夏の光、思い出の光。
「それじゃあ、皆で夏の光というキーワードを使った作品を作って見せ合いをしてみようか」
皆で雑談をしている最中、部長がそう言った。ここは文芸サークル、皆で作品を書き合い、読み合いをしているサークルだ。
俺はそこの部員をしている⋯⋯とは言ったものの今ではもう半分幽霊部員になってしまっている。作品を書く気力がない、書きたいと思うが熱がない。いつそれを手放してしまったのか思い出せない。
「それいいね!」
「面白そう!」
「夏かー、そういえばそろそろ夏期休暇だもんなーちょうどいいかも」
俺が考え事をしている間に、賛成の声があがっていく。これでは俺も賛成をせざるを得ない状況が出来上がってしまった。
正直な話、今回の企画は気が乗らない。それでも皆の中には俺も含まれている以上書くしかない。下手に書かないで目立つのだけは避けたかった。
皆は意気込んでいるが、今の俺には執筆する意欲があまりなかった。昔の俺ならいの一番に喜んでいただろうに。
三年、それだけ時間があれば人は変わってしまう事を俺は知っている。いや、きっと三年もかかっていなかった。あの時、気付かなかっただけできっと俺は変わってしまったのだろう。それに気付いたのがつい最近というだけの話だ。
輝いていた気持ちなんてちょっとした出来事一つで黒くくすんでしまう。輝きが強い程にその黒は際立ってしまうものだと俺は身を以って経験した。
──あぁ、思い返すと無性にイライラする。ここが喫煙室なら煙草の一つでも吸いたいぐらいだ。
俺は心を落ち着かせながら、頭の隅で企画の構想について考えるがそれはすぐに決まった。
小説なんて短編でも書けばいいだろう、どうせ誰も俺の作品なんて期待していないのだから。
そして、その日のサークルは解散となった。仲の良い奴等はつるんで部屋に残ってワイワイと騒いでいる。俺は鞄を持ち一人でその部屋を後にした。
「⋯⋯帰るか」
ぽつりと呟いた言葉は、部屋の喧騒に飲まれて消えていった。
「──先輩!」
駅へと向かっている最中、後ろから女の声が聞こえる。声の主には心当たりがあるが面倒なので俺は気にせずにそのまま歩き続けることにした。
「ちょっと先輩、待ってくださいよ!」
後ろからダダダダと走る音が聞こえてきたと思うと、横で一際でかい音がなって止まる。その瞬間、俺の視界に少し茶色を帯びた髪の毛が入ってきた。
「なんで⋯⋯止まってくれないんですか⋯⋯」
声の主は俺の横ではぁはぁと荒い息を吐きながら非難の言葉を浴びせてくる。俺はそいつにも聞こえるようにおもむろに溜息を吐いた。
「俺は一人でそっと帰りたいんだよ⋯⋯」
そうやってひとりごちるように喋ってみるが当の本人には何一つ理解してもらえていないみたいだった。首を傾げているのがその証拠である。
「何で一人で帰るんです?」
ぼっちだからだよ、言わせんな恥ずかしい。そんな言葉が頭の中に浮かぶが目の前で首を傾げて頭にクエスチョンマークを浮かべていそうなやつに言う気力はない。
「⋯⋯一人だと考える時間が増えるから」
創作者みたいな事を言ってこの場をはぐらかすことにしたが、目の前にいるこいつには逆効果なのか目をキラキラと輝かせ始めてしまう。
「さすが先輩! さすセン!」
わざわざ訳のわからない略し方をするほどに興奮しているようだったので放置して駅に向かう事にした。さっきから煙草が吸いたくてたまらない。
「ちょっと、一緒の駅でしょう!?」
──知らんがな。とツッコミを入れたくなるがこの手のタイプは構うとつけあがりそうなので放っておくに限る。
非難の声をあげながら後ろから付いてくる奴を無視して足早に駅へと向かう。その声は駅に着くまで止むことはなかった⋯⋯元気な奴。
「⋯⋯で、お前名前なんだったっけ?」
