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この星の未来をかけたVRゲーム:現実増殖のエポック

「人類最初のコンピューター・ゲームがどんなものだったか、君は知っているかい?」




 首相官邸5階――総理執務室に、ロシア民謡『コロブチカ』のメロディが軽快に漂っていた。


 内閣総理大臣事務担当秘書官・童島楓(どうじまかえで)は、上司の両手に収まった箱型機械を見ながら答える。




「不勉強ながら、ゲーム史には明るくなく」


「『エル・アヘドレシスタ』。1912年に発明された自動チェス機械。それが人類史上初のコンピューター・ゲームとされているそうだ」


「……今から107年も昔ですか。私の感覚では、今、首相のお手にあるそれが、最も古い部類のゲームなのですが」




 大人の手にあってすら大きく感じる、初代『ゲームボーイ』。


 湾岸戦争の空爆にも耐えたという灰色の箱は、発売30年が経った今でも、変わらずにブロックを積み上げている。




「エル・アヘドレシスタから107年。ゲームボーイから30年。今や人類は世界の創造さえ可能となった。《フルイマージョン・ヴァーチャル・リアリティ》によってね。――しかし、だ」




 コロブチカのメロディがテンポを早めていく。




「それほどのテクノロジーを与えられて、人々は何を求めた? 殴り合ったり撃ち合ったり斬り合ったり――」


「昨今では仮想現実を用いたSNSも人気ですが」


「では、喋り合ったり、も加えよう。いずれにせよ、500年前の人間でさえ可能なことではないかな?」




 歳の割に皺の少ない口元が、少年のように無邪気に笑んだ。




「実に面白い想像だとは思わないかい? テクノロジーが神の領域に近付くにつれ、人々は原始的な快楽を嗜好する――だとすると、この先には何が待っているんだろう? 人類最初のゲームが自動チェスなら、人類最後のゲームは何になるんだろう? 僕はね、それが知りたくてたまらないんだ」




