再びのユグドラシル
遠くには雄大な山脈がそびえ立ち、高台には城塞が見えるヨーロッパの田舎町と言った雰囲気の景色に無事着いたのかなと辺りを見渡す。
さーて、ここは何処だとリュックからスマホを取り出そうとしたところで私の姿がまたもや黄色い猫に変わっているのに気づく。サイズは家猫ほど。初回を思い出すな。リュックも体の大きさに合わせて変化した様で問題は無かった。チョーカーはどうだろうと、近くに有った噴水の水面を覗き込んでみればラピスラズリをあしらった首輪に変わっていた。
スマホで現在地を確認すれば宗教都市·アルカディアだと表示される。この街の名所は外壁を埋め尽くす鮮やかなフレスコ画が美しい5つの大きな修道院を巡るツアーが売りなのだという。そして、巡礼者の目的はその修道院群のさらに奥、鬱蒼とした森や緑の丘を越えると突然見えてくる白く壮麗な運命神の託宣所だ。巫女の口を介して運命神が国家の施策の是非から戦争の結果、はたまた個人の恋愛相談まであらゆる質問に答えてくれるのだから世界中から巡礼者が来るらしい。
さてと、リュイさんは何処だと異世界に来れば国家機密まですっぱ抜いて来る優秀なスパイに進化を遂げるスマホ先生に聞いてみれば地図が表示される。えーと、今いる広場を出て修道院が点在する森に向かえばいいのか。
この国は木造の家に自然染料を混ぜ合わせた染料で花模様のペイントを施すのが伝統らしく、昔ばなしに出てきそうな伝統的な木造家屋に描かれた鮮やかで心躍る花々を見ているとお伽話の世界に迷い込んだ気分になる。巡礼者や観光客が多いためか、街は宿屋や土産物屋が軒を連ねていて活気で満ちていた。スマホ先生によると、周辺国よりも物価が安く、昔からの伝統工芸である刺繍や木工細工、雑貨の質が良いため買い物天国なのだという。そんなに物欲を爆発させてもいい土地柄だっけ? まぁ、私も神社のお祭りに行ったら屋台巡りがメインなところがあるから人の事言えないけど。
小鳥の唄が楽しいニレの木の森を歩き、スマホ先生の有難い教えに従って修道院の門をくぐれば、鮮やかな壁画の美しさに思わずポカーンと口を開ける。修道士が雲の上にある天国へと悪魔の誘惑を退けながら梯子を上っていく絵や青々とした葉を茂らせ黄金の花を咲かせた美しい世界樹や神の姿が隙間なく鮮やかな色彩で生き生きと描かれている。
フレスコ画を見ながら、観光客の群れから離れるように修道院の裏手へと回ると聞き覚えのある少女の涙交じりの声と、それを必死に慰める低く心地いい男の人の声が聞こえて来た。
「大丈夫だよ、星宮さん。日奈がそう簡単にどうにかなる訳ないからね。落ち着いて」
「でも、だからこそ、心配なんですよ。日奈君を攫える相手がいるかもしれないなんて。日奈君がまた死んじゃったらどうしましょう! ブーリ君も居なくなっちゃうし」
「うん、そうだね。星宮さんを放っておいて泣かせるような悪い弟には、兄である俺からきつく言っておくから、まずは日奈を探そうか」
「本当に? 一緒に探してくれるのですか?」
泣きそうな目で見上げて来る佳乃子さんを、リュイさんは安心させるような笑顔を向けて頭を優しく撫でる。そういえば、佳乃子さんは今ブーリさん達と共にユグドラシルに遊びに来ていたんだった。ここで会えるなんてすごい偶然だな。あと、なんかお取込み中みたいだけど取りあえずブーリさんを殴らなければいけない理由が出来た事を悟る。お前、何佳乃子さんを泣かせてるんだよ!
