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クランキーズ/レインボー・プロジェクト

 1943年10月28日。フィラデルフィア、あるいはアメリカ領ノーフォーク。


 その洋上に浮かぶ一隻の船舶の中を、一人の少年が駆け回る。




「ふざっ、けんな……っ! なんなんだよ、これ!」




 そこには、地獄絵図と言って差し支えない惨状が広がっていた。


 甲板に溶けている者。透明の足で徘徊する者。上半身が壁に埋まっている者。機銃と癒着し同化している者。茹だるような暑さに汗が落ち、床に触れ瞬時に氷晶と化す。


 異常がそこかしこに散乱し、電磁音まみれの無線の声がひどく耳障り。




「これが……こんなものが!? 世界を変える、人々を救うための計画の、その結果だってのか! どこがだクソが、ふざけんなよ、馬鹿野郎!」




 吠える。目の前の理不尽に、襲い来る殺意に、声を荒げて抵抗する。


 認められない。許せない。こんなものが、現実にあっていいハズがないだろうと。




「──馬鹿野郎、か。随分な言い草ではないか」




 そんな少年とは別の、低い声。含み笑いの混じったそれが、けたたましい船内に驚くほど浸透する。


 現れたのは一人の若い男。紫電を身体にまといながら悠然と闊歩する姿からは、焦りや驚愕といった感情は見受けられない。


 船内に蔓延る泥梨を肯定するように、精悍なその面貌は笑みで彩られている。




「間違いなく計画は成功だとも。私の筋書き通り、まもなく世界の変革は成される。それも君のおかげだ、感謝しよう」


「……お前は、こうなると分かっていたのか」


「立案段階からある程度は予期はしていた。ここまでとは、流石に想定外だがね」




 その返答で、二人の決裂は確定した。


 男の周囲を稲妻が走る。鉄片や機銃が少年の背後に浮かび上がる。


 少年は、この男を知らない。今この時に初めて相対した存在であり、その姿は記憶のどこを探したとしても見つからない。


 それでも。この状況を作り出した計画の設立者、首謀者については、多少なりとも知識があった。


 その、諸悪の根源の名は。




「──ニコラ・テスラァ!」




 憤怒にまみれた少年の叫びが、海に響いた。




 * * *




「協力、感謝するよ」




 狭い一室に、男の声が反響する。


 日の光が射し込む窓もなく、風が入る隙間もない。中心に大きな机が鎮座し、相対するように座るのは、初老に差し掛かった男と、十代半ばほどの少年。


 唯一の外界との繋がりである扉は二つの屈強な人影により封鎖されている。


 明かりは電球が一つだけ、音は内部で完全に遮断され、時計もなく正確な時間も認識できない。




 そこは、閉塞感すら覚える密室だった。




「感謝、と言われましてもね。無理やり連れてこられた上に、こんな場所に押し込まれたんですから。協力する以外に選択肢があるとでも?」




 そんな場所で、あえて少年は嫌味を口にする。この状況で相手の機嫌を損ねる愚を理解しつつも、スラムで育った跳ねっ返り精神は、大人しく恭順の意を示すことを許さなかった。




「はは、これは手厳しい」




 だが、軽く笑い飛ばされてしまってはその抵抗も馬鹿らしい。忌々しそうに男を睨み、視線を落とす。


 机上に広げられている、少年の姿が捉えられている十数枚の写真。それらには一つの共通点があった。




「しかし、だ。君の力を実際にこの目で見てみたい、という欲求には抗いがたいのだよ」




 どの写真でも、少年は、宙に浮いている。




「……そのために、街中で銃を乱射したんですか」


「いやぁ、ソレに関しては本当にすまない。だが信じてもらいたいのだが、私は君を私と引き合わせて欲しいと頼んだだけで、方法としては部下の独断だ。君が気に食わないというのなら、その部下の首を切ろう」




