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「【陸上探査艦‐ŋ】に乗って、人間関係のイロハを学べ」と、シグルズさんに告げられてから数日後。手筈通り船へと乗り込むこととなったオレの目の前に広がっていたのは、船内にしてはひどく開けた場所だった。
「こちらが模擬戦闘用ホールになります。後ほど、【陸上探査艦‐ŋ】の統括責任者であるフィオナ艦長から説明がありますから、それまで他の皆さんと共にお待ちください」
「ああ、分かった」
船内の案内をしてくれていた女の冷ややかな説明を受け、ニアズは「模擬戦闘用ホール」と呼ばれた場所に居る人間たちの様子をつぶさに確認する。
人数はざっと数えても四十人以上。そのほとんどが竜種の血の匂いをこびり付かせた武器を持ち、身体つきも屈強。まばらに見える顔からも血気の盛んさが見て取れる。が、その内の誰もシグルズさんのような驚異的な強さには遠く及ばないだろう。
そもそも、【戦乙女狩人】の異名を持つシグルズさんが規格外すぎるのだが。と断じながら、「凡庸」たる彼らが居るホールへと足を踏み入れれば、無数の視線に突き刺された。
何だ、この視線の数は。今までに一度たりとも、こんな数の視線に晒されたことはないぞ。
浴びたこともない量の視線に唇を噛み、その根源である上階部分へと顔を上げる。そうすれば、その上階には船の正式な乗組員であろう者たちの姿が在った。しかもその数は、数えるのが億劫になるほど多量である上に、武器を手にした者の姿もまばらながらに見受けられる。
【WWX】と呼ばれる人類最後の世界戦争。並びにその弊害による気候変動により、人類の大半が死滅したとされているこの大地。シグルズさんが言うには「退廃した世界」とされるこの世界の中でこれだけの大人数を初めて目にしたオレは、すぐさま自分の鱗で創りだした黒衣のフードを深く被り直す。
「これだけの人数が居るなんて、聞いていないんだが……!」
というか、此処に乗れとは言われたが「今から何をするのか」や「何をさせられるのか」も何一つとして聞かされていない。もう少しシグルズさんに【陸上探査艦‐ŋ】に乗るにあたってのことを訊いておくべきだった!
そう後悔しながら、船を案内していた女から詳細を聞こうとニアズは後ろを振り返る。だが既にホールと通路を繋ぐ扉は閉ざされており、女の姿もまた無くなっていた。
「……行くしか、ないか」
気は乗らないが、こんな場所で立ち往生し続けるわけにもいかないだろう。
軽く溜め息を吐きながらも覚悟を決め、ホールの中央部に集まっている血気盛んな人間たちの方へと向かう。すると、「オレ様はなぁ、人間を襲う【巨大飛竜】共を皆殺しにした上、ソイツ等が隠し持っていた宝も手に入れたことがあるんだぜぇ!」と語る声が耳に飛び込んできた。
強者たる【巨大飛竜】は理由なく人間を襲わないし、宝を隠し持ったりもしない。
――【巨大飛竜】について特別詳しくはないにせよ、ある程度の知識があれば誰でも知っている事柄。それを悉く覆す虚言甚だしい発言内容に対し、訂正を加えたい気持ち抱きながら、オレはその気持ちをぐっと堪える。
シグルズさんの紹介でこの船に乗っている以上、人間相手に騒動を起こすべきではない。仮に起こしたとなれば、彼の顔に泥を塗ることになる。そうなるのは絶対に避けるべきだ。そう、固く断じ、ニアズは豪語され続ける虚言を聞き流し続ける。
だが、「あのシグルズの野郎にだって、お墨付きをもらったんだぜ!」という虚言と、ソレに連なる「さっすが、ドゥムのアニキ!」や「あのシグルズの野郎に認められるなんてスゲェ!」なる言葉は耐え難かったらしい。ニアズは、自身の脚をその虚言を振りまき語る男へと向けた。
「なんだぁこのガキ?」
「おいおい、子供がこんな場所に居て良いのかぁ?」
「此処はお前みてぇなガキが来て良い場所じゃねぇんだけどなぁ?」
輪の中へと無理矢理割り入って来た黒衣の青年を取り囲み、嘲笑う面々。そんな彼らの所作を気にすることなく、ニアズはその場で一番大きな体格を誇る大男を睨み上げる。
「先程の言葉、撤回してもらいたい」
「坊主よぉ、オレ様が誰だかわかってンなこと言ってやがンのか?」