気配に敏い飼い主さんは私が一歩踏み出すと、すぐに気づいてこちらに目線を寄越した。
「何で佐藤さんがここに!?」
「え、柚月ちゃんだ。良かった、会いたかったー! しかも、猫なんて可愛い」
ピョーンとこちらに駆け寄ってきた佳乃子さんは、そのまま私を抱き上げた。慰めるように佳乃子さんに頬をすり寄せる。飼い主さんも私の傍に来ると、そっと毛並を撫でて来る。
「えへへ、会いたかったから来ちゃった」
「それは、普段なら嬉しいけど今は」
「リュイさんを狙っているのは運命神ですよね。私は貴方の婚約者として一言どころか百年かかっても言い足りない位の文句を抱えているので、一緒に行きます」
元はと言えば、運命神がリュイさんは将来世界を滅ぼすという予言を下したことで彼はほどんどの人に拒絶される事態になってしまったのだ。しかも、元々は弟を可愛がっていたエファさんにも呪いを撃ちこみ、憎しみ合い将来は殺し合いをするように運命づけた。彼は今までどれほど傷つきながら生きて来たのだろう。
綾羽さんが見た女性はリュイさんの悲しむ顔が一番好きなのだという。そんな状況に追い込んだのなら自分は見放題だっただろう。エファさんが言うには誰にも見向きもされない状況で運命神だけがリュイさんに話しかけたりしていたらしい。自分だけに笑いかければいいという欲望を感じたという綾羽さんの見立てに一致する。誰にも拒まれる状況でたった一人手を伸ばしてくれる人がいたなら普通は懐くよな。リュイさんは無視していたみたいだけど。
あれ? 私同じようなシチュレーションでリュイさんをゲット出来たけど、何で私は拒まれなかったのだろう。ま、それは後で考えよう。そして、綾羽さんが目撃した黒いベールを被った女性というのは前に会った運命神の特徴と一致していた。そして、この土地には運命神と直接話せる神殿があり、ここに決着をつけないと、と言っていたリュイさんが居るなら敵は運命神で決まりだろう。ホームズばりの名推理だと思うんだがどうだろうか。
苦虫をかみつぶしたような顔をしつつ、何かを言いかねているリュイさんの顔をじっと見やる。
「あら、皆さまお揃いのようね。私も貴方とお話したかったので丁度良かったわ」
冷たいが艶を帯びた美しい女性の声にハッとした瞬間、私と佳乃子さんは鉄製の鳥かごの様なかごに入れられていた。鼻孔をくすぐる濃厚なラベンダーの香りに顔をしかめる。
周りを見渡せば金細工で植物が描かれた白い列柱がドームを支える荘厳な礼拝堂だった。天井からはクリスタルで作られた巨大なシャンデリアが照らし出し、床には両ヘリにバラや百合が咲き乱れ、真ん中の金の地にはツタが絡み合い、ウサギや鹿がその中を飛び回っている世にも美しい絨毯が敷かれていた。リュイさんは何処だろうと辺りを見れば足元まで届く黒いドレスを身にまとった女性に抱き付かれていた。ウザったそうに腰に回った手を外そうとするが中々うまく行かないみたい。心配そうな瞳が私を捉えたので「勘違いしてないから大丈夫」と言う意味を込めてサムズアップしてみる。猫の手でするのは難しい。
「御機嫌よう、お会いできてうれしいわ。卑しい人の身でよくも私の宝物を奪ってくれたわね。貴方みたいなただ人に夜柚は相応しくない」
黒いベールを被っているので顔は見えないが、嫋やかな肢体の女性がこちらを向いた。見せつけるようにぐっと飼い主さんの両足を割って片足をねじ込みさらに肢体を絡ませる。
は、こいつ何? え、処す?
これが、運命神・ディースか。うお、早速喧嘩売られちゃった。しかもこいつ、さも当たり前のようにリュイさんの本名呼びやがった。
「確かに。夜柚君は私には勿体ないくらい綺麗な人ですね。つり合いが取れてるなんて思ってませんよ。でも、少なくとも彼を悲しませることに快感を覚えるような性根の腐った女よりはマシだと私は思ってますし、少しでも彼に私を選んでよかったと思ってもらえるよう努力します」
「それは俺の台詞だからね! これ以上素敵にならなくていいから。でないと、奪われちゃう」
いや、私普通の男の人にはまずモテない性格しているから大丈夫だよ! 安心して!
