夜明けを待つロンドン塔
街灯の仄かな光を浴びて煉瓦の町が幻想的に浮かび上がる。ウェストミンスター宮殿の時計塔の鐘が鳴り、六時を告げる。テームズ川沿いを歩き、遠目にも妖しくも惹き付けられる世界遺産、ロンドン塔を横目に見つつレストランに入る。
「注文は決まった?」
「悩むねー。この店のおススメは何? 一琉さん」
「そうだな、この店はコテージ・パイが人気らしい。あと、プディングが絶品だと評判だ」
お菓子に目がない私はプディングと聞いて一気にテンションが上がる。いろいろある中から、あれこれ悩んでようやく決まった。図ったようなタイミングで店員さんは注文を取りに来た。一琉さんが一緒にオーダーしてくれた。
料理が運ばれてきたので、私は早速パイを口に入れる。
コテージ・パイはひき肉に野菜とハーブを加え炒めたものに、マッシュポテトをのせオーブンで焼いたもの。この組み合わせでまずいものが出来ようか、いや、出来ない!(何故か反語)ニコニコしながらモグモグ頬張っていると、
「口元、ついてる」
と言って、お兄ちゃんが手で取ってくれた。
うわ、なんか恥ずかしいな。もう立派なレディなのだからがっつくのは止めよう。
味が想像出来る料理も食べたいという理由でハンバーガーも頼んだが、結果的にはこれが大成功だった。カリカリに焼かれたバンズに肉汁たっぷりのハンバーグが挟まれて、甘めのデミグラスソースとの相性は抜群だ。シャキシャキのレタスと濃厚なチーズと絡まりあって、お口の中がとても幸せだ。これは美味しい。
デザートとして出されたプディングのスポッティッド・ディック&カスタードは、甘くて美味しかった。ただ、カロリーがこわいけど。だってすごく甘いうえに量が多い。ダイエットは日本に帰ってからだ。
さて、あとは明日の観光に備えてホテルに戻ってゆっくりしようと思ったのだが、気付けば私たちは灰色の壁が取り囲む巨大な城塞内に立っていた。
ライトに照らし出されて闇夜に浮かび上がるロンドン塔を眺めたとき、私は思わず感じ入った。歴史を経た建物特有の美がそこにある。
「ロンドン塔の見物は一度に限ると夏目漱石は言ったけど、確かに一度目の印象は強烈だね」
文庫本を読みながらお兄ちゃんが言う。器用だね。というか、どっからその本を取り出したんだ。
「呼ばれてしまったか」
全力で面倒くささを表現している一琉さんを慰めるため、私は両手で彼の右手を握り左右に軽く振った。
「ごめん、気を使わせたね」
「ううん。でも、一体誰に呼ばれたのかな」
ロンドン塔の周囲を取り囲んでいる堀には今は水はなく、代わりに芝草が茂っていた。城門をくぐってすぐのバイワード・タワーの前では、ビーフ・イーターと呼ばれる派手な制服を着た年配の衛士がランプを片手に見回りをしている。
ビーフ・イーターという呼称は、昔給料の代わりに牛肉を支給されたことからこの名がついたという説がある。古参の退役軍人が務めているだけあって彼らは皆威風堂々としていてカッコいい。目線が気持ち悪いと思われてはショックなので、隠れてこっそり彼らの所作を目に焼き付ける。向こう側にはブラッディ・タワー(血塔)というなんとも恐ろしい名前の塔が見えた。二王子が殺された場所だと言われている塔だ。
二王子と聞いて私が思い出すのは、ドラローシュの『エドワードの王子たち』と題する一枚の絵。
兄の方は寝台の柱に半ば身をもたれさせて、両足をぶらりと床に下げている。弟の方は兄の膝の上に金細工が施された豪奢な大きな書物を広げ、開けてあるページの上に手を置いている。仲の良さを伺わせる微笑ましい光景だと、絵を見た人は口元を緩ませるかもしれない。しかし、幸せなだけでは終わらない。この二人には命の危機が迫っている。
部屋の奥、扉が少し開きそこから二人を狙う暗殺者の恐ろしい影が見てとれる。
この絵を見るたび、私はひどく不安になる。
塔の壁は不規則な石を積み上げて厚く作ってあるから、決して表面は滑らかではない。高いところにある窓は下から見上げると随分と小さかった。鉄格子が嵌っているようだ。傍には番兵が石像のように突っ立っている。なんか不気味。
番兵の目線に入らない場所に立ち、私は眉を顰めながら手をかざしてこの高窓を見上げ佇む。格子を漏れて古代の色ガラスに微かな月の光が映り込んでキラキラと反射する。その翡翠色の光を見ながら私は呟いた。
「誰かいるね」
「そりゃ、観光客くらいいるでしょ」
「いえ、事前にガイドブックを読んだのだけど、ここ本来は17時で閉館だから今観光客が要ることは可笑しいのですよね。あと、この場所は本来立ち入り禁止です」
お兄ちゃんの説明に、じゃああれは衛兵かと思うがあの影の大きさ、どう見ても子どもなんだよな。
「この塔は本来観光客に開放されてたんだけど十年位前から急に誰も入れない、開かずの塔になったんだよね~」
きな臭い気がするのは気のせいか? もしかして、私たちを呼んだのは。
「血の塔が開かずの塔って絶対幽霊がらみだよね」
「とりあえず、行ってみよーか!」
一琉さんは、さっさと血塔の扉を開けた。いや、ちょっとは躊躇おうよ!
