下町のラヴィアンローズ
燃え盛る橙色の炎。炉の中で揺らめくそれを眺めるのが、なんとなく好き。心が洗われるみたいで。
額には、ふつふつと汗が湧き出す。あっつい。外はまだ肌寒いけれど、窯の周りだけはいつも常夏だ。
唐沢さんが、溶解炉から融けたガラスを取り出した。水あめの様にドロドロとしたガラスが、竿の先に巻き付いている。
くるり、くるり、と回転させて、形を整えてから、粒状のガラスを入れた金属製の器へ。瑠璃色のガラスの粒と、檸檬色のガラスの粒を混ぜている。均等に混ぜているわけではなくて、わざと偏った混ぜ方をしている。これが、今回の拘りだそうだ。
ガラスの粒は、音もなく吸い寄せられる。さながら、トッピングシュガーを水あめにまぶしたよう。
そして、ガラスは、再び炉の中へ。
唐沢さんは、汗だくになりながら、竿の先を真っ直ぐに見つめている。心の中では、先生と呼んでいる。私は、先生に憧れてこのガラス工房の手伝いを始めた。
「神取さん、重曹を」
「はいっ」
真剣な眼差し、逞しい腕。見惚れていて、反応がワンテンポ遅れてしまった。これは、いけない。
作業台の上に重曹を薄くまぶす。ガラスにまぶされた重曹は、炉の熱で発泡して、泡の粒を閉じ込めたデザインになる。
もう一度、溶解炉からガラスを薄く巻き取って、いよいよ竿の吹き込み口から、空気を吹き込んでいく。吹きガラスと言われれば、誰もが思い浮かべる工程だ。
そこから、バトントワリングのように、竿を回転させて、遠心力で高さを出す。もう一度、今度は大きく空気を吹き込む。
「神取さん、ポンテ竿用意して」
ポンテ竿、吹き竿とは違って、吹き込み口のない竿のこと。
その先端を溶解炉へ。少量のガラスを巻き取って、空気を吹き込む側とは反対側に取り付ける。ポンテ竿を取り付けた側が、器の底になる。
“種取り三年、吹き八年”、などと言われる業界。売り物として実際に店頭に並ぶガラスを触らせてもらえるのは、今のところ、この工程だけだ。
「ポンテ跡は、消しますか?」
「いいや、残しておくよ」
吹き竿を外して、飲み口の部分を鉄製の箸を使って広げる先生。この工程からは、私はまた、見守り役になる。じっくり見て、技を盗まないと。
「冷却炉で冷やした後、サンドブラストで“すり”を入れて仕上げるんだが、そのデザインを考えてみないか?」
思わず飛び上がりそうになった。私のデザインしたものが、店頭に並ぶんだ、と思うと。上ずった声の返事が、ガラス工房のトタン屋根に反響した。
器を作り終えて、お昼休憩に入った。午後になったら、お店を開ける作業を始めなくてはいけない。それに向けての腹ごしらえだ。
工房の一角に、板張りの机と椅子がある。そこに向かい合わせになって、昼食を取る。
「唐沢さん、またコンビニ弁当なんですか?」
「朝は時間がなくってな」
「身体に悪いですよ」
先生は、いつもコンビニ弁当だ。しかもバリエーションも代わり映えがない。
「揚げ物ばっかりですね」
「コンビニの弁当だから、こんなもんだろ」
たしかに、コンビニ弁当なんてそんなものだ。
私は、自分の持ってきた弁当箱を広げた。いつも母親が朝早くに起きて作ってくれる弁当。先生の昼食とは対照的だ。
しばらくすると、ぶろろ、とエンジン音が、工房の入り口の方から聞こえた。美鳥みどりが来たかな。
入口の方を見やると、金髪の女の人が。ヘルメットを外して、原付から降りるなり、胸ポケットから煙草を取り出して、火をつける。
ヘアゴムで纏めていた金髪を解いて、手櫛を通しながらぷかぷかと煙を吐く姿は、ヤンキーみたい。やがて、気だるげな顔が見えた。ああ、やっぱり美鳥だ。
「おー、お熱いですなあ。亜紀ちゃん」
「やめてよ、美鳥……」
高校のときから、ガラが悪いのは相変わらずだ。おまけに、がさつで無遠慮。先生の前で、そんなことを言うなんて。
「唐沢さん、マルボロいります?」
「いや、煙草は三年前にやめたから」
「つれないですねー」
椅子に座って、ハンドバッグからサンドイッチを取り出す。私と先生がお昼休憩を取るタイミングを狙って、美鳥は現れる。こうやって一緒に食卓を囲むことも多い。
「どうですか、唐沢さん。うちの亜紀ちゃんの調子は?」
「まあ、よくやってくれているよ」
うちの亜紀ちゃんって、いつから私は、あんたの所有物になったんだ。でも先生が、そう言ってくれるのは嬉しい。思わず、にやけてしまうくらい。
