サルでもできる天下布武
その日、空は黒々とした雲に覆われていた。
地上には天に向かって幾筋もの煙が昇っている。猛攻を受けて落ちた砦、その残骸から立ち昇る煙だ。
雨が降って来た。黒い煙が白い煙に代わる。
雨は勢いを増して豪雨になり、正午を過ぎるころには視界を遮るほどの、それも雹を交えた嵐となった。
そんな嵐の中で魔物どうしの戦いは続いている。
グワワァァアアアアアアアア
怖ろし気な咆哮をあげ甲冑を着込んだ鬼が手にした金棒を振り回し、小鬼たちを蹴散らす。
ギャギャギャギャ
小鬼たちも負けていない。粗末な鎧ながら彼らは身軽に鬼の周りを飛び回り、手にした槍で、爪で、牙で攻撃する。
ヒャッッハアァーーーーーーーー
オオカミに乗った小鬼たちが戦場を疾駆する。
骨の馬に乗った骸骨の騎士たちが無言で迎え撃つ。
戦っているのは、この世界の支配者である魔物。
これは、魔物の王たる魔王たちの戦いなのだ。
その戦場の中「いささか」というか「かなり」場違いな存在がいた。
「ここまでは巧く言ったな」
戦場でそう呟いたのは人間、それも子供と見間違うほど小柄な少年だった。
蓑の下には着物ではなくブレザーの制服を着ている。
「いやあ、お館(魔王)さまはともかく、部下の魔物たちが俺を信じて動くか不安だったけど、とにかく動いてくれた。歴史のとおりだ」
「ど・こ・が・よ・! ひっどい乱戦になっているじゃない」
少年に向かって噛みつきそうな勢いで怒鳴ったのは、彼の幼馴染「杉原寧々」だ。
薙刀を構え「ヤッ」と気合一閃、向かって来た小鬼を一刀で斬り伏せる。
「歴史だと、嵐に紛れて奇襲成功、あっさり敵将は討ち死に、って流れじゃなかったの!?」
雨に濡れたポニーテールとセーラー服の下の豊かな胸を重そうに揺らして文句を言う。
「ああ、それは迂回攻撃説だね」
言われた方の少年は動じなかった。
「「迂回攻撃説」は長らく定説とされ「日本三大奇襲」の一つ、ドラマや映画に採用されたきた設定なんだけど、最新の研究では否定的な見方をされているんだ」
「え? そうなの?」
「実際には、戦いは「奇襲による不意打ち」ではなく「正面攻撃」に近い形で行われたらしい。それが成功したのは計算の結果ではなく、悪天候(嵐)や狭隘な地形(地の利)や、行軍したばかりで隊列が乱れていた、など様々な要因が偶然重なった結果なのさ」
そしてつけ加える。
「でも良く知っていたな。寧々って日本史は赤点だっただろ?」
「…………ドラマで見たのよ」
幼馴染の指摘に顔をテストの点のように赤くさせて寧々は答えた。
なるほど。少年は合点がいった様子で頷いた。
「N〇Kの大河ドラマか。寧々好みの俳優が起用されていたもんなあ」
「べ、別に、俳優が好みで見たわけじゃないわよっ!? 私は純粋に歴史に興味があって…………」
「はいはい、お二人さん、そこまでそこまで」
割り込んできたのも少年だった。
しかしブレザーの少年と違ってずば抜けて長身であり、体格もよく鍛えられた肉体をしていた。なぜ肉体の描写が詳しいのかと言うと、上半身裸で、下はふんどし一丁という恰好だったからだ。
「仲が良いのはわかったから、そろそろ戦に戻ろうや」
「「誰と誰が仲が良いって!?」」
「あのなあ…………寸分たがわず同時に反論って、どんだけ仲良いんだよ」
半裸の少年はバカップルに向けて嘆息した。
「ま、いいか。それより、秀、約束を忘れていないだろうな」
「やくそく?」
秀、と呼ばれたブレザーの少年が尋ね返した。
「敵大将、大魔王の首を俺に獲らせてやる、って約束だ」
又左衛門は焦っていた。
彼は去年魔王の不興を買い、出仕停止処分、つまり浪人となっている。魔王の可愛がっていた使い魔といさかいを起こし、惨殺してしまったからだ。
「あれ以来、エリート街道を驀進していた俺様は浪人生活。惨めだ…………」
「自業自得だ。いくら頭にきたって惨殺はねえだろ」
「去年結婚したばっかりなんでしょ? 奥さんや子供が不憫すぎるわ」
「ちきしょー。なんなんだ、この人間(毛無しサル)どもは!?」
容赦ないツッコミに又左衛門はキレた。
毛無し猿とは、この世界の魔物たちが、人間を差して言う蔑称だ。
「俺たちには又左衛門の力が必要だ、力を貸してくれ、とか頼んできたのはそっちだろ!? なんで俺に冷たいの!? 俺をディスって楽しいのっ!?」
「お、輿が動き出したぞ」
「聞けよっ!?」
「聞いているよ。又左衛門、退却する輿が見えるか? あれに目当ての敵大将が乗っている」
「なにっ!?」
又左衛門が驚いて、犬のようにまんまるの目を大きく開けて、敵軍を見る。