 蜥蜴の尻尾切りか、と少年は内心吐き捨てる。普段は自分が切り捨てられる側であることも、その言への不快感を高める要因だった。




「別にいいですよそんなことしなくても。で、実演しろとのことですが。こんな天井の低い室内で飛べというのは、流石に無理があるとは思いません?」




 だからここから出せという意思を滲ませながら、天井を指さして鼻を鳴らす。


 しかし、男は「いやいやいや」とわざとらしく肩をすくめて笑みを深めた。




「君の力は、ただ自分が飛ぶというだけのものじゃないだろう?」




 その質問に、少年は答えない。沈黙を無言の肯定と受け取ったのか、男は愉快そうにクツクツと声を漏らす。




「そうだね、ではこれでどうだ」




 そして男が取り出したのはこぶし大の鉄球。見せつけるように顔先で揺らした後、手のひらから零れ落とし、重力に従ってゴトリと鈍い音と共に机に叩き付けられる。




 少年も、男も、何も言わない。少年は警戒して、男は言葉にするまでもないから。


 そのにらみ合いも長くは続かない。先に折れたのは、少年の方だった。




「……はぁ」




 深い嘆息。このまま腹を探り合っていたところで話は進まないだろうと、少年は不承不承ながらも手を伸ばした。その先には、男が用意した鉄球がある。


 男の手元のそれは、対面に座する少年には届かない。だが、彼は拾おうとするかのごとく指を開いた。




「先に言っておきますが、僕にも原理は分かりません」




 そして、誰一人触れていないにも関わらず、鉄球が動く。ゆっくりと、引き寄せられるように少年の手に張り付いた。


 おお、という男の感嘆を余所に、少年は手のひらを上に向ける。すると今度は反発したように宙に浮いた。




「よく聞かれますけど、タネとか仕掛けとか、そんなものはないですよ。気付いたらできるようになっていたんです」


「いやいやいや素晴らしい! まさしく、本物の超能力だ!」




 感極まったように男は手を叩く。満面の笑みで、声を上ずらせながら。


 その姿を横目に、少年は落下してきた鉄球を受け止める。そのまま鉄球を弄びながら、挑発的に口元を歪めた。




「で、僕をどうするつもりです? 解剖するとか、人体実験に回したりですかね」


「そんなことはしないとも。どうか、どうかだ。どうか、我々の計画に参加してほしい。世界を変える計画に!」


「世界を……変える?」




 何を言っているんだ、と。大仰に腕を広げる男を見て、少年は訝しげに目を細める。




「その通り。この計画には、君のような子も多く参加してくれているんだ」


「……僕のような、というのは、もしかして」


「そう、彼らも超能力を持っている」




 冗談のような言葉を、男は事もなげに放ってみせた。思わず出かかった、嘘だろ、という呟きを少年は飲み込む。


 自分自身が不可思議な力を持っている以上、他に超能力者が居る可能性を否定できる訳がなかった。




「例えば“シアトルの独り歌劇団”、“セントルイスの発火少女”、“アトランタの壁抜け男”……。まだまだ他にも、のべ十五人」




 椅子を倒すほどに激しく立ち上がり、わざとらしいほどに靴音を響かせて。男は机を回り込み、少年の手を握る。




「そして君、“フィラデルフィアの飛行少年”クンに、十六人目になってほしいのだよ!」




 その手を振り払うべきか、受け入れるべきなのか。少年は考える。


 協力しないという選択をしたとして、素直に帰してもらえる公算は小さい。男の語気は優しく穏やかなもので、内容も要請という形にはなってはいるが。軟禁状態である以上、脅迫となんら変わらないのだから。




 だが、大人しく従う他にないのかといえば、否。少年は、強引にこの場を脱する手段を握っていると、少なくとも本人は認識している。




「……貴方達の計画に協力して、僕に見返りとかはありますか」


「無論。金銭的な報酬も用意しているし、他にも君が望み、我々にできることならどんなことでも。なんでも言ってくれて構わない」


「拘束期間は?」


「実のところ計画自体はわりと大詰めでね。君という最後のピースが加われば、残すは最終段階。だから長く見積もっても一年というところかな」




 間違いなく条件は良い。だが、うまい話には総じて裏があるもの。


 深く息を吐きながら、少年は瞑目して天を仰ぐ。黒髪が耳を撫ぜた。




 思考はほんの数秒、おおよその方針を決めて立ち上がる。互いに向き直り、少年は自嘲気味の苦笑をこぼして、男は人の良さげな笑みを貼り付けたまま崩さない。




「──よろしくお願いします」




 選択は、恭順。少年は掴まれていた手を一度振り払い、左手で握り直す。


 男は少年が右手に持つ鉄球を一瞥してから、にんまりと目尻を緩めた。




「素直に受け入れてくれて嬉しいよ。ありがとう」


「どうせ僕の将来なんてたかが知れてますから。なら、可能性に縋るのも悪くないかなと」




 親もいなければ伝手もなく、学もなければ才もない。どのみちそこらで野垂れ死ぬか、裏稼業の鉄砲玉にでもなるか。


 ならばいかに胡散臭くとも、自分を評価し厚遇する気のあるところに身を寄せるのも悪くない、というのが少年の判断だった。




 それに、と男の言を思い出す。自分以外の超能力を持つ人間に、興味がないと言えば嘘になる。




「……で、世界を変える計画とは言いますけど。結局のところ、どんなことをさせられるんですか僕達は」


「ふーむ。機密であるのもそうだが、それ以上に複雑すぎてね。この場では詳細を告げることは不可能だが……そうだね、一つだけ教えてあげよう」




 にっこりと大口を開けて。崇高な使命であると、そう確信している笑みで。男はそれを口にする。




「レインボー・プロジェクト。それが、我々の為す計画の名称さ」

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