第九十話 大号令
その日、リザードマン達の首都マジラ・ヤ・ジョトの中心にある長老議会の本会議場で、議長のザハラウーツェは、後に有名になる歴史的な演説を始めた。
彼の腹心であるクーネセンツェ議員は、その会議場にて、その言葉を一言一句漏らさず後世に残すために、私的な記録としてそれを書き留めた。
以下は、その記録からの冒頭部分の抜粋だ。
長老議会、議員の諸君。
賢明なる議員諸君の中には、正しき時に正しき事を決断し実行するという義務を、放棄するような臆病者がいるはずもない事を私は知っている。
だがしかし、私は敢えて諸君に問いたい。
貴方がたは、これから私が行う提案に賛同し、共に遂行する勇気を有するのかどうかを?
それに伴いもたらされるであろう幾多の尊い犠牲を受け入れる覚悟を有するのかどうかを?
どうか、私の話を最後まで聞いた後、私のこの疑問への諸君の断固たる答えを示して頂きたい。
この私の提案に対する諸君の回答が、いつの日か我々の子孫への贈り物となり、彼等に豊かな恵みと安寧をもたらすことを祈って…。
私は揺るぎなき決意と覚悟を持って、今ここに、[大号令]の発令を貴方がたに提案したい。
議長ザハラウーツェの演説の後、議員間の白熱した議論が交わされ、そして最終的に、長老議会は熱狂の渦の中で[大号令]の発令を決議する。
その後はクーネセンツェ議員の緻密な段取りの通りに事は進み、ザハラウーツェはその日を持って正式に[大号令]を宣し、以降の軍事的大権を正式にその手に納めた。
そして広大な沼沢地の全てに、この時にしか使われない狼煙をもってその発令が知れ渡り、全土から続々と、兵役該当年齢の男達と、シャーマンでもありマジシャンでもある巫女が、各地域の長老達に率いられて首都に集結する。
その数、およそ一万。
概ね出身地域毎に纏められた3部隊に分かれ、発令から3週間後には、北の人族の地に向けて進軍を開始していった。
まだ朝焼けの残る空のもと、黒ぐろとした沼沢地の森から、細くたなびく旗を無数に掲げたリザードマンの軍団が次々と人族の地に現れた。
人の背丈をはるかに超える屈強なリザードマンの男達が、鎧兜を纏った完全武装で押し寄せてきたのだ。
それはまるで鋼鉄の津波のように、彼等を阻止しようとするあらゆる努力を軽く粉砕しながら、南ブランデン郡の郡都アルロンを目指し進んでいく。
その余りの進撃の速さゆえに、ユーキ達がリザードマンの侵攻を知ったのは、アルロンの簡易な城壁から、地平線を越えて迫る彼等の姿が見えた後だった。
その黒い奔流は東西と南の3方向から押し寄せ、あっという間に街を包囲する。
その僅かな間にユーキ達に出来たことは、アルロンへと別方向から来ているはずのシオンとザルツァが率いる増援部隊へ伝令を走らせる事だけだった。
ユーキは、両部隊の一刻も早い合流と、侯都バーゼル方面への撤退を指示した。
彼等増援部隊は合わせても三千人を下回っており、既に大軍に囲まれたアルロンに不用意に近づけば、リザードマンの大軍を前にして各個撃破の格好な標的になる恐れが有ったからだ。
もちろんその判断の前提としては、ユーキ達は少数でなら自力でアルロン包囲網の突破は可能と考えていたからだが…。
「それにしても、凄い数だな。恐らく一万は下るまい。それに、よく訓練されてもいるようだ」
アルロンの城壁上から、ブリュンヒルデが冷静にリザードマン達の布陣を観察する。
彼等は出身地毎の旌旗の下に整然と集まり、その陣は不気味なほど静まりかえっていた。
ちなみに、アルロンの城壁はユーキと魔族2姉妹の土魔法により、深い空堀に囲まれた巨大な土塁に作り変えられていた。
