異世界無双するはずが女体化転移した妖怪達に命を狙われています
目抜き通りから離れた、昼間でも薄暗い路地。
その一つ一つをのぞき込むようにして、青年は忍び足で歩いていた。
誰もいない路地を見ては小さくため息をついて次へ。
「なんだよ……異世界に来たってのに、困ってるヒロインが欠片も見当たらん……」
彼が異世界と呼ばれる場所に来てから早や数日。未だ冒険の始まりと思えるような出会いやイベント起こっていなかった。ハーレムもなければ、無双もできない。
手に入れた異能を発揮できる機会を探し、青年は街の徘徊を繰り返していた。
いくつかの路地をそうやって確認していると、青年の望む光景があった。
少女一人の行く道を塞ぐように囲む男が二人。怯えたような少女の表情。よからぬ現場、しかしそれは青年が切望したシチュエーションだった。
――いける。今日こそオレの伝説が始まる。助けたあの子に惚れられて。悠々快適異世界ライフが幕を開けるのさ。今日は邪魔も入らなさそうだ。行くぜ!
辺りを見回し、邪魔をする人影がないことを確認してから、青年は揚々と路地へと躍り出た。
「そこまでだ、悪者ども!」
「なんだぁ、てめえ」
振り返った男は、威圧するように低い声でそう言った。
見るからにガラの悪そうな、ゴロツキを絵に描いたような彼らの風貌と態度に青年は歓喜する。
高笑いしたくなるような高揚感を必死で押さえ、クールに返す。
「俺か? 通りすがりの……正義の味方さ!」
勢いよく突き出した青年の右手の先。拳大の炎が魔力によって練りあげられていく。
そして、それを見たゴロツキの一人がたじろぐ。
「ま、魔法ッ!?」
その反応が欲しかったのだと、いよいよ愉快そうに口の端を上げ、青年は左手をもゆっくりと上げて、そこに雷を纏わせた。男二人と、さらには少女の表情も一瞬にして凍り付く。
「しかも、別の魔法を同時にぃ!?」
「ひぃッ! バケモンだッ!」
「あ……あぁ、いや、た、助けて……」
少女の祈りを、自らに助けを請うものだと勘違いし、青年は微笑みかける。だがそれは、その微笑みは。彼ら三人にとっては、獲物を仕留める捕食者の浮かべる愉悦でしかなかった。
放たれた業火と雷。混ざり合ったそれらは禍々しく輝き、狭い路地を駆ける。
少女と男達は目をきつく閉じた。もうダメだと諦めて。
しかし、そこに。
空から飛来する一枚の白い布。きりきりと錐もみ状に急降下してきたそれは三人の前で意思を持ったように、そして彼らを庇うように拡がり、青年の放った魔法を包むようにかき消す。
「あーッ! お前、また……ッ」
青年が短く叫ぶ。
その声にまるで反応せずに、シーツ大ほどの白布は翻って男二人に巻きつき、数瞬で締め落とした。
いつまで経っても魔法の衝撃がこないことに疑問を感じた少女がおそるおそる細目を開ければ、ゆらりゆらりと漂う白い布が、青年と自分の間に浮いているのが見えた。
じわりと距離を詰め、布が少女に迫る。
未知の出来事と極度の緊張に、少女は意識を手放す。それでも布は止まることなく、ふわりと少女を包み宙へと運び去った。
「横取りすんなよ! おい、戻ってこい!」
青年は路地から空を見上げ、炎や雷、氷塊や光弾を放ったが、白布はゆらりゆらりとそれらをかわし少女を運び去った。
○ ○ ○
今日も、収穫は無かった。
街から少し離れた森の中の拓けた場所。傍に川も流れていて、留まるには絶好の場所である。青年がこの世界に来てからの野営地として使っているその場所に、彼はいた。
日が落ちて辺りは暗いが、魔法で起こした火を前に座る青年の周りだけは明るい。大岩にもたれながら、彼は大きく息を吐く。
異世界に来れば、必ず主人公になれると思っていた。夢を、願望を、欲望を叶える手段があると信じていた。
元の世界を捨ててきたことに後悔はない。未練もない。ただ、今の状況には我慢がならない。
「どこに消えたッ! 俺の酒池肉林生活はッ!」
吐き捨てて、夜空に向かって一撃、苛立ち紛れに火球を放つ。どこまでも高く夜空を駆けるかと思われた炎はしかし、不意にひゅるりと掻き消える。
夜空から青年の前に降りてきたのは、一枚の白い布。目も口もないただの白布は、それが当然かのように青年に話しかけた。
「主殿。痴戯なるは凡愚でござる。欲を自戒し、主としての自覚を……」
「意味の分からん言葉を使うな! おい、一反木綿。俺はお前のご主人様でもなんでもない。だいたい、どうして異世界に妖怪がいる」
「妖怪が異世界転移してはならぬ理由もござらん」
「だからって、俺の邪魔をするな! 俺はハーレムが作りたくてわざわざこの世界に来たんだ。妖怪に構ってる暇はない」
