五月の空を泳ぐ鯉のぼり
五月三日。無事に両親から旅行の許可を得た俺は、妹とともに新幹線で博多を出発し、名古屋駅に降り立った。
「やっぱり、人が多いねー」
「ほら、夕理さん。はぐれないように手をつなごう」
「もうお姉ちゃんなんだから、迷子になんかならないよ!」
ハリセンボンみたいに頬を膨らましてしまった。その顔はかわいいけど、初めての場所で万が一にでも迷子になったら大変だ。俺はちょっと考えて眉を下げ、困ったような顔を作った。
「お兄ちゃんが迷子になりそうだから、夕理さんに手をつないでほしいんだよ。ダメかな?」
「も、もう仕方がないな。そういうことなら、私が完璧にエスコートさせていただきますよ、王子様?」
妹はふんっと胸を張ると、いそいそと手をつないできた。当たり前のようにつないでくれるこの手のぬくもりを愛しいと思えるなら、俺はまだ大丈夫だろう。
駅前の、今日宿泊するホテルに荷物を預けて、さっそく妹が行きたがっていた名古屋港水族館に電車で向かう。
「わあ、建物大きいねー。あ、近くに観覧車もあるよ」
「夕暮れ時に乗ったら1番観覧車から見える景色がきれいだろうから、帰りに乗ろうか」
「うん!」
妹のお目当てはシャチらしく、ショーにも出ることが分かってテンションを上げていた。
「シャチさん格好いいから好きー!」
「そうだね、ショーまであと1時間くらいあるからほかの生き物も見に行こうか」
ちなみに、俺のお目当ては海のカナリアとも言われるベルーガだ。あの円らな黒い瞳がかわいいよね。クラゲの水槽の幻想的な美しさに感動したり、カラフルな熱帯魚の水槽を見て竜宮城ってこんな感じなのかなと想像したり、ペンギンの行進に癒されているうちにショーの時間がやってきた。イルカの一糸乱れぬジャンプはやっぱり迫力があるなー。お目当てのシャチを見てテンションが振り切れた夕理さんに肩をバシバシ叩かれての見学だったが、まあ、楽しそうならいいか。
なお、最前列だったせいかシャチのジャンプで大量の水をかぶってしまったが、これもいい思い出だろう。ショーが終わってから、こっそりお互いに魔法をかけて乾かしあいながら笑いあう。
そのあとは、竜宮城につれってってくれそうなアカウミガメを見たり、ダイオウグソクムシの格好良さに海の生き物の推しがちょっと変わりそうになったり、ベルーガがやっぱりかわいかったので、お土産にベルーガのキーホルダーを買って楽しんでから水族館を出た。ちなみに、妹はシャチのぬいぐるみを買って抱っこしている。
ホテルに向かう前に妹のリクエストだった観覧車に乗る。だんだんと街の明かりがついてきらきらと輝き始める。夕日に照らし出されて、海がオレンジ色に染まっていてずっと見飽きることなんてなさそうな絶景を生み出す。ちらりと夕理さんのほうを見れば、窓に顔を押し付けて食い入るように景色を見ていた。
ほほえましく思っていたが、その後ろで前のゴンドラに乗っているカップルがキスをしているのを見て、慌てて目をそらす。二人の世界に入るのはいいが、子どもがいるんだぞ!
