白竜を拾いましたが、事あるごとに世界を壊そうとします。
世界の終焉をもたらす、時空竜の暴走。
それを止めるには、光と闇の祖竜の力、そして覚醒した“竜の巫女”の存在が不可欠である。
最後にこの世界で暴走があったのは、約五百年前。
伝説では、二頭の祖竜を連れた竜の巫女が現れて、暴走を沈めたそうだ。
そして今、僕らは伝説の通りに、ここに集まった。
勝てるかは微妙で、もしかしたら、命を捨てて世界を救わなければならないかもしれない。
でも、誰のせいでもない。僕は自らの意思で、ここにいるんだ。
──全てはルリアのため。
「もう大分弱ってきてる……あと少しだよっ、セトラ、ヴァル、頑張って!」
『うん!』
『任せな』
僕は“歪み”の少し手前で滞空して、魔法の発動陣を組み立てる。
ヴァルの方はさらに“歪み”に接近していて、彼の漆黒の鱗が黒い空と同化して見えた。
「ふたりとも、気を付けてっ! また来るよ!」
ルリアがそう叫ぶと同時に、“歪み”から鋭い闇棘が僕らに降り注いできた。
僕のシールドも、この距離では間に合わない。
『ヴァルっ!』
『させはしないさ!』
言うが早いか、ヴァルはその棘の正面に位置取ると、右の前足を振るう。
すると、闇の一閃が空を覆い、あれだけあった黒の棘が全て消滅した。
『よし、こっちも準備出来たっ……それっ!』
僕が僅かな隙に構築していたのは、強力な封印魔法の発動陣。
そこに竜気を注ぎ込めば、輝く鎖が周囲に出現する。
鎖は僕の掛け声とともに長く伸びて行き、空を覆う闇の雲に突き刺さった。
グガァァアアアッ──!
『拘束成功だよ!』
『りょーかい!』
時空竜を拘束している間に、ヴァルがその周囲の“歪み”を消滅させていく。
すると、どんどんと歪みが晴れて、鎖が捉えるその竜の姿が露わになった。
グガァ、ガアアァァッ!
『……よっしゃ、大丈夫だっ! いけるぞ!』
『ル、ルリア!』
これで全ての準備は整った。
あとは、ルリアが決めるのを祈るのみ。
「大丈夫、終わらせる……!」
残りの竜気的にも、そう何度も使える作戦ではない。
これが、ラストチャンスだ。
「みんなの力、もう一度叩きつけてやる!」
跨るルリアが叫べば、その手に五色の輝きが収束していく。
僕らの……世界の願いを背負った一撃。
これに、全てが掛かっている!
『決めてっ、ルリアッ!』
『今度こそやってやれっ!』
「──いっけえぇぇッ!」
次の瞬間、白銀の閃光が真っ直ぐ空を穿った。
その矛先は、しっかりと時空竜に定まっていて──
まるで太陽が目の前に現れたかのような、凄まじい閃光が辺りを包んだ。
◇◆◇
思わず飛んだまま目を瞑っていた僕は、ゆっくりと周囲を確認した。
そこには、いつものような綺麗な夕暮れの空。
さっきのような禍々しい闇など、どこにも見当たらない。
『終わった、のか?』
『……どうやら、そうみたいだな』
きょろきょろと、琥珀色の空を見回していると、ヴァルが僕のところにまで飛んできた。
その黒い鱗が、一瞬さっきの闇に見えたのは秘密である。
『や、やった……!』
僕は、飛びながらもがっくりと首を垂れて、大きく息を吐く。
竜気欠損による激しい倦怠感が襲っていて、早いところ着陸して丸くなっていたい。
『よ、よかった! これで、もうこの世界は──』
「待って……」
僕がそう言っていると、今まで黙っていたルリアが何かを呟く。
背中を振り向いてみれば、彼女は神妙な面持ちで周囲を確認していた。
「何かおかしい……!」
『ど、どうしたの?』
ルリアは何かを察知したようだが、何のことなのか僕にはよく分からない。
もう一度聞き返そう。そう思っていた瞬間──
『ばかやろっ! 下だッ!!』
目の前に、空間を歪ませる闇が覆った。
完全に気が緩んでいた僕は、大きく遅れを取ってしまって。
「ンガァァアッ!」
途端に背中に感じる、強烈な痛み。
ふらりと、全身に力が入らなくなって、そのまま墜落していく。
『よくも……よくもふたりをっ!』
微かに聞こえたのは、ヴァルの怒りの咆哮。
迫る地面に、態勢を立て直そうとするも、そのまま僕は意識を──
──
────
…………き、ろ!
……起きろって!
