表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/32

「死ぬ」が口癖の彼女の尻に敷かれてます

 キスされた。






 柔らかな唇が俺のそれと重なり、今まで感じたことのないような浮遊感に襲われた。


 多分それを、世間一般的にはキスというのだろう。


 女の子の、何とも言えぬ柔らかで優しい香りがした。


 二つの唇はしっかりと密着し、それからゆっくりと離れていく。




 自分の意思や感情と違うところから突然やってきた出来事に、俺は何が起きているのか瞬時には理解できなくて、頭の中が真っ白になった。




 目の前には小堀(こほり)悠希奈(ゆきな)の顔があった。


 勝ち誇ったような目で俺を見ている。




 前の授業で居眠りをしていた俺は、要するに小堀のキスで起こされた。


 授業の直後で、当然周囲にはクラスメイトがわんさかいたはずだったんだが、何故か誰も見てなくて。――移動教室か。次の授業は化学室で、居眠りしていた俺と小堀だけが教室に残っていたようだ。


伊織(いおり)君、早く行かないと遅れるよ」


 小堀は俺にそれだけ言って、軽やかな足取りで俺より先に教室を出て行った。






 ……寝ぼけてたんだろうか。






 それまで小堀と一切絡みのなかった俺の頭は、酷く混乱した。


 今のはキスで間違いないのか、本当に誰にも見られていなかったのか。


 キスだと思い込んでしまっただけで、本当は何もなかったのか。


 何度も首を傾げながら、教科書類を抱え教室を出る。




 夢か。


 夢に違いない。


 まともに喋ったことさえない女子に、一方的にキスされるなんて。








   *








 小堀悠希奈は普通の女子高生だ。


 清楚ってわけでもなければ優等生でもない。かといって男好きなわけでも、リーダー的なところがあるわけでもない。いわゆるモブ的な平素な顔で、可愛いか可愛くないかと言われれば、まぁ可愛い方じゃないのってくらい、目立たなかった。


 性格が良いとか悪いとか、そういう話題にすら(のぼ)らない、本当に普通の、何の変哲もない女子高生が、いきなりクラスメイトの男子にキスなどするだろうか。


 単なる居眠り中の妄想か。だとしたら最悪だな――程度に、俺は自分の中にその問題を押し込めようとしていた。




 ところが、だ。




 その日の放課後にはもう、どうやらそれが夢ではなかったらしいと、俺は打ちのめされたのだ。




 テスト前で部活もないし今日は帰るかと、いつものように席を立ち、リュックを背負った直後、小堀悠希奈が目の前に立ち塞がった。


 小堀は屈託ない笑顔を俺に向ける。




「伊織君、今日は部活ない日だよね、一緒に帰ろ?」




 ――?


 バスケ部仲間と寄り道して帰る予定だった俺は、無言のまま首を大きく傾げた。


 下の名前を堂々と呼ばれたことや、声のトーンがおかしかったことなんて、そのときはどうでも良くて、そんなことより友達の居る前でお前なにを言い出すと、そればかりが頭を巡った。


 祐弥(ゆうや)英和(ひでかず)も、俺と小堀を交互に見て目を丸くしている。


「ちょっと、小堀さん。何言ってんのかイマイチわかんないんだけど」


 小柄な小堀は、不思議そうな顔で俺を見上げている。


 ――おかしいぞ。


 確か俺、小堀とは一切絡みがなかったはずだ。高校で初めて出会ったし、クラスが一緒になって数ヶ月経ったとは言え、何かで恩を売るようなことも、会話したこともなかったはず。


 俺の認識が間違っているのか?


「俺たち二人で帰るから、伊織は小堀さんとどうぞ」


 祐弥が目を細めて手を小さく振る。


「ハァ? ちょ、待てよ! 俺はそんな」


「遠慮すんなって。伊織、応援してるからな。イケメンは辛いねぇ」


 英和まで、ポンと俺の肩を軽く叩いて仏のような顔をしやがって。


「違っ! 違うんだってば」


 俺を置いて帰ろうとする二人を追いかけようと伸ばした手が――、小堀に遮られる。


「……だって。さ、一緒に帰ろう、伊織君」


 肩までのストレートヘアを揺らして、小堀が微笑んだ。


 あ、可愛い。


 じゃなくて。


「小堀、お前何考えて!」


 騒いでる間に教室から皆居なくなって、俺と小堀が二人きり残されてしまった。


 小堀はニコニコ顔で通せんぼしたままだ。


 窓から差し込む柔らかな日差しが、小堀の顔をくっきりと照らす。


 俺の胸の位置までしかない小さな小堀は、首が痛くなりそうな角度で、キラキラした目を俺に向けている。




「――竹内伊織君」




 ふいに、小堀がフルネームで俺を呼んだ。


「な、なんだよ」


 俺は顔をしかめて、あからさまに迷惑だと表情で訴える。


 けれど彼女は、全く動じずにニッコリと笑ってみせた。




「私と、付き合ってくれる?」




 ……目が、点になる。




「キス、したでしょ? 私、本気だから」




 俺は咄嗟に居眠り後の柔らかな感触を思い出した。


 生まれて初めて感じたぷるぷる感。それが今、目の前で訳の分からないことを言ってる小堀悠希菜の唇で。


 ――赤面する。


 頭の先まで血が上って、体温が急上昇する。


 口元を手で隠し動揺をこれ以上悟られまいとするが、無理だ。驚き過ぎた俺は、体勢を崩し、よろけて周囲の机や椅子にガンガンぶつかった。


 慌て過ぎだ。一旦呼吸を整えよう。理解を超えるにも限界ってもんが。




「ちょ、ちょ、ちょぉっとゴメン。小堀、俺、別にお前のこと好きじゃないし、キスだって勝手にお前がやっただけだし。第一、俺のどこが良いの。全然意味わかんねぇんだけど」




