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「ニアズ! そっちに行ったぞ!」
雪の大地に響く男の声。それから一拍遅れて、曇天を飛ぶ黒の竜――【飛竜】が少し離れた場所で急降下しはじめる。
「ガゥアアアアッ!」
牙を剥き、咆哮する黒竜。飢えと乾きが満ちた金の瞳には、細身の剣を手にした黒衣の青年――ニアズの姿が映っていた。
「来い、【飛竜】!」
獲物として彼を狙う黒竜に対し、一旦ニアズは姿勢を低くする。そして細身の剣に煌々とした光子を纏わせると、鱗に覆われた自身の脚で一足飛びに跳び上がった。
「【怒剣・焼刃】!」
人間が出し得る跳躍力をはるかに凌駕した瞬発力と跳躍距離。それを【飛竜】が認知するより早く、光子を纏った剣が竜の硬い鱗を割り、肉を焼き裂く。
「グァアアアッ!?」
獲物だと思っていた対象からの予想だにしない攻撃。光子の熱と、鋭利な剣の切り込みを受けた【飛竜】は雄叫びを上げ、降下したばかりの身体を上空へとのぼらせる。
「逃がすかっ!」
一度地上へと下りたニアズは鈍い光沢を放つ黒衣をはためかせ、自身の二倍はあろう身の丈を有した巨漢の元へと駆け走る。
「シグルズさん!」
「おう! ニアズ、飛ばすぜぇ!」
巨漢たる彼の大きな掌。その上に鱗の生えた竜脚の片方を乗せ強く踏み込めば、ニアズの身体は弾かれるようにして灰色の曇天へと打ち上げられる。しかし、空中へと上げられた無防備な獲物たる彼を【飛竜】が逃すわけもなく、空を自在に飛ぶ黒竜は、滞空するニアズ目がけて再度降下しはじめる。
「――残念だったな、【飛竜】」
「オレにも、翼はあるんだよ」とニアズは続け、自身の鱗で作った黒衣を脱ぎ、一糸まとわぬ背を刺すような冷たさが蔓延している外気に晒す。そして、むき出しになった背肉を、内側から裂き開かせはじめた。
「っ、」
ビキビキ、ミチミチ。と皮膚と肉を破り、ニアズの背から生える黒い【呪い在りし竜】の翼。ソレを強く羽ばたかせ、自身目がけて降下してくる【飛竜】の眼前を光子剣で受け止め――る寸前で、彼は脱いだばかりのコートを身代りにし、竜の牙を躱した。
「ガァアアッ!」
「何をする!」と言わんばかりに顔を振り、牙に絡まるコートを取ろうと暴れる【飛竜】。だがその隙を無為にするつもりのないニアズは、間髪入れずに光子剣をその腹部に突き立て、勢いよく切り裂いた。
「ギァアアァアアァァアアッ!」
断末魔の如き絶叫と、血飛沫を撒き散らしながら落下する【飛竜】。ドォオンと鈍い音を立てて雪の積もる大地へと落ちたその黒竜は、しばらくの間は呻き悶えてはいたが、直に事切れたのだろう。ピクリとも動かなくなった。
「よっ、と」
しゃくり。と鱗に覆われた脚で雪を踏み、息絶えた【飛竜】の前へと立ったオレは竜の牙にかかっていた黒衣を取り外すと、自身の背へと手を伸ばし――【呪い在りし竜】の翼を自ら引きちぎった。
「――ッ!」
嗚咽を漏らさぬよう、歯を食いしばりながらオレは取り戻したばかりの黒衣を纏い直し、背に出来た傷口を隠す。そして何事も無かったような顔を取り繕い、懐に納めていた光子剣を改めて手に取った。
「……さてと。シグルズさんが来る前に解体しておくか」
少量の毒性と苦みを有している竜種の肉は食用としては不向きだ。しかし巨漢であるシグルズさんの腹と、成長期である自分の腹を満たすためには、毒性や味についての問題は些細な事柄でしかない。むしろ食べることが出来るだけマシだろう。
そう思いながら、ニアズは雪の上で事切れている【飛竜】の背骨に沿って光子剣を滑らせ、手際よく可食部とそれ以外へと解体しはじめる。だがこの【飛竜】は、相当飢えていたのだろう。切り取れた可食部位は小山にもならない程少量だった。
