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渡辺さんは贈る、疲れが溜まっている時はクエン酸がいいらしいと


 冷房の風が気持ち良い。でもいつも以上に今日はやる気がでない。調子が悪い感じがする。

 連日の夏期講習で心も身体も疲れ切った私は、手のひらに刻まれた皺を数えて現実逃避に勤しんでいた。

 家に帰りたい。とても帰りたい。だけど今日家帰っても塾だ。つらい。



「なんだか疲れてますね、メグさん。疲れが溜まっている時はクエン酸がいいらしいですよ」



 机に項垂れている私の顔の前に、イエローの蛍光色が詰まった瓶が置かれる。

 顔を上げてみれば、そこには心配そうな顔でこちらを見つめるクラスメイトの渡辺さんがいた。

 今日も桜色の眼鏡がチャーミングだ。


「そういえば今日は横尾くんがお休みの日でしたね。もしかしてメグさんがいつもより元気ないのはそのせいですか?」


 え? なんで?

 たしかに今日の私は元々やる気のない普段以上に、自堕落な雰囲気を滲ませている自覚はあるけれど、それは横尾くんとは何の関係もない。

 うん、全くもって関係ない。

 だって私と横尾くんは席が近くて、よく話すクラスメイトというだけであって、それ以上でもそれ以下でもないのだから。


「ちなみに、今日、なんで横尾くんがお休みなのかメグさんは知っていますか?」


 いや、知らないけど。

 逆に渡辺さんは横尾くんが今日夏期講習に来ていない理由を知っているか尋ねてみれば、いつも通り純粋な笑みを浮かべて、はい、と答える。

 ちょっと待って。なんで渡辺さんは知ってるの。

 私には教えなかったくせに、渡辺さんには休む理由教えたってわけ。

 なんだか、納得がいかない。

 自分でも理由はわからないけど、なんとなく胃がむかむかした。


「あ、知らないんですね。意外です。どうやら横尾くんは今日、部活の方の大会に出ているみたいですよ」


 体調不良気味の私に、優しい渡辺さんは横尾くんが今日なにをしているのか教えてくれる。

 親切すぎる彼女はいつも、本当は知りたいけど、知りたくないふりをしている事柄を、真っ直ぐと知らせてくれる。

 ああ、やっぱり今日はなんだか調子が悪い。

 渡辺さんのメレンゲみたいにふわりとした声が、やけに重く苦く感じる。


「今年のサッカー部はかなり強いみたいですね。全国大会も本気で狙えるって聞きました」


 渡辺さん、詳しいね。それも横尾くんから聞いたんだよね。

 私は自分の口から出た言葉から生えた棘の鋭さに、自分自身で驚いてしまう。

 彼女は何も悪いことはしていない。むしろ親切心や、世間話程度で話しかけてくれているのに、どうして私はこんな態度が悪いのだろう。

 自分で自分が嫌になる。やっぱり疲れているのかな。


「え? 違いますよ。私、弟がサッカー部なので、全部弟から聞いた話です。横尾くんは後輩から見ると結構目立つ先輩みたいですよ」


 あ、そうなんだ。

 私はここでやっと自らが致命的な勘違いをしていたことに気づく。

 横尾くんが今日夏期講習を休んでいる理由を渡辺さんが知っていたのは、別に本人から聞いたわけではなく、弟からのまた聞きだったらしい。

 私は安心にほっと胸を撫でおろす。


 ……ってちょっと待って。なんで私いま安心したの? 安心するような要素なんてどこにもないのに。



「大変ですよね、こんな暑いのに外で運動だなんて。私にはぜったいむりです。冷房の効いた教室でお勉強する方がましですね」



 冷房の風はまだ気持ちいい。

 それなのに私の額はなぜか汗だくで、きっと疲れのせいだと誰にともなく必死で言い訳しながら、渡辺さんから貰ったクエン酸を口に含む。


 すっと喉を通るのは、染みるような酸っぱさ。


 予想外の酸味で歪む私の顔を見て、渡辺さんは心配の声をかけてくれる。

 もし左隣りが空っぽじゃなかったら、心配の声じゃなくて笑い声が聴こえたんだろうなって思って、少しだけ物足りなさを感じた。


 

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