「ほ、ほんとうだ! 金の兜に赤の錦の陣羽織。輿に乗っているボストロル! 敵将、今川義元に間違いねえ!!」
又左衛門が息巻いた。
「サンキュー、秀、恩にきるぜ!」
「調子がいいな。でも、はやく行けよ。手柄をとられるぜ」
「そうだった!」
そう言うなり又左衛門は駆け出した。自慢の朱槍を口にくわえ、四つん這いで。
獣のように駆ける又左衛門の姿が変化する。顔や腕や背中、いや全身が獣のようにしなやかな毛に覆われ、鼻面が伸び、耳はピンと長く、尻尾が生える。
「感謝するぜ人間どもっ! ウォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオン」
狼男、前田又左衛門利家が咆哮をあげ今川軍の中に踊り込んだ。
二本脚に戻り、三間半の自慢の朱槍を縦横無尽に振るい、輿の周りの魔物たちを蹴散らしていく。
「誰がサルだよ。てめえこそ狼男なのに幼名が犬千代とか、名前まちがっているだろ」
呆れたようにブレザーの少年がつぶやく。
「でも、だいじょうぶなの?」
「ん?」
「私たちの世界の歴史だと、今川義元って、前田利家が討ち取ることになっていない、わよね?」
日本史に自信がない寧々が不安そうに尋ねる。
「ああ違う。今川義元は毛利良勝に討ち取られた、っていうのが史実だ。だから今回、細工をした」
といって、ブレザーのポケットから何かを取り出し手のひらの上に載せる。
「これって、朝顔の種?」
「そう。日本では中国から奈良時代に持ち込まれた。現代じゃ鑑賞用の植物として知られているけど、それは江戸時代から。それ以前は薬用植物として栽培されていたんだ」
その時、近くの茂みから悲鳴混じりの雄たけびが聞こえた。
おおおおおおおおおおお、下痢が、下痢が止まらねーーーー
毛利の親分、こんな大事な時に、なんで野〇ソなんかしているんですか!?
止まらないんだよ、クソがっ! って、下痢と悪態のクソをかけたわけじゃないぞ
わかってますよ!!
「……………効用って、下剤?」」
「ああ、朝顔は漢名は「牽牛子」。下剤として輸入されたんだ」
ブレザーの少年が説明する。
「毒性が強すぎて素人が勝手に調合したら危険なんだけどな。まあ相手は魔物だ。多分、大丈夫だろう」
「……い、いい加減な…………ま、魔物とはいえ、かわいそうに…………」
毛利の悲鳴のあまりの切なさに、すっかり同情して寧々であった。
「でも勝手に歴史を変えちゃって、大丈夫なの?」
「なんだ今頃? 大丈夫さ。さんざん俺たちが歴史に介入したのに、この『桶狭間の戦い』が起こったことでもわかるだろう?」
「でも……」
「ああ何もかも同じじゃない。俺たちの歴史と、この異世界が同じ歴史を歩んでいるわけじゃない。それはわかっている」
二人の頭の中に、留守番をしている化け狸の少女の姿が思い出された。
「まさか後の徳川家康が女の子で、化け狸で、しかも私たちに懐いちゃって一緒に住んでいる、なんて…………この異世界どっかおかしいわよ」
「竹千代姫だけじゃない。この世界はどっかおかしい」
そう言いながらもブレザーの少年は愉しそうだ。
「戦国の覇者、六天大魔王「織田信長」が本当に魔王だったり、鬼柴田と呼ばれた柴田勝家は本当に鬼人だったり、戦国最強と言われた武田の騎馬隊はケンタウロスの軍団だったり、上杉謙信が本当に神の化身、しかも女神様だったりする。そんな世界で人間たちは地上の支配者の地位を追われ、農奴や非常用食料として生かされている運命だ。なかなか面白い世界だと思わないか?」
「ぜんっぜん!」
ムスっとして寧々が言い返す。そんな時、二人の背後の戦場から歓声があがった。
敵魔王、今川治部大輔義元! 前田又左衛門利家が討ち取ったりー!!
「計算どおりだ。いくら信長でも大将首を持って来れば又左衛門の帰参を認めるだろう」
ブレザーの少年「豊吉 秀臣」は言った。
「俺たち人間が、それも異世界人が、この魔物だらけの世界で生きていくには魔物の味方が、それも強力な味方が必要なのさ」
「わかっているわよ。私たちにとって、その味方が竹ちゃんであり又ちゃんであり、主君に織田信長を担ぐ理由なんでしょう」
「それだけじゃないさ。俺は、この世界で、天下人になる」
そう言って秀臣は拳を握る。
「勝算はある。歴史ヲタクの俺の頭には戦国時代の歴史年表から各大名家の人柄、能力、家臣団の情報、天候に地理に合戦の経緯や勝敗、出来事、雑学まですべてのデータがあるんだ」
それは異世界に向けた宣戦布告だった。
「人間でもできる天下布武、みせてやるぜ」




