空の幕、またいつか
温かみのある朱色の壁紙が貼られ、繊細な草花の彫刻が施された書棚や飴色の書き物机などの美しい調度品が置かれた書斎。
その部屋の主である金髪の青年は、落ち着いたチョコレートブラウンの色をした皮張りのソファに足を組んで座り、時折サイドテーブルに置かれた紅茶でのどを潤しながら優雅に読書を楽しんでいた。
「来たか」
ふと、何者かの気配に気づいたかのように青年は本から顔を上げると、テーブルに本を置いた。目線は、パチパチと火炎が薪をなめながら燃えている白い大理石造りの暖炉へと向けられる。
炎が一際大きく火柱を上げて燃え上がると、人の形を取り始める。そして暖炉の前に、黒いベールを深くかぶり表情の読めない女が立っていた。
「そろそろ来る頃だと思っていたよ」
「どうして私の邪魔をしたの。エファ」
「エルドラードで政変を起こしたことについては謝らないよ。人は強い。古いしきたりに縛られず、いずれは神の力に縋らなくても自分たちの力で立って行く必要があった」
「そのことを言ってるんじゃないわ」
女は腕を組むと苛々と人差し指で腕を叩いている。ベール無しに顔が見えたのなら、その表情は憤怒に染まっていただろう。
「どうして黙ってあの猫を殺させてくれなかったの。貴方だって別にあの子のことは」
「時期が早すぎる」
たんたんと叩いていた指の動きが止まる。
「大きな絶望を与えるには、まだ絆が深まっていない」
「そうかしら? 彼は随分猫に心を許していたようだけど」
忌々し気に女は唇を噛む。エファはただ静かな表情で、冷めてしまった紅茶をすする。
「あれで失われるのは精々猫を生贄に捧げた神官の命と、原因となったエルドラードの国土が焦土になる位だ。それよりも、自分が原因でもしあの猫が死んだとしたら、果たしてあの黒い魔物は生きていられるかな」
「そうね、そうなったらもっと楽しいことになりそうだわ」
女はエファの言葉を脳内で吟味し、それはそれは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「じゃあ、もう少しあの猫は生かしておいてあげる。……ねぇ、いずれそうなる機会はあるかしら」
「貴方がそうなるように、運命を定めればよろしいのでは」
「愚問だったわね。今度は貴方も邪魔をしてこないようだし。じゃあ、あの子があの猫を一番大事に思ったその時に猫の命を終わらせましょう。そうしたら、きっと素敵な表情を見せてくれるでしょうね」
女はうっとりと呟く。花瓶に活けられた、黒の魔物に大切にされる猫の毛並を思わせる黄色いバラを一つ手に取り、ぐしゃりと花を握りつぶした。
「ごきげんよう、また会いましょう」
その言葉と共に、女の姿が掻き消える。部屋には、暖炉が燃える音しか響かない。
エファは重々しく息を吐き出すと、目を閉じ、ゆっくりと背もたれに体を預けて、ソファに深く体を沈めた。やがてぼんやりとした青藍の瞳が天井を捉える。
しばらくして、身を起こして座りなおすと彼は薄く口角を上げた。
「そうなる前に早く僕を殺しに来てね。佐藤さん」
内容と似つかわしくない、睦言のような甘い声音で桜色の唇から言葉を紡ぐと、ほうっと熱い息を零した。
こんにちは、猫の佐藤です。ただ今の季節はいよいよ夏が到来する6月下旬になりました。エルドラードで仲良くなった女性・ミオさんの誘いで、私たちは今夏至祭に沸き立つフロレンティアの首都であるアルビレオに来ている。
駅まで迎えに来てくれたミオさんは今日は菫色のワンピースを着ていて、いい所のお嬢様のようだ。
初めて彼女に会うブーリさんにミオさんのことを紹介しようと彼を振り返ったところで、珍しくポカーンとした表情を見せるブーリさんに驚いてしまった。
「何だ、友だちってミオさんだったんだ。お久しぶりです」
「やっぱり、あの気配からしてリュイさんはブーリ君のご家族だったのね。いつも妹がお世話になっています」
「え、えーっと、お二人は知り合いなの?」
「僕と兄さんはミオさんの妹と幼馴染だから、その関係で僕だけ1度お会いしたことがあるんですよ。でも貴方があの島から出るなんて驚きました」
ブーリさんの言葉にミオさんは苦笑を返した。あまり触れてはいけないような雰囲気だ。
「ごめんなさい、隠すつもりは無かったのですが確信が持てなかったので。改めまして、キャロラインの姉のミオゾティスです。妹ともどもこれからよろしくお願いします」
キャロラインって確か前にリュイさんが聖剣に刺されたことを伝えてくれた、占いが得意なブーリさんの友人さんだ。ミオさんは私に優しい笑顔を向けると、そっと頭を撫でてくれた。
