白い鳥、訪問者
気が付くと、私は教室の扉を開けた状態で立っていた。夕陽に照らし出されたいつもの廊下。振り返れば何の変哲もない三年二組の教室。カバンを開けてスマホを出して日付を確認すれば、私が異世界に召喚されたその日、その時間を表示していた。
日本に帰って来た。
あちらの世界はどうなったんだろう。ちゃんと救えたのかな。リュイさんは大丈夫だろうか? あ、しまった。あの兄と二人っきりで置いて来てしまった。どうしよう。虐められてないよね。心配と不安が頭を駆け巡っているうちに体は勝手に電車に乗っていて気づけば家の前に来ていた。鍵を取り出して扉を開ける。今日はお父さんもお母さんも遅くなるって言っていたな。ソファにカバンを投げて置く。冷蔵庫に入っている夕飯のおかずを温めないと。あー、でも食欲がない。こっちの世界に帰ってきたってことはもうみんなには会えないのかな。
さようなら、私の初恋。と格好つけて呟いてみたが胸が痛い。いや、こんなやり逃げした性犯罪者リュイさんも願い下げだろうから、向こうにいたとしてもどっちみち失恋だよね。そう思うとちょっと気が楽に。いや、別の意味で泣きそうだ。重い体を引きずって、着替えるために自分の部屋の扉を開ければ。
「お勤めごくろうさまです! 佐藤柚月さん」
8本の白いバラの花束を抱えたブーリさんが満面の笑みで迎えてくれた。ふ、不法侵入だー!
元の世界へ私の消えた時間丁度に帰ってきて、これからまたいつもの日常が始まるのだと思って夕陽を見上げていた私の前に彼は唐突に現れた。乙女の部屋に侵入とはいい度胸だな。
「貴方の思いやりと協力に感謝します」
手渡された8本の薔薇の花束を受け取りながら私の飼い主さんの弟であるブーリさんを見やる。白銀のキラキラと光る髪に木々が立ち込める古代の森を思わせるエメラルドグリーンの瞳。粉雪の精霊のような美貌は別れたときと変わらない。ブーリさんは異世界の魔物のはずでは。
「さて、ではこれまでの経緯をご説明しますので、どうぞお座りになって下さい」
示された学習机の椅子に腰を下ろす。ブーリさんはどうするのかと思ったら、ベッドを背もたれにしてカーペットの上に座った。
「あの後、世界はどうなったんですか。皆無事?」
「貴方が自分の身を贄にして燃え盛る世界樹に飛び込んだことで、世界樹は蘇り世界は再生されました。しかし、やはりと言うか兄さんが大分荒れてね、貴方が最後に生きてと言ったから自殺も出来なくて殺してと叫ぶ兄さんを止めるために久々に今あの世界にいる神族が全員集まったのですが、封印が解けて本来の力をふるった彼の恐ろしさと言ったらもう。僕よく生きていたな」
その時の光景を思い出したのか、ブーリさんが自分の身体を抱いて震える。蒼白な顔に一体何があったんだと戦慄する。
あの時はあれが最善で私の使命だと思っていたから何も考えていなかったけどリュイさんにしてみたら、飼っているペットが目の前で焼き猫になったのだから精神的ショックは大きいだろう。飼い主さんが優しくて仲間思いなのはよく分かっていたはずなのに。謝らないといけない事が多々あるなと思っていると、ブーリさんが意識をこちらに戻すようにコホンと咳払いをした。あ、自己反省は後にして今はブーリさんの話を聞かないと。
「あの世界の終わりは運命の神によって予告されていました。最後は光の子と闇の子の戦いによって世界は傷つき終わりを迎えます。あの世界に住む子たちはどうも予言に重きを置きすぎていて運命は逆らえない絶対な物だと諦めてしまっている。一番予言に人生を狂わされたのは世界の終わりに関わる予言を受けた光の子と闇の子でしょうね。本当に可哀想な事をしてしまった」
「でも、今回の件で運命の神の予言は外れましたよね。世界の終わりは回避された」
