第九十一話 アルロン攻防戦
ローデンシウス侯国の南部に位置する南ブランデン郡の覇権を賭けたアルロン攻防戦は、実に地味な展開で幕を開けた。
通常なら攻城側が守備側の兵力に10倍以上の差があれば力攻めで落とせるとするのが兵法の常道だが、リザードマンの侵攻軍を指揮する大将軍モリフェーオが命じたのは、防護壁と塹壕の構築だった。
その防護壁は独特で、どちらかというとアルロン内に立て籠もる守備陣に対してではなく、自分達の外側に対してより強固な防壁を築き始めたのだ。
そして、アルロンの城壁間近まで繋がる深い塹壕と無数の退避壕を作り、まるでモグラの様に、地表に身体を晒すことなく攻城出来る態勢を作り上げた。
大軍を擁するリザードマン側が、わざわざ補給に負担が掛かる長期戦を選んだのは、ローデンシウス侯国側の増援と、そして何より成龍の存在を無視できなかったからだ。
平地に展開した平陣で成龍のドラゴンブレスを受ければ、幾ら大軍といえども壊滅的な打撃を受けかねない。
そのため、深い塹壕と退避壕を無数に作り、いざとなれば全軍が地面に潜ってやり過ごせるだけの施設を作り上げたのだ。
また、自陣の外側に強固な防護壁を構築したのは、ローデンシウス侯国の象徴かつ中心である召喚勇者をアルロンに閉じ込めて置けば、幾ら外部から増援が来たとしても、その防護壁の内側に立て篭もることが出来るし、状況次第では人質を盾に有利な交渉を行うことも可能となる。
大将軍モリフェーオとしては、リザードマンの未来を賭けたこの侵攻作戦で、万に一つも失敗しない最善手を打ったつもりであった。
果たして、その戦術が本当に最適解であるかどうかは、これからの戦闘の推移によって、やがては明らかになるだろう。
一方、アルロン内の守備側首脳陣、と言っても召喚勇者ユーキ以下のいつもの面々が、城内の代官屋敷で今後の動きについて打ち合わせしていた。
「まずは、住民の避難状況から報告してもらっていいかな?
ソフィア、ラミィ?」
僕が口火を切ると、魔族姉妹の長女ソフィアが、
「リザードマン達の塹壕の下を掘り進んで、既にアルロン南方の抜け道から順調に退避を続けているところね。予想通り、北側は増援に備えて広範囲に索敵をしている様だけど、南側の警戒は自分達の勢力圏と見做してかなり警備は薄いわね。このまま行けば、あと数日で全ての住民の退避は終わるよ」
と生真面目に報告してくる。
一方の次女ラミィは、昨晩の僕との痴態を脳内反芻しているのか、清楚で整った顔立ちに不似合いな卑猥な表情で僕を見詰めていた。
当然ながら、僕はそんなラミィをパスして次の確認を行う。
「敵の攻勢についての準備状況を教えて欲しい、ヒルデ」
僕らの集団の中では一番の軍事の専門家である天馬を駆る軍団軍団長のブリュンヒルデが、テーブルの上のアルロン周辺の地図を指さしながら、
「敵の攻城用塹壕は、アルロンの全周において、城壁外側の空堀の直ぐ側のこの辺りまで到達している。
状況的には明日にでも敵側の大規模な攻勢があっても不思議ではないが、奴らの宗教上の理由から、恐らくは4日後の満月の夜以降での攻勢開始と予想する」
と、端的に話を終える。
「そうすると、アルロンの市民の退避は敵の攻勢前にギリギリ完了しそうだな」
と僕は納得し、
「あとは、彼らの侵攻を思い止まらせるに足る戦果を上げることか。
最後は、エスタレイウスにも協力して欲しい」
僕は長身金髪碧眼のイケメン、人化した成龍であるエスタレイウスに視線を向けると、あいかわらず男の僕でも赤面しそうなほど整った顔立ちで、キラリと輝く白い歯を覗かせながら、
「もちろん、喜んでなんでもしよう。我が友よ」
と、頼もしく微笑み返してくる。
ふとそこで、それまで発言の無かったエルフのフィリオーネが口を開き、
「ユーキ、アルロンの住人が避難できたなら、もうその時点でワイバーンで私達全員がここから脱出すれば良いんじゃない?」
フィリーの気持ちは伝わってくる。
要は、住民の当面の安全さえ確保できれば、リザードマンとの戦闘というリスクを敢えて冒す必要は無いのでは、ということだ。
もちろんそれは、僕の身を心配すればこその提案だった。
ただし僕は、それは相手の善意を期待する事が前提の、非常に危うい考えだと思っていた。
仮に一戦も交えずに僕らが撤退した場合、南ブランデン郡の住民たちが当面どの様な扱いを受けるかは、武力占領した侵攻軍側の紳士的な対応を祈るしか出来なくなる。
それはこの地を治める為政者として、余りにも無責任な選択だ。
だが、口に出しては、
「そうだね、フィリー。それも選択肢の一つとして考えておくよ」
と彼女の気持ちを一旦はなだめる。