ひんやりとした空気に包まれ私はゾクリと震えた。あの窓がある部屋を目指して狭い石のらせん階段を上る。方向的にこの部屋だろうと見当をつけて、扉をそっと開いた。
窓の内側は戸張が垂れて、灯りがない為か真っ暗だ。壁は漆喰も塗られていない丸裸の石になっている。ただその真ん中の六畳ばかりの場所はさえない色のタペストリーで覆われている。地は柳煤竹色、模様は薄い青で聖母子の姿と、像の周囲に一面に染め抜いたアイビーが描かれていた。
石壁の横には大きな寝台があり、そこで蝋燭の仄かな明かりを頼りに本を読んでいる一人の少年がいる。年のころは十歳位で、烏の翼に似た、黒い上着を着ていたが色が白いので一段と目立つ。淡い金髪が儚く揺れ、茶色の瞳には、突如現れた私たち三人に対する怯えと警戒が見て取れる。
「貴方たちは何処から来ました? ここは来ては行けない場所です。もうじき、塔の守人が来る」
静かな声での宣告に私は思わず窓の方向を見やる。
「ちっ! もう来たようだな。何なんだこの人数! ロンドン塔のセコム超怖い!」
一琉さんの異能って千里眼もあったんだ。
「もう、面倒くさいなぁ」
お兄ちゃんが何やら呪文を唱える。すると、塔の周りにいきなり紫の花畑が出現した。塔へと向かっていた兵士の動きが止まる。
「スコットランドとノルウェーが戦争をしていた時に、スコットランドの城に咲いていたアザミの棘がノルウェー軍の足に刺さり勝利したんだってさ。花言葉は『復讐』」
タライの雨が降り注ぎ、兵隊さんの頭に当たるたびに消えていく。
「数分間の記憶を奪って元の場所へ返却しとくね」
いや、そんなバラエティ番組の罰ゲームじゃないんだから。お兄ちゃんったら完全に遊んでいるな。
「貴方方は一体どういった方たちなのですか」
呆気に取られたような表情で尋ねてくる彼に、私はニッコリ笑って答える。
「只の日本から来た観光客ですよ」
お互いに自己紹介して分かったが、彼は血の塔で殺された二王子の一人、ヨーク公だった。
「貴方もいつまでもこんな暗い塔の中にいるのは辛いだろう。道が分からないのならお空の綺麗な場所に送ってやろうか」
一琉さんの提案にヨーク公は黙って首を振る。
「ありがとうございます。ですが、私は兄様を置いて自分だけ先に天の国に行くことなど出来ません」
「エドワード様はどちらに?」
「分かりません。気付いたら私だけがこの部屋に居て。兄を探しに行きたいのですが、私はこの部屋から出られなくて」
「あぁ、地縛霊と化していますからね。ちょっと待ってください」
お兄ちゃんがブレスレットを流星刀に変えると、ヨーク公に向かって刀を振り下ろした。彼は思わず目をつぶるが、衝撃が来ないのを不思議がって恐る恐る目を開ける。刀をブレスレットに戻したお兄ちゃんが手を差し出した。
「これで貴方は自由の身です。一緒にエドワード様を探しに行きましょう」
「はい!」
ヨーク公は輝くような笑顔を浮かべると、躊躇いなく差し出された手を取った。
「とりあえず目撃証言を集めるか」
幽霊のことは同じ幽霊に聞けと言うことで、私たちは幽霊の目撃情報が多発しているタワーグリーンに向かった。この緑地はかつては断頭による処刑が行われていた跡地であり、今はモダンな美しいガラスのオブジェが置かれていた。
「こんばんは。可愛らしいお客様。今宵は良い夜ね」
おおう。さすが、ロンドン塔屈指の心霊スポット。早速釣れたよ。赤みを帯びた金髪の美しい首を抱えた、深紅のドレスを纏った女性は、男児を欲しがった夫のヘンリー8世に姦淫の濡れ衣を着せられ、斬首された妃であるアン·ブーリンだろう。肖像画で見た顔だ。
「ご機嫌よう、レディ。こんなにお美しいご婦人にお会い出来るとは光栄です」
一琉さんは胸に手を当てて、テレビで見るような騎士の礼をした。私たちも見よう見まねでそれに倣う。
