4-2
背からは翼が生え、皮膚を鱗が覆う。急速に身体が【呪い在りし竜】へと変わりつつあるのを自覚しつつも、オレはソレを止められない。
――砕き、引きずり、いたぶり、呪え。
狂ったように脳内で反響し、増幅し続ける【巨大飛竜】の憎悪。それに同調するようにして、身体の内側でナニカがザワザワと蠢いて、皮膚を突き破っている。
身体中を得体の知れないモノらが犇めき、蹂躙しているかのような気味の悪い感覚。それに囚われている最中、視界が一気に白へ染まり――、脳髄が弾けた。
「っ――!?」
否、脳髄が弾かれたかのような強い衝撃を受けた。
いったい何が。と思う間もなく、オレは自身の身に起きた事柄を瞬時に理解する。
バラバラと音を立て、身体から落ちていく黒い鱗や翼。そして目の前に在る【凱ノ乙女】の硬質的な白い指。――つまりはそう、【呪い在りし竜】へと変貌しつつあったオレを止めるため、オレの頭部を【凱ノ乙女】が自身の指で爪弾いたのだ。
「……すまない【凱ノ乙女】、助かった」
「Pi」
「だがまあ、もし次があったらもう少し優しく起こしてくれ」
「……Pi・Pi」
ニアズからの打診に対し、迷いを表すようにして発せられた電子の二音。それと共に身体を掴んでいた白の手が解かれ、彼は先を飛ぶ【巨大飛竜】の姿を見定める。
おそらくではあるが、あの怒りに毒された赤い【巨大飛竜】は「歌の如き声」を使い、他の個体たる竜種。ひいては【呪い在りし竜】を祖とするオレを同調させ、狂わせたのだろう。
「【凱ノ乙女】! 【巨大飛竜】の目的は自身の子供を殺したドゥムたちだ!」
声に乗って届き、ニアズの心を蝕んだ【巨大飛竜】の憎悪。その発端たる事柄が、ドゥムたちによる【巨大飛竜】の子殺し――、それも卵から孵化さえしていない個体の惨殺であることを知ってしまった彼は叫んだ後、ゆっくりと息を吐く。
「……なあ、【凱ノ乙女】。もしオレが【巨大飛竜】の仇討に賛成だと言ったら、どうする?」
「Pi」
賛同するのか、否定しているのかまるで分からない【凱ノ乙女】からの音。されどその一音に、ニアズは「はは」と乾いた嘆息を吐き、笑う。
「正直。ドゥムは【巨大飛竜】に殺された方が良いと思っている。そうされるだけの理由がアイツにはあるし、そうしなければ【巨大飛竜】は止まらない」
むしろ赤く染まりきってしまっている以上、ドゥムを殺してもなお止まらないかもしれない。
だがそれでもこの竜の恨みを、一つでも果たしてやりたいと思ってしまうのは、オレが先を飛ぶ赤竜の怒りの理由を知ってしまっているからだろう。
コイツは何も間違っていない。間違っているのは、素知らぬ顔で【陸上探査艦‐ŋ】に乗り、のうのうと生きているドゥムだ。
とはいえ、この状態の【巨大飛竜】を船に近付けるのは得策ではあるまい。
ドゥムへの仇討ちに意欲的とはいえ、その巻き添えでヒルデたちが怪我をするというのはオレとしてもいただけない。であれば、まずドゥムを【巨大飛竜】の前に引きずりに出せる状態――すなわち、船の甲板へ出させなければ。
そう考え至ったニアズは、船と連絡が取れるであろう【凱ノ乙女】に向けて、「艦長にドゥムを甲板に出すよう、頼んでくれるか!?」と口を開こうとする。しかし、そんな彼の行動を阻むようにして、僅かながらも空に点在していた【飛竜】たちが、【凱ノ乙女】たち目がけて襲い掛かってきた。
「くそっ、邪魔だ! 【怒剣・斬波】!」
「Pi・Pi・Pi――Pi」
斬撃波から数拍遅れて放たれた【凱ノ乙女】の光子光線。それらの攻撃により、襲い掛かって来た【飛竜】たちは瞬く間に落下する。だが、彼らを相手取ったしまったせいで、【巨大飛竜】は勿論【陸上探査艦‐ŋ】からも距離を離されたニアズは「ちっ」と忌々しげに舌を打つ。
「【凱ノ乙女】! オレに構わず――」
