4-6
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――悲しみを抱くあなたに、忍耐を与えましょう。
――真っ直ぐに進むあなたに、勇気を授けましょう。
――優しいあなたに、大切な思い出を残しましょう。
――嗚呼、だからどうか。
――一人で泣くあなたに、幸が在りますように。
*
ここ数年聞くことのなかった『花』の声。忌まわしいとも、懐かしいとも思わぬその祈りを聞きながら、わたしは昔の出来事を。パパのことを、思い出す。
パパはわたしを見る度に、何時も悲しい顔をしていた。
その理由は今でも分からないままだけれど。わたしにとってパパは大好きで、大切で、ずっと一緒にいられれば、それで幸せになれる人だった。――なのにパパは、ママとわたし。そしてフィオナちゃんたちを此処に置き去りにして、何処かへと行ってしまった。
ねぇ、パパ。どうしてパパはわたしとママを迎えに来てくれないの?
ねぇ、パパ。どうしてパパはわたしではなくニアズさんを育てたの?
ねぇ、パパ。どうしてパパはわたしとママを此処に、捨てたの?
ぐるぐると同じことばかりを考えてしまう嫌な思考から覚めるべく、無理矢理瞼を開いてみれば、そこは羊水のようなママの核内ではなく、乾いた空気のある場所だった。
おそらく此処はフィオナちゃんの部屋だろう。何度か訪れたことのあるその部屋の風景と記憶が一致していることを確かめるべく、ゆっくりと頭を動かせば、服にべっとりと赤黒い液体――おそらくわたしの血液、を付けたフィオナちゃんと目が合った。
「ヒルデリカ! 良かった……! 良かった! また貴女を失うことになってしまったら、私は、私はっ!」
息を詰め、わたしの肩を掴むフィオナちゃん。掴まれているその部位に鈍い痛みを感じつつも、わたしは安堵の表情を見せる彼女の顔を見つめ、口を開く。
「……ねぇ、フィオナちゃん。【戦乙女】は、倒せたの?」
「わたし、ママを通じてバラバラにされてから、記憶が曖昧で」と補足を加え、【戦乙女】についてを訊ねてみれば、フィオナちゃんがわたしの肩を掴んでいた手を放した。
「【戦乙女】については、ニアズたちが奮闘してくれたが核の破壊までには至れなかった。後、貴女が壊された後に他の機体が来たんだが……二機揃って何処かへと去ってしまったらしい」
「そっか……、ならニアズさんたちは今どうしてるの?」
「ドゥムの反感を買ってしまってな。今は彼の相手を――っ、どうしたヒルデリカ!?」
フィオナの言葉を聞き、急いでベッドから身を起こすヒルデ。その様子に驚いたフィオナは、とっさに彼女の肩を掴み直し、ベッドへと押し戻した。
「ヒルデリカ! 急にいったいどうしたんだ!?」
「だって……、だって。もう、あの人は……ドゥムさんは『ヒト』じゃ、ないから……。あの人がこの船に乗った時にはすでに、かなりの範囲を『花』が占めていたけれど……今はもう、その非ではない程、侵食されてしまっているから……。今のあの人と戦うのは、ダメなの」
妹である【|自己修復人形《BA-クティリエ・ロイド》】越しに幾度か見る機会のあったドゥム。彼が頻繁にアンプル型の栄養剤を口にしていたことをヒルデが思い返していれば、彼女の肩を掴むフィオナが「待ってくれ! ドゥムは、花人なのか!?」と目を見開いた。
「うん。ドゥムさんは、花人だよ」
「だが、『花』は高級品だ! ドゥムのような輩がおいそれと手が出せる代物なんかじゃない! 仮に手に入れられたとしても、出回っている物の大抵は粗悪品で、ヒトの身体に植えて良い品質じゃあないぞ!?」
「うん。だから、危ないの」
そうヒルデが告げると、フィオナの持つ無線機から「フィ、フィオナくん!」と、船主の切羽詰った声が飛び出した。
「チッ」
無線機に向けて舌を打ち、顔を顰めるフィオナ。彼女は「ヒルデリカはここで大人しくしていて」とヒルデに念を押すと、ヴィーザルが立つ壁際へと移動する。
――あ、ヴィーザルさん。今日もフィオナちゃんと一緒にいるんだ。
ドゥムのような荒くれ者が乗船した場合、フィオナちゃんの傍に居ることの多いヴィーザルさん。二人はわたしのパパであるシグルズの一番と二番弟子であり、わたしが生まれる前からパパやママと一緒に過ごしていた人たち。いわばわたしにとっての「お兄さん」や「お姉さん」に当たる人だ。