 コロブチカのメロディは急き立てるように加速し、老眼鏡越しの視線が忙しく動く。


 童島楓は自身の上司に――内閣総理大臣・理良田終造(りらだしゅうぞう)に、確信を持って問いかけた。




「《文明継承彗星》が、それを教えてくれるとお思いなのですね、総理は」


「僕たち地球人類の頑張り次第では、ね」




 コロブチカのメロディが止まった。


 総理大臣は「ふう」と息をついて、武骨なゲームボーイをデスクに置く。


 デスクにはすでに、楓が持ってきた資料があった。


 内閣情報調査室から上がってきた報告書である。




 その1ページ目に印刷された画像を見て、理良田はかすかに目を細めた。


 画像に映されたのは、一封の洋形封筒である。


 古式ゆかしい封蝋には、ほうき星を模したマーク。


 裏側には差出人名もなく、簡素な一文だけが、流麗な明朝体で綴ってあった。


 曰く、




 ――《この星の未来をかけたVRゲーム》へのご招待。




「……10年振りだな、零介」




 西暦2019年3月31日。


 窓外に広がる青空に、まだ星はない。














 ―――ずっと、ここではないどこかに行きたかった。




『ちょっと遊びに行ってくる』




 そう言っていなくなった父さんは、確かにそのとき、楽しそうに唇を緩ませていたから。




 忘れもしない、10年前。


《世紀末彗星》と名付けられた大彗星が、いっとう壮麗に輝いて空を埋め尽くしていた、夏の夜のことだ――




〈――HEY、我らがザ・フール! 聞こえてるか? 聞こえてるならフェチを教えな!〉




 ビルの合間に見える夜空から視線を切り、ぼくは過去から現在に意識を戻す。


 左手で耳を、右手で口を覆い、秘密通話モードをアクティブにした。




「聞こえてるさ、ハングドマン。フェチは強いて言うなら肩のラインだ」


〈FOO! いい趣味してるぜ、我らが愚か者は! ちなみにオレは――〉


〈……ちょっと。やめてよね、そういうの。女子も聞いてるんだから〉


〈Huh? 喜ばねえのかよ、ラヴァーズ? せっかく愛しのフールが、肩さえ綺麗なら顔と性格は気にしねえって言ってくれてんのに!〉


〈誰の顔と性格が何だって!?〉


〈ま、まあまあ、落ち着いて……。だいじょぶだよ、ラーちゃん。ラーちゃんの肩、わたしは綺麗だと思うよ?〉


〈それ、フォローになってないからね、フォーチュン! でもありがとう!〉




 休み時間の教室のように騒がしい仲間たちに、ぼくは頬を緩ませる。


 いつまでも聞いていたいけれど、そろそろ仕事の時間だ。




 カラオケ店の看板の上で、ぼくはすっくと立ち上がる。


 眼下の歓楽街には、社会の授業で見た前世紀の通勤ラッシュのような光景が広がっていた。


 川のように流れる人、人、人。


 何千とあるはずの目は、しかしぼくの姿を捉えない。


 強すぎるネオンの輝きが、それらをことごとく眩ませているからだ。




 彼ら一人一人のことを、ぼくは想像した。


 新しい生活への不安。


 慣れすぎた環境への退屈。


 自分を取り巻く世界から一時的にでも逃れようと、ぼくらの予告に導かれた彼ら。




 ぼくらが、君たちを連れていこう。


 見たこともない世界へ。


 ここではないどこかへ。




 ぼくは通話の向こうの仲間たちに言う。




「準備はいいかな」


『『『OK!』』』


「覚悟はいいかな」


『『『OK!』』』


「なら始めよう。“おもしろき こともなき世を おもしろく”――」


『『『――“暇人どもに 救いの馬鹿を”!!』』』








 歓楽街が、一瞬で闇に沈んだ。








 驚愕のざわめきが暗闇に漂う。


 ぽつんと寂しそうな月だけが、申し訳程度に人影を浮かび上がらせる。




 戸惑いの気配が凪ぎ、怒りへと反転する寸前。


 その間隙を狙って、ぼくは声を張り上げた。




「――ようこそ、《フール・ゲーム》へ!!」




 直後、天使が飛んだ。


 闇に沈んだ空の四方。そこから4人の天使が飛来して、歓楽街に眩い光を振り撒いてゆく。




 悲鳴めいた歓声が、人々から湧き起こった。


 それが最高潮に達した頃、4人の天使はぼくの頭上に辿り着き、天高くでダンスを踊った。




 その頃には、世界は様変わりしている。




 ネオンの代わりに世界を照らすのは、控えめで神秘的な星々の輝き。


 建物、地面、空。あらゆるテクスチャが塗り替わり、歓楽街は巨大なプラネタリウムへと姿を変えていた。




 上空に舞う4人の天使が、それぞれスポットライトを照射する。


 そのすべてを浴びたぼくは、マントを大袈裟に翻して一礼した。




「ご機嫌よう! 私がゲリラVRゲーム運営集団ハッピー・フールズ主宰、ザ・フール! 今宵は皆様に、幸福な馬鹿騒ぎをご提供します!」




 爆発的な歓声が人々から巻き起こり、仮想の大気がビリビリと震える。


 それに紛れるようにして、マイクを持った女性がぼくを指差して叫んでいた。




「予告通り! 予告通りです! VRハッカー集団ハッピー・フールズのリーダーが、予告通りの時間と場所に現れましたあっ!!」




 今日も宣伝どうも、メディアの皆さん。


 ぼくはアバターの口元に深く笑みを刻み、朗々と声を張り上げる。




「本日はここ、歓楽仮想世界ベンサミアをお借りして、皆様を雄大なる宇宙旅行にお連れします! ――さあ、あちらをご覧あれ!」




 ぼくが正面を指差すと、人々は一斉にそちらを振り返る。


 星々輝く宇宙の彼方から、一筋、二筋、三筋――次々と数を増やした流星が、群れを成して迫ってくる。


 それらは驚くプレイヤーたちの目の前で、駅に入った電車のように速度を緩めた。




「それが皆様の宇宙船です! 目指すはひとつ――10日後に地球を再訪する《世紀末彗星》! 果たしてかの大彗星の姿を最初に見るのは誰なのか!? 見事優勝した方には、賞金1万VRドルが贈られます!」




 熱狂の雄叫びが宇宙に響き渡る。


 プレイヤーたちが我先にと流星に飛び乗る間に、ラヴァーズから通信が入った。




〈……フール。来たわ。京都の連中よ〉


「へえ。意外と早かったな」




 京都府警サイバー犯罪対策課仮想現実係――さすが。勤勉なことだ。




〈ったく。念入りにブロックしてやったのにしぶといったら……。どうする?〉


「ラヴァーズとフォーチュンは運営に専念。……ハングドマン、聞いてるか?」


〈聞いてるぜ相棒。オレのフェチは膝の裏だ〉


「なら、その性癖を見込んで指示するよ。頭の固い大人たちと遊んでやれ」


〈やれやれ。オッサンの膝の裏は例外なんだがな!〉




 通信を切って、ぼくはプレイヤーたちを睥睨する。


 ぼやぼやしてたら無粋な連中に台無しにされるな。


 最低限、乗車状況を確認して、再び声をあげる。




「皆様、流星に乗られましたか? では1分後にスタート――」




 そのときだった。


 ぼくたちが作り、ぼくたちが管理しているはずの仮想宇宙空間。


 その中に異物があることに、ぼくは気が付いた。




 色とりどりに輝く星々の、そのひとつ。


 それが不意に、ひらりと不規則に揺れる――まるで羽根が舞い落ちるように。




 いや……あれは、羽根じゃない。


 あれは…………。


 …………封筒…………?












 ―――いつか、遠いどこかで




 ―――この声が、あなたに












〈フール? どうかした?〉


「……いや」




 宇宙を漂う封筒は、すぐにふっと消えてしまった。


 起き抜けの夢のように――




「ごめん。気が散った」


〈しっかりしてよ! そろそろ1分よ!〉




 気合いを入れ直し、ぼくはマントを大きく広げる。


 その裏地は白黒のレースフラッグに変わっていた。




「5秒前です! ……3、2、1――」




 暇人どもに救いの馬鹿を。


 そしてぼくらに、まだ見ぬ世界を。




「――ゲーム・スタート!!」

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