「全力で【陸上探査艦‐ŋ】へ行ってくれ!」と続ける間もなく、足場となっていた【凱ノ乙女】の白い掌がオレの身体を抱き込み、自身の姿を人型から鳥型へと変える。そしてギュンッ、と空を割き、遠く離れていた船の甲板へと移動する。しかし、しばしの間の後に着いた甲板には既に多量の【|自己修復人形《BA-クティリエ・ロイド》】を身体に張りつけた【巨大飛竜】の姿が在った。
「間に合わなかったか」
【巨大飛竜】が船に着いてしまう前に、どうにかして艦長であるフィオナと連絡を取り、ドゥムを甲板に出したかったのだが。
「はぁ……」と落胆の籠った溜め息を吐くも、ニアズは「ならば」と意気込み、改めて甲板の様子を確認する。
【巨大飛竜】から逃げているということもあり甲板に人の姿は無く、有るのは【巨大飛竜】に張りつく【|自己修復人形《BA-クティリエ・ロイド》】や、甲板で息絶えている【飛竜】たちの姿だけだ。
「【凱ノ乙女】! 艦長に連絡が取れるなら、今すぐドゥムを甲板に連れて来させてくれ!」
「Pi」
成体の【巨大飛竜】ではなく、孵化前の幼体を殺す陰湿さ。そしてソレを掻い摘み、吹聴する傲慢さを持つドゥムがこの危険な場に出てくるとは思えないが、彼が此処へ出てこないことにはこの場は好転しないだろう。
それまでの間、どうにかして場を保たそうとニアズは握る光子剣に光子を纏わせる。そして、【|自己修復人形《BA-クティリエ・ロイド》】のせいで動きが鈍くなっている【巨大飛竜】の身体をその剣で切りつけた。
「ギァアアォオオウゥ!」
「悪いな。仇討相手が出てくるまで、船じゃなくてオレの相手をしてくれ!」
咆哮する【巨大飛竜】の背を重点的に狙い、二撃、三撃と光子剣で威嚇程度の攻撃を続けるニアズ。そんな彼の攻撃に対し、赤竜は反撃をしようと身を動かすが、【|自己修復人形《BA-クティリエ・ロイド》】たちが張りついた状態では、甲板の上を走るニアズの動きに付いて行けないらしい。
数拍遅れで動く赤竜を相手に、ニアズはさらに攻撃を仕掛け続け、【巨大飛竜】の気を引き続ける。
「っと、【凱ノ乙女】! ドゥムはまだか!」
「Pi・Pi」
空中から搖動を行っていた【凱ノ乙女】が放った電子の二音。その音が「否定」を示すものであると読み取ったニアズは「未だ時間がかかるか!」と、自身の竜脚で甲板を蹴り、【巨大飛竜】の頭部まで跳躍する。
「【巨大飛竜】! もう少し、オレに付き合ってくれよ!」
怒りに満ちた赤い竜の瞳目がけて、光子剣を振り降ろすニアズ。あからさまな攻撃を仕掛けた彼に対し、【巨大飛竜】はガパリと大口を開け、幾重にも連なる鋭利な歯を露わにする。が、その口は別方向を向き、ニアズの攻撃もまた空を切った。
「ニアズ! 悪い、遅れた!」
「ソール!?」
声の主であるソールの名を叫び、オレは彼が居るであろう【巨大飛竜】の後ろ脚部分へと視線を向ける。するとそこには、煌々とした光子を放つ大型の鎚を持ったソールの姿が在った。
「ニアズを追いかけようと小型船に乗り込んでたから、少し遅れちまった! 今から俺たちも一緒に戦う!」
「俺……たち?」
まさかソール以外の奴らも、この場に居るのか? そう思いながら一旦【巨大飛竜】から離れれば、そのタイミングを見計らうようにしてソールが【巨大飛竜】の後ろ脚部分に当てていた大型の光子鎚を「そーれ!」と振り上げる。
「なっ、待てソール!」
「威力は威嚇程度で十分だ!」と続ける間もなく、赤い竜の後ろ脚に振り降ろされる光子鎚。ソレは光子による「熱」での攻撃を主にした物であるらしく、【巨大飛竜】の足に直撃している光子鎚からは「じゅうじゅう」と肉の焦げる音が放たれていた。
「ギァアアアウウウウウゥウ!!」
焼けつく痛みを齎し続けるソールを踏み潰そうと、自身の足元へ視線を向けながらその場で足踏みをする【巨大飛竜】。しかし、ソールはその脚を上手く躱し「マォ、来い!」と空に向かって叫んだ。