駅にある喫煙室で俺は煙草を取り出し火をつける。息を吸い込むと煙が口の中を満たし、それと共にメンソールの臭いが鼻から抜けてすっとする。モヤがかかっていた頭が晴れたようにすっきりとするからこれを好んで吸っていた。
俺の問いかけにあからさまにショックを受けたような顔をしたそいつは「覚えてないんですか!?」と大きい声を出し俺を睨んでくる。
記憶をどれだけほじくり返しても爪の先程に出てこない所を見ると本気で興味がなかったのかもしれない。何せまともに取り合うのがこれが初めてなのだから。
「うん」
俺は素直に頷きながら口の中にある煙をふーっと外に出し、それの行方を目で追った。俺には目の前にいる女よりそっちの方が気になって仕方ない。
「加奈です、真中加奈!」
「惜しいな、最後にまが入れば回文だったのに」
「誰が新聞紙だ!」
俺が笑いながら言った言葉にまるで狂犬のように噛みついてきた。俺はその返しに頷き心の中でそっとこう思う。
──中々に俺好みのいい返しだ、真中加奈、覚えておこうじゃないか。
俺はここで初めて記憶の中に真中の名前をインプットした。覚えておかないとうるさそうだし、後の労力を抑えるために仕方なくしてやったと言う方が近いだろう。
「で、俺に何か用事があるんじゃないのか?」
俺は煙草に視線をやったまま用件を聞いてみる。俺の視線の先では煙草のフィルターが灰になっていくのが見えた。
「先輩、私にどれだけ興味がないんですか⋯⋯」
「え、聞く?」
「いや、いいです⋯⋯」
──なんだ、せっかく持ちうる語彙を全てフル稼働してやろうと思ったのに。少しがっかりだ。
「あからさまにがっかりするのはやめてください!」
真中は大きな声を出したと思ったら今度はしおらしくなり、「私の事覚えてないんですか⋯⋯」と小さな声で呟く。その言い方はまるで地雷女、もしくはかまってちゃん。いや、かまってちゃんもある意味地雷女か。
どうでもいい事を頭で考えていると「⋯⋯先輩、少し作品に対しての相談なんですが」と思考を中断させられるような言葉をかけられてしまい、俺は一際強く煙草を吸う。
「⋯⋯なんで俺なの?」
部長に聞けばいいだろうに、それが嫌なら同性の奴にでも。他にも作品について語りあっている奴もいる。俺に聞く意味がまったくわからない。
「先輩の過去の作品を読ませてもらいました」
その言葉に俺の心臓は跳ね、早鐘を打つように早くなっていく。嫌な記憶が一瞬フラッシュバックしてしまう。
──君の作品は。幻聴が聴こえる。俺は咄嗟に真中の口を押さえたくなった。初めて影に気付いた日の事が頭の中にフラッシュバックしそうになってしまう。
「先輩の作品、それは私の理想なんです」
「へ?」
俺は予想だにしていなかった言葉に裏声が混じった変な声をあげてしまった。それに対して真中はきょとんとした顔をしている。
「いや、先輩の書く文字って重みがあってかっこいいじゃないですか。あれぞ本当の文芸だと思うんですよね!」
真中は鼻息を荒く語り始めようとしていた、それを聞いて俺は「はは」と乾いた笑いをしてしまう。俺の考えていた事は杞憂だった。
俺はここで初めて俺の作品が好きと言ってくれた人に会う事が出来たのだった。
「──で、相談ってなんだ?」
「先輩、さっきまでと態度違いません?」
俺は内心でぎくりと驚くが、顔には出さず「そんなことないぞ」と言ってみる。明らかに違うのがばればれなのは自分でもわかっている。しかし、初めてのファンに対して無碍に扱うわけにはいかないと考えるのは仕方ないと自分の心に納得させる。
「まぁ、お返しというかだな⋯⋯」
これは本当の話だ、自分の作品に対して反応があるのがこんなに嬉しいとは思わなかった。もう一度書いてみようと思える気力を得る事が出来た。これも真中のお蔭だ。
真中は相変わらずクエスチョンマークを頭の上に浮かべていそうな顔をしている。それが何故か見ていると楽しい、これもファン効果というやつかもしれない。
