第 9 話 Bindweed (5)
私は何時の間にか、瞳を閉じたまま、深い世界へと落ちていたようだ。
気がつくと、目の前には注文した暖かいお茶が冷めないように工夫された保温性の高いポットに淹れられて置かれていた。
どれぐらいの時間、私は深い世界に落ちていたのだろう。それは分からない。
置かれていたお茶をティーカップに注ぎ、ゆっくりと口をつけた。
ふんわりと口の中に広がるセイロンティの程よい苦みと甘さ―――そして鼻を突き抜ける香り。
そして、どことなく感じる優しい雰囲気。自分で煎れたらこんな味は出せる自信はない。
「おいしい・・・」
思わず本音が漏れた。こんな観光地にこんなお店があるなんて。観光地にあるお店でここまで上質なのを楽しめるなんて思っていなかった。
この手の店は大都市圏のお客さんが集まりやすい場所にある事が多い。
広告代理店でバイトを始めた千乃ちゃんに連れられてそう言うお店に何度か行ったけど、どこも人通りが多くて人の集まりやすい場所にあったと思う。
私が深い世界に落ちていて、ずっとお茶に手をつけずにいたのを店員の女性の人が気がついていたようで、私がお茶を口につけたタイミングで何かを持ってきてくれた。
「よろしければ、こちらもどうぞ。」
そういってテーブルの上に置かれたのはちょっとしたクッキー。まだ焼き立てのようでほんのりと暖かい。
「えっと、これって。」
「サービスですので。よろしければ。」
「あ、ありがとうございます。」
お礼を言うと女性は戻って行こうとしていたので、疑問に思った事を思わず聞いてしまった。
「すいません、変な事を聞くかもしれませんけど、何故、ここでお店はじめられたのですか?」
「え?何故って。旦那さ・・・いえ、マスターに聞いてみないと私にははっきりとは言えないのですが、以前、このような事を言っていました。ここの場所がいいと思ったから。と。」
「ここの場所が・・・ですか。」
「はい、自分が自分らしく居られる場所がいいと。そこで、自分らしく暮らせたらと。大切なモノを守りながら、大切なモノと一緒に。そんな風におっしゃっていました。」
女性はクスッと笑みを浮かべ、私に微笑んでいた。
「そうだったのですね。いきなり呼び止めてすいませんでした。」
「いえいえ、ごゆっくり。」
そう言って女性はカウンタの中へと戻っていくと、カウンタの中にいた男性とにこやかに談笑しているようだった。
きっとあの男性がマスター・・・彼女にとっての旦那様なのだろうか?この場所は、あの二人にとっての大切な場所なのだろう。
自分らしく居られる場所があるからこそ、こうやってお店をやっていけるのかも知れない。
私にとって自分らしく要られる場所か・・・それは何処なんだろう。そんな事をふと考えてしまった。
私なりの答えは分かっている。その場所を守る為に、それを守る為に、私はまずは出来る事をやってみよう。
きっと、みんなに相談すれば大丈夫。みんながいてくれるから大丈夫。出来る事をせずに、何時までも悩み続けるぐらいならやってみなくちゃ。
ここから帰ったら、みんなに話してみよう。そう心に決めて。
☆★☆★☆★☆★
どのような世界にも、どのような社会にもおかしな人達は一定数いる。
相容れない人達もいれば、受け入れてくれる人達もいる。人と人とのめぐり逢いは幾千の星を渡り歩くような世界かも知れない。
僕は先ほどのお客様の対応はしてはいなかったが、あの様子だと人間関係に疲れ切ってしまっていたのだろう。
前の会社に居た時に似たような経験を僕もしている。相容れない相手だからと言っても関わらなければならない時もあるのだけれど、関わらないでいい相手なら関わらない方が自分自身の為であろう。
場合によってはそれは相手の為でもある。不幸が不幸を招く、そんな事は極力少なくした方がいい。
自ら好き好んで危険な場所に飛び込む必要はないのだから。自ら飛び込まなくてもそういう招かざるモノは訪れてしまう事はよくある事だ。
ましてや、相手が女性だと分かると変に攻撃的というか、身勝手な行動をとろうとする男がいたりするのも事実。同じ男として見ていて恥ずかしくて仕方ないし、そのようなタイプの男は聞き訳がなかったりするのもあって厄介だったりもする。
下手に口出しをすれば、こちらに火の粉が飛びかかってくるのは仕方ないとはいえ、本来のターゲットになっている女性に及ぶ被害が大きくなってしまう事があるので、対処が難しい時もある。
何故、あのような奴はそこまで自分勝手になれるのかと思うほどだ。あくまでも僕の経験則上でしかないが、そういう環境で育ってきたのと、何時までも満たされない欲求を晴らすためにやっているではないかと思う。
ああいう厄介なタイプに、大切な人が傷つけられる事になったら・・・僕は確実にその相手を打ちのめすまで戦う。守りたい者を守れなくては、自分も守れない。自分が守れるからこそ、守りたい者を守れるのだから。
この世界が完全に狂わないようにする為にも、おかしな人達に支配されない為にも、僕は僕が出来る事をしなければ。僕にとって守りたい者を守る為に。僕が僕自身を守る為に。
何時も隣で微笑む者を失いたくないのだから。
☆★☆★☆★☆★
翌日、大学で友人達に今までの経緯を話した。
話を聞いた友人達は言うまでもなく、そう言う事をしてきた相手に対して憤慨していた。