「オレ様は【巨大飛竜】を殺したことのある、ドゥム様だぞ!」と自ら名乗った大男は、ニアズの肩口を突き飛ばし、周りの者たち同様の嘲りを含んだ笑みを浮かべる。
癇に障る下卑た笑いに、他者を軽んじる不快な視線。ソレを苛立たしく思いつつも、ニアズは「アンタが誰だかなんて興味はない。オレはただ、先程までの嘘を全て撤回してもらいたいだけだ」と冷ややかに言い返す。
「……テメェ、オレ様の言ったことが全部嘘だと疑ってンのかぁ?」
「そうだ。そもそもアンタみたいな奴をシグルズさんが認めるわけがないだろ」
「この嘘吐き野郎が」と吐き捨てれば、ドゥムを含めた周りの者たちの下卑た笑いが止まり、ニアズの胸ぐらが掴み上げられる。
「ガキは黙ってやがれ!」
怒声と共に振り上げられるドゥムの拳が、ニアズ目がけて振り降ろされる。が、当たる寸前で、その拳はニアズ自身の手によって受け止められた。
「ッ!」
再度拳を振り上げ、降ろすドゥム。だがその手もまたニアズに受け止められる。
「はぁ……、その程度の力でシグルズさんに認められると思っているのか?」
「て、テメェ……ッ!」
ドゥムより頭三つ分は小さな青年が、落胆入りの溜め息を零しながら軽々と彼の拳を受け止めている。――という光景は、彼らにとって相当不愉快な事実であったらしい。
ニアズの目の前に在るドゥムは目を見張り、周りに居る取り巻きたちが「な、なんだよコイツ……!」、「アニキの拳を止めるなんて、どうかしてる!」と恐々とした声を上げる。だがその狼狽は、「貴様ら、何をしている!」という鋭い女の声でピタリと止まった。
「そこの貴様ら、ドゥムとニアズだな。今すぐ離れろ!」
再度響く、鋭い女の声。そちらの方へと視線を向ければ、模擬戦闘ホールにある壇上から、灰色の軍服を纏った女がこちらを射抜くようにして睨んでいた。
気の強さがにじみ出ている声と眼光から察するに、おそらく彼女がこの【陸上探査艦‐ŋ】の統括責任者であるフィオナ艦長なのだろう。
この船のお偉いさん|に見つかった手前下手な行動をするべきではない――というのは、ドゥムであっても理解出来るらしい。「クソがっ、」と悪態を一つ吐いた後、彼は掴んでいたオレの胸ぐらを突き放す。
「テメェ、後で覚えておけよ」
言葉を吐き捨て、周りの取り巻きたちと共に離れていくドゥム。その後ろ姿を見送りながら、オレは黒衣の襟を正し「早々に失敗した」と言葉を零した。
「お前さんは嘘を吐かねぇ正直者ではあるが、思った事をすぐに口に出しちまうところがあるからなぁ。そこだけは気を付けるんだぞ」とシグルズさんから注意されていた上に、人間相手に騒動を起こすべきではないと理解していたにも関わらず、揉め事を自ら起こしてしまった。
思った事をすぐ口に出す上に、行動に移してしまう。その悪癖を早々に改めねばと猛省し、オレは壇上に居る女へと視線を向け直す。そうすれば「私はこの【陸上探査艦‐ŋ】の統括責任者であり、艦長のフィオナだ」と、折よく彼女が自身の紹介を終えたところだった。
「此処へ集まった貴様らは、この【陸上探査艦‐ŋ】のため。ひいてはこの船を運航する『アーガルズ機関』のため、戦う意思がある強者たちだろう。だがしかし、貴様らの実力が我々の定める強者であるかは定かではない。故に――」
言葉を一旦止め、眼下に集う一同を見渡したフィオナ。彼女は大きく息を吸い、改めて口を開く。
「――今から【陸上探査艦‐ŋ】入隊試験を行う! これから告げる事項を、総員口出しせずによく聞いておけ!」
怒声に近いフィオナの声がホール中に響けば、ホールの上階部分に居た正規の隊員たちがザッと一様に姿勢を正した。
「入隊試験は二段階式だ! 第一試験は【|自己修復人形《BA-クティリエ・ロイド》】との模擬戦闘。制限時間五分の中で、【|自己修復人形《BA-クティリエ・ロイド》】に傷をつけられた者を合格とする。そして第二試験は第一試験の合格者同士での、十分間の勝負となる!」
そこまで言ったところで、今一度大きく息を吸い「ただし!」とフィオナは言葉を続ける。
「第二試験の中で相手を戦闘不能にしたからと言って、合格できるとは思うな! 対人戦である第二試験で重要視しているのは、順応性の有無や力加減が出来ているかの把握だ! 無論、第二試験で敗北したとしても、こちらが相応しいと判断できた者は合格となる!」
