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森の茂みのオオルリアゲハ

夕理さんが神様ムーヴしてます。

相変わらず残酷描写がありますので、苦手な方はご注意ください。

 一体これは何の悪夢だろう。


 ホテルにたどり着いて早々にベッドに倒れ込み、ぐーすかいびきをかいて眠り出した一琉さんに、これ幸いと冷蔵庫からフルーツヨーグルトを取り出してテレビを見ながら食べていたが、どうにも胸騒ぎがおさまらない。

 いつもなら美味しいヨーグルトの味も、美味しく感じない。なんとなくスマホを取り出して兄に電話をかけてみるがつながらない。

 そこで、コンコンと窓を叩く音に不思議に思ってカーテンを開ければ、流星刀が窓を叩いていた。

 お兄ちゃんに何かあったのかも! 私は急いでヨーグルトを口に流し込み、お気に入りの黒地に白い桜が舞う可愛いパーカーを羽織り、走ってさっきのパブへと戻る。妖精さんを探しに行けるようにと、動きやすい格好をしておいて良かった。



 そこで、とんでもない光景を見ることになるとは思いもしなかった。








 無表情に兄の身体に人々が刃物を落としていく様は酷く現実感が無くて、これが夢なら醒めてほしいとしか思えない。うるさい、心臓。



 体中が血まみれになっていても、それでも森を思わせる静かで美しい緑の瞳は私に対する心配しか浮かんでないのが腹立たしい。

 勝手にあふれてしまう私の涙をいつもみたいに拭おうと、兄が身体を起こして此方に手を伸ばそうとしてくるが、そこに腕が無いのを見て顔をしかめる。だから、動くなって。


 今、助けるよと、魔法を行使しようとしたところで、限界が来たのかがくりと兄の細い首が折れる。

 その様は普段と違いひどく儚げで、今にも死んでしまうのではないかと嫌な想像が頭を駆け巡る。走り出そうとした腕を誰かに捕まれる。

 そこで、兄の身体がゆらりと揺らいで幻のように消え去った。嘘だろう。


「あぁ、妖精が本物を返してくれる気になったようだ。もう安心だ」


 私の腕を捕らえていた手が離れる。人々は肩を抱き合って喜ぶが、私は険しい顔で唸る。どう見てもお兄ちゃんは妖精の替え子では無く、本物だ。人々の様子のおかしさはこのパブにかけられた洗脳系の魔法によるものだろう。暗示をかけられ、お兄ちゃんを替え子と勘違いした彼らは本物を取り返すために彼を痛めつけた。昔から妖精に取り替えられた人を取り戻すために最も有効な手段だとは聞いていたけど、本当に実行するなんて。本物だった場合にリスキー過ぎるだろう。暗示をかけた犯人の思考を読み、胸糞の悪さに怒りで血が沸騰しそうだ。




 あのくらいの怪我では死なないとは言え、痛みを感じない訳ではない。それに、兄が意識を失う寸前、瞳の色が。



 早く見つけて手当をしなければと焦り、さらに良い考えが浮かばなくなるという悪循環に陥る。これでは駄目だ。私はふーと息を吐いて外に出た。




 建物の後ろに広がる森へと入る。氷の中に入れられたかのような冷たい空気が私の思考をはっきりさせる。いつの間にか雨が降り始めていた。雨音が木々に当たる音が心地いい。

 苛立った私の雰囲気に当てられたのか、森の木々に宿る精霊達は皆おびえて身を縮こまらせた。あんなに会いたかった妖精がすぐ傍に居るのに、今は毛ほども興味を持てない。

 とはいえ、怖がらせたい訳でもない。私は申し訳なくなり、深呼吸して心を落ち着かせる。雨も頭を冷やすにはうってつけだ。


「こんなところに一人でいては危ないよ、可愛いお姫様」


 この声は。やっと来たかと振り返れば、予想通りそこには一琉さんが立っていた。


「遅いよ。お兄ちゃんが何者かに拐われた。怪我もしている」


「まぁ、夕理ちゃんには刺激が強かっただろうね。よしよし、怖かったね」


 抱き上げられて、あやすように頭を撫でられる。冷えきった身体にこの温もりは嬉しいが、私が求めている腕はこれじゃない。

 いつまでも、ただ泣いて周りに守られているだけの赤ちゃんではいられない。


「探さないと。力を貸して」


「え、いや、なっちゃんはこれくらいじゃ死なないから心配する必要はないよ。今ごろ食事の時間だろうから、邪魔しない方が」


 分かってないな。人を操り生け贄にした人間をなぶり殺すことを楽しみにしているような性根の腐った悪霊どもが兄の餌になるのは、自業自得だから別にいい。

 問題は、兄の瞳が普段の緑がかった金目ではなく、瞳孔が縦に細長い肉食獣に似た赤い瞳に変化していた。人の意識が死んで神の意識が目覚めているのだろう。そんな状態で元凶の悪霊を食らうだけで果たして事が終わるだろうか。

