(5)ちょっとした確執
「それでは、行って来る」
アメリア達の前に現れた時の洗いざらしの服装とは異なり、上質な生地で仕立てた服を身に着けたルーファは、馬車に乗り込みながら屋敷を守る執事に告げた。彼は主人に向かって小さく頷いてから、問いを発する。
「殿下、お戻りはいつ頃になりそうですか?」
「夕刻前には戻る。万が一、夕食に同席する羽目になったら、知らせるから」
「分かりました。行ってらっしゃいませ」
恭しく頭を下げた使用人達に見送られ、ルーファを乗せた馬車は王都の中心部にある城に向かった。
「さて……、父上と兄上双方からの呼び出しとあっては無視できないが、話の内容が想像できるだけに気が重いな……」
ルーファは重い溜め息を吐きながら、馬車の窓越しに流れる風景を眺める。整然と整った貴族街を順調に進んだ馬車は、ほどなく城の正門を通って城内に入った。
馬車寄せに停めた馬車から降り立ったルーファは、案内など不要とばかりに単身城の奥へと進んで行く。ある程度の勤務年数を経ている者は彼の素性を認識しており、無言で頭を下げて道を譲ることはあっても、誰何するような者は皆無だった。そのままルーファは政務で使用されている区域から、王族の私的区域に足を進めた所で、旧知の侍従と顔を合わせた。
「お久しぶりです、アルフェウス殿下」
「やあ、ディーン。元気にしていたかい?」
「はい。まだ若い者に任せてはおけませんので、老骨に鞭打って働いております」
「もう楽隠居できるほど、後進も育っていると思うのだが」
「上辺だけでございますよ」
「相変わらずだな」
意気軒高な老人と他愛もない会話を楽しんでいると、ふいに不愉快な声が聞こえてくる。
「これはこれはお珍しい。アルフェウス殿ではございませんか。久しく城でお見かけしませんでしたので、いつの間にか適当な爵位など下賜されて、辺鄙な領地に引き込まれたのかと思っておりました。まだ王都におられたのですな」
口調こそは丁寧ながら、明らかに侮蔑の感情を滲ませたその声に、ルーファは内心で舌打ちしながら振り返った。そしてそこに隣国バルザードの大使の姿を認めたルーファは、不敵に笑いながら応じる。
「幸い、辺鄙な田舎に引き籠って療養する必要がないくらい、頑健なもので。ところでグラン子爵は久しくお見かけしないうちに、随分と恰幅が良くおなりですね。一月ごとに服を仕立て直すとなると、大使としての俸給を全てそれに費やしておられるのですか?」
「何だと!? 貴様のような混ざり者が一国の王城に平気で出入りしているなど、その国の品性が疑われるわ!!」
「他国の王城で、れっきとした王族を口ぎたなく罵る大使の姿など、確実にその国の品性が疑われると思いますが?」
「この若造が!! まともな王族扱いされているとでもいうつもりか! 片腹痛いわ!」
激昂して口汚く喚き立てる子爵と、それに飄々と言葉を返すルーファを見て、下手に口を挟めない老侍従は、狼狽しながら事態の推移を見守る。しかしここで新たな声が割り込んだ。
「こんな所で何を騒いでいるのですか?」
その涼やかな声に、男二人は弾かれたように振り向く。
「え? 義姉上、どうしてこちらに?」
「シルヴィア様。いえ、別に大した事では……」
侍女を従えて立っている身重の女性は王太子妃であるシルヴィアであり、ルーファの義理の姉でもあった。その彼女は、僅かに顔つきを険しくしながら、自分の輿入れと同時に故国から大使として任命された男に向き直る。
「グラン子爵。アルフェウス殿下は魔力持ちではあっても現国王陛下の第二王子であり、王太子である私の夫のたった一人の弟です。一国の大使として、それに相応しい接遇を求めます。以前にも同様の申し入れを行ったはずですが、どうやらご理解いただけていないようですね」
「いえ、決してそのような……」
「故国の大使であるあなたの評判は、私への評価に繋がります。自重してください。宜しいですね?」
「……畏まりました」
「それでは下がって宜しい」
「御前、失礼いたします」
かなり不満げな様子ながらも、グラン子爵は一礼して大人しく引き下がった。その姿を憮然とした表情で見送ったシルヴィアは、ルーファに向き直って申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にする。
「ルーファ、ごめんなさい。故国に連絡したい事があって、今日、彼を呼び寄せて話をしていたの。それで必要な話し合いが終ったから返したのだけど、ちょうどあなたがお義父様に呼ばれている時間帯ではないかと気がついて。万が一出くわしてしまったら、彼がまたあなたに絡むかもしれないと思って様子を見に来たら、あんな事を……」
兄が自分を呼ぶ時の愛称を同様に使っている義姉を、ルーファは笑顔で宥めた。
「大丈夫です、義姉上。寧ろ、お気を遣わせてしまって申し訳ありません。彼が私のことが気に食わないのは、仕方がありませんから。私も別に、彼に好かれようとは思ってはおりませんし」
「それにしても……、私と共に大使として赴任して、何年にもなるのに。未だに分別が付いていない様子で」
「義姉上、私を気遣っていただけるのは嬉しいのですが、あまり腹を立てていると体調にも差し障りがあると思いますので。今はお一人の身体ではないのですから、気持ちを楽にしてお過ごしください」
次第に腹部が目立つようになってきた義姉を労わる台詞を口にすると、シルヴィアも表情を緩めて頷く。
「そうね。あれだけ年を取ってしまったら、他人の意見や忠告など素直に聞き入れないでしょうから、言うだけ無駄よね」
「ええ。そのとおりです」
「ごめんなさい、引き留めてしまったわね。お義父様との面会時間に遅れてしまうわ」
「まだ若干余裕があるから、大丈夫です」
「それではお義父様とのお話が終ったら、私達の所に出向いて頂戴ね? ライオネルも頃合いを見計らって、政務を抜けてくると言っていたから。誰かに言付けるつもりだったけど、あなたに直接会えて手間が省けたわ」
「分かりました。後ほど必ず伺います」
最後に念を押されてしまったルーファは、早々に抜け出すのは無理そうだと諦めた。そして笑顔で義姉に別れを告げ、父の元へと向かった。