しかし、俺もいつかは、好きな人と観覧車に乗ったりするんだろうか。佐藤家の人間は17の年に好きな相手のために1度死ななければならない。例外はないのだから、俺もいつかは死んでもいいと思えるような愛する人に出会うのだろう。とても想像できないが。
あー、でも、殺戮の神に好かれるなんてその人はすごく可哀想だな。ならいっそ、俺は死んだままのほうがいいんじゃないか、なんて思う。だけど、そしたら家族は悲しむかな。じゃあ、一生その人に対していい子の仮面をつけて欺き続けるしかないね。人の一生は短いのだから、それくらい騙せるだろう。
今、こうやって無邪気に笑いながら小さくなって行く街並みを見ている妹も、いつかは好きな相手と出会うのだろう。その時は妹はどうか苦しまないで死ねたならいいな。
「どうしたの? お兄ちゃん」
「何でもないよ。ほら、海の上を大きい船が走って行ってるよ」
「え、どこ? どこ?」
夕食は名古屋名物の味噌カツのお店に行くことにした。サクサクに揚がったカツに黒い味噌だれがかかっている光景は、思わず唾を飲み込むほどにおいしそうだ。食欲を刺激する。味噌だれには、コクがあって豚カツとの相性は抜群だ。箸が止まらなくなるほどにおいしい。近くにこの店ができてくれないかなー、と割と本気で思った。
五月四日。爽やかな朝の光の中で俺は目を覚ました。品のいい家具でまとめられた室内を見渡し、首をひねる。ここは一体どこだろう? 昨夜泊まった部屋はこんなに豪華ではなかったはずだけど。
妹は大丈夫だろうかと心配になり隣のベッドを見れば気持ちよさそうに眠っていた。ひとまず安心だ、とほっと息を吐く。
仕方がないので、フカフカのベッドを下りてカーテンを開けば、ビルが乱立する都会の風景が目に飛び込んでくる。スマホで位置情報を探れば名古屋市内にあるホテルの一室に居ることが分かる。調べてみればハイグレードなホテルのようで、各国要人が泊る事もあるのだという。道理でベッドが柔らかいはずだ。
特に悪い気配はしないし、おそらくもう泊まれないであろう部屋を堪能するため、もう一回ベッドにもぐりこむ。時間も朝六時とまだ早いし二度寝しよう。
スマホのアラームで目が覚める。午前八時。ふと、気配を感じたので視線を向ければ真鯉が俺の顔を覗き込んでいた。
あぁ、子どもの日が近いからな。
「はじめまして。俺は佐藤薺。貴方は?」
「菖蒲と申します」
真鯉の正体は菖蒲ちゃんというらしい。日本語なのか? まあ、可愛い名前だね。地球の暮らしがどんな感じなのか知りたくて遊びに来た宇宙人なのだと言う。家々に魚の旗がなびいている様が格好良かったのでこの姿をしているが、本来は違う姿のようだ。何故私を連れてきたのかと言うと、魔法というものが菖蒲ちゃんの住む惑星にはいないらしく、興味があったからつい自分の泊っているホテルに連れてきてしまったそう。どうせ誘拐されるなら宇宙船の中が良かった。
しかし、宇宙人って本当にいるんだね。でも、これよく考えたら実験と称してあれこれ調べられたり、菖蒲さんの惑星に連れ去られるフラグが立っているんじゃ。いや、悪い想像はやめよう。本当になったら嫌だし。ま、もしそうなったら鯉のお刺身にして逃げよう。
「おはようって、お兄ちゃんその子誰? すっごい可愛い‼」
「地球に遊びに来た宇宙人なんだって。名前は菖蒲ちゃん」
「菖蒲です。よろしくお願いします」
「わー、よろしくねー」
夕理さんは、菖蒲ちゃんを抱っこするとその場でくるくる回り始めた。妹なりの愛情表現なのだが、彼女の反応が悪ければ止めようと真鯉の顔を見れば、見たことないレベルの笑顔を浮かべていた。鯉のぼりって笑えるのか。
しばらく微笑ましく見ていたが、そこで俺のお腹がグーッと鳴ったので、着替えてから妹と手を繋いでホテルの朝食に向かう事。真鯉も後ろからペッタンペッタン飛び跳ねながらついて来て可愛かった。バイキング楽しみだな~。
ガラス張りの日の光がよく入る明るい雰囲気のレストランの中央には、たくさんの料理がならべられていた。
とろーりと溶けたチーズ入りのオムレツやミートローフ、ハムに新鮮な野菜のサラダ。フワフワの焼きたてパンも大量に並んでいる。贅沢に並んだチーズは好きな大きさに切り分けていいようだ。アプリコット、くるみ、レーズン、蜂蜜、ピーナッツ、マーマレードとジャムやドライフルーツなども大量に置かれていてどれを食べようか迷ってしまう。
個人的にはアツアツのミニパンケーキに優しい甘さの黄金色の蜂蜜をかけた組み合わせがお気に入りだ。ほっぺたが落ちるかと思った。料理を取り終えて席に着いてから飲み物を注いでくれる気配りがさすが一流ホテルだなと感動する。