フィオナとヴィーザル。ヒルデがその二人の様子をベッドの上で眺めていれば、フィオナの持つ無線機から「ドゥムくんが怪物のような姿になってしまったうえにっ、暴れるのをやめてくれないんだ! フィオナくんお抱えのっ、隊員たちが何とか止めてくれはしているが、あわわっ!? ど、どうにかならんのかね!?」と船主の焦り声が飛び出てきた。
「状況の把握は出来ました。船主、貴方は護衛を連れて指令室へと戻ってください。すぐに私が現場の指揮を執ります」
「な、何を言っているんだねフィオナくんッ!? 元はと言えば私が彼を雇ったのが悪いんだ! だから私が、私が責任をっ!」
「いいえ、船主。ドゥムの暴走は貴方の責任ではありません。遅かれ早かれ、彼はそうなっていました。ですから、貴方はまず自分自身の安全を確保してください。場合によっては、私もドゥムの確保に参加します」
「フィオナくん!? そんな、危険すぎる!」
声を荒げた船主がフィオナを止めている中、彼女の意識が無線機に向いていることを確認したヒルデは寝かされていたベッドから身を起こし、音を立てないよう静かに降り立つ。そして傍に置いてあった真新しい防寒服を羽織り、チャックを引き上げる。すると、壁に背を預けていたヴィーザルとヒルデの視線が、バチリと重なった。
「……ぁ」
声を漏らしかけた口を咄嗟に塞ぐヒルデ。だがヴィーザルは外へ行くための支度を整えた彼女の行動をフィオナに告げる気が無いらしい。むしろ、一つ頷きさえしてすぐに目を逸らした。
「危険は承知です。それに元は私も戦闘員ですから、自分の身は守れます。加えて言うのであれば、この【陸上探査艦‐ŋ】に命を預けてくれている他の船員たちに負担を押し付けるほど、私は無責任になれません」
そう一方的に告げた後、無線機の乱雑に切ったフィオナはヴィーザルの方へと顔を向ける。
「ヴィーザル、振り回すようなことになって……すまない」
「謝るな。俺もアイツらも、好きでしていることだ」
気負いがちながらも毅然とした態度を取ろうと日々努力しているフィオナちゃん。そんな彼女の頭を、ぽんぽん、と優しく撫でるヴィーザルさんの動作は、パパやパパの三番弟子であるニアズさんと同じで、わたしの胸はぎゅっ、と締めつけられる。
――まあ。パパがわたしにそうしてくれたことは、一度も無いのだけれど。
わたしの胸を締め付けるその想いが、苦しいのか、痛いのか。はたまた悲しいのか、辛いのか。或いは、妬ましいのか、羨ましいのか。分からいままフィオナちゃんとヴィーザルさんの姿を眺めていれば、外に出るための支度を整えきったわたしに気が付いたらしい。ぎょっ、と目を見開いたフィオナちゃんが、わたしの元へと駆け走り、両肩をわし掴んできた。
「ひ、ヒルデリカ!? 貴女っ、いったい何を考えて……!?」
「わたしも……、ううん。わたしが行かないと」
「ダメだ! 身体が崩れたらどうする!? さっきやっと身体が繋がったばかりなんだぞ! これ以上、無茶はさせない!」
真っ直ぐにわたしを見据えてくるフィオナちゃんから目を逸らし、わたしは自分が立っているベッドサイドの足元へ視線を向ける。するとそこには緑の水滴が付着しているアンプルや、点滴の袋が複数転がっていた。
「……ねぇ、フィオナちゃん。いったいどれだけの栄養剤をわたしに使ったの?」
「す、すまない……」
「わたし、フィオナちゃんに謝ってほしいわけじゃないの。ただどれだけ使ったのかを、教えてほしいだけ。……ねぇ。フィオナちゃんは、わたしにいくつ、栄養剤を与えてくれたの?」
『花人』であるわたしの身体は、不死身といっても過言ではない。けれどいくら不死に近くあろうとも、身体を動かしたり、治したりするためのエネルギーは必要で。特に肉塊レベルにまで傷んでしまったともなれば、それなりの数の栄養剤が使用されたはずだ。
「緊急時用のアンプルを十二本と、点滴を七パック、だ……」
「……そう、」
「すまないヒルデリカ。だが、これでも貴女の負担にならないようにと数を抑えたんだ」
身体の損傷を修復するために必要不可欠なエネルギー。ソレがもし足りていない場合、栄養剤を投与するのが『花人』たるわたしにとっての常。けれど、その行いは両刃の剣だ。