「まぁいいです。先輩、夏の光って何をイメージしますか?」
相談というのは今回のキーワードについての話だった。夏の光と一口に言っても色々な種類がある大体主流なのが⋯⋯
「太陽、蛍、夏の大三角、水面に揺れる月⋯⋯これは夜のプールとか夜の浜辺だな、後は縁日盆祭りなどに関する提灯とか? ほかには⋯⋯まぁ街の光とかも一応入るか、夏の暑い日に街の光を見た感想とかだな」
それに対して真中は頷きメモを取り始める。それを見ているのが微笑ましく思えるのは何故だろうか、これもファン効果かもしれない。
「なるほど、確かに夏の大三角形とかは書きやすそうですね⋯⋯ちなみに先輩は何で書く予定なんです? やっぱり蛍とかですか?」
「あー、いや俺は夏の光っていったらこれってもう決まっているんだよ」
「そうなんですか?」
「当ててみ?」
俺は笑いながら真中にクイズを出してみる。ちなみにさっき俺が出した中に答えはない。
真中はさっき俺が言ったやつを全部言った。メモに書いてある事以外は想像がつかないのか、んーんーと考えていたが、泣きついてくるまでにそう時間はかからなかった。
「せんぱーい⋯⋯おしえてくださーい⋯⋯」
「わかったわかった、答えはな自動販売機と街灯だよ」
俺は苦笑しながらそう答えを教えてあげると真中は意外そうな顔をした。
「そんなもので小説が書けるんです?」
──あ、こいつ馬鹿にしやがった。
「真中ァ、作家ってのはななんでも書けるように頑張るものなんだよ」
それに、これは俺の思い出、経験が加わったものだから書きやすいんだ。⋯⋯俺は思い出を遡る、六年前、地元にいたときの事を。
その時に、好きだった人の事を。
──十年前の八月三十日、夜の話だ。
当時の俺は女の子に告白をする予定で近くの街灯の下で待っていた。街灯の明かりに引き寄せられたのか小さな虫が街灯の周りを飛び回っている。それを見たくなくて近くの自動販売機に目をやってみるとイナゴがびっしりとくっついているのが目に入ってきてげんなりとした。
この時期、この地域では昼には稲刈りをしている農家をよく見かける。俺の家も農家だったから何回か手伝いをさせられた。袋を担いだり、乾燥機に入れたり、脱穀をしたり⋯⋯当時から家にいる事が多かった俺には苦痛の時間だった。
おっと、話が脱線してしまう所だった。とにかく、稲刈りを終えると田んぼで稲を食べていたイナゴが大量に野に放たれてこういう光景を作り出してしまう。たまに夜道を歩いているとべちべちとイナゴが身体にぶつかってきて嫌な気持ちになることもままあった。
今この状況はこの地域で住んでいるのならよくあることだ。こんな虫だらけの場所で待つのは正直嫌だった、しかしその子の家の近くで一番目立つ場所がここしかなく仕方なくここにしたんだ、流石に女の子に夜道を歩かせるわけにはいかないしな⋯⋯
というわけで俺はこの虫達に囲まれながらその時が来るのを心を準備して待っていた。結果は先に言ってしまうが惨敗だ。というか、この時に告白が成功しているのなら今俺の隣には真中ではなく彼女がいるはずである。
その子の事は今はもうあまり思い出せない、彼女と話したのはこの時が最後だったから。
告白をした後、彼女はどこかへ引っ越しをしてしまった。まさか、どこかの歌のように夏の終わりに引っ越しをする人がいるなんて当時は思いもしなかった。
⋯⋯あぁ、話の続きをしないと。そこから俺はその場所から彼女の家の二階を見上げた、彼女の部屋は二階にあって今はカーテンで閉まっている。
それでも、たまーにカーテンには影が映る時があってそれが見える度に少し喜びを覚え⋯⋯うん、よくよく考えれば地味にストーカーの気持ちがこの時理解出来たかもしれない。
そして、しばらく待つと部屋の明かりが消えた。準備が出来たようだ⋯⋯その時、俺も心の準備を完了させた。
