第 7 話 Spring starflower (5)
彼に別れを告げ、逃げるように彼の元から実家へ帰った数日後、あの父親は行動に打ってでた。
まさか、私が思っていたよりもここまで動くなんて想像もしていなかっただけに、心が壊れそうになった。
手始めにあの人がやったのは、彼への脅迫電話と脅迫文の送付からだった。何故、それを知ったかと言うと、私が居る目の前でアイツはやったからだ。私への見せしめのつもりなのだろう。お前と関わった奴はこうしてやると。
私が彼と別れたと言うのは、アイツには言ってあるのも関わらず、こういう事を出来るのが信じられなかった。きっと、彼も同じ思いだろう。何故、私が彼に何も告げられずに離れるしかなかったのか、今頃、思い知らされているかも知れない。
ただ、私にとって幸いだったのは、私のスマホには彼からの着信があったのだけれど、拒否してあったのですぐに連絡をとるのを諦めてくれた事と、アイツのこのような嫌がらせに彼が応じなかった事だ。応じられていたら、あの父親の事だから、どんどん過激な行動に移っただろう。そうならずに済んでほっと胸を撫でおろしたほどだ。正直、彼が反撃に出てくれるのは嬉しいと思う部分もない訳ではないけど、そうなった場合、最悪の事態にしかならないのは目に見えている。
きっと事情を察してくれたのかも知れない。そう思うしかなかった。
それから数週間経ったある日・・・私の身に異変が起きてしまった。女性なら誰しも訪れる、毎月来るべきものが来なかったのだ。
色々な事があったから、そのストレスで遅れているだけだと思いたかったのだけれど、酷い吐き気などを感じる事もあったので、ドラッグストアに駆け込み、試験薬を買ってきて調べてみる事にした。今の時代、誰にも悟られずに調べられるのだから、一人で前もって確認した方がいい。そして、検査の結果は言うまでもなく、私が恐れていた結果の陽性・・・。
その検査結果は、新しい命が私の中にいるという事だ。この事実があの父親に知れたら、どうなるか想像が出来ない。
ましてや、私のお腹の中にいる子は、彼の子である可能性よりも、あの私を奴隷のように扱う父親の可能性の方が高いのだ。彼は私が求めない限りしてこなかったし、したとしても必ず避妊をしてくれる人だった。もし、彼の子であるとしたら避妊を失敗したとしか考えられないし、そんな事は1度か2度あったぐらいだ。どちらかと言えば、私を好き勝手襲い、避妊もせずに出し続けたアイツの方が可能性が高い。実の父親の子を身籠るなんて私には耐えられない。
しかも、私が妊娠した事は、あっという間に知られたくないあの父親に知られてしまう事になった。アイツがどうやって知ったのかは知らない。私のオリモノでも確認しているんじゃないかと疑いたくなるほど、私の周期について把握しているようだった。正直、気持ち悪いとしか言いようがない。
私は父親の命令で産婦人科に行く事になり、病院での検査の結果、妊娠が確定となった。その事実が分かると、あの父親は言うまでもなく、彼への憎悪を再燃させ、嫌がらせを再開したのは言うまでもない。
そして、私の妊娠は弟も知る事なったある日の夜―――事件が起きてしまった。
「姉さん、なんであんなクソ親父の子供なんて身籠ったの?!お願いしたよね?姉さんは姉さんの幸せだけを考えて欲しいって。好きな人だってやっと出来たって前に言ってたのに、どうしてさ。」
「ごめんなさい・・・。私はあの人に逆らう事が出来なくて・・・。逆らう度に暴力を振るわれて・・・。」
「それは知ってる。けれど、姉さんが好きになった人にまであんな事をする奴を親なんて思わなくていいんだよ!あれは親じゃない、ただの鬼畜だ!悪魔だ!」
怒り狂う弟に何も答える事が出来なかった。弟の怒り狂う声は、あの父親にも聞こえていたらしく、その現場にあの父親が乱入してきて、弟を殴り飛ばした。
「何を言っているんだ!俺のどこが鬼畜だ!悪魔だ!今まで育ててやった恩知らずが!!」
「あんたに育ててもらった覚えなんてない!!何時も傍にいてくれたのは姉さんだ!何時も守ってくれたのは姉さんなんだ!!そんな姉さんの幸せを願って何が悪いんだ!!」
「この出来損ないが!!てめえなんて生かしておくんじゃなかった!この恩知らずが!!」
父親はそう言うと何処からともなく持ち出してきた包丁を弟に向け、斬りつけようとした瞬間だった。
グサッ!!
物凄い音が部屋中に響き、床は一面血の海になっていた。その血の海には包丁を持ち出し弟を切りつけようとしたはずの父親が胸から血を流し倒れている。
「やる時はやれるんだよ。先天性の障害があるからって全く動けないわけじゃないんだ。このクソが。」
弟は何時の間にか父親が持っていた包丁を奪い取り、とっさに左胸を一突きにしたようだ。
「・・・な、なぜ、俺が・・・。」
弟は無言のまま、倒れて息も絶え絶えになっている父親の左胸から包丁を引き抜くと、トドメを刺すかのように何度も突き刺し続ける。
その光景を呆然と見届けるしか出来なかった。こんな時に私は何も出来ない、それだけ弱い存在なのは分かっている。そんなだからこの父親に逆らえずにずっといたのだから。
何やら大変が事が起きているのではないかと思った祖父母達が何時の間にか部屋にやってきて、息絶えた父親の上で、やってやったという顔をしている弟をみて驚き、腰を抜かし、廊下に倒れこんでいた。
そんな状況にも関わらず、弟は冷静に、父親が息絶えたのを確認すると、家の電話から警察へと電話をかけ、今まであった事を話している。
きっと、弟は警察に出頭する気だ。警察から救急車が必要かどうかを聞かれたようで、腰を抜かして動けなくなっている人達がいるからと伝えている。きっと弟は何時かこうなると覚悟を決めていたのだろう。
通報から数分後、警察と救急車がやってきて、救急車に同伴していた医師から父親の死亡が確認された。弟は弟でその場で現行犯逮捕となり、そのまま警察へと連れていかれる事になった。
警察に連行される直前、弟が私に向かってポツリと呟いた。
「何時かこうなると思っていたから後悔はしていない。もう自分の命はそう長くないのは分かっていたし。ごめんね、姉さん。こんな形でしか姉さんにお礼できなくて。本当は別の形でお礼したかったのだけど・・・。」
彼の顔はどことなく晴れやかだった。祖父母も何時の間にか救急車で病院へ搬送され、家には誰も居なくなった。
警察の証人尋問で私も警察に連行され、色々と聞かれる事になったのもあるし、現場検証の関係もあって連れ出されたのもあるのだと思う。警察で私はどんな事を話したかは正直な所覚えていない。
ただ言えるのは、弟があのような行動に走ったのはあの父親に原因があるというのは一生懸命説明したと思う。
弟が父親を殺すという事件が起きてから1週間後。病院から戻ってきた祖父母と私は家族だけで父親の葬儀を執り行う事になった。葬儀を大々的に出来るほど経済的に余裕があるわけでもないし、殺したのは弟だという事もあるし、何よりもあの父親は親戚一同から嫌われている存在。そうなると家族で小規模に行う以外の選択肢はなかった。
葬儀の場に言うまでもなく弟の姿はない。弟はずっと警察署で取り調べを受けている。親子間の事件とはいえ、殺人は殺人。未成年とはいえ、重い刑が課せられるのだろう。
お読みいただきありがとうございます。
続きの「第 7 話 Spring starflower (6)」は2020/07/25 20:00頃公開します。