女神のアクアマリン
石造りの部屋の中央には、クリアケースに入れられた戴冠式のローブと王冠、そして【人魚の涙】が展示してある。
一見無防備なようだが、魔力を感知できるものが見れば、大陸有数の守護魔術や結界がガラスケースに無数に掛けられているのがわかる。
しかし、群青色のローブを着た女性は手で触れるだけでそのすべてを解除してしまった。
勿論、魔法だけでなく、アルフヘイムでも精鋭の近衛騎士が守りについているのだが、全員眠らされていた。
女性はガラスケースから【人魚の涙】だけ取り出すと、人差し指をかみアクアマリンに血を垂らした。とたんに、澄んだ美しい水色だった宝石は濁ったドブ水のような色に変化した。
「まさか、ポーセリア様自身の手で封印を解かれるなんてびっくりしてしまいました」
女性はハッとした顔でこちらを見る。さらりとした綺麗な翡翠色の長い髪が零れる。その顔は人外のという言葉がピッタリの、恐ろしいほどに整った容姿だ。
「貴方たちは異世界から来た勇者さんと聖獣さんね。【人魚の涙】を守りにきたの? 気づくなんてさすがだけどもう遅いわ。この宝石の機能は永久に失われてしまった」
「いえ、私たちもその宝石の魔力を開放しようとしていたので、それはむしろ仕事を代わりに片付けてくださってありがとうございます。ですが、何故貴方が子孫の国の害になる様なことを?」
女性、ポーセリア様は驚いたようにこちらを見るが、その言葉に嘘はないと悟ったのか体の力を抜いて淡く微笑んだ。
「あら。この宝石をどう扱おうが、それはこれを生み出した私の手にゆだねられるわ」
ポーセリア様は、この国で暮らしてよかったことは娘をこの手に抱けたことしかなかったのだという。
好きでもない男にだまし討ちのような形で妻にされたため、愛情も抱けず大好きな海から引き離された恨みしかなかった。夫婦の営みも自分にとってはしなければならない事務的な作業だった。
しかし、辛さを訴えても夫はもう少ししたら、子どもが生まれたらきっと好きになるといってローブを返してはくれなかった。愛しいはずの娘にさえ、あやしている時笑い方が夫に似ていて背筋に怖気が走り、床に衝動的に投げ捨てたくなってしまう。
そしてついに、追い詰められたポーセリア様は娘の首を絞めて殺しかけたのだという。幸い近衛騎士に見つかって事なきを得たが事態を重く見た王はやっとローブを返したのだという。
「自ら苦しむか、もしくは他人を苦しませるか、そのいづれかなしには恋愛は成立しないby佐藤!」
「いやそれ、アンリ・レニエの名言! では、これは復讐? まぁ、王様クズだもんね。やりたくなる気持ちはしょうがないけどでもなんで今更なのですか?」
「そうね、しいてあげるなら母の愛かしら?」
どういうこと? 私は首をかしげるが自分で考えてと質問の答えはもらえない。
「貴方は恋をしているのね」
女神さまのまっすぐな目線に罪悪感で死にたくなる。私もリュイさんに王様と同じことしているんだよな。どうやってお詫びしたらいいんだ。私のことを忘れられているのは天罰のような気がしていた。
「闇の神を好きになる事が出来る方が現れるなんて思いもしなかったわ。あの愛情の重さは相思相愛でないと潰れてしまう。だから、私たち夫婦のような結果になるかもしれないと恐れていたけど、まさか闇の神のほうが押され気味になるなんてね。何だが罪を背負ったような顔しているけど佐藤さんは自信をもって大丈夫よ。私たち夫婦のような関わった人皆が不幸になるような恋にはならない」
「そう……でしょうか」
「そうよ、自信をもって。勇者さんは今からが大変だろうけど頑張ってね。私から状況を引っ掻いたお詫びとして贈り物をあげるわ。うまく役立てて」
佳乃子さんの物である王冠をかぶった白鳥が刀身に刻まれた聖剣が空中に出現し、いつもの炎ではなく青い光をまとい始めた。これは?
