円卓の魔王軍
黒曜石の円卓の最奥に据えられた玉座から、銀髪の少女が口の端を吊り上げながら卓上へと広げられた地図を見下ろしている。
その地図の上にはいくつもの駒が乱立して、それぞれの思惑を抱きながら決められた役目を演じている。そんな愚かな道化たちの動向を見守りながら、彼女はそっとその白い指先で自身の駒である白銀の王冠を転がした。
トン、と軽やかな音色を響かせながら、手にした自身の駒を進める。
その一手が盤面へと与える影響は大きく、他の駒たちも動かされて盤面が変化する。
それすらも楽しいのか、少女は笑みを深くしながら、再び自身の駒へと手を伸ばした。彼女の考えることはただ一つ。――どうしたらより楽しく、面白いことを起こせるだろう。その一点に尽きる。
どこまでも傲慢に、強欲に、ただ『楽しいこと』に固執する絶対なる暴君。
それが彼女――アイリス・リィア・シルフォルナと言う名の、一人の魔王である。
(……あっちに進めると、明らかな罠があるから、こっち?)
楽しげな笑みを浮かべたまま、アイリスは数手先の盤面を予想する。
彼女の駒の先には二つの道がある。
漆黒の剣を模した駒のある右と、真紅の竜を模した駒のある左。一見すると剣の駒のあるほうにはわかりやすい罠が仕掛けられており、竜のほうには何もない。けれど、その駒の主を知っているがゆえに、アイリスは慎重になる。
玉座の肘掛けに体重を預けて頬杖をつきながら、ちらりと相手の様子を窺う。
剣の駒を操るのは円卓の左手の席に座っている黒髪の青年だ。しっかりと執事服に身を包み、両の腕を組みながら猛禽類を思わせる切れ目の瞳でじっと盤面を見据えている。
竜の駒を操るのは円卓の右斜めに座っている真紅の髪が特徴的な美女である。彼女はアイリスの視線に気づくと、にやりと笑みを浮かべ、金の瞳に挑発的な色を宿した。
(……クロのほうは相変わらずの無表情で何を考えてるかわからないけど、あれって私のことを馬鹿にしてるよね? それにアーゼのほうも何かありそうだし、いつの間にか退路も塞がれて撤退もできない、と)
見事なまでに、相手の術中に嵌っている。
そんなつもりはなかったけれど、巧みに進退を繰り返した二人の駒を相手にしているうちに、気づいたら動けなくなっている。これでアイリスが賭けに出るしかなくなったわけだが、彼女は不敵な笑みを浮かべている。
どんな罠があるかわからない。どうなるかもわからない。
(……それが楽しいんだよね!)
と、考えてにぃっと笑みを浮かべる。
どうせ、どちらに進んだとしても地獄なのは目に見えている。なら、それすらも楽しめばいいと思考を切り換える。それに魔王であるアイリスに並大抵の罠など通用しない。
なら、と直感に従ってアイリスは自身の駒を真紅の竜――アウリューゼの待ち構える左手へと進めた。
「かかったな?」
にやりとアウリューゼはいかにも悪そうな笑みを浮かべる。
盤上では真紅の竜が焔に包まれて、その翼を広げる。
「ふふ、魔王であるこの私には並大抵の攻撃は通じぬぞ? ……って、あっ! なんで対魔王用の高等術式なんて持ってるのさっ!?」
「妾が無策で魔王に挑むと? 確実に落とせるとわかったから攻めたまでよ!」
はっは、とアウリューゼが高笑いし、アイリスが悔しげに歯を食いしばる。
盤上ではアイリスの白銀の王冠に『ニ回休み。称号剥奪』と表示される。
その文字を見て、アイリスがさっと青ざめる。すると、彼女の駒の上に輝いていた『魔王』の二文字が消え、代わりに『村娘』と表示されるではないか。思わず「んなっ!」と悲鳴にも似た叫びが出るほどには驚いた。
「……うぅ、失敗したぁ。クロのほうに行くべきだったのかな」
と、涙目になっている元魔王の村娘アイリスに、クロは無表情を崩して残虐な笑みを浮かべる。
「ちなみに、俺のほうだと『五回休み、勇者召喚、五マス戻る』だがいいのか?」
「ちょっ!? なんかクロの設定おかしくないっ!?」
彼のほうが鬼畜な罠を仕掛けていたようだ。