「圭ちゃん、お待たせ!」家から出て来た彼女は俺の名前を呼ぶ。俺は家から出てきた彼女に向かって手を振る。そして、本で見た待ち合わせの時の言葉を頭の中で思い出す。
「お、おう、俺も今来たところだ」
俺は彼女へどもりながら返事をした。これは本で読んだ待ち合わせの時のテクニックという奴で女の子に嫌な思いをさせない為の常套句らしい。しかし、返って来たのはクスクスという鈴を転がしたような笑い声だった。
「嘘、家から待っているの見えてたよ」その言葉に心臓が跳ねる。どこかからこちらを見ていたみたいだ。
「嘘つき」と言いながら笑う彼女に俺は目を奪われてしまう。「かわいい」と心に浮かんだ言葉が口から出てしまいそうになってしまったので俺はその言葉と共に唾を飲み下した。
──今から俺はこの子に告白をする。
当時の俺はその事で頭がいっぱいになってしまっていた。彼女と一歩を踏み出す為に俺はここにいたのだと。
「で、用事ってなにかな?」
彼女が頭にクエスチョンマークを浮かべたような顔で首を傾げる。俺はその顔に目を惹かれてしまう、そしてゆっくりと考えていた言葉を口に出した。
「あ、あのずっと前から好きだったんだ。僕と付き合ってください」
そう言ったのをしっかりと覚えている、辺りを静寂が包んだ。虫の鳴き声が耳障りな程に聞こえてくる。自動販売機にイナゴがぶつかっているのか横からバチバチと変な音も聞こえる。
「ごめん⋯⋯なさい⋯⋯」
永遠とも思える長さの後、その子はしっかりとそう口にしたのを俺は忘れない。これは俺の大事な経験だ、絶対に忘れてはいけない初めての恋が終わるという経験。それを思い出す度に唇を噛みしめたくなるほどの苦さが心を蝕んでいく。
今思えば俺はこの時から恋愛というものをとんとしなくなってしまった。またこういう思いをしたくないからかと言えば違う、それ程までにこの子の事を好きだったんだ。この子以外に考えられない程に愛していたんだとこの歳になって理解した。
だから女に興味がないのかもしれない、かと言って男に興味があるわけでもないが。
そうして、俺は打ちひしがれるままその場を走って逃げ出す。後ろから彼女の声が聞こえた気がしたが俺はそれを聞かずに逃げた。思いっきり走って、走り続けて、喉が渇いた俺は途中の自動販売機で涙を流しながらコーラを買った。
その自動販売機の光が外の暗さと同化していた俺の心を少しだけ現実に戻してくれたような気がした。
だから俺はその経験を元に自動販売機の光を元に小説を書こうとしているというわけだ。
「──せんぱーい。おーい!」
誰かが呼んでいる声がする、それで俺は現実に意識が引き戻される感覚を覚えた。
「何、黄昏ているんですか」
「いや、昔を思い出していてな」
「その顔、女の事思い出していたでしょ!」
真中、鋭いな。その勘のよさを少しでも俺の気を遣う事に回せないものだろうか?
「だとしたらどうする?」
「んー」と彼女は少し思案顔をする。その顔があの時のクエスチョンマークを浮かべていた時の彼女とダブって見えたような気がした。
「とりあえず、昔の女なんて忘れて私を見てもらいますかね?」
「⋯⋯真中お前もしかして」
そこまで言葉が出かかった所で口を紡ぐ。そんな運命みたいな事があるわけがない。
「というか⋯⋯お前本当に文芸サークル員か?」
彼女の姿がどれだけ記憶を辿っても出てこない。
「⋯⋯さぁ、どうでしょうね?」
クスクスとまるで鈴がなるような軽やかな笑い声をあげて彼女は笑顔になる。
「ところで先輩、夏の光を経験してみたいので今度二人で海に出かけてみませんか?」
そう言って彼女は俺の方に向かって手を差し出してくる。
「⋯⋯気が向いたらな」
俺はそう言いながら彼女の手を取った。今年の夏は賑やかになる、何故だか心の奥でそう確信していた。
──END。