脳内作戦会議
上ったばかりの月が遠く東の空に赤く見える。月を合図としたかのように、朗々とした声が辺りに響き始める。怪しい紫の煙を吐き出す香の匂いが立ち込めて来た。
「私が矢を放てば夜が来る。けれど私が射たのは空に座するあの日や月や星には非ず。咎人の魂だ。おいで、共にいこう。哀しきあの人の魂よ」
呪いを唱え終わると、男は矢を空に向かって射た。さぁ、時は満ちたのだ。男の顔に暗い笑みが浮かんだ。
私はアパートの部屋の一室で、窓の外から大音量で聞こえてくる蝉しぐれを頭から強制的にシャットダウンできるほどに、ある計画を練ることに集中していた。
事の起こりは昨日、従兄弟との婚約話を解消する事に問題が生じた事を相手から伝えられたからだ。正直、大切な恋人が出来た今、是が非でも婚約は白紙に戻していただかなくてはならない。お互いに恋愛感情などさらさら無いから、よっちゃんのほうも婚約解消に否やは無いのだが、事はどうやら当人同士の問題だけでは収まらないらしい。
婚約者である夜桜一琉ことよっちゃんの家は、有名な除霊師の家系で本人も悪霊を祓う能力を持っている。日本に仇なす霊の封印も家の仕事に含まれているらしく、彼の親類は役目をこれからも確実に果たす為に我が家の宝に目を付けていて、私たちの結婚を是非とも押し進めたいようだ。更に私の恋人が人では無い事から夜桜家の呪術でもって私の恋人を縛り、夜桜家の良いように動く式神にしたいのだと言う。
そんな親戚の思惑をよっちゃんから教えてもらった身としては、何が何でも彼氏を守らなければいけないという気持ちが高まってくる。
毎年お盆の時期に行われる親戚の集まりは、今年は夜桜家が幹事役だ。これには行かない訳にはいかないし、丁度いい機会だ。そこで婚約解消についてのお話はもう一度させて頂くつもりだが、どうにも不安感がぬぐえない。そもそも話し合いで解決するなら、よっちゃんが警告してくる筈がないし。
「お邪魔しますね。あら、柚月様もお勉強をなさっていたのね。それでは、これを置いたらすぐに帰りましょう」
ゆったりとした可愛らしい声に振り返れば、頭の上に起用にタッパーを載せた九尾の狐がちょこんと座っていた。可愛い。だが、いつの間に現れたんだ。
「火怜さん、こんにちは。暑い中わざわざ遊びに来てくれたの? すぐに麦茶を淹れるわ」
黒い毛並の狐は佐藤家の先祖であり、夜桜の親戚が狙う件の様々な効果を持つ家宝を生み出した火の神だ。また、ユグドラシルを作り出した創造神でもある。
「いえいえ、すぐに帰るからお構いなく。一琉様もうんうん唸りながら難しい書物を読んでいらしたけれど、テスト? という敵さんを倒すのは貴方達でも大変なのですね。差し入れをお持ちしましたから頑張ってください」
お礼を言ってタッパーを受け取れば中身は稲荷ずしだった。やった。火怜さんの作る稲荷ずしってとっても美味しいから大好きなんだよね。夕食にリュイさんと一緒に食べよう。タッパーを冷蔵庫にしまって、代わりに冷たい麦茶をコップに注ぐ。あ、コーヒーゼリーの残りがあるからそれも一緒に出そう。
「ありがとう、お手をとらせるつもりじゃ無かったのですが」
「いえいえ、私も考え込んでいたら甘い物が欲しくなってしまったので」
実際、テスト勉強はしていなかったので火怜さんが気に病む必要はない。美味しそうにゼリーも食べてくれて、その可愛さに胸を抑える。狐も愛らしい生き物ですよね。しばらく他愛のない世間話や大学生活の事を話していたが、やがて火怜さんが言いづらそうに話しだした。
「私の子孫が貴方を悩ませているようですね。でも、一琉様が着いているから大丈夫ですよ。いざとなれば、私も一緒に戦います」
「ありがとう。でも、火怜さんの家宝が大分助けてくれるから大丈夫です」
私の恋人を狙っているのは夜桜の縁者だけではない。ユグドラシルの最高神と運命神も、世界を滅ぼす力を持つ彼の命を狙っている。全く頭の痛い問題だ。
「そもそも、私が運命神に負けるとでも?」
軽く問いかけたつもりなのに、火怜さんは背筋を伸ばすと勢いよく首を振った。しまった。リュイさんを傷つける敵だと思ったら、殺意が沸き上がってしまった。怖くないですよ。大丈夫ですよ。
