僕の彼女はメシマズの錬金術師
「そういえば昨日、カレーを作ってたら異世界への扉が開いちゃったのよ」
「なんて?」
大学の学生食堂でお昼を食べていた相田宗平太は、対面に座る彼女の言葉に、思わず自分の耳を疑った。
唐揚げ定食を食べる手を止めて聞き返すと、彼女は律儀にも同じ言葉を繰り返す。
「いや、だから、異世界への扉が開いたの」
「それはなんだろう、味の新境地を拓いたことの比喩表現とか、そういうことではなくて?」
「物理的な話。なんかこう、空間がぐにゃってなって」
無表情のまま「ぐにゃっ」と言いながら両手で作った円を歪ませてみせた彼女に、宗平太は額に手を当てて考えた。
「えーと……、それはどこに開いたの?」
「私の部屋のキッチン。直径1メートルくらいの穴が、ガスコンロの横に開いたわ」
「それ、まだ開いたまま?」
「ハンガーラックとバスタオルで隠してはいるけど、たぶんまだそのままね」
それって色々と危ないんじゃないだろうか。
というよりも。
「もうひとりではカレーを作らないって、僕と約束したんじゃなかったっけ?」
宗平太の彼女──尾張志乃──は、ものすごいメシマズなのである。
料理をして、まともに食べられるものを作れた試しはなく、いつもとんでもないものが出来上がる。食べ物の形をしていることが稀なくらいで、まさしく現代の錬金術師といった具合である。
先月末にもひとりでカレーを作ろうとし、その結果タイムマシンを作ってしまったばかりなのだ。
戦乱の世を生きる武将たちに直に会えたのは宗平太にとっても良き経験となったが、それはそれとして、あんな無茶苦茶なことはもうこりごりだ、と宗平太は思っている。
だからこそ宗平太は、志乃がカレーを作るのはもとより、ひとりで勝手に料理をすることを禁じている。
志乃がひとりでキッチンに立ったとき、何が起こるか予測がつかないからだ。
ただ、志乃がその宗平太との約束を守ったことはない。
毎度毎度志乃は、今回こそは大丈夫だろうという何の根拠もない自信のもと、到底料理とは言えない代物を作り出すのだ。
「前回は甘口だったから、今回は中辛にしたら大丈夫かなって」
「余計にヤバい結果になってるよね。時間どころか時空を越えたんでしょ?」
そうだね、と頷く志乃に、宗平太はズリ落ちそうになった眼鏡を押し上げる。
「……それで、今、その話をするってことは、僕にどうしてほしいってわけさ?」
「午後の授業が終わったあと、時間ある?」
「……バイトの予定は、入ってないけど」
志乃は、両手で作った輪を通して宗平太の顔をのぞき込んだ。
「面白そうだからちょっと向こう側に行ってみたいんだけど、ひとりだと寂しいから一緒についてきてほしい」
「やっぱりね! そう何度も何度も僕が素直に頷くと思ったら大間違いだよ!?」
眉をつり上げてテーブルをばんばんと叩いた。
どうどう、と志乃は宗平太を宥める。
「聞いて。私の言うことを聞いてくれたらソウ君にもメリットがある」
「ほぉー? いったい何がどう得になるっていうのかな?」
「なんとびっくり、私が楽しくなって大喜びする。すると、それを見たソウ君も楽しくなってハッピー。ね、いいでしょ?」
至極マジメな顔で、というよりは、単に無表情なままで両手を広げて力説する志乃。
宗平太は残っていた唐揚げに箸をぶっ刺すと、そのまま口に放り込んだ。
「シィちゃんが、今の説得で僕が納得するって、本気で思ってるんだろうなってのはよく分かった」
「納得しないの?」
「それで納得するってんなら、恋は盲目どころの話じゃないよ」
どんな脳内お花畑野郎だと思われているんだろう、と宗平太は少し悲しくなった。
志乃の頭の中は年中ヒマワリが咲いているらしいが、普通の人間はそうではないのだ。
「そっか、じゃあ、どうしようか」
宗平太は、何を言われても絶対に頷くまいと思いながら定食の残りを口に運んでいく。
さて、午後の授業はなんだったっけな、と宗平太が考え始めたところで、志乃が別の提案をしてきた。
「それならソウ君。もしついてきてくれるなら、今度のデートのときにまたメイドさんの服を着てあげるわ。あのフリフリが付いたミニのやつ。それと、ひざまくらして耳かきもしてあげる」
「よし、午後の授業とかいいから今から行こうか。善は急げって言うもんね!!」
メイド服を着た可愛い女の子にひざ枕されるのがド性癖な宗平太は、午後の授業をサボって志乃の部屋に行くことにした。
志乃は、別に午後の授業を受けてからでいいのに、とも思ったが、彼氏がやる気になってくれたので一緒にサボることにしたのだった。
◇◇◇