『……ヴ、ヴァル?』
『あぁ、無事だったか! 良かった……』
ぼんやりする意識の中、ヴァルの顔が視界に映る。
日が暮れたのか、もう辺りは真っ暗だ。
それでも、目が慣れてくるうちに、僕はある違和感を覚えていた。
『ヴァル、どうして泣いているのさ』
『くっ……』
驚いたことにヴァルは、寝転がる僕の横に、大粒のナミダを零していたのだ。
『……ばかやろう。ほんとに、どうして……』
いつもは冷静で感情も表に出さない彼が、ついには嗚咽まで漏らし始める。
そのナミダが、僕の為ではないことに気づくのに、そう時間は掛からなかった。
『まさか、ル、ルリアッ!?』
『……ばかっ! 傷が開くぞっ!』
ヴァルに止められるが、そんなことはどうでもいい。
僕はすぐに起き上がって、背中に居たはずのその存在を探す。
彼女は、僕のすぐ側に、仰向けに倒れていた。
『ルリア……?』
その隣に項垂れて、前足で身体に触れる。
表情は穏やかだが、背中から血が出ているようだ。
『だ、大丈夫、だよね? ねえ』
なけなしの竜気を使って、治癒魔法を発動する。
彼女のその身体を揺すっても、声をかけても、ピクリともしない。
『まだ回復が足りないのかな……』
『……セトラ』
震える前足をルリアの上に添えて、再び治癒魔法を重ねる。
もうとっくに、怪我をした人間に掛けるような量を超えているのは、気のせいだ。
『目を覚ますよね? ルリア、寝たふりなんてだめだからね』
『おい……セトラ!』
瀕死でも瞬く間に再生できる強力な魔法も、なぜか空を切るように手ごたえが感じられなかった。
『まだだ、もうちょっと──』
『セトラっ! お前いい加減にしろよっ!』
まだ続けようとする手を、ヴァルが掴んで引き離す。
彼は、悲しむような、怒ったような、そんな顔をして、僕を見つめていた。
『時空竜の闇属性攻撃に、回復魔法は効かない。お前だって知ってるだろ!? それに──』
ぐいっ、と顔を近付けてきて、語気を強めて言ってくる。
彼のライトグリーンの瞳からは、また一つ、輝きが溢れた。
『仮に効いたとしても、どうだ。完全にタマシイが抜けた人間に、回復なんか意味ないだろ。ルリアは、死んだんだ』
『……っ』
尻もちを付いた僕に、彼は言葉を浴びせてくる。
ルリアが、死んだ……?
し、んだ……?
『……お前が墜とされた後、俺は生き残った時空竜を追い払った。そして駆け付けた時には、もう手の施しようもなかった』
ぐるぐる、頭の中が混乱して、わけがわからない。
『ルリアは、最後までお前のことを心配してた……もう少し、お前が早く起きれば……』
なんで。
なんでなんで。
こんなの、嫌だ。
『ヴァル……闇の竜気を分けて』
『は……? お前今何て』
僕の頭は、ありえない事象の連続で、考えることをやめた。
代わりに残るのは、自分でも驚くほどの幼稚な感情だけ。
『闇の竜気を、僕に寄越してっ!』
『わっ!?』
僕は一気に起き上がると、目の前のヴァルを押し倒してその首筋に噛み付く。
それから、強引に彼の竜気を吸い上げていった。
『やめっ、お前正気かっ!』
『ヴァルの闇の竜気で、ルリアを蘇生する! 光と闇の混合竜気なら可能なはずだ!』
『あれは禁忌の術式だろっ!? 生き返ったルリアは、もう俺らの知ってるルリアじゃないぞ!』
引き離そうとしてくるヴァルに、必死にかじりつく。
少し、また少しと、僕の中に闇の力が漲っていく気がした。
『今のお前に、闇の力なんて扱えない! 暴走が起こるに決まってる! そうなったら、俺はお前を止められない!』
『うるさいっ!』
闇の竜気は、僕の身体を駆け巡り、どんどんと力を増していく。
それに伴って、心に巣食っていた黒い感情も、際限ない増殖を始めていた。
『まずい……正気に戻れっ! レノセトラ!』
『暴れるなっ! このっ……!!』
ヴァルニーバには、どうせ分からないのだ。
僕は生まれた時から、彼女、ルリアと一緒だった。
辛いときも楽しい時も、どんな時だって。
だから、ルリアが居なくなるのなら、この世界なんか──
消えて無くなってしまえばいい。
振り上げた鉤爪を、ヴァルに振り下ろす。
僕の視界は、なぜか真っ白に霞んでいった。
『はぁ……はぁ……』
黒の竜は、力尽きたように、その場に仰向けに倒れた。
『しまった、つい、セトラを別の世界に飛ばしちまった……』
彼は、闇の力の篭った左の腕を見つめる。
『どこに飛ばしたんだ……咄嗟のことで、俺も分からない。飛ばした先で、何かやらかさなければ良いんだが』
夜闇に包まれる草原には、その竜と、とある少女の亡骸しかない。
彼はそっと瞳を閉じて、息を吐いた。
『はぁ……結局、また独りになったな』
ぽつり、ひとつ呟く黒の竜。
その頬には、流れる星のように、涙が溢れていた。