学園の魔女は眠らない
黄昏の湾岸高架を巡行バスが走る。透過度調整された車窓から、彼方まで広がる海が一望できた。無人の自動運転席でシグナルが瞬き、ハンドルがゆっくり左右に回転する。通学支援用アプリが視界の隅で帰宅予想時間を刻む。帰宅途中の僕は、網膜投影型ARのリアルタイム対戦に没入していた。いくら綾碧の数少ない観光名所でも、毎日おんなじ通学風景に感動し続けるのは無理だ。対戦は佳境だったが、前触れなく画面が暗転。
「うわっ。せっかくリードできてたのに……」
御崎は低接続エリアじゃないってのに。眼鏡型端末の調子が悪いのか。ネットの向こう側にいるチームメイトに心で謝りつつ、耳元の電源をリセットしても接続エラー。前も似たような通信切れがあったな。これは修理に出さなきゃ、とため息。
「ん、んー? どしたの、晃お兄ちゃん?」
「ちょっとね」
栗色がかった短髪を揺らして舟を漕いでいた澪が、眠そうに目をこすって前席から振り向いてくる。帰るバスが従妹と被るのは一週間ぶりだった。
「帰る時ぐらい、ゆっくり寝てればいいと思う」
「まだ1ゲームはできたはずなんだよ……やっぱ動かないな」
「お兄ちゃんは元気だね、ぁ、ふわぁ~ふ」
午後の授業でバドミントンを選択している澪は、跳ねたり走ったりは苦手らしくお疲れのようで、大あくびをかました。以前に、運動が不得意ならどうして大変そうな種目を選んだのか聞いたら、面白そうだから! と答えてたな。
コンパクトシティ構想のもとに市町村合併で生まれた、綾碧市。幼小中高大まで統合され、市街緑化区やや外れに建設されたのが広大なキャンパスを誇る綾碧学園だ。単位制が導入されたため授業の受け方は融通が利くし、通学者向けに自動運転バス交通網まで整備された。ウチの両親は生まれも育ちも御崎だったので、母校が統廃合で無くなってしまい複雑なようだが、そこまでは僕の知ったこっちゃない。
海外赴任中に夫を事故で亡くし、深瀬の伯母さんが娘たちを連れて御崎に戻ってきたのは、ちょうど同じ頃。伯母は事情があって実家と疎遠になり、海外に行った後はかろうじて両親との遣り取りがあったぐらいらしい。ほぼ同年代なのに、僕が彼女たちに会うのも初めてだった。ウチの両親から彼女たちの話を聞いた記憶が全く無いのだけど。聞いたはずなのに忘れてしまってるなら、僕が他人に対して無関心な証なのだろう。
大学三年の雪、高校二年で僕より一つ上の風、中学二年の澪。大人っぽく上品に微笑む雪姉さん、人懐っこく誰とでも友達になれる澪とはすぐに親しくなって学園を案内もした。
けれど、初っ端から険のある目で睨んできた風とは握手どころか挨拶すらしていない。恨みを買うような覚えは全然ないんだけど……名簿には載っていてもキャンパスでは影すら見かけないし。あいつ、本当に学園に通っているんだろうか?
御崎IC手前にあるトンネルで、天井照明が明るくなる。スクールバスではあるが、定期パスを示せば一般乗客も混乗できる路線。とはいえ中途半端な時間のせいか、僕と澪を入れても六、七人ぐらいだ。みんな綾碧学園の制服を着た中高生ばかり。何の気なしに見回すと、端末に首を傾げたり小声で悪態をついている生徒がちらほら。電波障害でも出てるのならしょうがないな。
と思った次の瞬間。
景色が消え失せた。四方の電子調光ガラス窓が、遮蔽モードに変わったのだ。
トンネル出口が見えるはずの運転席前方も、のっぺりと黒に閉ざされる。
バスは隔絶された密室となり、トンネル内か、どの地点を走っているのか定かでなくなる。
甲高い叫び、金属質の音。
通路から白煙が起こり、押し寄せる。断続的な悲鳴。
何が起きてる!?
煙に巻かれても目鼻は痛くないが、腕を伸ばした指先すら見えない。
火災報知器もスプリンクラーも作動しない。
声も出せず固まってる澪を引っ張り、僕は後席へ逃げようとした。しかしパニックに陥っていた数秒が致命的だった。
「澪! 逃げ……」
「お兄ちゃ、後ろ!」
脇腹に衝撃。世界が瞬き、一回転して、気付くと僕はバスの床に突っ伏していた。力を込めようとするが手足が痺れて動かない。
スタンガン? バスジャック?