「久しぶり、また佐藤さんに会えて嬉しいです。あれから、何か怖いことに巻き込まれたりしていない?」
可憐な女性に、心から心配されるって本当に役得ですね。その表情も麗しい。って、見惚れている場合じゃなかった。受け答え大事。
「はい、リュイさん達に守ってもらっているので。あの、前にキャロラインさんの予言にお世話になったので何かお礼をしたいのですが、妹さんにお会いすることはできますか?」
「あら、そうなんですか。気にしなくていいと思うけど。あの子は普段、この大陸の北の果ての国にいるからすぐには会えないわ。私から伝えておくね」
「ありがとうございます」
「でも、多分そのうち貴方も妹と会うことになると思うよ」
どういうこと? と首を傾げるが、ミオさんは笑って私の背中を撫でた。
ミオさんによれば、アルビレオは新市街と旧市街で随分趣が違うらしい。新市街は、観光業に力を入れているこの国の政策として建物がパステルカラーで塗られており、おもちゃの町のような雰囲気で歩くだけでも楽しい。オシャレなカフェや雑貨屋、ブティック等が多く立ち並ぶ商業区域でもある。
一方、旧市街は昔から大国に挟まれ常に領土を脅かされて来たこの国の歴史のために、石造りの巨大な城壁に囲まれ、家一軒一軒に全てに作られた戦争時に備えた高い塔が立ち並ぶ重厚な街並みになっている。
ミオさんとは、明日の夏至祭を一緒に周る約束をして今日から泊まるホテルの前で分かれた。
で、ホテルに入ったのだがそこが凄かった。まず玄関でホテルマンがお出迎えしてくれて荷物持ってくれるし、部屋まで運んでくれるし、座り心地良さそうなソファが並んだ広々としたロビーでは、シャンデリアが輝き、何故か川が流れていた。岸には綺麗な花々や真っ赤なポインセチアが咲いて華やかだ。ロビーの隅に置かれたグランドピアノでは見事な演奏が繰り広げられていた。この曲、ドビュッシーの「月の光」だ。異世界にもいらっしゃったんですね。
「あの、ここお高いホテルじゃないんですか? 大丈夫!?」
庶民な私は心配になって添乗員に尋ねる。
「そこまで高いわけでは無いですよ。フロレンティアにとってこれ位のホテルは普通ですから」
苦笑して言うブーリさんに、きっとここはドバイなんだと思う事にした。
ホテルの部屋は最上階であり、目の前にライトアップされて神秘さを増したこの街の観光の目玉である大聖堂が見えるという極上の部屋だった。床に敷かれた絨毯も柔らかくて高級品だとわかる。金色のベッドカバーは初めて見るなと思いつつベッドに飛び込めば、予想を裏切らないフカフカさだった。あ、雲の上で寝たらきっとこんな感じなんだろうな。
その後は、屋台に繰り出して美味しい料理に舌鼓をうち、長時間の移動の疲れがあったのか私は早々に高級ベッドで眠りについた。
翌朝。見事な庭園が目の前に広がる広々としたレストランで朝食をとった。
バイキング形式でフロレンティアの名物が色々食べられて満足だ。舟形のピザであるピデは具としてチーズやひき肉、サラミが入っていてご馳走食べている感じがして大いに良かった。
なお、食後はチャイが定番らしい。インドで出てくるミルクティーではなくミルクなしのストレート。ガラスの器に入ったチャイに大きな角砂糖を二つも三つも入れて甘くして飲むのがフロレンティア流。いや、美味しいけど周りの人みたいに何杯も飲むのは無理かな。
今日は夏至祭の見学のために、アルビレオ郊外に広がるトリスクリア高原に向かう。青々とした草原の中には白や紫、黄色の花々が咲き乱れる光景が何処までも続いていく。草原に細くたなびいた雲の影が映る。この地下には広大な都市の遺跡が広がっていて、住居のほか食糧庫やワインの鋳造所、家畜小屋まである。そして、新年祭の時期には洞窟を利用した地下都市跡に神話の場面を再現した人形やこの洞窟住居に住んでいた当時の人々の生活を再現した人形が展示されるらしい。馬に乗った兵士や羊飼い、鍛冶屋など当時そのままの庶民の生活を見ることが出来る。今度は新年祭にも来てみたいな。
そして、夏至祭初日の今日は別名レッドドレスデーとも言われ、周りの人は赤いドレス姿だ。女性は目の保養だが、厳ついひげ面の男性までドレス姿なのは。いや、まぁ、個人の自由か。
ミオさんも裾の花の刺繍がアクセントになった赤いワンピースを着ていてとても可愛らしい。本物の生花で作った花冠も相まって、花の妖精さんが目の前に現れたようだ。
そして、更にブーリさんも初対面の時の様な女性の姿に化けているのだが、今回は髪を結い上げて顔には大人っぽい化粧を施し、大胆に肩を出したドレス姿に金色のヒールという、大変にミステリアスで大人の色気を漂わせた姿になっている。
グッジョブです! ユアウィンです!