そうすれば、「はいにゃ!」とマォの溌剌とした声が上空から届き――直後、足元に気を取られていた【巨大飛竜】の頭部に何かが直撃した。
「高さこそ、真の攻撃力にゃ!」
相当高い場所から落ちてきたのだろう。甲板へと頭をめり込ませた後、ピクリとも動かなくなっている【巨大飛竜】の上で、光子手甲と光子鉄靴を纏ったマォが上機嫌に跳び上がる。
「ってことで、ニアズ! ちょっとだけだけど【凱ノ乙女】お借りしましたにゃ!」
「お、おう……」
どうやらマォはオレがソールと会話をしている短な間に【凱ノ乙女】と合流し、空高くにまで上がっていたらしい。遅れて甲板へと戻ってきた【凱ノ乙女】に「ありがとにゃ!」と手を振るマォを見ていれば、彼女はくるりとソールの方へと振り返った。
「それでソール、これからマォたちはどうすればいいのかにゃ?」
「どうするって、そりゃあ……どうするんだ?」
守るために「戦う」とは決めていたようだが、最終的にどうするのかまでは決めかねているらしい。小首を傾げるマォとソールに対し、オレは「ドゥムが来るまで、止める」と告げる。
「ドゥムが来るまでって、……まさかアイツが何か【巨大飛竜】にしたのか!?」
「ああ。アイツ、此処に来る前に【巨大飛竜】の幼体を殺したらしい」
「――なるほど、そういう事情でしたか」
「シェリーちゃん!? それにヴィーザルも!?」
どうやら【巨大飛竜】に攻撃する機会を伺ってはいたものの、マォの一撃で【巨大飛竜】が気絶したことで隠れる必要性がなくなってしまったらしい。大盾を抱えたヴィーザルと、大型の改造銃を抱えたシェリーが、ニアズたちの元へとやって来た。
「フィオナ曰く、ドゥムに甲板へ行くよう命令しても、『船主を守るのが仕事だから』つって頑なに管制室から出ないらしくてな」
「そんな……」
なら、どうやればこの赤い【巨大飛竜】に仇を討たせてやれるんだ? と、ヴィーザルからの話に言葉を失いながら、ニアズは甲板上で気絶している赤の巨体へと目を向ける。
「おいニアズ。お前……まさかとは思うが、この竜を救いたいと思っているのか?」
「救ってやりたいわけじゃない。ただ、仇を討たせてやりたいとは思っている」
「つまりお前は人間側の命を見捨てると? そうすることを、シグルズに教えられたのか?」
「それは違う! シグルズさんからは『弱者救済』を直々に言いつけられたし、ヒトを救うようにも教えられてきた! だが、今回に関しては明らかにドゥムに非がある話だろ! アイツの死は自業自得であり、【巨大飛竜】には仇討を行う権利があるはずだ!」
そう叫びながら、ニアズは高身長であるヴィーザルを睨み上げる。だが彼からの鋭い眼光を受けたヴィーザルはニアズを見つめ返し、小さく溜め息を吐いた。
「はぁ……。だとしても、この船に居る以上、優先すべきは人命なんだ」
「っ、ソイツのせいで船が襲われ、これまでに何人も死んでいたとしてもか!?」
「ああ。むしろそれが事実であるならば、ソイツは俺たちの法に乗っ取って処罰されるべきだろう。竜や、自然界の意思が介入する話じゃない」
つまり、この【陸上探査艦‐ŋ】に乗っている以上、【巨大飛竜】は仇討ちが出来ない。というわけか。
「……アンタの言い分は分かった。なら、此処に居る【巨大飛竜】はどうするんだ?」
「殺す」
「なっ!?」
「俺たち側に害を成すから殺すわけじゃない。コイツを救ってやるために、殺すんだ。シグルズさんだって、お前に教えたはずだ。『怒りに毒され、身を焦がした竜は、死ぬまでずっと怒りを振りまき続ける』ってよ。だからもしコイツを救ってやりたいなら、殺してやらないといけねぇ」
「だからって、そんな……」
確かに、殺さなければドゥムが死ぬまで、あるいはドゥムが死んでもこの【巨大飛竜】はオレたちの乗る船を襲い続けるだろう。だが非はドゥムに在るのだ! アイツが【巨大飛竜】の子さえ殺さなければ、こんなことにはならなかった!