――澪は無事か、いったい何が目的でこのクソったれ――
最後の力で首だけ背後を見やると、綾碧学園の制服にフルフェイスマスクとゴーグルの誰かが棒状の何かを突き出してくるのが見え、再度の衝撃で僕の記憶は途切れた。
+ + +
<エコーからリマ/敵バックアップを制圧完了/進捗を>
<こちらノーベンバー/ジュリエットを保護/ロメオを制圧/同確保/現状は安定/あと、リマじゃないので直して>
<スレイよりオール/こら、二人とも喧嘩しない/合流地点には8分後着>
<エコーからスレイ/喧嘩はしていない/コール順守の問題>
<ノーベンバー了解/スレイ、アクティブ使用を許可/現刻より、ビーコン作戦を開始>
<――スレイ了解>
<――エコー了解/オーバー>
+ + +
月光が射す森を歩いていた。これは夢だ。分かっている。しかし、重い足を引きずって、凍てつく空気の中、低木の枝を払い、草を踏んで歩く感覚は、夢と思えない程に生々しい。
やがて樹々は疎らになり、湖が現れた。見たことの無い風景だが、どこか懐かしい。既視感というのだろうか。
澄んだ湖に反射する月光を浴びると、痛みや疲れが抜けていく心地だ。
しゃがんで銀色に輝く水に触れようと、湖面に手を伸ばした。湖面に映った僕の顔は、いや、僕の顔があるべき場所に
――ゴーグルの奥から睨んでくる双眸。
+ + +
瞼を開く。蛍光灯の明りが眩しく飛び込んでくる。ついで両親の姿がぼやけて見えた。起きたのに気付いて「大丈夫か、気分はどうだ」と勢い込んで話してくる。曖昧に答える。広めの個室だ。左腕に繋がれた点滴が規則正しく落下し、バイタルセンサーが稼働している。まだ、脇腹が鈍く痛む気がした。
「お前だけ目を醒まさなかったんで、市立病院に運ばれたんだよ。お医者さんの話だと、CTじゃ頭や体には問題ない、骨折もしてない、血の検査も大丈夫だそうだ」
「何があったんだよ……そうだ、澪は? 一緒だったはず……」
「覚えてないの? 事故の時にお兄ちゃんが庇ってくれたから無傷でした、ありがとうございますってお礼言ってたわよ、澪ちゃん。病室に残るって言ってたけど、アタシたちが付くからって帰ってもらったの」
「……え?」
「にしても間一髪だったな。すばやく対処してもらったし、何事も無かったから良いようなものの、もし傷が残るようだったら、治療費も慰謝料も払うと言おうが訴えてたぞ」
「事故? いや、なんて、事故? 煙が……いきなり殴ってきた奴がいて……」
「あらやだ……打ちどころ悪かったのかしら。バス同士の追突事故よ。晃が乗ってたバスが停車しかけたとこに、原因は分からないけど、もう一台のバスが追突しちゃったの。ちょうど立ち上がりかけた時だったから、みんな転んじゃったのね」
「バス会社の連中、いまごろ真っ青だろう。自動運転の事故率は年々減少してるって言うが、こんな事故が起きるようじゃ安心できんな。しばらくは俺が送ろうか?」
「やめなさいよ、アナタの運転はAIより不安だわ。遠回りだけど、早起きして電車にしときなさい」
「なにおう?」
絶対に変だ。あれは僕だけが見た悪夢だったとでも言うのか? 今でもありあり思い出せるのに。だが駆けつけてきた医者たちも、僕のことを〈事故〉の被害者として扱った。あれこれと指示され、眼を動かしたり舌を出したり、黙って従う。
「浅井さん、息子さんに神経の異常は認めませんね。確証は無いですが、事故の後で、一時的に記憶が混乱してるのかもしれません」
「そうですか? こんなことなかったものですから……」
「明日もう一度検査しますが、問題なければ退院できると思いますよ」
真夜中過ぎ、消灯された個室のベッドで寝返りを打ちながら、やっぱり夢だったのかと思い始めた。だが、眼を閉じても、謎の襲撃者がちらついて消えてくれない。
ニュースを検索。"綾碧市・御崎で自動運転バスの追突"の速報見出し。現場は御崎ICから降りて数分程度のバスストップだ。目撃者が何人もいて、追突したバス同士の映像もSNSで流れている。
バス追突事故があったのは事実らしい。そして、両親によれば事故現場から僕が搬送された……どうなってるんだ。ネット対戦の最終ログイン時刻を確認する。トンネルから御崎ICを抜けて事故現場まで、バスでせいぜい10分――報じられた事故の時刻と辻褄が合う。
もう分からない。明日退院したら、心理カウンセラーを目指している雪姉さんに相談してみよう。ああ、澪にも話を聞かないと……などと考えつつ眠りに落ちていった。夢も見ずに。
+ + +
同刻、綾碧市立病院の屋上。
風はフェンスにもたれ、月を仰いで、夜空に目を細めていた。
<こちらエコー/ジュリエットに異常なし/現状は安定/オーバー>