「私を卑しいとか言いますけど、貴方の夜柚君への態度こそなんですか。まるで娼婦のようね。品のないことで。神の看板下ろした方が良いんじゃないでしょうか」
「な、何ですって。この私をそこまで愚弄するとは! 少しは敬いなさいよ」
「何故? 私は貴方のことを信仰する土地の生き物ではありませんよ」
正直、敵としか認定していません。ってか、飼い主さんに近いんだよ。離れろ! あ、引きはがされた。良かったー。でも、私や佳乃子さんが人質に取られてるせいか強く出れないよう。あまり刺激したら駄目と目線で訴えられる。すみません。目の前の光景に滅茶苦茶嫉妬してました。緑の目の怪物になっていたよ。今は少し距離が離れたから落ち着いて見られる。
「とにかく、死すべき人の身で高貴な神と添い遂げようなどと、己の分をわきまえなさい。夜柚とは別れて」
「お断りします」
間髪入れずに痛みが走った。見れば右前脚がざっくり切れて出血している。佳乃子さんは大丈夫かと見れば、顔色を真っ青にしながら心配そうに私の傷口にハンカチをあててくれる。特にけがはない様だ。私だけならいいか。私が痛いこと大嫌いなの知っててこの戦法なら本当に性格悪い。注射が嫌いな18歳児です。
「佐藤さん! やめろ、ディース! 彼女は関係ないだろう!」
「あー、その歪んだ表情とても美しい。やはり、こうしておいて良かった。で、どうする。それ以上怪我を増やしたくなかったら別れて」
「絶対に嫌」
増えていく傷に痛みで思わず呻く。自分の方が今にも倒れそうほど真っ青な顔をしたリュイさんが、魔法を行使しようとしても、かき消される。
「ここは、私の神域よ。誰も私を傷つけられないわ。そして私は運命神だから、誰にも倒せないように運命を決めてしまえば、ね?」
「あ、嫌だ、やめて」
歌う様な楽し気な口調で運命神は言いながら、そっと震えるリュイさんの唇を白い指で撫でる。彼が苦し気な表情で私を見るが全力で首を振る。こんな、卑怯な脅しをかけて来る相手に何て絶対に渡さない。血くらい何だって言うんだ。痛く無いし。泣いてないし。ちょっと、唐辛子が目に染みただけだし。
「やめて、これ以上は本当に死んでしまう!」
「それは、この強情な猫のお嬢さんの返答次第じゃないかしら。ほら、貴方のせいで愛しいこの子が苦しんでいるのよ? 助けてあげたら」
いや、原因お前―。100%運命神のせい。訴えたらこっちが勝つよ、絶対。
「夜柚君はお前に何か渡さない」
「だ、そうよ」
また、楽しげに笑いながら私を傷つける魔法を行使しようと右手を上げたディースさんを、リュイさんが抱きしめた。え、何が起こっているの?
「ディース、佐藤さんと星宮さんを離してくれないか。今後一切彼女達を傷つけないというのなら、俺はなんだって貴方にしてあげるから」
透明な涙を零し、悲痛な笑みを浮かべながらの言葉に、私は心臓を握りつぶされたような痛みを覚える。リュイさんが持つ見たことがないほどの凄絶な色気に頭がクラクラした。悲しんでいる貴方を愛したいと言ったディースさんの気持ちがちょっと分かってしまいそうになって、そんな自分が嫌だ。
「契約成立ね」
ディースさんの嬉しそうな声と共に指を鳴らした。気づけば私は佳乃子さんと共に一面に黄色や紫、白の花々が咲き誇る美しい花畑に来ていた。ポピーや水仙、菫にヤグルマギクという普通はこの時期に咲かないだろうという花々が混じっていて、天国の花畑に来たような気分にさせられる。
此処は一体? 首を傾げていると可愛らしい猫の鳴き声が聞こえてきた。
今回佐藤さんが訪れた場所のモデルは、ポーランドのとある村です。おとぎ話の世界が現実に現れたようで可愛いです。




