第 7 話 Spring starflower (2)
「いらっしゃいませ」
お店の扉を開けると、カウンタにいた若い男性に声をかけられた。店内はお昼にはまだ少し早い時間だった事もあり、お客さんは疎らだ。
私と彼は、テーブル席が埋まっていたのもあって、カウンタ席に腰を掛けると、若い男性の隣にいた若い女性から声をかけられた。
「ご注文は何になさいますか?・・・あと、大変失礼な事かも知れませんが、お連れの女性の方、凄く体調が悪そうですが大丈夫ですか?」
お連れの女性とは私の事だ。傍から見てもそれだけ私の顔色は良くなく見えるのかも知れない。顔には出さないようにとしていたつもりだったのに。
声をかけられた彼は申し訳なさそうに店員の若い女性に答えた。
「すいません、彼女、出かけてからこんな感じでして。少しだけ休ませてあげたいのですが・・・。」
「そうでしたか・・・。ちょうど、テーブル席が全部埋まってしまっていまして。ちょっとマスターと相談させていただいてもいいですか?」
「お手数をおかけします。」
女性は隣にいる若い男性と私達には聞こえないぐらいの声で何やら話し始め、事情を察した男性が、私達に声をかけてきた。
「お連れの方が体調悪いとの事で。ゆっくり休めるかどうかわかりませんが、奥の部屋を使ってください。案内は彼女がしますので。」
店員の女性がカウンターから出てきて、私達を奥の部屋へと他のお客さんの目に入らないように誘導してくれた。
案内された部屋は、リビングのような部屋だった。こじんまりと余計な物は置かない主義なのか、綺麗に整理整頓されているのだけど、どことなく生活感がある。多分、ここはカフェを営む二人が普段生活している場所なのかもしれない。
私は、リビングにあるふかふかの2人掛けのソファーをお借りし、そこに横になった。彼は彼で、すぐ隣にある1人掛けのソファーに腰を下ろすと、心配そうに私の様子をみていた。
「よろしければ、こちらでお飲み物とかご用意しますね。」
「何から何までありがとうございます。助かります。」
「いえいえ、困った時はお互い様ですよ。」
店員の女性は私達に笑顔でそう告げるとお店の方へと戻って行った。
暫くすると、マスターと呼ばれていた若い男性が、暖かい紅茶とちょっとしたお菓子を持って私達の前に現れた。
「お連れさんの具合は大丈夫ですか?」
「横になって、少しは良くなっているとは思うのですが。それよりも、お店の方は大丈夫なのですか?」
「少し落ち着いてきましたし。お昼時になる前の夕凪のような時間なので。」
「そうでしたか。すいません。ご迷惑をおかけして―――。」
彼に迷惑をかけないようにと気をつけてはいたのだけど、こんな状況になってしまったのもあって、心の何処かが壊れ始めてしまったのか、疲れがでてしまったのかは分からないけれど、何時の間にかウトウトと眠りについてしまっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「お前は、俺と弟の一生の面倒を見る為に生まれてきたんだ!!」
「どうして俺の言う事が聞けないのだ?!」
「お前の人生は、俺と弟の為だけにあるのを何故理解できない!!」
ああ・・・嫌な罵詈雑言・・・。
私は、小さい頃から父親からそう言われて育ってきた。両親からの愛情なんて受けた事がない。最も、私の場合は、1歳年下の弟が生まれるのと同時に母を亡くした事もあって、母親という存在の記憶がない。そして、母の命と引き換えに生まれてきた弟は先天性の障害を持って生まれてきた。
弟が障害を持って生まれてくる事になった原因は祖父母から聞かされてはいたのだけれど、その理由がとても辛く悲しいものでしかなかった。
息子がどうしても欲しいという理由で、元々体の弱かった母に産ませたのが原因だったようだ。しかも、医師からは二人目は絶対に無理だと断言されていたのにも関わらず。無理に産んだ場合、障害を持つ子供が生まれるか、貴女自身の命を失う事になりかねないと何度も言われていたのにだ。