救うために、殺す。それも何の罪もない命を。その矛盾を飲み下せずに居るニアズとは違い、ソールの方は素直に受け止めきったらしい。「そっか!」と、からりとした笑顔を浮かべた彼は、自身の武器である光子鎚を未だ気絶状態から目覚めていない【巨大飛竜】へと向ける。
「なら、苦しくないように気絶してる内に殺してやらないとな!」
「ニアズの意見にはマォも賛成なんだけど、結局のところこの子を止めないと二進も三進もいかないんだにゃ!」
清々しいまでの笑顔で武器である光子鎚を構えるソールと、眉尻を下げ渋々ながらも光子手甲の付いた拳を【巨大飛竜】へ向けるマォ。そしてその後方でシェリーが改造銃を構え、ヴィーザルが大盾に光子を纏わせた。
嗚呼、ソールたちは本当に【巨大飛竜】を――何の罪もないこの竜を殺そうとしている。
ヒトの領分に居るドゥムを、人間側の法で裁くのは誤りではない。むしろ正しささえあるのかもしれない。だが、それでも。【巨大飛竜】の怒りを、思いを知ってしまっているオレとしては、人間側の法より自然界側の掟を重視してやりたくて、仕方がない。
ヒトと竜。人間の法と、自然界の掟。異なる二つの立場に挟まれ、思い悩むニアズ。だがその間にもソールたち一同は、武器に膨大な光子の熱量を貯め、【巨大飛竜】との距離を少しずつ詰めていく。
すると、そんな彼らの行く手を阻むかの如く、【凱ノ乙女】が甲板上へと降り立った。
「……【凱ノ乙女】?」
まさかオレの意を汲んで、彼らを止めてくれるのか? とニアズが思った次の瞬間、ギュンッ、と空を割く音が響き、【巨大飛竜】の真上に一体の【戦乙女】が現れた。
「そん、な……」
薄紅の身体に、蛇の如くうねる髪を模した幾本もの槍。一度見たら忘れることのできない、特徴的なその姿は、間違いなく以前この船を襲い、オレをも殺した個体だろう。
「A……AAAAAAA!」と荒々しく咆哮した【戦乙女】は、【巨大飛竜】の身体に纏わり着いていた【|自己修復人形《BA-クティリエ・ロイド》】を自身の髪で払い落とし、鋭利な槍となっている髪先を花のように綻ばせる。そして、開いたその箇所を【巨大飛竜】の身体へと食らいつかせた。
「にゃっ!?」
「なっ!」
血飛沫を撒き散らしながらうねり、【巨大飛竜】の肉を鱗もろとも喰いちぎる【戦乙女】の髪。自身を蝕む痛みによって覚醒した【巨大飛竜】は、「ギァアアアォオオウウウ!」と雄叫びを上げ、眼前の【戦乙女】目がけて牙を立てる。
しかし著しい再生能力を持つ【戦乙女】にとって、【巨大飛竜】の抵抗など些細なモノなのであるらしい。【戦乙女】は赤竜の牙を気にすることなく、二口目、三口目、と繰り返し自身の髪を赤竜の身体へと食らいつかせ続ける。
鱗を割り、肉を裂き、骨を砕く。その度に上がる【巨大飛竜】の絶叫と、血飛沫。それを呆然と見守るしかできずに居れば、直に決着がついたのだろう。【戦乙女】の身体に食らいついていた【巨大飛竜】の残骸が、ドサリ、と随分と軽くなった音と共に甲板へと零れ落ちた。