 苦笑いしか出てこない。


 理解が遠く及ばなくなるって怖い。


 頭おかしいんじゃねぇの、コイツ。




「全部。全部好き。ここ最近、伊織君のことばかり考えてる。伊織君と出会えて良かったって思ってる」




 びょ、病気か。


 メンタルおかしいんじゃ。




「……迷惑?」




 俺のあからさまな態度に、小堀はとうとう、表情を暗くした。まるで空気のしぼんだ風船みたいに、突然勢いがなくなった。


「常識的に考えれば、まぁ……、迷惑」


 好きでもない女に突然キスされて付き合ってなんて、これが男女逆だったら完全に訴えられるケースだ。


 制服の襟を正して、俺は小堀を見下ろした。




「そう……だよね。順番間違えちゃった。告白してからキスするんだった。……あはは。ゴメン。伊織君の気持ちも何も考えないで、自分だけで突っ走って」




 ばつが悪そうに、小堀は後頭部を何度か掻いた。


 そして顔を引きつらせたまま、俺に背を向ける。






「やっぱり、生きてても仕方ないかな。――死のう」






 ……聞き捨てならない言葉を聞いた。


 今、小堀、妙なこと言わなかったか。


 咄嗟に俺は小堀の腕を鷲掴みにし、ぐっと自分の側まで引き寄せた。


「おい、今なんて言った」


 小堀の目は、死んだ魚のようだった。




「死のうかなって。伊織君と付き合えなかったから、死のうって」




「――ハァ?」


「生きてても意味がないもん。伊織君と付き合えたらきっと素敵な毎日が訪れると信じて、それだけを心の支えに頑張ってきた。でも、ダメだっていうなら死ぬしかないかな」


「ばッ! おまっ! バッカじゃねぇの?! 男なんてこの世にごまんと居るのに、俺に振られたくらいで死ぬなんて」




 そこまで言って俺は、息を飲んだ。


 制服の袖口から覗いた小堀の手首に、赤い傷跡が何本も。腕のシワと並行に、新しい傷と古い傷が無数に走っている。




 これは。


 もしかして。




 さっきまで頭に上っていた血が一気に足元まで下っていった。


 逃げた方が良いのではと、脳みそが変な指令を出し始めた。


「見えた?」


 小堀は腕を振り解いて手元を隠し、俺から数歩距離を取った。




「私、本気だよ。本気で死のうとしたの」


 今度は力強く、小堀は俺に訴えかけてきた。




「人生に良いことなんてひとつもない。大切なものは全部消えていくし、手に入れた物は壊れていく。だから死にたい、死んで楽になりたいって思った。進学しても意味がないって思ったけど、この高校には竹内伊織君、あなたがいた。私、運命を感じたんだ。伊織君と付き合いたい。伊織君と素敵な日々を過ごしたい。私の気持ちは嘘じゃないよ。――お願いします。竹内伊織君。初めて見たときから、胸のドキドキが止まらないの。付き合ってください。そして、私のこと救ってくれませんか」




 ――それが地獄への扉だということは、なんとなく感じていた。


 彼女はメンヘラで、俺は標的で。


『付き合ってください』の次が、『救ってください』で。


 明らかにおかしい。




 けれど、そこでゴメンと頭を下げることが、俺にはどうしても出来なくて、小堀に押される形で、


「……いいよ」


 だなんて。




 言わなければよかったのに。




 小堀は目を潤ませて、首が痛くなるだろう角度で俺を見上げている。


「本当にいいの?」


「えぇっと……、よくはないけど、いいって言わないと死ぬって、そっちが脅迫したんじゃ……」


「別に脅迫してないから。死のうと思ったのは本当だけど」


 ……ややこしい。






「伊織君が、私のこと好きになればいいんじゃない?」






 ――と、彼女は唐突に変なことを言う。


「好きに? 小堀のことを?」


「そう。本気で好き同士になったらさ、私、死にたくなくなると思う」


 そう言って、小堀悠希菜は俺の腕にしがみついた。


 ヤバい。これはマジでヤバい。


 今からでも断ろうかな。急に寒気が。


「あ、あのさ、小堀。俺、やっぱり」


「やっぱりは無し。ちゃんと聞いたんだから。オッケーの返事!」


 小堀は差し込む西日の中、満面の笑みを浮かべていた。




 積んだ。


 俺の高校生活、マジで積んだ。




 突然出来た初めての彼女が、死ぬ死ぬ言うとかマジあり得ん。


 これってまさか、新手のデスゲーム……?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