「飢えていたことには同情するが、人間を襲うことを学ばれては困るからな……」
この世界は弱い者は淘汰され、強き者だけが生き残る弱肉強食の世界。その中で人間が竜種に食い殺されようとも、オレ個人としては何も思いはしない。だが、しかし。オレに生き方や戦い方を教えてくれたシグルズさんから、「弱者救済」と直々に言いつけられている以上、ソレを無視するわけにもいかないだろう。
【戦乙女狩人】の異名を持つ巨漢たる彼の言葉を思い出しながら、【飛竜】の可食部を纏めていれば「おーぃ、ニアズ!」という声とともに地鳴りのような音が辺り一帯に響いた。
「シグルズさん、こっちだ!」
どうやら【飛竜】と接敵する直前に倒した、トナカイを運んで来たらしい。ずぅん、ずぅんと足音を響かせながらオレの方へとやって来たシグルズさんの巨大な背には、息絶えた大型のトナカイが担がれている。
「一人で上手く倒せたようだな! 良くやったぞ!」
大口を開け、体格に見合う大きな掌で無造作にニアズの頭を撫でまわすシグルズ。そんな彼に苦々しげな表情を向けながらも、ニアズは「シグルズさんだって居ただろ」と返答した。
「だとしても、決着をつけきったのはお前さんだろ? ならもっと自身を持てや!」
「ガハハ!」と豪快な笑い声を上げ、更にニアズの頭を撫でるシグルズ。
「……ったく、もうオレはアンタと出会った頃と違って、子供じゃないってのに」
子供の時分で在った時と変わらぬ褒め方をされるのは、正直苦手だ。だが彼の大きな掌は拒みがたく、オレは甘んじて彼の掌を受け止め続ける。しかし何時もであればもう少し長く撫でているはずの彼の掌が、今日はすぐさま止められた。
いったいどうしたのだろうか? と不思議に思い顔を上げれてみれば、シグルズさんが曇天の空を睨むようにして見つめていた。
「何か居るのか?」
「ああ、赤い奴が一匹な。良くねぇことが起きなきゃ良いんだが……」
そう零し、シグルズさんは空に浮かんでいる幾つかの小さな黒い点を指さす。
「ほら、アレだ」
指さされた先の黒い点。その部分を注視するように目を細めれば、そこには黒い【飛竜】に混じり、赤く変色した【巨大飛竜】の姿が在った。
「本当だ、……でも、それがどうかしたのか?」
「ん? ああ、そう言えばお前には教えていなかったか?」
「ま、あんなモン、そう多く目にするこたぁねぇからなぁ」と付け加えながら、シグルズは空へと上げていた目線をニアズの方へと下ろす。
「赤は、怒りに毒された証だ。その色に染まった竜種は死ぬまで延々と怒りを振りまき、他の個体を狂わせる。人間側に被害が出てくるようなら殺すべきだが、大体の場合は竜種の方が被害者だからなぁ……」
「普段は温厚な竜種が……それも【巨大飛竜】の類が怒りに毒される? いったい、どうして」
ついぞ先に倒したばかりの【飛竜】のように飢えていれば話は別だが、強大であるが故に基本的には温厚な性格である竜種。ソレが怒りに毒されるなど、ただ事ではない。
「理由なんざいくらでもある。ただその大半が碌なモンじゃねぇから、殺すにしても気分が悪ぃんだよなぁ」
おそらくシグルズさんは、オレと出会う前にそんな状態となった竜種を殺したことがあるのだろう。ただソレは憂鬱げな表情と言葉からも分かる通り、碌でもない理由と結果だったに違いない。
「そう、なのか……」
詳しくその話を聞きたい。と思いながらも根掘り葉掘りと訊くのも躊躇われ、ニアズは短く言葉を吐き零す。そうすれば気を改めるようにして深呼吸をしたシグルズが、トン、と彼の背を押した。
「よっし、ニアズ! ここらで野営地でも作るか!」