青年が憎々しげに言い放ち、手から風の刃を飛ばす。布を切り裂くかと思われたその刃は、やはり布に阻まれて掻き消えた。
「主殿。幾度試そうと無駄でござる。主殿が手に入れたその力は、この世界に生を受けた者にしか効かぬ。どうかまっとうに歩んではいただけぬか」
「嫌だッッ! お前には分からんだろう! 誰からも愛されなかった男の気持ちが! 誰にも見向きされなかった男の気持ちが!」
青年は魔力を体中に巡らせ身体能力を強化する。そして後ろにあった大岩を抱え上げ、一反木綿めがけて投げつけた。重量を感じさせない剛速球がうなりをあげて一反木綿に迫る。
「魔法でダメなら物理だコラぁ!」
「……避けるまでもなし」
布の一部をすらりと伸ばし、硬質化したその身をぎらりと光らせる。瞬時に幾筋も剣閃が走り、細かく寸断された岩の破片は後ろの川へ飛沫をあげて落下した。
あまりにも歴然とした力の差。思い描いていた未来予想図とのギャップ。それらを突き付けられ、青年は膝をついて泣いた。男泣きに泣いた。
主役は自分ではないのか。かわいい女性に囲まれる肉欲生活は夢でしかないのかと叫んだ。涙と鼻水を憚ることなく垂れ流し、布に向かって指を向ける。
「何より、お前だけ良い目を見ているのが許せん! さらったあの子をどうした! どうせあんなことやこんなことをしたんだろう!」
「我ら妖怪、我ら日陰者。せめて人の役に立つのが道理。娘なら、大通りの近くの物陰に運んでおいたでござる」
「それでも妖怪かちくしょうッ!」
その行い、その心意気、まさに聖人君子。妖怪とは一体何だろうかと青年は力なく下を向く。涙は未だ止まらない。
ひゅるりと一反木綿が浮かび寄る。その身はふわふわと揺れ、先ほどの鋭さを微塵も感じさせなかった。
「ささ、主殿。涙は拙者で拭くでござる。拙者の事をかわいく "いったん" とでも呼んでみれば多少は気分が出るのではござらんか?」
「妖怪の施しなんぞいらん。あと、その気遣いは気味が悪い」
暖簾に腕押すように手ごたえのない布をぐいと押しのけ、青年は川へと歩み寄る。水を掬って顔を洗おうとした時、青年は昏い水面がぐらりとうねるのを見た。
○ ○ ○
反射的に後ろへ跳ぶ。一瞬前まで青年がいた場所目がけて、鋭い爪をともなった腕が伸びていた。その長さは腕というにはあまりにも長い。青年の身丈程の腕はそのまま川辺の地面をつかみ、水の中から腕に連なってずるりと何かが這い出てきた。
「魔物かッ!?」
青年は咄嗟に雷を放つ。目標に向けて空気を裂いたそれはしかし、腕の一振りで掻き消された・・・・・・。水音をたてながら、ゆっくりとその存在が歩み寄ってくる。その姿に、青年は目を見張る。
人型をしたその姿。片側だけ長く伸びた腕はゆるやかに戻っていく。距離が縮まるにつれて明らかになってくるその風貌。
グラマラスな肢体。衣服の類を纏わず、しかし銀の髪は水を湛えたまま腰まで伸びて体を覆い隠すようにしてラインを描いていた。
何よりも青年の眼を奪ったのは、その表情。
憤怒、激昂が漏れ出ているかのような怒気を放つその表情に、青年は気押された。相手が半裸の女性の姿であることなど、意識する余裕もない。
再び、相手の腕が伸び、鋭く青年を襲う。
「ひっ」
短く声を上げると同時に、鈍く響く硬質な音。一反木綿が両者の間に滑り込み、爪の一撃をその身で受け止めていた。下がりながら青年に巻き付き、そのまま宙へと浮かび上がる一反木綿。
「貴様、何奴! この世界の存在ではないな!」
「私の名はウォジャノーイ。私は、探していた」
怒りを込めた、低い声。細い腕を上げ、一反木綿にしがみついている青年を指さす。
「その男を、私は探していた」
相手の間合いから離れたことでようやく落ち着きを取り戻しつつあった青年は空中から彼女を見て言った。
「いい体をしているのは認めよう。そして魔法も効かなかった。俺が何かした覚えはないが、一つだけ聞かせてくれ」
彼女の攻撃はこちらに届かない。その精神的優位は、青年の態度を大きくさせるには充分だった。
「ウォジャノーイと言ったな。ロシア伝承の水精だったか。俺の知る知識では、確か男性だったはずなんだが」
「それがお前の罪なのだ!」
青年の声をさえぎって叫び、彼女は大きく息を吸い込む。腹部を大きく膨らませ、レーザーのように放たれた水撃は、見事に一反木綿の不意を突いて直撃した。
「ぐうっ、不覚ッ!」
「飛び道具は卑怯だぞ!」
宙から叩き落された青年と一反木綿を見下ろし、ウォジャノーイは鋭い爪を容赦なく振り下ろした。