ご飯がおいしかったのか菖蒲さんが喜びの舞を披露していて、それを見た妹も一緒になって踊っていて、思わず動画を撮った俺は悪くないと思う。可愛いものはそれだけで素晴らしい。
朝食の後、折角だからと菖蒲ちゃんを伴って名古屋観光に出かけることになった。
最初に訪れたのは定番の観光スポットである名古屋城。GW期間だけあって想像道理人が多い。そういえば、ここは全国各地にあるおもてなし武将隊の発祥の地なのだよな。信長、秀吉、家康の出身地としてのプライドが見えるようだ。観光客が多いせいかいつもより気合が入っているように思えた。
実物大の黄金のシャチホコが展示されていたので、真鯉は対抗心を燃やしたのか同じポーズを取って心持ちキリッとした顔と厳かな声で「私の方が格好いいでしょ?」と言ってきた。正直可愛いとしか思えない。
GW中だけあって人が多いのか、天守閣は一時間待ちだった。この暑さで待つのは嫌だったので天守閣の写真だけ撮って満足することにする。比較的回転の速い、藩主が普段暮らしていた御殿の中を見学する。黄金のふすまには色鮮やかな絵の具で梅や鳥、虎の姿が描かれていた。天井の細工も細かく、豪華な室内にこんな環境じゃ落ち着いて暮らせないから殿上人って凄いのだと尊敬の念が湧いた。
謁見の間につながる護衛の人が控える扉から、甲冑を来た武士の集団が現れて、観光客に刀を向ける。こんな所でもショーがあるのかと思っていたら、違うらしくスタッフの方が慌てていた。仕方がない。妹がこっちを見てきたので、頷いて答える。
「私がここに居る皆のことを守るよ」
「じゃ、俺はあの武士を切るね」
父さんに魔力を封印されているのに、妹は大して力む様子もなく、容易く破れないレベルの強固な防御結界を展開する。全力だとどうなるんだろう、と好奇心に駆られたが今はその場合じゃないな。
武士から注がれる殺気に知らず口元に笑みが浮かぶ。殺しあいは帰るまでお預けだと思っていたから、戦いの雰囲気は純粋に嬉しい。でも、子どももいるから本能を抑える必要はあるだろうな。トラウマを作っては可哀想だ。血飛沫を薔薇の花びらに変えるくらいの配慮は必要だよね。
「薺、戦うのならこれを使った方が倒しやすいわ」
「え? あぁ、ありがとう」
俺は菖蒲ちゃんから貸してもらった緑に光るライトセーバーを手に取り、戦国時代の霊に向かって振り下ろした。手応えらしきものはなく空を切るようだったが、武士は煙となって消え去った。血に対する配慮は必要なさそうだ。襖絵から抜け出た虎さん達にも手伝ってくれるようで、次々と武士に噛みつき消していく。虎さんの協力もあって無事全て倒すことが出来たがあれは一体何だったんだろう?
警察の方が訪れて、簡単な事情聴取が終わり外に出れば時刻は午後三時を過ぎていた。菖蒲ちゃんの顔が暗いので怖かったのかと頭を撫でれば、意を決したような鋭い瞳と目があった。
「やはり、私の目に狂いは無かったわ。薺、貴方はここが何処か分かる?」
渡された古びた写真にはレトロな雰囲気のレンガ造りの建物。よくドラマのロケでも使われるこの場所は、大正11年に名古屋控訴院として建てられ、現在は名古屋市政資料館となっている。
「写真なんていっそ無ければ良かったのにね」
鯉のぼりは涙を流せないが、そう呟いた彼女の無機質な黒い瞳からは、今にも涙の雫が零れるようなそんな気がした。
あれ、でも名古屋市政資料館って元は裁判所として使われていたから古い留置所なんかも残っている場所だよな。それに、あの場所には地下牢があって日本の法律で裁けない罪人を封じ込めているなんていう都市伝説もあるし。
名古屋の観光地を循環するバスであるメーグルに乗って目的地まで向かう。余談だが、金色のバスは遠くから見てもよく分かるほど目立っていた。モチーフはシャチホコかな? バス停から歩いて五分ほどの場所に、住宅地にはいささか不釣り合いな、一見するとお城のようにも見える壮麗な洋風建築が姿を現す。人が人を裁くという行為の厳粛さを伴う神聖な場所であることから、建物正面には神剣と神鏡を組み合わせた装飾が施されているのだ。
「なんか、空気が重いね」
「場所が場所だからな、人間の負の感情が溜まっているんだろう」
「なら、悪い幽霊さんが出たら私が守ってあげるね!」
「ありがとう。頼りにしているよ」
正面直ぐ、大理石の階段を登った先にある巨大なステンドグラスには罪と罰のつり合いを取ると言う秤の絵が描かれていた。どことなく暗さを帯びた建物だ。菖蒲ちゃんがもう一枚セピア色の写真を見せてくる。二十代前半ほどの青年と十代半ばほどの少女が笑って映っている。顔立ちはよく似ており、兄妹かなといった印象を受ける。
「私と兄が映っている写真よ。お願い、薺に夕理。兄を脱獄させるのに協力してくれないかしら?」
少年法だと十四歳までだったら刑事責任を取られないんだっけ?
