんだ、今の音は」
耳慣れない電子音。その元を辿るべく、ニアズは自身の後ろを振り返る。そうすれば等間隔で並ぶ【自己修復人形】の箱の一つが自動的に開かれ、そこに納められていた人形がひとりでに動きはじめた。
「何が、起きている……?」
かちゃ、かちゃ。と軽い足音を立ててニアズの元へと歩み寄ってくる、一体の人形。ソレは彼の目の前で自身の動きを停止させると、「【自己修復人形】V-2238起動しました。これより三分間の近距離模擬戦闘を開始します。準備が出来ましたら『スタート』のコールを行ってください」と無機質な音声を発した。
おそらく、誰かがこの人形を操作しているのだろう。その者の掌の上で踊るのは癪ではあるが……。と思いながらも、オレは目の前に居る人形に対し戦闘姿勢を取る。勿論、室内で光子剣を振るうのには聊か抵抗があるため、素手の状態でだ。
「スタートだ」
「それでは開始します」
音声を発した直後、かくん。と体勢を引くくし、ニアズの懐へと飛び込む【自己修復人形】。ソレに対しニアズは、一歩後退することで、瞬時に繰り出された人形の拳を躱す。
【自己修復人形】からの攻撃を見切ることは容易い。が、壊してはならないであろう代物が多く存在するこの室内での戦闘は、模擬とはいえひどくやりにくい。その上――、
「っと、」
次々と繰り出される拳や蹴りを避けるため、オレはさらに二歩後退する。
「コレは……当たるのも、多分まずいよな」
【呪い在りし竜】を祖としているオレは、多少傷を負ったところで問題は無い。しかし、目の前の【|自己修復人形《BA-クティリエ・ロイド》】は例え治るとしても、「壊れた」という状況を作り出すのはマズイだろう。となればオレが成すべきことは、人形から繰り出される攻撃を避け続けるのみだ。
人形の挙動に加え、周りの様子をつぶさに確認しながら回避に徹するニアズ。すると、しばらくの間の後に【自己修復人形】が止まり「三分間の模擬戦闘を終了します。おつかれさまでした」と、無機質な音声を発した。
「……いったい、何だったんだ?」
かちゃ、かちゃ、。と軽い足音を立てて元の箱へと戻る【自己修復人形】。その後ろ姿を眺めていれば、「用具庫」と書かれた壁面の扉がゆっくりと開かれ、そこから「ニアズさん?」とヒルデが顔を覗かせた。
「あ、やっぱりニアズさんだ……」
顔を確認するや扉を押し、オレの元へと駆け走ってくるヒルデ。だが身の丈に合わない大人用の防寒服から伸びる彼女の足は素の状態であり、見ているこちらが心配になるほどに白んでいた。
「ヒルデ。靴はどうしたんだ?」
「靴……、ですか?」
オレに指摘されたことで、自分が靴を履いていないことに気付いたらしい。目の前の小さな子供は、ぺたぺたと足を鳴らし「忘れてきました……?」と首をかしげた。
「忘れてきた、って……寒いだろ」
室内温度の低さと、床の冷たさをも相まってか青白くなっている彼女の足。その前に屈みこみ、彼女を抱き上げるべくオレは手を伸ばす。しかし彼女は一歩後ろへと下がり、オレの手の届かない所へと移動してしまう。
「急に誰かが来たから、びっくりしちゃって。そうだ、いも……【自己修復人形】を起こしちゃったのですが……ニアズさん、怪我とかしてない……ですか?」
「怪我はしていないが……まさかあの【自己修復人形】はヒルデが起動させたのか?」
「うん。そう、です」
作為的なものがあるとは思っていたが、まさかヒルデがあの人形を起動させていたとは。
「けど、コイツらは船の備品なんだろう? 勝手に起動させたりして大丈夫なのか?」
「勝手に起動させるのは、本当はダメです。でも、『有事の際は構わない』って前にフィオナちゃん……えっと、艦長さんが言ってくれたので、大丈夫。あっ、でもわたしが動かしたっていうのは、他の人には内緒にしていてほしい、です……」
艦長が許可しているのであれば、本当に問題が無いのだろう。「分かった」と短く言葉を返せば、ヒルデは「ありがとう、ございます」と小さくはにかんだ。