「もうすぐ、その魔法が役に立つわ。では、またね」
気づけば私たちは、元のお祭り会場の喧騒の中に戻っていた。あ、護衛はまだ撒いたままのようだ。後で怒られるな。
「止めてください!」
焦ったような悲鳴に近い少女の声に思わず振り向けば、そこにはニヤニヤとした不快な笑みを浮かべた男二人組が少女をナンパしている光景だった。
少女は嫌がっているし、怖がっているのがありありと分かるのだが下卑た笑みを浮かべた男の一人が強引に腕をつかみ、一緒に祭りに行こうと誘っている。
周りの人はチラチラとその様子を見ているが、巻き込まれるのが怖いのか、誰も助けようとしない。
「ほら、俺らが優しいうちに一緒に来た方が良いぜ」
少女はビクリと肩を震わせると、諦めたような顔で力を抜いた。痛い事をされる前に、この人たちが優しいうちに行かなければという、悲壮な諦めが見えて私は思わず男と少女の間に割って入った。
「その手を放しましょうか。嫌がっている女性を脅して無理やり連れて行くなんて格好悪いですよ。その手は大好きな人と手を繋ぐためや守るために使うべきです」
「うるせぇ! ただの獣無勢が出しゃばるんじゃねぇ!」
ガンと思いっきり殴られて思わずふらりとよろける。「柚月ちゃん!」と佳乃子さんがこちらに駆け寄ろうとするのが見えて視線で押しとどめる。
男が足を振り上げたところで今度は蹴られるのか。
後ろに少女がいるから避ける訳にもいかないと甘んじて受け入れようとしたところで、突風が男の身体を襲って二人まとめてその場で尻餅をついた。
次いでに私にも治癒魔法がかけられじんじんとした痛みが消え去る。
あれ、この魔法の気配。思わずキョロキョロと辺りを見るが馴染んだ色彩は見えない。気のせいか? いや、探すのは後だ。まずは女性に手をあげるこのクズどもに鉄槌を喰らわせねば。
「女の子に手をあげるという事の危険性を理解していないなんて、本当に哀れですね」
女子は男子が急所を蹴られた際にどれほどの痛みが襲うのか理解できないため、身の危険を感じたときに躊躇なく股間を最大級の力で蹴り上げる生き物なのだ。
だから、男の人は死ぬほどの痛みに苦しむことになるから、絶対に女性に手を上げてはならないと親に教えてもらわなかったのかな。
今こそ従兄弟の父の教えを逆手にとって、役立てようではないか。首輪が光って流星刀に変わる。
鞘から抜かない状態で、二人の男の急所に狙いを定め思いっきりフルスイングでぶっ叩こうとしたところで、私の前に黒い制服が立ちはだかる。今日、護衛で着いてきた騎士さんだ。
「お前たち、聖獣様に手を出すなど覚悟は出来ているのだろうな」
弁解もさせてもらえず、問答無用で男二人はしょっ引いて行かれた。うん、強く生きろよ。
少女は半泣きで何度もお礼を言って頭を下げて来た。怖い思いをしただろうから大丈夫だったかと、アニマルセラピーがてら擦り寄れば縋りつかれた。
うんうん、怖かったね。佳乃子さんも少女の頭を優しく撫でて、屋台で買ったマフィンを差し出した。
「甘い物を食べると元気になれるから、良かったらどうぞ」
「え、でも、よろしいのですか」
「私はたくさん買ってあるから。貰ってくれた方が嬉しい」
「ありがとうございます」
本日初めて見る少女の笑顔に私の心もポカポカと満たされる。佳乃子さんも安心したように微笑んだ。
しかし、さっきタイミングよく吹いたあの風は。少女と別れ、城へと帰る道すがらもキョロキョロと道行く人を見てみたが、結局姿を捉えることは出来なかった。
深夜。寝つけぬままに布団に潜り込んでいると、ベッドの周りに防音と侵入者除けの結界が張られたことに気づく。まぁ、もしかしたら来るんじゃないかと思ってはいたけど。
ところで、1年の異世界生活の賜物で、発動した魔法の種類が分かると言う地球では全く役に立たない能力を獲得した佐藤さんを誰か褒めてください。
「うわー、夜這いとは大胆だね」
体重をかけないように気を付けながら、私の上に寝ころんだ侵入者は、艶やかな黒髪を月の光に煌めかせている。
「またお会いしたくて無礼を承知で尋ねてしまいました。どうか今宵一晩だけでも、夢を見させてはいただけませんか?」
