第 4 話 Gypsophila (4)
大学を卒業し、順風満帆なエリートコースとは言えないが有名企業に就職する事ができ、収入面においても、生活の基礎という意味でも基盤が出来つつあった。
両親に関しても絢との関係については一切口出しさせないほどに力づくを含めた方法で納得させる事にも成功した。
あとは、二人で一生を添え遂げられるようにする糸口とキッカケを作るだけ。
絢にプロポーズするなら、忘れられない思い出になるようにしたい―そう考えた私は、絢の誕生日の日に決行する事を決め、場所選びなどを慎重に行った。
絢の誕生日当日―前もって二人でお祝いをしようとは伝えておいたが、場所などは教えていなかった。
会社の先輩にそれとなく聞き出して、実際に下見をしてここがいいと決めた場所、それは、太陽が沈む海を眺められ、空港から飛び立つ飛行機が海の上を空に駆け上がっていく光景が広がり、海の見える窓の反対側には大都会の幻想的な夜景が見える高層ビルの屋上階にある小洒落たバー。
「絢、誕生日おめでとう」
「ありがとう」
この場所を教えてくれた先輩も本当は教えたくなかったような場所だったようで、ここの場所を知っている人は多くないのか、ほとんど人はおらず、二人だけの世界に入りやすかった。
日が沈み夜の狭間に向かう時間になると、瑠璃色の空に向けて飛行機が飛び立ち、その先には灯台の灯りが優しく海を照らす儚くも美しいほんの限られた時間に、プレゼントと一緒に気持ちを伝える。
「絢、真剣に聞いてほしいんだ。このタイミングで切り出すのも、あれかもしれないけど。」
「・・・うん。なんとなくだけど、わかってる。」
「上手くは言えないんだけど、これからもずっと一緒に、二人の世界が例え尽きる事になっても一緒にいて欲しいんだ・・・。」
絢は顔を赤らめながらも、私の目を見つめていた。
「だから、これを受け取ってほしい・・・。」
そう言って、指輪の入ったケースを差し出した。
「うん。私もずっと一緒にいたいから。何時かこうしてもらえるのをずっと夢見て待ってた。」
嬉しそうな顔をした絢がそっと左手を差し出してきた。
「私の我儘かもしれないけど、淳の手で私の指に嵌めて欲しい」
そう言われ、そっと手を取り指輪を左手の薬指に嵌めてあげた。
正直言うとここまですんなりと事が進むとは思ってもいなかった。
それもあってか有頂天になっていたところもあったのだろう。
誕生日を過ぎた1週間後ぐらいから、絢の様子がおかしくなる事があったのに気がついていなかった。
あの時、あの変化に気がついていれば―――今頃後悔しても遅いのかもしれない。
そして、絢が突如として消えた日―――私は、呆然として立ち尽くしていた。
何が起きたのかわからなかった。
ふと空を見上げると銀色の空から大粒の涙―――雨が降り注いでいた。
どこからともなく声が聞こえる―――
『―――貴方にとって、彼女の存在は何?』
私はその声にこう答えた。
「絢は、私にとっての最愛の人―――決して失ってはならない人」
その声は、厳しくもあり優しくも語り掛けてくる。
『―――ならば、何故、立ち止まるのです?』
「わからない・・・。どうしていいのかわからなかった。」
『―――では、貴方はどうしたいのですか?』
「絢を見つけ出したい・・・。ずっと二人で歩んでいく為にも。」
『―――そこまでの気持ちがあるのならすべき事はあるでしょう?』
「・・・はい・・・。何故か、あの時の私はそれすら見失っていた・・・。」
『―――貴方にとっての大切な人の過去も未来も、生い立ちも宿命も全て一緒に背負える覚悟はありますか。』
「例え世界を敵にしようとも、絢さえいれば、どんな茨の道でも私は乗り越えられる。乗り越えてみせる。」
『―――ならば、貴方のやり方で貴方の方法で進みなさい。貴方の大切な人は貴方が来るのを待っているのだから。』
「絢が・・・絢が待っている・・・。」
『―――貴方と貴方にとって最愛の人にとって、乗り越えなければならない事は困難を極めるかもしれません。けれど、その覚悟があるなら、目を見開き、自分で目の前にある扉を開きなさい。そこから先も貴方が決める道なのだから。』
