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夜の風雪を凌ぐために、雪でシェルターを作ったニアズとシグルズ。二人は暗く静かな夜空の下、焚火を前に狩ったばかりのトナカイと【飛竜】の肉を頬張っていた。
がぶり、と脂身の少ない筋肉質な【飛竜】の肉に齧り付いた瞬間、滲み出る肉汁。痺れと苦みを伴う竜種独特の味に顔を顰めつつ、オレは火を挟んで向かいに座るシグルズさんへと視線を向ける。
「それでよぉ、ニアズ。俺はなぁ今日、お前の戦いぶりを見て確信したわけだ」
行く当てのない放浪生活の中で稀に遭遇する商業集団。その護衛の報酬として受け取った酒を煽り、管を巻くシグルズさん。その口調から、酔っぱらっているのでは? と思いがちになるが、巨大な体格故だろう。酔っぱらったシグルズさんの姿を見たことのないオレは、真摯に彼の言葉へ耳を傾け続ける。
「もうお前は、俺が居なくても十分やっていけそうだってことをよぉ」
「……いきなり、どうしたんだ?」
シグルズと共に数年間旅をし、これからもその生活が続くと思っていたニアズは【飛竜】の肉を飲み込み、目を瞬かせる。
「いやいやぁ、いきなりなんかじゃねぇんだぜ? 俺は前々からお前には、もっと多くの事を学び、自分自身で生き方を選んでほしいと思ってたからなぁ」
ぐびり、と酒を仰ぎ、「ぷはぁ!」と盛大な声を上げるシグルズ。一方、彼をただただ見ているしかないニアズは、シグルズが続けるであろう言葉を無言で待った。
「……ニアズ、俺が教えられるこたぁ、せいぜいが戦い方と放浪生活の仕方だけだ」
「それだけあれば充分だろう。それにこの身体じゃ、何処に行ったって爪弾きにされる」
つい先程、口にしたばかりの【飛竜】。その鱗と同様の、黒い鱗に覆われた脚を見下ろしたニアズは深く息を吐く。
この脚は――最期の世界戦争。通称【WWX】の戦力として創られた竜種とヒトを掛け合わせた禁断の種族である証拠だ。そして、ソレ故だろう。オレが自己意識を持った時分には既に親の姿は無く、同じ集落に住んでいた者たちもオレを疎み、近付こうとしなかった。
聞こえはしないが、彼らの目がオレの死を願っている。
見えはしないが、彼らの口がオレの生まれを呪っている。
嗚呼。死ねるものならば、とっくに死んでいるというのに。
いくら飢えて、乾いても。なまじ頑丈なこの身体は、容易に死を受け入れない。
目を瞑るだけで容易に思い出される当時の記憶。ソレを振り払うように、オレは頭を振る。
オレは、あの時のオレとは違う。シグルズさんと出会ったことで、自身が【呪い在りし竜】なる竜種を祖としていることや、その力を制御する術を知った。そしてそれと同時に厭わしいとさえ思っていた生を、シグルズさんに肯定された。だから……だからもう。それで終いで良いじゃないか。
「とは言ってもよぉ。その竜脚もだが、姿ならいつでもヒトの姿に寄せれるんだろ? だったら何も問題は無ぇじゃねえかよ」
「それは可能だが、そうなると戦いの度に靴を作る手間が増えることになる」
シグルズさんの言う通り、必要に迫られれば何時だってヒトの姿に寄せられる。だがしかし、戦いの際にこの竜脚を駆使している身としてはあまりヒトの姿にしておきたいとは思わない。
何しろヒトの脚からこの竜脚へと変えた際、オレは必ずそれまで履いていた靴を再起不能なまでに破壊してしまうのだから。
「そういやあ、そうだったな。ならいっそ『これは竜の鱗で創った靴だ』って押し通しときゃあ良いだろ。人間ってのは見た目と理屈が一致してりゃあ、ある程度は騙されてくれるからな」
「それは……、そうかもしれないが……」
シグルズさん以外の人間と碌に関わったことのないオレにとって、その他大勢については未知の生物に近しい。会話をするにも挨拶だってそう多くは知らないし、敵として相対した場合も力加減はどうするべきかもわからない。それなのにシグルズさんと別れ、この冷ややかな大地を一人で生きていく――?