志乃が住んでいるのは、12階建てマンションの最上階の角部屋だ。
過保護な両親が、県外に進学して独り暮らしを始めた娘のために借りているところで、オートロックや防犯カメラなどのセキュリティもバッチリである。
宗平太の住んでいる、シャワーからお湯すら出ないボロアパートとは雲泥の差だ。
学費生活費等々をすべてバイトで賄っている宗平太には、ボロアパートの家賃ですら高く感じるのだけれども。
「なるほど、確かにこれは異世界への扉っぽい」
実際に目にしてみると、そう表現するのが一番しっくりくるような穴が、空中にぽっかりと開いている。
穴の向こうには別の景色が広がっていて、こちらから懐中電灯で照らしてみると地下室のようになっているのが分かった。石造りの暗い部屋で、冷たくてジメっとした空気が漏れ出てきていた。
「穴のふち、今朝よりも揺らいでいるわ」
「それより、ほんとにここに入るの?」
宗平太が改めて聞くと、志乃はこくりと頷いた。考えは変わらないらしい。
「……もし、何か危ないことが起きるか、起きそうになったらすぐに帰るから。いいね?」
「分かったわ」
懐中電灯を持った宗平太が先に穴をくぐり、志乃がその後に続く。靴を履いてから室内を照らしてみると、木箱がいくつか積まれていたので動かして穴を隠しておく。
「出入口もあった。鍵は……開いてる、と」
古びた木製の戸をそっと押し開けると、左右に通路が伸びているのが見えた。左を照らすと少し先に階段が見えていえ、階段の上のほうには明かりが見える。右は突き当たりが見えないくらい奥まで伸びていて、ずっと真っ暗なままだ。
「やっぱりどこかの地下室って感じね」
「通路の長さからすると、上も結構広そうな……、ん、ちょっと待って」
扉から一緒に顔を出して通路をのぞき込んでいた志乃を、部屋の中に押し戻す。
「……上のほう、なんだか騒がしくない? 何か、人が争っているような声と物音が……」
「確かに聞こえるわ。怒声のようね」
志乃にも同じように聞こえたらしい。
ひょっとしてこれは、早くも危ないことが起きているのではないだろうか。
すると、階段のほうから足音が聞こえてきた。
「……誰かが階段を降りてきてる?」
とっさに宗平太は懐中電灯の明かりを消した。
戸を少しだけ開けた状態でこっそりと階段をのぞき見る。
「***。******」
「****!」
聞こえてくる足音はひとつではなく、足音と一緒に言い争うような声も聞こえてきた。
宗平太は耳をすませるが、言葉が違うのか何を言っているか聞き取れない。
「*******!」
それでも姿だけは見ることができた。
階段を降りてきているのは、鎧姿でカンテラを持った女性と、女性に手を引かれているドレス姿の少女だ。
ふたりは宗平太たちに気付かないまま、部屋の前を通り過ぎて通路の奥へと進んでいった。
宗平太には、鎧姿の女性がドレス姿の少女の手をむりやり引いていっているように見えた。まるで何かに追われて逃げているみたいだ。
「△△△△△△!」
さらに今度は、階段の上から男の声がした。
ドカドカと乱暴な足取りで、何人もの足音が地下通路に降りてくる。
「△△△△△△△」
「△△△△。△△△△△△△!」
宗平太は部屋の戸を完全に閉めて息を潜める。
何と言っているか分からないが、声の調子を聞くだけでも、決して友好的な対応をしてくれそうには思えなかった。
こちらも見つかるのはマズいだろう。
二言三言話した後、男たちの足音は先ほど逃げていった少女たちの後を追って進んでいった。
少女たちは、この男たちから逃げていたのだろうか。
見聞きしただけの様子では、そのように思えた。
「──△△△! △△ー!」
通路の奥から最後に男たちの声が聞こえたあと、ひとつ、ふたつ、みっつと数えていき、20まで数えたところで、宗平太はそっと戸を開けて通路の様子を確認する。
「……もう誰もいないね」
何やらバタバタとしていたが、巻き込まれなくてよかった。
そう思った宗平太は、今のうちに穴から戻ろう、と志乃に言おうとした、が。
「ソウ君。さっきのふたりは男たちに追われていると思うの。助けに行きましょう」
志乃が、マジメな顔でそんな事を言ってきた。
「え……、シィちゃんそれ、本気で言ってる?」
もちろんよ、と志乃は頷く。
宗平太は「どうやって?」と聞いた。
「これを使うわ」
志乃の手には、いつの間にか自分の部屋から取ってきたであろう生卵と練りワサビのチューブ、スティックシュガーと頭痛薬があった。
「ま、まさか」
おののく宗平太を尻目に、志乃はその場で錬金術を開始した。