 下手をしたら、アイルランド中の人々を貪り食ってしまうまで止まらないかもしれない。そこで正気に戻ったら傷付くのは兄だ。お兄ちゃんが一番自分の神としての本性を嫌っている。ならば、妹としてはお兄ちゃんの暴走を止めないといけない。私にはそれが出来るだけの魔力があるのだから、兄の尊厳を守らないと。





 などと言う事を一生懸命説明すれば、一琉さんは難しい顔で顎に手を当てた。


「そんな深刻な事態になっていたのか。これは俺の判断ミスだな。丁度良い美味しい獲物が有るとしか思っていなかった」


「お兄ちゃんのいる場所分かる?」


「まずいな。俺は人を捜索する術は苦手なんだ」


 まぁ、それは分かっていたので、私は強力な助っ人を呼ぶ事にする。


「オニキス君、おいで」


「久しぶりですねー、夕理さん! 何かありやしたか?」


 この前、不思議な童話の世界で出会って以来呼べば遊んでくれる、赤ずきんの狼を呼び出した。

 嬉しそうにしっぽをブンブン振ってお腹に顔をすり寄せなついてくれるのは有難いが、今日はもふもふしたいが為に呼び出したのではない。茶色の毛並みに指を通しながらお願いする。


「お兄ちゃんが悪い奴に拐われたから、見つけるのを手伝ってほしいの」


「御安い御用でさぁ。俺の自慢の鼻なら世界中の何処に居ようと見つけて御覧にいれやす‼」


 おおう。なんて頼もしいのだ。オニキス君は、鼻を上に向けてくんくん匂いを嗅いでいたが、やがて強い光を宿した目でこちらを見てきた。


「夕理さん! ばっちり見つけやしたぜ!」


「ありがとう、悪いけど案内してもらえる」


「急いだほうが良いでしょうから、俺の背中に乗ってくだせぇ」


 オニキス君が乗りやすいように屈んでくれたので、先に一琉さんが乗って私が跨がりやすいように手を引いてくれた。

 落ちないように、後ろから抱き締めるようにして体が支えられる。


「それじゃ、行きやしょうか」


「大丈夫? 重くない?」


「平気っす。じゃ、しっかり掴まっててくだせーよ」


 背後で一琉さんがオニキス君の体の負担を限りなく0にする術を行使したのをかんじた。オニキス君が風のように走り出し、あっという間に街が後ろへと消えていく。一琉さんが結界を張ってくれたから良いけど、そうじゃなかったら風圧でぶっ飛んでしまいそうだ。


 若々しい緑の夏草が目に眩しい草原を走り抜け、爽やかな風が吹き抜ける緑の木立に入る。木々の隙間から遠くお椀型をした大きな山が見えている。


「女王の丘だね。かつてこの辺りを治めた古代の女王が、武装した状態で埋葬されているという伝説が残る山だ」


 一琉さんの説明に、だから名前が女王の丘なのかと綺麗な山を眺める。


「という事は、この森はフェアリー·グレン(妖精の谷)か」


「確かに木に宿る精霊の数が、ダブリンにいた時よりも随分多いね」


 そこで、オニキス君がひくひくと鼻を動かし急停止した。一琉さんに抑えてもらえなかったら危なかった。


「俺としたことが、入り口を過ぎ去るところだった」


 オニキス君が戻って、ここだと教えてくれた場所は草木に覆われてはいたが、よく見ると石灰岩の割れ目があり、その奥には小道が続いているようだ。


「姫さま、案内、する」


 茂みからふよふよと、美しい青の羽を持つ蝶の姿を模した精霊が目の前に現れた。


「案内?」


「神の怒り、鎮められる、貴方、様」


 やっぱり完膚なきまでにぶちギレていらっしゃるらしいな、私のお兄様は。


「なっちゃんって怒るんだ」


 呆然としたような呟きに、驚くのはそこなのかと思ってしまう。

「じゃ、案内よろしくね」


「夕理さんの護衛は俺に任せてくだせぇ‼」







 木々のトンネルを進みながら小道を歩いて行く。足元に咲く赤いホクシャの花は妖精のように可憐だ。蝶の後について森を抜けると、巨石が重なりあって作られた遺跡が点在する草原に出た。

 5本の石の柱に支えられた石の屋根を持つ家のような遺跡の中を興味本意で覗けば、人の形そのままの白い骨と遺灰があった。これ、何人分になるだろう。


「アイルランドの古代の埋葬方法だね。こういうドルメンと呼ばれる共同墳墓に家族や地域住民が一緒に埋葬されていたんだ。扉はあえて塞がずに遺骨が見えるようにして、いつも死者の霊に守られている安心感を得ていたらしい」