負けたとしても、入隊試験に合格となる場合がある。というのが気に入らなかったらしい。「負けるような軟弱者が相応しいわけがないだろ!」なる声を筆頭に、「そうだそうだ!」とホールの中央部に居る数人が声を上げた。
「黙れ! 私が何時、貴様らに喋ることを許可した!」
壇上のフィオナが声を上げた者たちを睨みつける。だがそれでも彼らは黙らず「オンナ如きが煩ぇんだよ!」と暴言を吐いた――次の瞬間、どぅん、と地鳴りのような音と風圧がホール内に居たオレたちを襲った。
「っ!」
いったい何が起きたんだ? と音と風の発生源を見やれば、そこにはフィオナに向けて暴言を吐いたと思しき男と、その男の喉元に大盾の上縁を突きつける褐色肌の大男の姿があった。
おそらく大盾を持つ彼は、ホールの上階部分から飛び降りてきたのだろう。ドゥムを含めたこのホールの誰よりも頭一つ抜きんでた身長を誇る大男の頭部には、獣の一部であろうと思しき雄々しくもたくましい角が二本生えている。
「てっ、テメェッ! 獣人風情が人間様に立てつくんじゃ、うぐぅ!?」
ぐぃ、と大盾を上げ、反抗の意を唱える男の口を強引に閉ざさせる大男。やられている側は爪先立ちになりブルブルと苦しげに悶えているが、大男は自身の持つ大盾を降ろさない。
竜種同様、【WWX】の兵器として創られたという獣人。子孫を含めた彼らには、必ず身体の何処かに獣の一部があるらしく、竜種とヒトの混合種であるオレにとってどこか近しい存在だ。
勿論、シグルズさんとの旅の中で何度か彼らと会ったこともある。が、彼らはその成り立ち故か、【WWX】からかなりの年月を経た今でも人間に従属させられていることが多かった。
奴隷、使用人、従者。あるいは、普通の人間と変わらぬ凡庸な待遇。何度か会ったことのある彼らの姿を思い出しながら、ニアズは離れた場所で起きている騒動。それも獣人が人間に逆らっているという貴重な光景を見守り続ける。
「悪いが、この【陸上探査艦‐ŋ】では、そう言った他者を重んじない前時代的な観念は撤廃されていてな。此処に居る以上、ソレに従ってもらうぞ」
獣人の男から出る低音の声。びりびりと皮膚を伝うその音域と圧に、ホールに居る一同はごくりと固唾を飲む。
「それに、上官の話を黙って聞けねぇなら……その喉は要らねぇよなぁ?」
とんとん、と大盾をゆるく上下に揺すり、束の間の呼吸を与える獣人の大男。彼はフィオナに対して暴言を吐いた男や、それに同調していた者たちの面々を見渡す。
その様子を見ながら、オレは思わず漏れ出そうになった「ざまあみろ」という単語を飲み下す。今此処で迂闊に思った事を言ったが最後、オレも非難の的になりかねないし、何より思った事をすぐに口に出すという悪癖を改めねば、と猛省したばかりだろう。
自身を戒め、周りの様子はどうなっているのかと、一旦ホールの上階部分を見上げ――ニアズは、ピタリと自身の動きを止める。
――嗚呼、迂闊に言葉を発さなくて良かった。
見上げた先の光景。それは、ホールの上階部分に居るこの船の乗組員たち全員が、暴言を吐いていた面々に対し、敵意ある視線を向けている姿だった。
あの視線の標的となっている者たちは、さぞ生きた心地がしないだろう。
その先が自分でなくて良かったと思う一方で、オレは「この船の艦長であるフィオナはいったいどれだけの信頼を船員たちから集めているんだ?」とも疑問を抱いた。
群れを率いるリーダーとして相応しい能力を持っているのであれば、敬われるのは当然のこと。だが例えそうであったとしても、野の獣ではなく人間がこれほどまでの忠誠心を見せるのは聊か崇拝が過ぎる気がするのだが。
彼らの尺度を把握すりには、聊か時間がかかるだろうな。と思いながら、ニアズは上階へと向けていた視線を下ろす。そうすれば「ヴィーザルは下がれ。他の者も、無暗に威嚇するのは止めるように」と壇上のフィオナが声を上げた。
「……了解」
彼女からの指示に従い、ヴィーザルと呼ばれた獣人の大男は大盾を降ろす。それと同時に上階部分から向けられていた視線の雨は緩み、視線に気付いていた一同が「ほっ、」と息を吐いた。