「いいえ、貴方の力ならば滅ぼすことも可能でしょう。でも、あれは」
辛そうに顔をしかめる火怜さんの頭を撫でる。フワフワ毛並、癒される。なんだ、そんなことが心配なのか。
「私は自分の愛する人に手を出されて許せるほど優しくないよ。貴方もでしょう?」
「そうですね。どうぞ、貴方の心のままに動きなさい。責任は私が取ります」
責任を火怜さんに押し付けるつもりでこの話をしたわけでは無いのだが、と慌てていると火怜さんが見慣れた狐流の笑顔を浮かべる。
「貴方も一琉様もとっても良い子。でも、良い子すぎて自分はいつも後回し。利用できる時は相手を利用して良いんですよ」
「ありがとうございます」
機嫌よく九本の尻尾が振られる。
「ところで、お寿司はよっちゃんにあげたほうが良かったんじゃ。男の一人暮らしなんだし」
「そう思いまして、お寿司の他に肉やお魚を使ったおかずや野菜料理をたっぷり詰めたタッパーを冷蔵庫に詰めてきましたよ。一琉様は一度集中なさると食べる事を忘れてしまわれるので」
さすがでございます。全く困ったもんだと、息を吐くがその瞳は愛情にあふれている。子孫の事まで愛情たっぷりに接してくれる優しい狐を妻に持つなんて、浅葱さんは本当に幸せ者だ。
「そういえば、聞いたこと無かったけど何で浅葱さんを好きになったの?」
「え、あ、そ、それはですね」
照れたように瞳を伏せる姿が可愛い。
「村の夏祭りが華やかであんまりにも楽しそうで、人に化けて遊びに行ったんです」
そこで祭り見物に来ていた村の荒くれものに絡まれ、さて、どうしてやろうかと考えている所に浅葱さんが颯爽と助けに入ってならず者を蹴散らしたらしい。そういえば、浅葱さんって線が細い優美な見た目に似合わず、喧嘩では負け知らずの喧嘩のプロとして畏れられていたと聞いたことがある。出会い方もそんなドラマみたいな出会いかただったんだ。
「私を守ってくれた時の彼が本当に格好良くて、あの人を欲しいと願ってしまったんです」
きゃーと照れたように頬を押さえる姿が微笑ましい。
ゼリーが無くなってしまったから、お菓子を追加しようかと席を立とうとしたところで時計が目に入る。もうすぐリュイさんが帰ってくる。
「リュイさんももうじき戻るだろうし、夕食も食べていく?」
「いいえ、私がいるといらぬ気を使わせるでしょうから」
気にしなくていいのに、と言おうとしたのに火怜さんはこちらに頭を下げるとその場から掻き消えた。食器を片付けて、脳内作戦会議の続きだとノートを広げたところで玄関の鍵が開けらる音が聞こえてきた。慌ててノートを閉じて筆記用具を片付けていると、リビングの扉が開きリュイさんが帰って来た。
今日私は1限だけだったから、午後まで授業のある彼より先に家に戻っていたのだ。込み入った家の事情にリュイさんを巻き込むわけにはいかないが、この事を知ったら優しくて心配性な彼はきっと関わってきてしまうだろうから隠すに限る。
「おかえりなさい」
「ただいま。お勉強していたの? 続けていて良かったのに」
リュイさんの前では出来ないことしていたから続けるのは無理だ。念のため用意していた本物の宗教学のノートを開き、内容を見返していると傍らにコーヒーが置かれる。
「あ、ありがとう」
コーヒーを一口含めば、ほろ苦さの中に仄かな甘みを感じてとても美味しい。リュイさんやっぱり飲み物を淹れるの上手だよな。
さて、中断していた作戦会議の続きだ。うーん、やっぱりここは出来るだけ味方が欲しいところだよね。よっちゃんのお母さんである茉菜さんは旧姓佐藤茉菜と言って私の母である月菜の妹だ。だからか、私に対しても気にかけて優しくしてくれる。夜桜の現当主はよっちゃんのお父さんである奏多さんだし、茉菜さんから頼んでもらえば大丈夫なんじゃないかな。奏多さん自身も面倒見がいい近所の世話焼き兄ちゃんみたいな性格しているから事情を説明すれば分かってくれると思う。