「運命の神の言葉はあくまでこのまま世界が進めば辿るであろう可能性の一つに過ぎない。それが嫌だと思って抗えば内容を変えてしまうのはそれほど難しい事ではありませんよ。今回のようにね。これで気づいてくれると良いんですけどね」
「異世界人というイレギュラーを入れたのはわざとだったんですね」
「いい加減ちょっとうんざりでしたから」
ごめんなさい、と頭を下げて謝られたがまぁ、私の消えた時間に無事戻してくれたのだからいいんじゃないかとしか思わない。
「何故私を選んだのですか?」
「夜柚が懐いた相手なんて僕以外だと貴方が初めてですからね。それは弟としては、普段世話になっている兄の初恋は応援してあげたいし。まぁ、貴方が火怜様の血を引いていたことも関係がありますが」
え、待って。火怜って我が家の家宝流星刀を授けてくれてご先祖様と結婚したという、九尾の狐の名前じゃないか。
「火怜様はね、元々は日本で炎を司る神だったんだけど、4番目の世界が終わった衝撃波に引き込まれて今のユグドラシルにやって来たんだ。そうして、僕たちが今生きていて佐藤さんが救った5番目の世界を創りだした。ただ、彼女には本来は実態を持たない魂や精霊をも焼き尽くし殺す炎を持つのもあって恐れられ常に遠巻きに見られていました。それで、自分が受け入れられる世界はないのかと、また地球に戻ってそこで君の祖先にあたる浅葱さんと出会って恋をしたんだ」
え、じゃあ私にも神様の血がほんのわずかとはいえ入っていたってこと? そりゃ歴代の佐藤家直系が何でもできるチート揃いだったわけだ。納得。そして火怜さん、その昔は世界を創っていたとか凄いな。あとで、その辺のお話聞かせてもらおう。
「で、浅葱さんが結婚の挨拶に来た際に『俺が生きている間は火怜さんの事は俺が守るが、死んだ後に何か困ったことがあったらどうぞ俺の子孫に相談してください』って言っていたからね。これは是非手伝っていただこうと思った訳なのですよ」
あー、私の一連のトラブルって先祖の約束のせいだったのか。そうか。こうなると、実は飼い主さんとの出会いも仕組まれていたのではないかと思ってしまう。
「ラグナログの予言に出てくる闇の神を打ち倒す太陽の力を宿した獣は本来エファの事なんですけど、佐藤さんが黄色い猫になったことで佐藤さんが夜柚を倒す獣と思われて良かったですよ。予言だと相打ちになってどちらも死ぬけど怪我一つしていないし、世界は終わらなかったし」
「あの姿にしたのは貴方では?」
「いいえ、猫の姿は本来の貴方の姿ですよ。地球では魔力も人語を解する獣の姿も受け入れることは出来ないから、世界の干渉にあって本来の力も封じられ、人の姿で生まれてきているだけです」
え、私の本性って猫なの。可愛い姿で良かったーとここは喜ぶべきなのだろうか。
「あの、前から気になってたんですが、ブーリさんは何でリュイさん……夜柚さんに対して怖いと思わないんですか? 両親やエファさんは彼を恐れ嫌っているのに。勿論、夜柚さんを大事に思ってくれているのは嬉しいんですけど」
「その質問は貴方が初めてではありませんから気にしないで下さい。闇の神である兄は疎まれて幼いころから幽閉されていましたからね。暖かな交流もなく、魔力が必要な時にだけ利用される。便利な機械としか思われていなかった。そんな状態ではとてもこの世界は長く持たない。世界を怨み破壊を始めるのは目に見えていたから最初は兄を一人にしないため、打算ありきで近づいたんだ。ま、世界を滅ぼす神がどんな方なのか興味もあったのですけど」
世界を滅ぼす力をもつ相手なら尚更一人にしてはいけないし、冷遇何てもってのほかという考えは分かる。道徳心というものは本来周りに教えられて学ぶものだからね。というか、興味もあって近づいたとかやっぱり豪胆な子だな。
