家を追い出されたけど、幸せの壺のおかげで開いた食堂が順調です!
『天上の飲み物だ!』
なんて噂を聞く水、料理に使ったらすごいことになりそう。そう思ったら確かめずにはいられなくて、あたしはそれを手に取った。絶対飲んじゃいけないって教えられてる、それを。
黒くて細長い小箱の底にくっついた状態で並んだ、両手で包める大きさの壺が三つ。それぞれ赤・黄緑・青っぽい色のどぎつそうな液体が入ってて、壺が金ピカなもんだからそれと合わせてなんというか……目にうるさい。いつ見ても趣味じゃない。
だけど、何事もやらないとわっかんないからね。わざわざ父さんが寝るまで布団で粘ってから一品こしらえたんだ、おいしくならなかったらむくれるぞ?
そういう思いを込めて、紅いもと肉の腸詰めの煮込みがことことしてる鍋に、赤い水をひとさじ入れる。木べらでかき混ぜてみたけど、色が変わったりはしてなさそう。見た目も匂いも、ほっこりと素朴な感じのままだ。
「……いただきます」
さっきのさじで、紅いもと煮汁をすくい取った。少し緊張するけど、えいっと口に――
「おいマノン! 何をしとるんだ!」
「父さん!? ご……ごめんなさい!」
――入れる前に、びっくりしすぎてさじを落としちゃった。
店の奥から入ってきた、縦にも横にも大きい寝間着姿。一番見たくなかった光景だ。
「いい匂いで目が覚めたんで覗いてみりゃあこれだ! 厨房に立つなと何度も言うとるのに。それに……『あれ』を使ったな?」
「う、うん……おいしくなるかなと思って……」
「天上神様からの授かり物だろうが! それに、わざわざ禁忌を犯さんでもうまいもんは作れる。小手先に頼る娘に育てた覚えはねえ」
「本当にごめんなさい……」
寝起きだからだと思うけど、短めの髪が逆立ってたくさん角が生えてるみたい。あとひげが普段より濃い。ひぃっとなる。
悪いのはあたしだから謝るしかない。
「もしそれ使って身体に何かあったりしたらどうするんだ……ああ、そうだ。いい機会じゃないか」
カウンター越しに正面から見つめられる。自然に体がしゃんとしちゃう。
「お前……この家を出ないか?」
「えっ、なんで!」
「そもそも、この店を継ぐのはマノンじゃない」
それは兄ちゃんの役目。
「お前も嫁げる歳になった。『あたしの王子様』がどこかで待っているかもしれないぞ?」
「そりゃあそうだけどさ……」
「……それに、俺とお前じゃ考えが合わない。俺は伝統ある上品な料理が至高だと思っているが、お前は違う。自由にさせたほうがいいかもしれんと、最近は思うようになってきたんだ」
いつもと比べたら断然やわらかいけど……その代わり、とっても真面目な声だ。こういうときの父さんがたぶん一番強い。だから、逆らっちゃいけない気がした。
「うん……わかった。あたしにお似合いの王子様見つけてくるから、せいぜい楽しみに待ってて」
「お前に武で張り合えるような王子様、そういるとは思えんがな……おやすみ、マノン。さっきは取り乱してすまなかった」
「大丈夫。おやすみなさい、父さん」
眠そうに寝室へ戻っていく父さんの背中が、なんだかとても遠く見えて。妙に不安になって辺りを見回してたら、エプロンのすそに煮汁の染みがついてるのに気づいた。壺の水はこぼれないけど、さじの煮汁はこうなるよね。
……後始末、しなきゃなあ。
※
ご近所や友達、あと朝早く出かけた兄ちゃんへのあいさつが終わった。これからのための作戦立てが終わった。荷造りも終わった。
……後始末が、終わった。あとは、
「もし店やるんなら、切れ者の王子様をとっ捕まえることだな。飯屋は飯こしらえてりゃいいってもんじゃないんだぞ」
「はいはい。じゃあ、行ってくるね」
「うむ。だがまあ……たまには帰ってこい。うちのうんまい飯が食いたかったらな!」
「うん、父さんも元気でね! これ以上太らないこと!」
店先で父さんに見送られるだけ。目をこすってた手を大きく振って、ちょっとさみしいけど背中を向けた……そのすぐあと。
「マノン、ひとついいか?」
「えっ? うん、別にいいけど」
びくっとしながら振り返ると、なんだか縮こまってしょんぼりした父さんがいた。
「幸せの壺に溜まる水のことだが……実は、あれには重大な秘密がある」
「えっなになに?」
あまり言いたくなさそうには見えるけど、もしかしてすごいことだったり?
「あれを料理に使うと……なんと……」
「うんうん!」
「舌を疑うほどまずくなる」
こけるかと思った。というか、それじゃ作戦が……!