「当面はこのまま、住民たちの避難誘導を最優先事項とするけど、状況次第ではいつでも迎撃出来る態勢を整えておきたい。
敵への対応は僕とヒルデとフィリーで。
ソフィアとラミィには、引き続き避難の指揮をお願いします」
「分かったわ」
小気味よいソフィアの返事に頷き返し、未だに軽く発情しているラミィをスルーして、僕は会議を終了した。
もう数日後には、この地で大規模な戦闘となるだろう…。
それから幾日かを経て、アルロンの夜空がいよいよ満月の輝きを迎える。
本陣前に設えられた祭壇では、月光に照らされた美しい巫女が神に捧げる舞を奉納し、その動きが激しくなるにつれて祭壇を囲む無数の兵士たちの興奮も、徐々に高まってゆく。
兵達は、舞手の足踏みに合わせて自らの盾に剣を打ちあて、或いは拳をつきあげる。
クライマックスに向けてテンポを増してゆく巫女の動きは、クルクルと独楽のように高速に回ったかと思うと、一際高く飛び上がると同時に突然終わりを告げ、大地に身を投げる様にして止まった。
その瞬間、兵達の興奮は頂点に達し、口々に雄叫びを上げ、その唸り声は辺り一面に地鳴りのように響き渡る。
その喚声のなか、大将軍モリフェーオが壇上に姿を表し、兵士たちの熱狂は最高潮に達した。
「同胞諸君!」
モリフェーオの大音声が、大気を震わす。
「我が命に従い、忍従と労苦の日々に良くぞ耐えてくれた!!!
改めて、諸君の同胞への忠誠と忍耐に心からの敬意を表する!」
兵士達は歓呼でこれに応える。
「だが、それも終わりだ!ついに我等の命運を賭けた一戦が、この地、この瞬間から始まるのだ!!」
再び地鳴りの様な喚声が湧き上がる。
「我等や我等の家族、そして我等の子孫達の幸せな未来を、我々の勝利によって勝ち取るのだ!!!」
モリフェーオは更に声を励まし、
「今より、敵の立て籠もるアルロンへの総攻撃を開始する!!!
私は、同胞諸君の勝利を確信している!!
行け!!そして我等同胞の未来を勝ち取るのだ!!!」
兵士達の口々から、この日一番の雄叫びが上がる。
この地にいる全てのリザードマン達から恐怖は消え去り、その胸は熱狂と興奮で満たされる。
出陣の大太鼓の音が響き渡り、兵士達は整然と塹壕を辿って一斉にアルロンへと向かい始めた。
いよいよ、アルロン攻防戦の幕が切って落とされたのだ。
攻城用塹壕から津波のように完全武装のリザードマンが次々と飛び出し、深い空堀を渡って城壁に取り付いていく。
土魔法により固められた城壁は、鋭い爪を備えた手足を持つリザードマンに取っては、何の障壁にもならなかった。
まるで平地を走る蜘蛛のように、凄まじい速さで切り立った城壁を登っていく。
そして最初の兵士が城壁の最上部に手を掛けようとしたその瞬間、
「アースランサー!!!」
僕と魔族2姉妹の土魔法により、城壁の全ての表面から無数の鋭い石の槍が一斉に突き出された。
それはまさに、地獄絵図そのものの様相だった。
ある者は、壁面から弾き飛ばされ、はるか高所から空堀を渡ろうとしていた味方の頭上に落下する。
ある者は、手足や胴を貫かれ、身動も取れずに致命傷を受ける。
ある者は、不幸にして頭を貫かれ、一瞬にして絶命する。
だが、彼らの不幸はそれだけには留まらなかった。
次の瞬間、分厚い土壁の表面が意図的に崩れ落とされ、城壁に取り付いていたリザードマンもろとも、大量の土砂が深く掘られた空堀に雪崩込んだ。
そのたった一撃により、攻城のために前掛かりになっていたリザードマンの前哨部隊は生き埋めとなって壊滅し、攻撃側全軍の1/4が文字通り地表から姿を消した。
大混乱となり、もはや秩序もなく塹壕から飛び出て逃げ惑うリザードマン達の頭上に、とてつもなく巨大な黒い影が舞い上がった。
成龍、エスタレイウス。
その成龍が、聞くものの魂までも押し潰すかの様な凄まじい咆哮を上げると、かなりの数のリザードマンが恐ろしさで身がすくみ、後続の兵士とぶつかり、その足を掬い、そうして地表で動かぬ的になった者達の上から、地獄の業火が降ってくる。
龍の業火…
その対策のために掘られた塹壕は、急いで退却しようとして混乱する味方の兵たちにとっては、空堀の様な障壁でしか無かった。
塹壕に落ちて味方に踏まれて絶命する兵士も無数に発生する。
もはや秩序もなく、ただひたすら逃げ惑う彼らの頭上からは、全てを焼き尽くす炎が容赦なく何度も浴びせられる。
熱狂と興奮に包まれ、鋼鉄の奔流の様にアルロンに押し寄せたリザードマンの侵攻軍は、ほんの僅かの間に全軍の1/3を永久に失い、ここに壊滅した。
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