「命拾いしたな」
喉元に大盾の上縁を当てられていたせいで咽ぶ男を一睨みした後、ヴィーザルは自ずと割れる人混みの間を歩く。
そんな彼が壇上の傍で待機姿勢になったことを確認した後、フィオナは改めて口を開いた。
「第二試験で敗北したとしても、こちらが相応しいと判断できた者は合格となる。という事項に対し、弱肉強食並びに適者生存たる外界で生きていた貴様らが反感を抱くのは大いに理解しよう。だがこの【陸上探査艦‐ŋ】では連携を組んでの戦闘が主となる。いかに個々の力が優れていようとも、連携を取れる程度の順応能力等がなければ、【陸上探査艦‐ŋ】の戦力に甚大な被害が及ぶ。故に! 第二試験では主にその順応能力などを見極めることにしている!」
鋭く通る声で、敗北した場合でも合格する理由を語るフィオナ。彼女の言葉に苦言を呈す者は誰一人おらず、ただひたすら彼女の声に耳を傾け続ける。
「結果として不採用となった場合でも【陸上探査艦‐ŋ】に乗った以上、【なかつくに】に着くまでの間は此処での生活は保障しよう。間違っても、不採用だからと言って貴様らを外に放り出すような真似はしない」
そこまでが、伝えるべき事項であったのだろう。ホールを一望したフィオナは「質問はあるか」と、ホール内の一同に言葉を投げかける。だが誰一人として、声を発しなかった。
「よろしい! ならばこれより、第一試験である【|自己修復人形《BA-クティリエ・ロイド》】との模擬戦闘を順に行ってもらう! 名前を呼ばれた者はこのホール内に降りて来い。それ以外は二階席にて待機だ!」
「以上、解散!」とフィオナが発声すると同時に、ホール内に居た面々が上階へと行くための階段へと向かい始める。
その中でオレも足を踏み出そうとすれば、どうやらわざわざ人混みを押し退けて来たらしい。取り巻きたちを連れたドゥムが「オイ、テメェ!」と、肩を掴んできた。
「第二試験でオレ様に当たらねぇよう、祈っとくんだな!」
唾を散らかしながら、大声で宣ったドゥム。彼はそれだけを告げると、掴んでいた肩を突き飛ばし、階段を上がりはじめる。
粗野と自己中の塊の如き彼の後背を見上げ、「はぁ」と小さく溜め息を零す。そして彼らに少し遅れる形で二階席へと上がり、人気のない席を求めて奥へと歩を進めれば、唐突に「なあ、お前、大丈夫か?」と、この船の正式な乗組員と思しき青年に声を掛けられた。
「ほら、さっきヤバそうな奴らと揉めてただろ? 怪我とかしてないか?」
眉尻を僅かに下げ、心配しているという旨を表情に出して話す青年に「大丈夫だが?」と事実を伝える。だが彼は、「で、でもよ!」と異様に煌めく瞳――、それこそ好奇心と呼んだ方が良いであろう瞳を向けて食い下がってくる。
「怪我も何もしていないから、気にしないでくれ」
今一度「大丈夫だから」と念を押し、彼から離れべくニアズは足早に移動する。しかし煌めく瞳を持つ彼は、引き下がるつもりが無いらしい。「お、おい、待ってくれよ!」と、ニアズの後ろを追いかけてきた。
いったい何なんだ、アイツは!
生まれてこの方、師匠であるシグルズさん以外の人間と碌に過ごしたことのないオレにとって、人間はそのほとんどが未知の対象。しかも彼のような、好奇心を含んだ視線を隠しもしない者ともなれば、最も注意を払うべき人物と言っても過言ではないんだぞ! それこそ嫌悪感を剥き出しにしてくるドゥムのように、行動原理や、腹で何を考えているのか予測しやすい奴らの方が、話し相手としてはよほどマシだ!
怖ろしささえある青年の追跡を振り切るように、人混みの中へと紛れ込み、その人波を抜ける。そうすれば彼の姿は無くなっており、ニアズは「はぁー」と気だるげな息を吐いた。
本音の知れないあの青年を無事に撒けたのは良いことだが、おそらく彼はこの船の正式な乗組員だろう。となれば入隊試験を合格した暁には、自ずと彼と顔を合わせるに違いない。
きらきらと輝く好奇心の塊めいた瞳を思い出し、オレはもう一度溜め息を吐く。
合格しなければならないと分かってはいるが、合格したくない。
頭を抱えたくなる現状。それに苛まれつつ、ニアズは人気のない最奥のベンチに腰を下ろし、既に始まっていた第一試験の行く末を見守るべくホールの中央部へと視線を向けた。