「俺がまだお前くらいだった頃、よくわからん衝動に駆られて使ったことがあってな……思い出したくもない」
「そんなに……!? でも、あれだけあたしに怒ってた父さんが同じことしてたなんてねえ」
「だから言いたくなかったんだ! ほら、もうじき開店だから早く出てけ! 達者でな!」
あわあわと店の中に消えてく父さんを見送って、とりあえずの目的地な、大きめの隣町へと歩き出す。
……もう不安だけど。遅くまで起きて必死に作った作戦メモ、どうしてくれんのよ。
一時間くらいで、隣町の外れの原っぱまで来たけど……もうだめ。いつもならうおりゃー! って行けるのに、夜更かしと頭使いすぎたせいだ。いいところにあたし五人分はありそうな高さの木があったから、気合でそこまで歩いてへたり込む。
しばらく幹にもたれかかって休憩してたら、白か黒のローブを来た人たちが、言い争ったり石をぶつけ合ったりしながらやってくるのが見えて。あれがどういう人たちなのかは聞いたことあるから、急いで逃げなきゃなのに……上手く立てなくて尻もちをついた。もう一回……って、あれ? こっち見てる?
瞬間、私は大勢の人たちに囲まれていた。どこを向いてもギラギラした視線だけ。
「ほう、これはちょうどいい。どちらがこのお嬢さんを引き入れられるかでけりをつける、というのは? 負けた教団は、この街から支部ごと引き払うということで」
「お主にしちゃ、大層な名案よのう。受けて立とうではないか」
「えっ、いや、何するの……!?」
真っ黒な杖を持った、目つきが鋭くて色白の人。真っ白な杖を持った、ほわっとしてるけど背筋がピンとしたおじいさん。お互いの一番偉い人かなとは思うけど、後はほとんどわかんない。わかんないけどしゃべってくる。
「我ら白の教団においでませい。自己博愛の赤、他者博愛の緑、そして未知の青。三種の幸せで壺を満たし、我らと共に真の幸せへと飛び立ちましょう! 己と他人が幸せになるようなことを行うだけでいいのです。誰もが得をします。素晴らしいでしょう、さあ!」
雲みたいにやわらかい声。
「こんなものは口当たりいいだけのでたらめです。だいたい、天上神様が全ての民に壺を与える理由も、青緑の壺に水が溜まる条件も、すべてを満たした先に何があるのかも、何一つわかっちゃいない。そもそも善行の定義は? もっと気楽に、何にも縛られない生き方をしましょうよ。そのほうが賢いです。ねえ?」
粘っこい、へらへら笑いが混じる声。
どっちもが頭の中にぬるりと入ってくるみたいで、ちょっと変な気分。ぐわーんってする。けど……!
「どいて!」
「ぐおっ、な、何しやがる!」
膝蹴りをしながら飛び起き、囲んでくる人たちが微妙に距離を取ったところを低い体勢で駆け抜け――
「させんぞ!」」
――変な足の着き方して姿勢崩したところを、足払いで思いっきりこかされた。うぅ、右腕と頭がじんじんする。あと少しだったのに。
「小童こわっぱと見て侮あなどっておったわ……お主ら、あれをやるぞ」
「黙って見てないで、私たちも洗脳するのですよ」
また何か……んぐっ!? やめて、ほんと痛いから!
白いほうは両手を握り合わせて、黒いほうは片手を前にかざして、何かぶつぶつ唱えてる……? 頭の中で何かが暴れまわってるみたいなめまいと刺してくる頭痛で、何も考えられない。
なぜか『王子様を見つけて一緒に食堂を開く→おいしい料理でみんなが幸せになって繁盛し、自分も幸せに→使う水より幸せにして溜まる水のほうがきっと多いから、いくらでも使える→この繰り返しでみんな幸せ!』みたいな内容だった作戦メモだけが頭に浮かんで。
ああもう、目も開けられ……
「その子から離れなさい」
「ひゃっ!?」
突然、体が浮いた気がした。待て、とか後ろで叫ぶ声がどんどん遠くなってく。誰かにお姫様抱っこされて、飛んでる……?
「けがはありませんか」
そーっと目を開けると、背中の大きな羽四枚と、身体中に目と口が何個もあるのが目立つ人……何個も?
「きゃああああ! 怪物!?」
「そうか、驚きますよね……怪物ではないです。そうですね、アリーと呼んでください」
「アリーさんね? よろしくお願いします!」
まだ怖いけど、ちゃんと目を見ながら言う。こうして見ると、顔自体はシュッとした美形みたい……あれ? この状況だし、顔がいいし、優しそうだし。もしかして、さっそく王子様に出会えたんじゃ!? 見た目はどちらかというと天使だけど。
思わず興奮して、聞いてみる。
「あたしをどこに連れて行くのですか? 立派なお城?」
「……いえ、天上界です。幸せの壺の水を使おうとしましたね? 天上の飲み物を使うなどという禁忌を犯す者は、裁きを受けなくては」