いやまて、菖蒲さん、脱獄は犯罪行為です。早まらないで! そもそも、お兄さんはなんで捕まったのさ。
凶悪犯を世間に出すわけにはいかないので事情を聞けば、菖蒲ちゃんの兄は宇宙人たちが他の惑星で悪い事をしないように見張る仕事をしていたのだが、惑星の侵略をたくらむ犯罪グループを摘発したことで恨みを買い、罠にはめられ、身に覚えのない罪で邪神や悪霊の類を閉じ込める機能を持ったこの資料館の地下牢に封じられてしまったのだと言う。
兄が行方不明になって五十年、ようやく彼が囚われた場所は分かったものの菖蒲ちゃんの力では兄を脱獄させるどころか牢獄に一緒に封印されるのがオチだと言う。平和に解決しようと交渉したものの、犯罪組織の息が掛かった役人でもいるのかもう何十年も訴訟が握りつぶされているそうだ。
だから、今回牢獄を破る魔力を持った俺に無害な鯉のぼりのフリをして近づいたらしい。
宇宙人を取り締まる警察みたいな仕事ってこと? 話が壮大になってきたな。というか、生命が存在する惑星って思ったよりたくさんあるんだな。話の内容から、おそらく政府関係者も上層部になると宇宙人の存在を知っているらしい。
「お兄ちゃん」
根が優しい妹は、話を聞いて一気に菖蒲ちゃんの味方をする方向に天秤が傾いたらしい。やめろ、そんな訴えかけるような目でお兄ちゃんを見るんじゃない。
「分かった。やれるだけやってみよう」
事情は呑み込んだので、地下へ降りて行って牢屋を目指す。薄暗い地下室は嫌な気が満ちていて気分が悪くなってくる。精神を混乱させるような魔法が掛かっているな。ここに五十年も閉じ込められるなんて正気を保てている方が奇跡かもしれない。最悪の事態を考えて、精神魔法を使う覚悟も決める。
お兄さんが閉じ込められている場所を見つけ出し、扉をぶっ壊す。陽の光が差さない暗い室内に俺はため息を吐いて、光の魔法を発動させれば確かに写真に写っていた青年がいた。時の流れを一切感じさせないそのままの姿で。宇宙人は年を重ねる年数が遅いのかな?
真鯉はプルプルと震えると、耳元には可愛いひれがついたセミロングの青い髪の美少女に姿を変える。そのまま勢いよく青年に抱き着いて行った。感動の再会を横目でみつつ、彼女の兄を罠にかけた真犯人を捕まえるまで、彼が逃げたのが分からないよう妹と協力しながら目眩ましの魔法を施していく。
ふと、鋭い視線を感じて振り向けば、彼の桜色の瞳と目があった。泣きはらした目をした菖蒲ちゃんにハンカチを渡しつつ俺は自己紹介をする。
「はじめまして。俺は佐藤薺。こっちは妹の夕理です。菖蒲さんとは仲良くさせてもらっています」
「私が兄さんを助けてくれるようにお二方に頼んだの。とても優しい方々なのよ」
「それは、妹が迷惑をかけました。助けて頂きありがとうございました」
いつまでもここには居られないので、変化の魔法でお兄さんの外見を変えて、地下から地上に出て観光客の顔をして出ていく。五十年も前だからとうに死んでいると思われたのか、警備が甘くなっていて良かった。
俺達は宇宙人な兄妹達と一緒にホテルに戻って作戦会議をすることにした。なお、菖蒲ちゃんは真鯉に戻って何故か俺の頭に張り付いている。お兄さんからの視線が痛い。妹に何かしたら殺すと言う視線ですね、分かります。
そして、お兄さんの名前は壱春さんと言うらしい。彼に摘発されて大打撃を受け弱体化した犯罪組織もここ五十年で力を取り戻し、勢力を拡大しているそうだ。昼間、私達を襲った武士たちもその組織が操っていた霊たちで、壱春さんが再び外に出ることを回避しようと襲って来たそうだ。
なら、壱春さんが脱獄したことは向こうにも伝わっているだろうから気を付けなければ。よし、ならばいっそ相手を罠にかけよう。俺はにっこりと子どもの笑顔を浮かべて、牢獄壊したり情報操作するのは疲れたので、お礼として東山動物園に連れて行ってくださいと壱春さんにおねだりした。
さぁ、真実を白日の下へさらしましょう。




