和弓でチートは難しい?
「中部、弓道にするの?異世界飛んだらどうするんだ?」
部活希望の用紙を提出するときにそんなことを聞いて来た悪友は、剣道を選んでいた。成田という悪友は常に異世界物のネット小説を読み込み、現代チートの利用方法などを研究していた。
当たり前のようにいつかは異世界に飛ばされると考えている成田を変わっているとは思っていたが、妙な雑学もよく知っていたので面白い友人として付き合っていた。綺麗な水の作り方やら、モーターの詳しい構造やら異世界に飛んだ時は重要な知識らしい。
「異世界なんて飛ばされないし、俺は弓道の方が見た目が好きだ。それに弓は古い武器だよ。異世界に行っても役立つ。」
悪友の話に合わせるようにそんなことを笑い話のついでにしたのは中学の春の話だっただろうか。成田とはそれからも割と仲良く過ごしていた。成田は異世界に行ってからの過ごし方の研究には熱心だったが、異世界に行く方法を探っているようには見えなかった。いつかその理由を訊ねたときに成田は得意げにこう言い放った。
「連れて行かれるのがいいんだよ。だいたい連れて行かれた場合はチート能力が授けられるんだ。ただの小賢しい若い男だけじゃ、異世界ではうまく行かない。いつか強制的に移動されたときにうまくチート能力を活かせるか、それが大事なんだよ。」
そんな言葉にどういう返事をしたのかは覚えていない。呆れていたのかもしれないし、そのまま別の話に流れたのかもしれない。
だが成田、強制的に飛ばされても必ずしもチート能力を授けられるかどうかは状況によるみたいだぞ、と今なら伝えるだろう。そして、やっぱり弓でチートは少し難しかったという愚痴に少しだけ付き合ってほしい。
「こんなことになるなら、成田みたいに剣道にしておけばよかった。」
木の股に腰を下ろし、泥まみれの自分の弓を見上げ俺はひとりごちた。
目の前に広がるのは低木が茂る林。足元は小さな草花が咲いており、なんとなくのどかさを感じさせる。風はゆったりと吹き、気温も春の陽気を感じさせる。蝶やトンボのような虫がひらひらと空を舞っている。自ら赴いた土地なのであれば、ゆったりと腰を落ち着け、一眠りしても良いくらいだ。自ら赴いたなら。
比較的人口規模がある日本の都市の電車に寝ながら揺られていたはずなのに、気がつけばビルどころかコンクリートの気配もない、日本の田舎ですらないようなよくもわからないところに来てしまっていた。俺は、部活の大会の帰りに弓具を持って地元の道場に行くために電車に揺られていただけのはずなのである。
そのまま地元の道場で引く予定だったから、袴にパーカーを羽織ったくらいで、足元はクロッカス。手荷物は制服とスマホ、財布、タオル、ノートと最低限の文房具が入ったカバンと弓、矢くらいなものだ。スマホは圏外だった。時計表示すらまともではなく、そんなおかしな環境にあったせいか電池の減りが異常にはやく早々に役立たずになってしまった。
マップも機能せず、目の前を狐とウサギの間のような動物が通った時、夢と疑いなんとか覚める方法を駆使したが、目覚めることはできなかった。ならばと成田曰く異世界転移でよくあるお助けキャラの可能性にかけ、その生き物に期待を込めたが、優しく語りかけるはずもなくどこかに逃げて行ってしまった。
「成田なら、小躍りして喜んだんだろうな、この状況。」
あの悪友なら、今まで溜め込んだ異世界やアウトドア知識をフル活用し、むしろこれからの生活に胸を躍らせたことだろう。こんなことならば、成田の異世界トークにもうすこし関心を持っていればよかった。
『異世界ではどんな敵がいるかはわからない。取り敢えず、武器の確保が必要だ。その点剣道を学ぶことはいい。棒さえあればなんとか武器になる。』
剣道を選ぶ理由をそんな風に得意げに話していた成田の顔が浮かぶ。