「あ、そうだ。ニアズさん、もうあっちの方は見ましたか?」
ガラス張りの壁を指さしながら、そう訊ねてくるヒルデ。おそらく、あの下部にある純白の航空機のについて言っているのだろうと、オレが「ああ、見た。保管状態の良い、綺麗な戦闘用航空機だな」と答えれば、「でしょう?」と彼女は自慢げに笑った。
「それにママ。綺麗なだけじゃなくって、すっごく強いの!」
ヒルデの口から飛び出た脈絡不明の単語。その意味を訊ねるべく、ニアズは「ママ、……ママ?」と彼女が口にした単語を反芻する。
「うん、ママ。あ、えっと……わたしのお母さん、【凱ノ乙女】っていう名前だから、呼ぶ時は、そう呼んでくれた方が……良いのかも……?」
やはり「ママ」という母親を示す単語で間違いないらしい。時折首をかしげてではあるものの、どこか自慢げにしている部分がぬぐえないヒルデを傍らに、オレはガラス向こうに在る純白の戦闘用航空機――【凱ノ乙女】へと視線を向ける。
「ねぇ……ニアズさん。ニアズさんは、ママが動いてるところ……見てみたい?」
「ああ、見れるものならな」
「そっか。そうだね……、うん。きっとすぐに、見られるよ」
何の根拠が合ってそう言ったのかは不明だが、ガラス越しに【凱ノ乙女】を見下ろしながら頷くヒルデ。しかし、まだ他に何か言いたいことがあるのだろう。「えっと、」と彼女は声を漏らし、オレの顔を見上げてきた。
「あの……」
「まだ何かあるのか?」
「えっ、あ……まだある。というか……コレが一番聞きたかったことというか。その……っ、に、ニアズさんは、どうして此処に来たの……かな、って……思ってて。それは、何でかって言うと、この【自己修復人形】安置室は、普段……誰も来ない場所だから。もしかして、迷ったのかなって、その……心配、になるというか……」
「迷っていないから安心しろ。むしろオレは、アンタに会うために此処に来たからな」
ヒルデからの長い問いに正直に答えたニアズ。すると小さな彼女は困惑の表情を浮かべ、「わ、……わたしに会うため、に? な、なんで?」と声を震わせる。
「なんで、って。そりゃあ、シグルズさんにアンタのことを頼まれているからな。それに、昨日のことも心配だったから、それで――」
昨日ドゥムに襲われ、怖いを思いを抱いたであろうヒルデ。そんな彼女をどう気遣うのが正しいのかと頭を悩ませたニアズは、苦し紛れに「……夜、きちんと眠れたか?」と口にした。
「え……? あ、うん。ちゃんと眠れ、ました……。心配してくれて、ありがとう」
「ふふっ、」と声を漏らしさえして、軽い笑みを浮かべるヒルデ。
「それにしても、どうしてわたしが此処にいるって知っていたの……ですか?」
「ああ、ヴィーザルさんに船内図を書いてもらったからな」
「ヴィーザルさんから? ふぅん……そっか」
ヴィーザルについて興味が無いのだろうか。素っ気のないヒルデの声色を珍しく思いつつ、オレは再び視線を【凱ノ乙女】へと向け直す。そうすれば、唐突に危機を知らせる警報が響き渡りはじめた。
「全船員に告ぐ! 多数の【邪竜】が出現。非番を除く戦闘員は至急管制室に集合せよ! 非番を除く戦闘員は至急管制室に集合せよ!」
切羽詰った男の声が繰り返し放送される中、黒衣の裾を引っ張られたのを感じ、オレは隣にいるヒルデを見やる。
「ニアズさん、ここから管制室まで一人で行け……ますか?」
ヴィーザルから渡された手書きの船内図には食堂などの場所は記入されていたが、管制室が何処に在るのかまでは記されていない。懐にしまっていた船内図を取り出し、改めてソレを確認したニアズは「……難しい、な」と頭を抱えた。
「ふふっ、ならわたしが書いてあげます。なので、その船内図、貸して……ください」
ヒルデに言われるがまま手元の船内図を差し出せば、彼女はポケットからペンを取り出し、渡した船内図に直接文字を書き加えはじめる。