その言葉を最後に声は聞こえなくなった。
頭を上げ、声の聞こえた方をみると大きな扉があった。
彼女・・・絢を取り戻せるなら、絢に会えるなら―――一歩一歩を踏みしめ、扉の前にたち、扉を力いっぱいに開ける―――
絢が消えた神社にもう一度行く事、絢の両親とこれまでの経緯をしっかりと話し合ってお互いの情報の共有を図る事―――今出来る事。それをせずに立ち止まっていてはならないのだから。
これから何が起きようとも、大切な人を取り戻すために。大切な人と歩んでいけるように。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ふと目が覚めるとカフェの中であった。
長い時間ウトウトとしてしまっていたのだろうか?そう思い時計を確認するとそれほど時間は経っていなかった。
「なにやら思いにふけっていらっしゃったようですが、どうかしましたか?」
マスターと思われる男性にそう声をかけられた。
「いや、大丈夫です。心配をおかけしてしまいすいません。」
「いえいえ、カップが空になっていらっしゃるようですがお代わりはどうなさいますか?」
「あ、大丈夫です。一息ついたらやらないとならない事を思い出しまして。」
そう言って勧められたお代わりを断ると何かを察していると思われる女性から声をかけられた。
「頑張ってくださいね。きっと待ちわびているはずですから。」
この女性は何かを知っているのかもしれない―そんな感覚にも襲われたが、思い過ごしかもしれない。
「ありがとうございます・・・」
そうお礼をいい、私は席をたち店を出る事にした。
まだ、時間はある。手掛かりはそう簡単には見つからないかもしれないが、絶対に彼女を、絢を見つけだす。例え世界が全て敵にまわろうとも、絢はかけがえのない大切な誰にも代えられない代わらない存在なのだから。
そう心に決めて、一歩一歩を踏みしめる。絢を守れるのも自分しかいないと言い聞かせて―――。
☆★☆★☆★☆★
彼女との出会ってから、早3ヶ月が過ぎた。
その間、色々とあった。
務めていた会社を辞め、この地に引越してきたばかりは何をするか悩み続けたが、元々好きだったお茶類を提供しながらのんびりとここに根を下ろし生きていくのもいいのかなと思うようになってカフェを始める事にした。
ただ、カフェを始めるまでの間もちょっとした事でくじけそうなったりもした。本当に上手く行くのか、仕入れルートはどうするかなど悩みが尽きなかった。元々僕にはそういう伝手はない。そう思っていたから。そうやって僕自身を僕自らが追い詰めていっていた。
そんな時もいつも一緒にいてくれたのが彼女だった。
彼女といると不思議な事が起きる。
彼女の笑顔やちょっとしたことでみせる仕草をみていると何か忘れているものがあるのではないかと気がつかされ、それで誰に相談すればいいのかを思い出さされて今に至る。
カフェを開いて1週間―――場所も場所だけに解り辛いのもあるが、宣伝もする気もなかったのでこんなに早く初めてのお客さんが来るとは思ってもいなかった。
初めてのお客さんに、まさか僕が経験したのと同じような不思議な事が起きるとは思ってもみなかった。
何故か、彼女と一緒にいるとそのお客さんの悩みや抱え込んでいる事が不思議と分かったからだ。
僕の隣に立ち、何時も優しい笑顔で微笑んでくれる彼女。
彼女はいったい何者なのだろうか。
ふと疑問に思う事もあるが考えないようにしている。
実際は3ヶ月という短い期間のはずなのだが、彼女の事は昔から知っているような気がした。
そして、彼女といる事で安心している僕自身がいる事も。それは今まで経験した事のない不思議な感覚。
何時しかそれが心地よく、失いたくないモノになりつつある。
だからこそ、彼女が何者なのかなど考えたくない。
彼女といる時間が何時までも続いて欲しい、そんな事を思いはじめていた――。
お読みいただきありがとうございます。
次話は 2020/05/17 00:00頃 公開します。