人気のない林の中でとりあえずは身を守る手段をと弓を張ろうとして行き詰まった。弓を張るための窪みがない。確か名前があったはずだけど、そんなことは今はどうでもいい。立てかけられるならばなんでもいいとばかりにちょうどいい高さの木を探すにも四苦八苦した。
なにせ周りには自分の身長と同じ高さくらいの低木しか生えていないのだ。しかし低木というにはなんとなく幹が太く、大きな木をそのまま縮小したように見えた。三メートルを超え、なんとか支えになりそうな枝ぶりのある木を見つけた頃には1時間は経っていただろうか。
なんとか弓を張れたものの、木の皮や土で弓の先は汚れてしまい、師範に怒られると頭を抱えた。
「やべぇ。めっちゃ怒られる。あぁ、でも現実戻って怒られたいなぁ、って俺はマゾか。」
マゾでもなんでもいい。現実に返して欲しい。なんたって今俺の手持ちの武器はこの無駄に長い弓と矢が6本だ。
弓は木刀の代わりにするには心もとない。長いからリーチは長いが折れては困る。矢尻は変えたばかりとはいえ、スポーツ用のために先は丸みを帯びている。突き刺すためにはそれなりの威力がいる。張力18キロの弓で出せる威力などたかが知れている。高校生男子にしてはそれなりの重さを引いていたつもりだったが、あくまでスポーツの世界の話だ。
成田に弓道は異世界では不利だと言われた意味が少しは理解できた。スポーツ化された弓道はスポーツ環境を離れてしまえばあまり応用ができるものではない。
弓道を選んだきっかけは母だった。せっかく部活があるのなら、何かスポーツをしてみたい程度に考えていた俺に母は「袴をはいたスポーツなら全力で応援する」そうキラキラとした笑顔で言い放った。せっかくなら、母の意に沿うのもいいだろうと部活の候補は剣道か弓道に絞られた。
二つの部活を見学に行き、剣道はかっこよかったものの大きな声をあげる行為と武具の匂いに辟易し、弓道の静けさと某ジブリアニメのヒーローに憧れた覚えがあった俺は弓道を始めた。後悔などなかった。今日までは。
剣道ならば、成田の言うように最悪その辺の長い棒でもあったら、身を守れたかも知れない。なにせ弓は飛び道具だ。矢は飛ばせばなくなる。こんなだだっ広い空間で矢取りなど、不可能に近い。それに壊れた矢の修理ができない。ここには長さの揃ったジュラルミンのシャフトもプラスチックの筈も鷹の羽もない。そもそも、それを組み立てる技術は俺にはない。
「なんか、こんな世界に飛ばされるんなら、弓道の道具のこともうちょっと色々調べとくんだった」
せめて、職人さんの仕事場見学でもしておけばよかった、なんて呟いてもはや後も祭りだし、見るだけでできるなら職人さんなんて必要ない。けれど、役ただずな自分の知識にため息をついている暇などない。取り敢えずは、安心して寝る環境を探すことだ。元の世界に戻りたいとか、この世界はなんなのかとか思うことはいくらでもあるけど、命あっての物種だと成田がいつもいっていた気がするし、自分としてもただただ死ぬのはアホらしい。
太陽らしきものはまだ高い位置にある。まだ、日暮れはまだだろう。取り敢えず寝るところをと、荷物を持って立ち上がった瞬間、とっぷりと日が暮れた。
「は!?夜!?なぜ!?」
高い位置にあったはずの太陽が一瞬にして消え去り、あたり一面が瞬く間に暗転した。夜の光源となるはずの月も星もない。明るさに慣れていた目は一気に暗くなった環境になじめず全く周囲の環境を写さなくなってしまった。あまりの暗さに恐怖を覚えうずくまった。せめて、少しでも目が慣れてくれないかと目だけは開けていたが、一切の光源のない環境ではなかなか見えるようにならない。遠くでは今まで聞こえなかった獣の遠吠えまで聞こえてきた。
「マジでなんなんだよ!あーもー、誰でもいいから助けてくれ!なんでもするから!!」
『ほんとうに?』
思わず叫んだ言葉は、誰にも届かないはずだった。この世界に来て初めて獣や小動物以外の鳴き声ではない、言語のような音声が聞こえた方に顔を向けた瞬間、俺の意識はまるで蹴飛ばされたかのように消え去った。