「やはり驚かないのね。守人を追い払っていたからただ者ではないと思っていたけど、本当に不思議な方達ね」
「警戒なさらなくても、私たちはあなた方に危害を加えるつもりはありませんよ」
「分かっているわ。それで一体どうしたの?」
「この方の兄上にあたるエドワード様の行方を探しているのですが、ご存知ありませんか?」
お兄ちゃんが尋ねれば、アン様は思い出すようにうーんと眉ねを寄せる。
「分からないわ。私もここにいて長いから大抵の方は知っているのだけど。お兄様はお分かりになる?」
アン様が目を向ければ、今の今までいなかったはずの場所に男の人が立っていた。なかなかの恐ろしい形相なお方に思わず一歩下がれば、自覚はあったのか一生懸命柔らかな笑顔を強面に浮かべてくれた。残念ながら大量殺人鬼にしか見えないが、優しい人なのは分かるのでニッコリ笑顔を返しておく。
「すまん。俺も記憶にない」
「そう。ジェーン様はいかがですか?」
白いドレスを着た、たおやかな美少女も登場。ホント幽霊って急に現れるな。この方が悲劇の女王、ジェーン·グレイか。彼女も申し訳なさそうに首を振る。
「どうして」
今にも泣き出しそうな顔のヨーク公の頭を撫でる。この世に未練がなくてもう先に行ってしまったとかなのかな。いいや、まだだ。まだ話を聞いただけなのだから諦めるのは早い。もしかしたら、エドワード様も何処かの土地に縛られているのかも。そこで、ふと思う。
幽霊が現れるのは自分が殺された場所や自分の遺体がある場所が多い。
「二王子の遺体って何処で見つかったっけ?」
「確かホワイトタワーの外階段の下に埋められていた木箱の中って、夕理さん!?」
私は弾かれたように名前の通りに白い漆喰に縁取られた天守閣に向かって走り出す。ライトアップされた城を見上げれば、屋根の風見鶏が夜風に吹かれてくるくると回っている。さて、階段。階段はどこだ。辺りを見渡して階段らしきものを見つけ階段の前に座って目を凝らしたところで、皆に追い付かれた。
「お兄ちゃん、見つけたよ」
「なるほど、こっちに捕らわれていたか」
お兄ちゃんが再び流星刀を構えると、空間を一気に切り裂いた。
「見つけてくれてありがとう」
声が聞こえたと同時に、ヨーク公によく似た淡い金髪の少年が立っていた。エドワードさんは黙って右手を差し出す。ヨーク公はすぐさま飛び出し、兄に抱き付いた。感動の再会に一琉さんが大号泣して、アン様達に慰められていたのはご愛嬌ということで。
「さて、あなた方もこんな場所に居たくないなら天まで送りますがどうしますか?」
お兄ちゃんが問いかけるが、王子様なご兄弟以外はまだ現世に残るという選択をした。
「理由を伺っても?」
「まだ輪廻の輪に戻り、人の世で再び生を謳歌することに希望が持てないから」
代表してジェーン様が口を開いたが、アン様も彼女のお兄さんも似たような表情で頷いている。
「そうですか」
お兄ちゃんが、強い視線を私に向けた。
「夕理さん、まかせた」
「はい、任されました!」
私が夜空を見上げ、呼び出した青い芥子の花が絡んだ生弓矢で月を射れば、矢が満月に吸い込まれる消えると同時に虹で出来た階段が出現した。私は二人の兄弟を振り返る。
「この階段を登っていけば、天の国へ着きますよ。貴方がたにたくさんの幸せが降り注ぎますように」
二人は私たちにお礼を言って、手をつなぎ、笑いあいながら階段をのぼっていく。その楽しげな光景を見ながら私は思う。
いつか、このロンドン塔に囚われた人達も憎しみや哀しみが消えてまた前を向けますように。夜明けが来ることを祈る私に答えるように、足元に咲いた赤いひなげしの花が小さく揺れた。
参考文献
『ゴーストを訪ねるロンドンの旅』 平井杏子 大修館書店 2014