女性ならボーっとなってしまいそうな甘い声音で囁かれ、毛並を優しく撫でられる。リュイさんの久しぶりの指の感触に、普段なら気持ちよくてリラックスしてしまうはずなのに、寂しさが胸をよぎる。
今の飼い主さんに私に対する愛情はない。
一見するとにこやかに微笑みながら、その実瞳の奥では冷静にこちらの反応を観察し、相手が気に入る様な最適な行動を取ろうとしている。
「お会いするのは2度目ですね。実は私もお会いしたかったんですよ。今日も危ないところを助けて頂きありがとうございました」
「いいえ、お役に立てて光栄です。しかし、アルフヘイムの聖獣様だったとは。知らなかったとはいえ、先日は失礼な口を聞いて申し訳ありません。そして、今もこのような」
飼い主さんからの敬語なんて嫌だなと思う。だが、彼の中で私は死んだことになっていて、この姿の私は初対面だと思われているのだから、仕方ないと思い直す。
「ですが、俺は貴方の物になりたいのです。どうか、お慈悲を頂けるのなら、この無礼で下等な魔物をあなた好みに躾直して下さいませんか? 貴方になら何をされても構わない」
頭を撫でられ瞳を覗き込まれる。いや、待て、何を言い出すんだ。何所か媚びる様な色を宿した瞳に誘うように小さく揺れる腰。未成年には正直刺激が強いです! 焦りに焦った私は飼い主さんの腰に前足を当ててそのままクルリと寝返りを打った。
すると、あーら不思議。今度は私が飼い主さんをベッドに押し倒す形になる。って私ったら何しとるんじゃい! やべー、何か現状が悪化していないか。
白いシーツの上に散った黒髪、仄かに赤味を帯びた白い肌、私を受け入れるように両手が首に回され、優しく引き寄せられる。
「俺の事好きにしていいよ」
囁かれるのは甘い甘い毒。飼い主さん(仮)が恋愛的な意味でも好きな身としては、大喜びで飛びついてアニマルセラピーをしたいのだが、今は空しい。彼は私を好きではない。
蕩けたような視線の奥で冷静に、こちらを実験動物か何かのように観察している。何か目的があって近づいている。上手く隠しているけど長く一緒にいた私には分かる。何かを探しているような? 本当に気を許している時の笑顔じゃない。
「私の好きな事してくれるのですよね」
頷きが返ってくるが、緊張しているようで微かに彼の体に力が入る。
私はリュイさんの額にそっとキスを落とすと。
「じゃあ、一緒に寝よう。おやすみ」
そう囁いて彼の上からどいて横で丸くなった。
私は寝る。何が何でも寝るのだ。寝るったら寝る。
リュイさんが戸惑ったように声をかけてきて毛並を撫でてくるが、すべて無視して寝たふりを決め込んだ。
飼い主さん(仮)からのハニートラップ、正直眼福だった。
というか、語彙力が凄い。躾直すとか何? 私どんな性格だと思われているの! 侍女さん達に世話をしてもらっているから支配欲が強いとか思われているのかな。
朝、目覚めたときには既に飼い主さんは居なかった。代わりに『また会う日を楽しみにしています』という花言葉を持つダイヤモンドリリーの花束が枕元に置いてあった。
私を起こしに部屋へと入って来たミオさんに、朝食のパンは何がいいか尋ねられたので、私は蜂蜜をたっぷりかけた甘いハニートーストをお願いする。
飼い主さん(仮)からの甘い愛が貰えないなら甘い物を食べて補うしかない。
女神様、ブーリさん、頼むからリュイさんに私が生きている事を伝えてもらえませんかね。
キスの日に因んで甘い恋愛話を書きたいのに、愛憎うずまく怖い愛の話になってしまいました。
何の憂いもなく佐藤さんがリュイさんとイチャつける日が来るといいですね。
次回予告
「柚月様、貴方を忘れるような飼い主の事なんか忘れてずっと家で暮らしませんか?」
「返事が無い。ただの屍のようだ」
「ふははは! いつから佐藤家の家宝が流星刀だけだと錯覚していた!」
「全ての危険からお守りするのが私の役目かと。……前にもそう言ったでしょう?」
「最初からこうしておけば良かった」
〇次回〇聖杯探索隊with勇者! ところで、リュイさんの弟であるブーリさんはとこへ行ったのだろう?