私の両親にも婚約解消の許可はすでに貰っている。両親は仕事の都合で、今は海外にいるのだが、帰ってこようかという母親の言葉に首を振って、私だけで参加するから大丈夫と佐藤家の意向を記した書状だけ送ってもらった。下手に説明すると戦闘機で乗り込んできそうだからね。お母さんには前科があるのだ。さすがに、よっちゃんの実家を爆撃されるのは申し訳なさすぎる。
と、宗教学の勉強ではない事を脳内で展開していると机の上のスマホが鳴った。
誰からのラインだと見れば相手はよっちゃんだった。婚約解消に対して協力して欲しい旨を話をしたところ、無事に当主である奏多さんの協力は取れたらしい。第一関門は突破したが、現当主の決定に歯向かう様な方ってやっぱり居るのかな。よっちゃんへの返信を打とうとすれば追加でメッセージが来た。
内容は、この会合に来ておそらく婚約解消を邪魔してきそうな親戚の名前一覧だった。本当よっちゃん仕事早いな。要注意リストという事だろうと私も脳内に名前を叩きこんでいく。うわ、分家である八朔家や百日紅家の方の名前もあるじゃん。正直この二家は古くから続く密教系と陰陽道系の呪術を使う家としか知らないからどんな術式があるのか検討も付かない。精々百日紅が呪詛に特化した家というくらいか。いくら親戚といえども切り札は隠すものだから、実力は知らないんだよね。
そもそも、我が道を行く佐藤家が夜桜家と親交を持つようになったのは、茉菜さんが夜桜家に嫁いだからで本当に最近だ。だからこそ、新参者な私たちを古くから繋がりのある身内で固めて話せばいう事を聞かせられると思っているのだろうけど。ようは家は舐められているのだ。ある意味茉菜さんが人質みたいなものだから下手な手出しは出来ないと言う目論見もあるんだろうな。
なお、ここで茉菜さんが居るのなら私がよっちゃんと結婚しなくても夜桜は佐藤の家宝を扱えるのではと思う方もいらっしゃると思うが、そこは少し違う。佐藤家の女の子が他家に嫁いで名字が変わった場合、その人は佐藤家の者と見なされなくなり家宝の召喚を行う事が出来なくなる。と、言っても血筋は佐藤なので他の方とは違い直接我が家の蔵に行って家宝を持ち出せば弾かれる事なく家宝は問題なくその性能を発揮してくれる。茉菜さんも護身用に太刀を一振り我が家から持って行ったはずだ。しかし、全ての家宝を扱うことは出来ない。佐藤家の者を守るために存在するためにどうしても命令の優先権は佐藤の方にあるのだ。極端な話、もし私が茉菜さんを害そうとした場合、命令権は私にあるから太刀は茉菜さんを守らずに彼女を逆に傷つける。
だから、もしよっちゃんとの婚姻が実現した場合、彼は私の父がそうしたように佐藤の入り婿になり、夜桜の当主は継がない事になる。その場合、私は佐藤から出ていない事になるから家宝は問題なく今まで通り扱える。さらに、夫も佐藤の家の者になるのでいくつかの家宝は自由に使えるようになるのだ。
「ねぇ、佐藤さん」
静かな声に弾かれるようにリュイさんの方を見れば、どことなく浮かない顔をしている。
「どうしました? 何か心配事でもあるんですか」
話してみてと、彼の頬に手を添えて宝石よりも綺麗な瞳を覗きこみながら尋ねる。まさか、百日紅の呪詛とかが早速効いているんじゃないよね!
「俺じゃなくて、佐藤さんが何か考え込んでいるみたいだからどうしたのかなって。俺になにか出来ることある?」
うーん、鋭い! いや、私が隠し事が壊滅的に下手なだけだろうか。女優になるのは諦めた方が良いのかもしれない。でもまだ、核心的なことはバレてないみたいだから、ゲームオーバーではないはず。なけなしの演技力をかき集めて私はにっこりほほ笑んだ。
「心配してくれてありがとう。大学での初めての定期テストだから合格点が取れるのか心配なだけですよ。高校よりも論述式のテストが増えていますから、どう勉強しようかと」
探るような目線が私を射抜くが、負けじと見つめ返す。無邪気なフリして小首を傾げれば、彼がふっと力を抜いた。
「勉強、俺で良ければ教えようか?」
「わーい、ありがとう! あ、リュイさんのノートが見たいです。絶対きれいですよね」
何とか危機は脱したらしい。あと、予期せぬ棚ぼたが来た。これでテストは安泰だね。