中には自分のコネを使って相手を調べ尽くしてやるとまで言い出した友達もいたほどだ。
私は、ここまで思ってくれる友達がいる事を心から感謝している。この状況を聞いた一人が、何時の間にかその道では有名な客員教授の先生を連れてきてくれて、私に送られてきたメッセージの数々や相手の名前をみて色々と教えてくれる事になった。
「先生、この人って業界じゃ有名な人なのですか?」
友達の一人が先生に質問をすると先生はヤレヤレという顔をしながら答えた。
「いや、聞いた事もないわね。あくまでも自称でしょ。これ。有名なら、自らの名前に傷がつくような事を誰もがみられるSNS上でやろうなんて思わないし。」
「やっぱりそうですよね。美琴、こんなヤツ放置しておいて正解だったんだよ。なんで、そこまで傷つくような事になってたの?」
私は、上手くは答えられなかったけど、当時の心境を語った。それを聞いた友達も先生もハァ・・・とため息をついた。
「美琴さん、世の中には、自称で威厳を大きく見せようとする人達が一定数いるのですよ。他にも肩書がないと威張れない人達も。けど、肩書なんてその社会からリタイアした時点で無くなるわけで。肩書がなければ威張れないような人達や自称でしか言えない人達というのは、その程度の人達なのですよ。この国にはそういう人達が多く居過ぎるのですから。」
「そうだよ、美琴。先生の言うとうりだよ。先生なんて今までの実績考えたら、私達からしたら手の届かないような存在なのに、こうやって私達に接してくれているのだし。本物の人達って、先生をみていれば分かるけど、自分自身を知っているからこそ、私達みたいな学生にだってこうやって優しく接してくれるのだから。」
「礼さん、それは私を褒め称え過ぎですよ。私のような叔母さんはただの客員の叔母さんでしかないのですから。こうやって貴女方と楽しくお話しできる事は私にとっても次の作品作りの勉強にもなっているのですから。」
先生は苦笑いしながら、私にこう続けてアドバイスをしてくれる。
「それと、美琴さん、これから貴女がどうしたいかで心構えを変えたり持たなくてはなりません。今は趣味の一線かもしれませんが、もしプロを目指すのなら、その道で食べていきたいと思っているのなら、嫌がらせや変な事を言ってくる人達はもっと多くなりますから、覚悟を決めた方がいいでしょう。中には、言われもないような事で因縁をつけてくる人達もいます。たった数行の表現が似ていただけでパクリとか言われる事もあるぐらいですし、全く知らない人からアイデアをパクられたと因縁をつけられる事もあるかもしれません。今のまま、趣味の範囲でやっている分には、最悪は断筆して逃げるという方法も取れるかも知れませんが、その道を究めようとした場合はそれは出来ないと覚悟を決めた方がいいかも知れませんね。」
この先生の言葉が心に響いた。今は確かに趣味の範囲。それを超えるか超えないかは私自身が何時かは決めなければならない。私は先生の発言に頷き、真剣な眼差しで「はい」とだけ答える。
「あくまでもこれは一般論です。これからどうなるか、どうしたいかは貴女自身が決める事です。自分の将来なのですから、悔いを残さないようにしてくださいね。」
この場にいたみんなが先生の方を向き、真剣な眼差しで話を聞いていた。それだけ、先生の言葉はみんなにとっても大きなものだった。
これからどうするか、私はじっくりと考えよう。自分がやりたい事、自分が出来る事をよく考えて。
自分との対話の為に、じっくりと書きたい物を書いてみよう。きっとそれで私は私と対話ができるのだから。
あと、おかしな人達の対策は、友達の提案でアカウント新しく作り直し、名前を変えて特定されないようにして、しばらく様子を見る事になった。
あれから、数ヵ月経ったけど、今の所、害は出ていない。前のアカウントはファイアウォールとして放置しているから、そっちがどうなっているかは分からないけど、もう2度とログインはしないからそのままでいいやと思っているし、ネットでの公開はあの件以降行っていない。暫く落ち着くまでは関わらないのが身のためだからと、みんなで同じ結論に至ったからだ。
私は私、私が自分らしくいられる事を胸を張って言えるようになったら、また新しく踏み出せばいいのだし。
それに、私に対する評価は私がするのではなく、周囲の人達が決めるもの。自己採点を高くしていたって、他の人達の採点が低ければ意味をなさない。
ならば、評価をしてくれる人達がいる場所で自分を磨き続ける修行をするのも一つの手だと今は思う。
修行と称して、魑魅魍魎がいる場所へわざわざ疲労困憊しに行く必要はないのだろう。その道を究めるなら必要な事だろうけど、今は趣味の一部のようなものであり、その必要ないと思う。
自ら、危険に踏み入る必要ないのなら、無理に踏み込む必要はない。今は踏み込むのは藪蛇でしかないのだから―――。
美琴が今後どの道を進むのかはわかりません。ただ、この話で言いたかったのは、実際に会って話せる、心許せる友達や仲間、そして、心強い味方になってくれる先生と言われる存在が居る事は素晴らい事、素敵な事という事ですね。
何時もの事ですが、グダグダ気味で申し訳ございません。
(前回のダメージが大きいのもあるのですけどね・・・。)
お読みいただきありがとうございます。
次話は 2020/09/04 0:00頃 公開します。