「ここが管制室、です。えっと、この【自己修復人形】安置室から出て左を真っ直ぐ進んだら、右手側に非常階段があるから、その階段を一番上まで登って。そしたら、そこが居住区だから……そのあとは、食堂を過ぎて真っ直ぐ行けば管制室に着、きます。もし分からなくなったら、他の人に道順を聞いた方が早いかも……です」
砕けた言葉使いにならないように、意識しているのだろう。最後の言葉になけなしの「です」を付けたヒルデから船内図を受け取り、オレは「助かる」と彼女の頭に手を乗せる。
「ううん。気にしないで、ください。……本当は、一緒に行けたらよかったんだけど……。わたしは、しないといけないことがあるから……っ、ほら。もう、ニアズさんは行ってください。じゃないと、最後の一人になっちゃいます」
自身の頭に乗せられていたニアズの手を掴み、ぐい、と引っ張るヒルデ。彼女に手を引かれるままニアズは【自己修復人形】安置室の外へと連れ出される。
「じゃあ、ニアズさん。行ってらっしゃい」
「あ、ああ。行ってく……る」
別れ際にひらひらと手を振って来たヒルデに手を振り返せば、彼女との間を断つように、自動扉が目の前で閉まった。
その間の悪さに「はぁ、」と深いため息を零した後、ニアズはヒルデから渡された船内図を手に、管制室に向かうべく歩を進めはじめる。
まずは左を真っ直ぐ、そして右手に在る階段を昇って。次は食堂の前を通り過ぎる――。
ヒルデに言われた道順と、船内図に書き加えられた字を追いながら船内を歩き続ければ、直に目的地である管制室へと辿り着いた。
「おっ、ニアズ! やっと来たか!」
「迷ってんのかと思って探しに行こうかしてたんだけど、大丈夫だったな!」と、駆け寄ってきたソールに促されるまま、ニアズは他隊員たちの間を掻い潜る。そしてソールと共に前方へと躍り出た彼が目にしたのは、同班であるヴィーザルやマォ、シェリーの姿。そしてその上段部分には、豪奢な服を着た恰幅の良い男と、ドゥムの姿が在った。
「あいつ、不合格になったハズだろ? 何であんなところに居るんだ?」
「なんでも船主を脅して、護衛役に無理矢理なったんだってさ」
「うっわ、まじかよ……」
船主とは、ドゥムの隣にいる豪奢な服を着た恰幅の良い男のことだろう。声を顰めながら、口々に囁きはじめた名も知らぬ戦闘員たち。しかし、不満げに言葉を交わす彼らを一括するようにして、「バシンッ!」と、激しさを持った鞭の音が管制室に響き渡った。
「総員、静粛に! 今から現状の説明をはじめるぞ!」
持っていた鞭を腰元に納め直したフィオナが、カツン、と音を立てて管制室の壇上へと上がり、閉口した一同の顔を一望する。
「現在、この【陸上探査艦‐ŋ】を目標に、多量の【邪竜】が向かってきている。本来ヤツ等は、艦隊は勿論ヒトを襲う事のない種族だが、先日より頻繁にこの船を襲いはじめるようになった! その行動理由については、未だ詳細を掴めていない。そのため慣れない戦闘となるだろうが、各員には常時の【邪竜】と相違点が無いか確認をしながら迎撃を行ってもらいたい」
「まじかー。また【邪竜】かー」
フィオナが言葉を切ったタイミングで、気だるげに声を漏らした挙句、「【邪竜】って不味いからあんまり好きじゃないんだよなぁ……」と漏らしさえしたソールを、壇上のフィオナが睨み下ろす。
「……なお、迎撃の最中に日が暮れることも予測されるため、総員、防寒並びに夜間装備をしっかりと整えてから迎撃に向かうように! 接敵予想時刻は十六時半だ。それまでに各班準備を行い、持ち場に着け!」
「以上、解散!」と放たれたフィオナの言葉に合わせ、一斉に敬礼する隊員たち。オレもまたそれに倣おうとするが、敬礼は直ちに解かれ、各々準備に取り掛かるためにか管制室から退出しはじめる。
「さ、俺たちもさっさと準備しに行こうぜ!」
オレは既に腰元に光子剣が在るし、別段装備も夜間用に変えなくとも構わないのだが。と思いながらも、ニアズはソールに「ああ、そうだな」と返事をし、管制室を後にする。
そして接敵予測時刻から十五分が経過した十六時四十五分。ニアズたちは灰色の雲が濃く伸びる空の下、船に上ってくる【邪竜】たちと相対していた。