結局、医師の警告は正しかった。母はそれで命を失い、弟は弟で、何時も病院通いをしながら学校に通わないとならない大きなハンデを背負う事になり、それが原因で学校ではいじめを受けるほどであった。
頭の回転は早く勉強はできるのだけれど、先天性の障害のせいで体育など身体を動かす事が制限されている事が、一部のクラスメイトからはただ単に怠けているとしか思われていないのが弟にとってはとても辛いようで、よく、その事で愚痴を聞く事が多かった。
『僕は何故生まれてきたのだろう・・・』と。『母の命と引き換えに僕を産む事が幸せだったのだろうか?』と。
私はそんな事を言う弟に何も言葉を返せずにいた。幼い頃からずっとずっと。それは今も変わらない。
そして、弟がそんな事を言う度に私は父親から怒られる日々だった。そんな日々が辛くて、悲しくて、毎日人知れずに泣いて過ごしてきた毎日。
父親に怒られるからと、学校へ行く時は何時も弟の面倒を見るのが当たり前になっていた。弟がいじめられないように、弟が怪我をしないようにと。子供の頃から、それが当たり前になっていた気がする。何時の日にか私は感情のないロボットのようになってしまっていた。
そんなだったから、小学校中学校と私には友達が居なかった。常に弟と一緒、休み時間は面倒を見に弟のクラスへ行くのが当然のようになっていて、仲のいい友達を作る時間すらなかった。何故、そこまでしなければならなかったかと言うと、毎日、父親に弟の様子を報告しなければ、私は虐待されるのが当たり前になっていたからだ。
ただ、その虐待も第二次成長期を迎え、大人へと身体が近づくようになり、中学に入ってからは暴力だけで済んでいた小学校の頃とは違う形の暴力を受けるようになってしまった。正直、思い出しただけでもおぞましい。私の初めてはあの父親に奪われたと思うと、死にたくなる。あの父親を何度殺してやりたいと思ったか分からない。
ただ、そんな状況が少しずつ変わり始めたのは、高校に進学してからだったと思う。
私の頭の悪さでは、弟が進みそうな進学校には入る事が出来そうもなかったのと、実際に入れたのが公立の女子高だったからだ。ちょうどそこの頃、祖父母も身体が弱ってきたのもあって、父親との同居を望んだ事もあって、弟の面倒を見る事を祖父母が手伝ってくれるようになったのも大きいと思う。
そうじゃなければ、私は一体今頃どうなっていたのか想像が出来ない。
そのお陰で、高校になってやっと友達らしい友達を作る事が出来たのだけれど、友人達が彼氏を作ったりして遊んでいるという話になった時に、私はついて行く事が出来ずにいた。
そう、私には人を好きになる気持ちと言うのが欠如していたから。何時も何時も感情を押し殺し、その日その日を生きるしかなかった私には縁遠い話だと思って聞き流していたのが実際の所かもしれない。
何時になっても彼氏を作らない、男友達の居ない私を友人達は心配して色々な人を紹介してくれたのだけれど、付き合いたいと思える人はいなかった。それ以前に、付き合い方を知らなかった。どうやって相手に合わせていいのか、どう話していいのかも分からずにこの歳まで過ごしてきてしまったのだから。
紹介してくれた友達には悪い事をしてしまったとは思ってはいたけれど、こればかりは仕方がなかった。だって、私は穢れた存在だから。誰にも言えずにいたけれど、私は紹介された男達が思っているような女じゃないというのもあったし。恋愛をした事がない、男友達がいない=そういう経験がないってワケではない。私は父親に全てを奪われてしまっているのだから―――。
お読みいただきありがとうございます。
続きの「第 7 話 Spring starflower (3)」は2020/07/19 20:00頃公開します。
※ 気が向いた時だけですが、Twitterでこっそりと裏話をぼやいている時があります。気になる方はどうぞ。(読んでも面白くないけどね。)