ちなみにこの『勇者召喚』は魔王を簡単に討伐できる者を呼び寄せることである。ちなみに五回休みで確実に魔王は討伐される設定である。
涙目になりながら文句を言っている村娘のアイリスに、これまで静観を決めていた他の円卓の面々が揃って笑った。
「あははっ、あれ? アイリスったら村娘? そんなので大丈夫なのかしらっ?」
「ま、まおーが、むらむすめ……ふふ」
と、アイリスの自滅に対し、赤髪の少女リゼと、緑髪のリーアが揃って爆笑している。
「な、なんだと!? リゼもリーアもさっき私の罠にかかってたじゃないかっ!」
「そ、それは、かかってあげただけよ! あんな見え見えの罠、かかるわけないわ!」
「一回休みなら休憩できるかなぁ、って」
びしっと指を指しながら反論するアイリスに、たじろぐリゼ。リーアはのんびりとおかしなことを言っている。
「む、じゃあ、リゼのこの仕掛けはどうなる? これこそバレバレでしょ!」
「そんなことないわよ! これこそ完璧じゃない!」
「なら、どうして誰もかからないの?」
「……ぅ、し、知らないわよ!」
顔を真っ赤にしながら、リゼはそう叫ぶ。
「リーアも! 何なのだっ! このふざけた内容のはっ?」
「んー? 休みなら、ぐだぐだできるから?」
「だからって、休みを五十回とかおかしいよね!?」
うにゃー、と頭を抱えて叫び散らす村娘のアイリスちゃん。
「あ、アイリス様。落ち着いてください」
「む、アルセリア。役職はなんだ?」
「え? えぇっと」
アイリスをなだめるように声を掛けた白髪のアルセリアは、困ったように頭に生えた尖った耳を伏せる。
「そ、そのぉ……ゆ、勇者です」
「思いっきり、私の敵じゃないか!」
「たはは、照れますね」
「褒めてないよ!」
ばんばんと円卓を叩きながら抗議するも、アルセリアには笑って流されてしまう。
「アイリス様、ワシは賢者となりましたぞ?」
「バルトはいらない」
「ひどくないですかなッ!?」
賢者になって得意げにしていた頭髪の危うい老爺にとどめを刺しながら、アイリスは円卓の他の面子へと助けを求めるように視線を彷徨わせる。
「……た、助けないわよ?」
「く、クシアぁ。そこはデレてよ!」
「デレないわよ!」
黄昏色の髪を逆立てながら、憤慨するクシア。
「ろ、ロゼは味方だよね?」
「……………(ふいっ)」
「せめて答えてっ!?」
リゼと一つの席を共有しているロゼは、顔を背ける。
「がっはっは、困っておるようじゃのう」
「だな。追い打ちをかけるとしようではないか」
「この爺どもっ!」
好戦的な爺たち――蒼髪のヴラドと赤褐色の短髪のルドルフの二人の提案にぱぁっと表情を明るくするアイリス。
「かっかっか、私とシャルは中立さね」
「は、はいっ。よかったです」
円卓に座る骸骨のシェータと鎧の少女シャルロットはのんびりと静観している。
「く、クロは助けてくれるよね?」
縋るように左手に座るクロに声を掛けると、彼は無表情を崩していい笑みを浮かべた。
「ああ。役職、殺戮者がきっちり助けてやるよ」
「一番危ない人だった!?」
何やらアイリスが騒いでいるがなんのことだろうかとクロは首をかしげる。
そんなこんなで、魔王アイリス率いる魔王軍の幹部たちは毎日こんな感じなのである。何をやっているのかと問われたら遊んでいるとしか答えられないけれど、これが彼らの日常なのである。
そもそも大陸の端にある彼らの城まで攻めてくる物好きなど数百年に一度、訪れればいいほうである。要するに暇なのだ。
「あっ、そうだ。忘れてた」
「どうした?」
全員で村娘となったアイリスを追い回すゲームを終え、一息ついているとアイリスが何かを思い出したようにそんなことを言い出した。
「いや、さ。今日集まってもらった本題を言うの忘れてたよ」
「おい」
「たはは、ちょっと聞いてくれるかな?」
笑って誤魔化しながら、アイリスはそう言って注目を集める。
そして、
「――こんど、人間の国へと侵攻するよ」
と、こともなさげに言ってのけたのだった。