「亜紀ちゃん、唐沢さんの手伝いもいいけど、大学にも行きなよ」
「明日は行くわよ。今日は取っている授業がないの。というか、美鳥は思いっきり、サボってんじゃん」
ばれましたか、と頭をかきながら笑ってごまかす美鳥。
美鳥とは大学は違うけれど、よく話すから講義の時間は把握している。一年のときは、単位ぎりぎりで、危うく留年するところだったぐらいのサボり魔だった。
「今年は、危なくならないようにするわ」
「本当かなあ」
美鳥はがさつだから、疑わしい。
「僕は作業に戻る。一時になったら、店を開けに行くから、それまで神取さんは、ゆっくりしていていいよ」
「あ、はい」
先生は、美鳥と話しているうちに、もう食事を済ませていた。相変わらず、食べるのが速い。
だし巻き卵をかじりながら、先生の背中を見送る。ちょっと前までは、はやく食べろと言われたり、昼食後すぐに作業が始まって呼ばれたりしたけれど、最近は、それがない。
「ちょっと、亜紀ちゃん」
美鳥が、先生がいなくなったのを見計らって、話しかけてきた。
「なあに?」
「亜紀ちゃんさ、大学卒業したらどうすんの?」
「……あんまり考えていない」
「芸大でしょ? 夢くらい持ちなさいよ」
学部では工芸科を選択している。卒業後の進路は、堅実なものではデザイン職になるか、装飾品の販売員になるか。あるいは、芸術の道を突き進むか。自分で選んだ道だけれど、極端な世界だな、と思う。
「亜紀ちゃんは、真面目そうに見えて、あんまり考えていないからねえ」
「そういう美鳥は、どうすんのよっ」
「実家の酒屋継ぐよ。大学のうちに、酒類免許もいくつか取るつもりでいるよ。亜紀ちゃんも、色彩検定でも取っておけば?」
サボり魔だから、てっきり考えていないと思っていた。完全に面食らった。
「なあに、その顔? あたし、こう見えて結構考えてんのよ」
思わずぽっかりと開いた口を、「失礼な奴」と言わんばかりの目で見つめる美鳥。
「唐沢さんもさ、亜紀ちゃんのこと、ずっと雇おうとは思ってないと思うよ。今は、まだいいとか、そんなこと言ってる間に来ちゃうの。けじめをつけなきゃ、いけないときってのは」
分かっている。分かってはいる。けれど、先生と過ごしていると、居心地がよくて忘れてしまう。
美鳥の言葉が、胸に刺さった。痛いところを突かれたなあ。
「唐沢さん、最近変わったところとかないの」
「なにそれ、手放される予兆っていうの?」
「いや、聞いてみただけ」
「うーん。まあ最近は、あまり怒られなくなったかな」
きっと、私が作業に慣れてきたからだろう。私が練習で作った作品も、褒められることが多くなってきたし。きっと、そうに違いない。
***
昼食を済ませ、美鳥を送った後、店に出す品物を車に積む作業を手伝う。出来上がった品物を丁寧に梱包し、トランクに積む。今日は、十数品の新作が、店頭に並ぶ。
私がデザインをしたグラスが並ぶのは、いつだろう。そう考えると、辛い積み荷の作業も楽しくなってきた。
「よし、積み終わったぞ」
「はいっ」
車に乗って、巣鴨に向かう。地蔵通り商店街から少し外れたところに、ガラス細工屋、ラヴィアンローズはある。
店番では、かなりの仕事を任されるようになったから、店に向かうときは、俄然気合が入る。
「神取さん、少し、言いにくいんだけどね」
今日も頑張ろう。そう自分に言い聞かせていたとき、不意に先生が口を開いた。
「はい、どうしたんですか」
ハンドルを持つ、筋の浮き出た右手には、うっすらと汗が滲んでいる。歪んだ唇から漏れる声は、いつもよりも少しだけ低い。
「もう少ししたら、店を二年ばかり閉めようと思う」
先生の口から出て来たその言葉は、あまりにも突然のことで。
「え……。えっと、本当ですか」
私は、疑わずにはいられなかった。信じたくなかったから。
「うん。前々から決めていたんだけどね。琉球ガラスを勉強しに、沖縄でしばらく修行をしようと思っていてね。その間、店は閉めることになる」
「そうですか。で、でも……二年したら帰って来るんですよね?」
「そうだけど。その頃には、神取さんも就活だったり、卒論だったりで、忙しいだろ」
先生の言う通りだけれど、受け入れられなくて、考えるよりも先に口が動いてしまった。
“けじめをつけなきゃ、いけないとき”、美鳥が言ったそれは、想像していたよりも、ずっと早くに訪れた。