この二人の対照的な美を見て鼻血を噴かなかった私を誰か褒めて欲しい。やたら興奮する私に女の子の方が好きなのかとリュイさんまで女性に化けようとしたが、全力で止めました。
彼まで麗しい女性形を取ったら本当に心臓がもたないし、ただでさえ私の飼い主さん(仮)は色気が滴っていて大変目に毒なのに、女の子になんかなってみろ。秒で襲われるぞ。という訳で絶対に阻止。セコムの手が足りません。
洞窟の見学を終えて、外に出れば民族衣装を着た町の人たちが花で飾られたメインオブジェの前で歌を歌ったり踊ったりしていた。楽器の演奏なども今日だけは自由にしてもいいらしい。
日本でも駅や空港何かに誰でも弾いていいピアノが置いてあるけど、何故か草原の真ん中に置いてあってちょっと面白かった。
では、小学校から練習して来たピアノを披露しましょうかね。私はピアノも弾けるスーパーなお猫様なのだ。
私のお気に入りのバンドの曲に、友だちと夏祭りに行ったときの思い出を歌った曲があるんだよね。本家はギターがしびれるくらい格好いいのだが、ピアノでアレンジしよう。
久しぶりに弾くピアノが楽しくてノリノリで歌い終わったら何故か拍手喝采を受け、アンコールをおねだりされてしまった。というか、またブーリさんは泣いているけど、これ別に悲しい歌じゃないよ?
地球の歌を何曲か布教して満足した私は、リュイさんたちと共にその場を離れる。
「ねぇ、佐藤さんは夏至祭の夜の伝説って知っている?」
「いいえ、何かあるのですか」
悪戯っぽく笑いかけるミオさんの可愛さに心臓を掴まれつつ、私は何でもない口調で尋ねる。
「夏至の夜に7種類の花を束ねて枕の下に入れてから眠ると、夢で未来の花婿に会えるのですって。ロマンチックよね~!」
何と。佐藤家はドラマチックな恋愛をしがちだから、先に相手の顔を知っておくほうがもし出会ったときに死ぬ覚悟が出来て、冷静に対処できるよね。
私は早速花畑から花を集めて花束を作った。
因みに、それを見てリュイさんが佐藤さんは誰にも嫁にやりません! と荒れていたけど、お父さんか何かなのかな?
はい、時刻は現在午前0時。皆さまおやすみなさい。そして待っていてね、未来の旦那様。
「愛には年齢がなく、限界がない。そして死がないBy佐藤!」
いや、それジョン・ゴールズバージーの名言! という友人のツッコミは聞こえない。
友人と従兄弟は無事に大学に合格したようで、入学式の写真が送られて来た。二人とも同じ大学だから、仲良く大学構内の桜の下で写る写真に本当なら、私も同じ大学だったかもしれないんだよなとちょっと感慨深くなる。浪人生になる覚悟はとっくの昔に決めたから別にいいが、二人の事は絶対に「先輩」と呼びたくないので、私は来年別の大学を受けよう。
眠りに落ちてすぐ、私は淡い金色の光を帯びた大きな木の下にいた。さわさわと、木の周りの草花が風に揺れている。目線を上げると、雲一つない鮮やかな青い空で牧歌的なのどかな風景だ。昼間居たあの高原の記憶のせいか。
「お客さんとは珍しいですね。どうしました、猫さん? 迷子かな」
優しい口調だが、どこか色気を孕んだ声はどこかで聞いた気がする。でも、思い出せない。
風に揺れる艶やかな黒髪をした美丈夫はこちらを見てフワリと微笑むと、しゃがんで手を差し出してきた。ニャーンと鳴いてすり寄れば、苦しくないように気を付けながら抱きかかえられる。
「人懐こい猫さんですね。攻撃されないなんて初めてだ。貴方は暖かいですね」
赤味を帯びた金色の瞳が私の瞳と合わさる。青年はそのまま口角を上げて妖しく微笑むと、私の頬に口づけをした。
「また、お会いしましょうね。今度は貴方の名前が呼びたいなぁ」
翌朝。目覚めた私は凄まじいイケメンと会話した記憶はあるのだが、肝心の顔も名前も忘れてしまっていたのだった。無念。