 さすが一琉さん。詳しいな。


 巨石群を横目に草原を抜ければ、そこには一本の林檎の木があった。


「妖精の木だよね。本物初めて見たー」


 事前にアイルランドの伝説を調べる中でよく出てきていた木の登場に、知らず気分が高揚する。


「侵入者避けの分厚い結界が張ってあるな。異界に続く門の役割をしているのだろうが」


「神、様、この先」


 蝶の精霊の言葉に頷き、佐藤の家宝の一つである流星刀を召喚する。普段はほとんどお兄ちゃんの専用武器みたいになっているから、手にするのはなんだか新鮮だ。


「頼むぞ」


 そう流星刀に語りかけ、木に向かって振り下ろせば、岩のような固い感触に阻まれて中空で刃が停止する。


 まぁ、いいや。


 無理矢理にでも入ってしまおうと魔力を込めて押し進めれば、火花が飛び散る。

 不意に抵抗が消えたと思ったら目の前には木ではなく空を映す澄んだ湖と、その真ん中に浮かぶ石造りの館が一つだけ建つ小島が見えた。

 島に渡れるように手漕ぎの小舟も一艘止まっている。この舟に乗れとでも言うように、蝶が小舟の舳先に留まった。


「あそこに、なっちゃんが居るのかな」


「早く行かないと。お兄ちゃんの理性が戻っていれば良いんだけど」


 一琉さんに漕いでもらって島へと向かってすぐに、狂暴な唸り声をあげてながら派手な水しぶきと共に、水中から水棲馬が現れた。水草が絡んだ黒絹の美しい毛並みの馬の姿に、思わずうっとりしてしまう。

 この子、スコットランドの水の妖精だと思っていたけどアイルランドにも生息していたんだ。出来ればお友達になりたいと思っている妖精相手に手荒な真似は出来ない。

 私は魔法でブラウニーを取り出すと、出来るだけ遠くに向かって投げた。それを追いかけて水棲馬がくるりと向きを変え、水中に潜って行った。


「さぁ、行きましょうか‼」


「やり口が完全に泥棒じゃん」


 人が穏便に解決してやったのに、失礼な叔父である。


 あとは何の妨害もなく無事に小島に着いた。役目は終わったとばかりにどこかへふよふよと飛んでいく蝶にお礼を言って、手を振って見送る。


「準備はいい?」


 扉の前で深呼吸してから問いかける。皆がしっかり頷いてくれたので、扉を開けようとしたら、一琉さんに後ろに下がらされ彼が扉を開けてくれた。


 おかしいな。レディーファーストじゃないの?







 昼なお暗い廊下を進めば、マザーグースに出てくる詩の一編である『リジー·ボーデン』を詠う声が聞こえる。この声は。

 皆で顔を見合わせて聞こえてくる部屋の扉を開けた瞬間、顔のすぐ隣の壁に血の着いた斧が深々と突き刺さった。部屋の戸を開けようとした男が、それを見て腰を抜かした。


「誰が逃げていいと言った」


「これ、首切り用の斧じゃない?」


 一琉さん、怖い発想は心の中にしまっておいて‼ 部屋は一面赤く染まっていた。

 うん、きっと赤いペンキをうっかりこぼしてしまったんだよね! もう、みんなうっかりさんなんだから! 


 部屋には、ファラリスの雄牛やユダのゆりかご、苦悩の梨、そして英国式圧縮機に潰され血のジュースを作る人間に、体中の皮を剥がされて吊るされた人間なんかが置いてある。随分と前衛的なオブジェだなー。


「拷問器具ですよね、あれ」


 狼の引いた目って初めて見た。鉄の処女の扉が開き、処刑道具から伸びた腕が目の前の男をつかむと中に捕らえた。


「嫌だー‼ 頼む、止めてくれ‼」


 断頭台の上に足を組んで座る兄は、その懇願を聞くと赤い瞳をゆるりと細めた。


「駄目だよ。さぁ、もっと甘美な悲鳴を聞かせて。俺を満足させて」


 お兄ちゃんはいっそ優しいほどの笑みを浮かべて床の血だまりを見下ろす。それから、手に持っていた血に濡れた刀を軽く振った。

 炎か、もしくは血染めの桜のような紋様が浮かぶ刀身には見覚えがある。あの刀は佐藤の家宝の一つ、紅華(べにか)か! たしか、その刀身を見た者は魅了されたように力を失い、自らその刀身に身をさらして切り倒され、死から逃れた者はいないという、血に飢えた恐ろしい刀だったはず。


 鉄の処女が閉じて、犠牲者から血を搾り取る。断末魔の悲鳴が室内に響くが、すぐに一琉さんに抱き締められ、耳を塞がれる。心なしか、一琉さんの顔が青いような。


「一琉さん達は大丈夫?」


「俺はこういう展開同人誌で見たことあるから、履修済みだ」


 一体どんなご本を読んでいるのだろう。オニキス君は混乱した雰囲気をまといながらも、気丈に頷いた。


「あぁ、新たな客人か。どうかいい声でないておくれ」


 地獄に似た様を微笑んで見下ろす兄は、不思議と清浄な空気をまとい、恐ろしいほどに美しかった。魅入られてしまいそうなほどに。その姿は、神か悪魔か。

 それでも、私だけは兄に気圧される訳にはいかない。大っ嫌いな、猛毒しかない甘ったるい笑みに視線を合わせて、歯をむき出して嗤ってやる。




 ねぇ、一緒に帰ろう。

囚われのお姫様なんていなかったんだ。


参考文献

『旅のヒントBOOK 絶景とファンタジーの島 アイルランドへ』 山下直子 イカロス出版 2017

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