「話し方も人との触れ合いの仕方も分からない彼に話しかけて言葉を教えて、殴ったり傷つけたりする手以外にも触れ合いはあるのだと教えるためにスキンシップは結構しましたね。普段こんな性格じゃないんですけど。魔法で兄の色彩を変えてどうかこの世界を愛してほしいと、色々なところに連れ出して遊びましたね。彼に放浪癖が出来たのは僕のせいでもあるでしょう。最初は話し方も僕そっくりだったんですよ」
うわ、どっちが兄だかわからないな。ブーリさんも結構な世話好きだけど昔からなんだ。あ、だから春に出会ったときは全部敬語で話していたのか。あの話し方振り返ってみれば声のトーンや速度、一人称までブーリさんと一緒だわ。
その後、こちらは半年ほどだが向こうでは結構時間が流れていたようで、可愛い子には旅をさせろな精神で一時期ブーリさんがリュイさんの元を離れていた時に今の話し方や人付き合いの仕方が確立されていったそうだ。基本人嫌いなんだと思っていたけど、マイルドになって良かった、僕の接し方は間違っていなかったとしみじみブーリさんが言うってことは、最初期って相当だったってことだよね。
「で、貴方はこの先どうしますか?」
「どうって?」
「僕としては向こうの世界でずっと夜柚の傍に居て欲しいけど、貴方には地球に家族や友人、もしかしたら恋人もいらっしゃるかもしれませんね。だから、無理強いはしません。それか、夜柚君がこっちで暮らすか。あぁ、それでもいいですね。あの世界は彼には優しくない。どっちがいいか佐藤さんが選んでください」
突然究極の二択が付きつけられたな。迷っているとゆっくり考えてねと慈愛の籠った笑みを向けられ、頭を優しく撫でられる。心地いいな、と和んでいるとブーリさんはハッとした顔になり、「また来ますね」と唐突にその場から掻き消えた。え、何事!?
まぁ、考えても分からないのでブーリさんが言っていた選択について考えようか。
正直、うちの両親は相手が異世界の神であっても怖がらないと思う。特にお母さんは悪魔相手に一歩も引かずにお父さんを取り合っていたくらいだ。娘の私が言うのも何だけど精神力は超合金のオリハルコンレベルだと思う。私は地球での暮らし方しか知らないし、彼が偏見や悪意の目にさらされないのは地球だと断言できる。だから、こちらの世界に連れ去ってしまいたいのが本音だ。
でも、飼い主さんはどうだろう。こちらの世界に来たら自由に本来の姿には戻れないし、魔法も使えない。友達や家族もいるのにそれを残して私を選べなんて言えない。科学の発達度合いは向こうと大差ないから暮らしの上ではあまり困らないだろうけど、慣習や文化は違う。苦労をさせることが分かっているし。やはり、ここはせめて生活の上での苦労はかけないように私が養えるレベルになるまで待って貰って、指輪を買ってプロポーズするのが正解なのでは。(錯乱)神様にとっては数年くらいアッと言う間だろうし。
いやでも、そもそも許可なく唇奪っていくような犯罪者、飼い主さんは嫌いでは。私に好意があると思っている前提で考えていたけど顔も見たくないと思われていたり。殺してと言った理由も信頼していた私にいきなり襲われて絶望して死にたくなったからという線だってあり得る。ここは、やはり飼い主さんに一度会って誠心誠意謝ってからだよね。と結論付けたのはいいけど、私どうやって向こうの世界に行けばいいんだろう。
答えは出ないまま日常に戻ったものの、現在私は高校3年生で受験生だ。まずは目の前の入学試験を倒さないといけないよね。あー、現実が帰ってきてしまった。
佐藤さんは、わりとすぐにユグドラシルに殴り込みに行く羽目になります。