というのも、身体の損傷を修復するために栄養剤を投与すればする程、『花』が体内や精神を侵蝕し――最終的には宿主である身体を土へと変えてしまうから。
そんな『花』の真実を知る数少ない人であるフィオナちゃんは、ぐっと歯噛みする。
「良いよ。仕方のないことだもの」
自身の両肩を未だ掴むフィオナに向けて笑みを浮かべるヒルデ。すると二人の様子を黙したまま眺めていたヴィーザルが「俺はもう行くぞ」と声を発した。
「あ、ああ。そうだな。私も行く」
ヒルデの小さな両肩から手を放し、ヴィーザルの方へと振り返るフィオナ。そんな彼女の脇を走り抜け、ヒルデはヴィーザルの元へと駆け寄る。
「ヴィーザルさん。わたしも連れて行って」
「……なっ! 駄目だヒルデリカ! 私は、許可しないぞ!」
激しい剣幕でヒルデに詰め寄ろうとするフィオナ。だがそれを止めるようにして、ヴィーザルが彼女たちの間に割り入った。
「ヴィーザル! 退いて! 私はっ! 私には、ヒルデリカを守る責任があるんだ!」
「それはお前の意見だろうフィオナ。ヒルデにも、お前と同じで意思が在り、意見が在る。それを聞いてやっても良いんじゃないのか」
「ッ! 黙ってヴィーザル! 私は、二度もヒルデリカを失いたくはないんだ!」
「それは理解している」
「ならどうして私の邪魔をする!」
息を荒げ、ヴィーザルに詰め寄るフィオナ。二人の様子をヒルデがおずおずと見上げれば、「ヒルデリカは私の気持ちを分かってくれるよな?」とフィオナがその身を屈めた。
「うん……分るよ」
「それなら」
「でも、ごめんね。わたし、行かないと……ううん、行きたいの」
「――っ! ……だめだっ! 許可しない! 絶対に、行かせない!」
幼いヒルデを掴もうと、伸ばされるフィオナの手。それを躱すためにヒルデが一歩後ろへと下がれば、フィオナの手がするりと空を掻いた。
「うん。でも……非難の的になって良いのは、わたしぐらいしか居ないでしょう?」
もうみんなに疎まれていることは明白なのだから。これ以上嫌われて、倦厭されることになんの躊躇いもない。それに、肉塊となった姿を見られてしまっているんだもの。元に戻ったわたしを見たら、ニアズさんだってわたしを倦厭して、侮蔑して。もしかしたら、憎悪だってするかもしれない。
だから。だから、もう良いの。嫌われ、疎まれ続けることには、慣れっこだもの。
「だからね、わたしがママに乗ってドゥムさんを『花』もろとも燃やし――殺す」
花人たる者を殺す唯一の術。ソレを告げれば、フィオナちゃんが「駄目だッ!」と叫んだ。
「で、でも……例え怪物じみた姿になったとしても、元は人間だから。ソレを相手にするのは、普通の人間には残酷なのでしょう? なら、わたしが殺すべきだし、わたしにしか殺せない」
「だから、お願い」と、ヴィーザルさん越しにフィオナちゃんへとそう言えば、わたしとフィオナちゃんとの間に入ってくれていたヴィーザルさんが、「行くぞ、ヒルデ」とわたしの身体を抱きかかえ、肩に乗せた。
「待てヴィーザル! ヒルデリカ……ッ!」
ヴィーザルさんと共に、部屋を出るわたしを呼び止めるフィオナちゃんの痛切な声。それを遮るようにしてヴィーザルさんは部屋の扉を閉め、甲板へと向かうための道順を辿りはじめる。
「……本当に。お前はこれで良かったのか?」
「ふふっ、良かったよ。それに、わたしもヴィーザルさんと一緒で……ニアズさんたちに人殺しなんて、してほしくはないもの」
「……バレていたか」
「バレていた、というより……わたしだったら、させたくないから。きっとヴィーザルさんも同じなんだろうな……って、思っただけ」
ベッドから降り立ったわたしが、外に行くための防寒服を羽織った時に何も言わなかったことも、ソレが理由なのだろう。
「ヴィーザルさんがソールさんや、マォさん、シェリーさんたちを大事にしているの、ずっと妹たち越しに見てきたから。それぐらいは、分かってる……」
例え、彼らとの共闘回数が少なくとも。例え、彼らと直接的な関わりが一つとして無くとも。わたしは彼らがこの船に来てからずっと、彼らの様子を見ていたから。
「すまないな、ヒルデ」
「ふふっ、良いよ」
船の中を足早に歩くヴィーザルさん。そんな彼の肩から落ちないよう、私はヴィーザルさんの頭にしがみ付き――ゆるく口角を上げた。