まず、無理だろう。
火を見るより明らかな答え。ソレを導き出したニアズが大きく息を吐き出せば、シグルズが「そう周りを決めつけるな、ニアズ」と彼の顔を真っ直ぐ睨んだ。
「俺も所詮は生き物だ。今俺たちが食ってるトナカイや、【飛竜】と同じでいつ死んだっておかしくねぇ」
「そんなわけないだろ! アンタはあの【戦乙女】を一人で屠れる、猛者なんだぞ!」
シグルズさんが死ぬわけがない。それを示すべく事実を語れば、目の前のその人はオレの言葉を否定するように顔を横に振った。
「人間、死ぬときは簡単に死ぬモンだ。この俺だって、何時かは死ぬ。だからよぉニアズ。俺は俺が死ぬまでの間にお前にいろいろ学ばせて、選ばせてやりてぇんだ」
「アンタから、戦い方や生き方を学び、共に旅をすることを選んだように……か?」
「そうだ。ちなみにお前さん、俺がぽいっとお前の事を捨てると思っちゃいやしねぇか?」
「……違う、のか?」
この雪の大地を一人で放浪するように。という旨の話だと思っていたのだが、どうやら違うらしい。小首を傾げてみせれば、正面に居るシグルズさんが「ガハハ」と大口を開けて笑った。
「違ぇよ! 俺はただ、お前さんに多くの事を学んでほしいだけだ。だから、ちゃんとその学び先ぐらいは用意してやってるさ!」
「その学び先というのは?」
「俺の弟子共……つまり、お前の先輩にあたる奴が居る船だ。確か、【陸上探査艦‐ŋ】って名前だったはずだな」
この雪の大地を割り裂きながら進む、白銀の巨大な『陸上探査艦』。シグルズさんと行動を共にするようになってから、何度か見たことはあるものの乗ったことは一度もないその船。シグルズさんの話によれば、その船は未だ点在する人里や退廃した旧市街地を探索し、生存者や資材を【なかつくに】と呼ばれる唯一の発展都市へ運搬しているらしいが――。
「そんな船に、オレが乗っても大丈夫なのか?」
困惑の表情を浮かべたニアズを、シグルズは「大丈夫に決まってんだろ! むしろあいつらが居る船ほど、お前を受け入れる場所はねえぞ!」と笑い飛ばす。
「だからよぉ、ニアズ。そこでお前は人間関係のイロハを……せめて俺が居なくとも、自分自身で選び生きていけるように、学んでくれ。ただ、そうだな。お前さんは嘘を吐かねぇ正直者ではあるが、思った事をすぐに口に出しちまうところがあるからなぁ。そこだけは気を付けるんだぞ」
「待ってくれ! もしオレが『行きたくない』と言ったら、どうするんだ?」
「ガハハ! そりゃあ困るなぁ! でもお前さんになんと言われようとも、俺はお前を船に乗せるぞ! なんたってもう、お前さんのことをフィオナの奴に連絡しちまったからなぁ! ただのイタズラで俺が連絡を寄越したとなったら、アイツら絶対に俺を探すからな。……それだけは、ダメだ」
どうやらシグルズさんの中では、オレが【陸上探査艦‐ŋ】に乗ることは決定事項であるらしい。「だから、お前のことは何が何でも船に乗せるぞ! ガハハハハ!」と豪快に笑う彼を見ながら、数年来行動を共にしてきたオレは気だるげに息を吐いた。
この人が強引で、なおかつ自分の決めたことを曲げないのは分かってはいたが、これは困ったことになった。例えこの場で反論し、ごねたところで気付いた時には船に居るのがオチだろう。具体的にはそう、物理的に気絶させられた後、船にブン投げられるという原始的かつオレの身体が頑丈であるが故の方法で、だ。
覚悟もないまま知らない場所に乗せられるのは流石に困る。と、不貞腐れながら「分かった。その船に乗ればいいんだろ」と諦めが大半を占める承諾の台詞をニアズが吐けば、シグルズは笑顔のまま「おう! 流石ニアズだ。物分りが早くて助かる」と持っていた酒を改めて仰いだ。
「……それでよぉ、ニアズ」
「まさか、他にまだあるの……、か?」
真剣味を帯びたシグルズさんの声色。それに促されるように改めて彼の表情を窺えば、そこに在ったのは眉尻を下げた不安げな顔だった。
豪快に、そしてハキハキと喋るのが常であるシグルズさん。そんな彼の不安げな顔などここ数年見ていないオレは、ごくりと唾を飲む。
「もしも……もしもその船にヒルデリカという子供が乗っていたら、気にかけてやってほしい」
「ヒルデリカ?」
「ああ。髪は金で……瞳は晴れた空の色みたいな、小さな子供だ」
「シグルズさん。アンタがどういうつもりでオレにソレを頼んでるのかは知らないが、オレの出来る範囲は限られてるぞ? ただでさえ、勝手の違う場所へ行かなきゃならないんだ。そんな中で、そのヒルデリカという子供に気を掛けてやれるかは正直約束できない」
シグルズさんからの頼みである以上、聞き届けたいという思いはある。だが、それ以上に不安が募っている中でそう安請け合いは出来ない。
その意図をニアズが口にすれば、「それでも構わない」とシグルズは一つ頷いた。
「……俺はもう、アイツには会ってやれねぇからなぁ」
シグルズさんにも何か事情があるのだろう。と、その事柄について追求するのも野暮だと思い、ニアズは彼の言葉に「そうか、」と短く返す。
「でもまあ、他でもないアンタからの頼みだ。確約は出来ないが、もしその【陸上探査艦‐ŋ】って船にヒルデリカって子供が居たら、気に掛けてみる。それで良いだろ?」
「ああ。そうしてくれると、助かる」
了承の言葉に安堵したらしい。ほ、っと白い息を吐いたシグルズさんが夜の空を見上げるのに倣い、オレもまた空を仰ぎ見れば、そこには点々と輝く星々と、艶やかな光彩を放つ光の帯が広がっていた。