そして、城外へ打って出る積りが無いため、攻城戦の際に弱点となりやすい城門というものが全く無い、極めて特殊な構造をしている。
幾らアルロン守備隊が数百人しかいないとは言え、そう簡単には攻め寄せられないはずだ。
「さて、防備を固めたとは言え、彼我の戦力差を冷静に考えれば、総攻撃を受ければどんなに頑張っても一週間も持つまい。
それを分かっていて、なぜそなたは逃げ出さなかったのか?」
半ば呆れた様に、ブリュンヒルデは僕を見つめる。
「そうは言っても、このアルロンの街の人々を見殺しには出来ないですよ。
せめて彼らがこの街を逃げ出す時間を作らないと」
「その割には、城門も完全に埋めてしまっては、自ら死地に閉じこもったようなもの。
それで、いったいどうやってこの街から人々を逃がすというのか?」
僕はニヤリと笑い、
「そこは、僕にも考えがあります。
とにかく今回の作戦目標は、この街の人々を安全に逃がしつつ、敵に撤退を決断させる程の大打撃を与えることの2点です。
もちろん、こちらの被害を最小限に抑えて、というのが大前提ですが」
そんな僕に、ブリュンヒルデは真剣な眼差しで、
「つかぬことを聞くが、そなたは軍を率いて籠城戦を戦ったことはあるのか?」
僕は爽やかな笑顔でサムズアップしながら、「ありません」ときっぱりと言い切る。
「ただし、寡兵とは言えこちらにはあなたやソフィア、ラミィ、それにフィリーもいます。充分勝算はあります」
ヒルデは、僕の自信たっぷりの発言にやや疑わしそうな表情を浮かべながらも、それ以上は何も言ってこなかった。
僕は再び、アルロンを取り囲むリザードマンの軍勢に目を遣り、本陣と思しき陣幕で覆われた一画を眺める。
初戦で如何に損害を与えることが出来るか?
全てはそこに掛かっていた…。
所変わって、アルロンから2キロほど離れた高地。
先ほど僕が眺めていた陣幕に囲まれた本陣では、リザードマン侵攻部隊の首脳が一堂に会していた。
長テーブルの上座には、今回の侵攻作戦の最高責任者であるモリフェーオ大将軍が座り、その他3軍の指揮官とその副官の7名が左右に居流れている。
「それでは、軍議を始めます」
モリフェーオ大将軍の副官で、背後に控えていた参謀を務めるガオラトールが口火を切る。
「現在我軍は、敵の中心都市アルロンを四方から囲んでいる状況です。
開戦前よりアルロンにて活動していた密偵の報告によれば、場内の守備兵は1,000人に満たず、我が兵力の1/10を下回るものと思われます。
ここでの我々の戦略目標は…。」
ガオラトールがそこまで述べた時、第3軍の司令官ムルベーポが声を上げた。
「敵の数が我らの1/10以下ならば、一気に捻り潰すまでであろう。
モリフェーオ大将軍、宜しければ我ら第3軍にお命じ頂ければ、他の軍の力を借りるまでもなく、我らだけであの様な小さな街など容易く落して見せましょう」
モリフェーオは棍棒のような太い腕を組みながら、ムルベーポを眺め、
「そなたのその心意気はよしとしよう。
ただし、諸君も承知の通り、本侵攻作戦は我らリザードマンの生活圏獲得を掛けた、万に一つも負けることが許されない戦だ。
そしてアルロン攻略は、本作戦成功のための要である。
まずは慎重に軍議を尽くし、必勝の策を持ってことにあたって欲しい」
しわがれた歴戦の将軍の声音に、ムルベーポは頭を下げながら、
「大将軍のみ心のままに」
モリフェーオはその言葉に頷くと、参謀のガオラトールに会議を進めるよう促した。
ガオラトールは再び口を開き、
「あらためて、今回の戦略目標はこの地の中心都市であるアルロンの攻略であり、これにより人族が『南ブランデン郡』と呼ぶこの地方一帯を永続的に占領することを最終目的とするものです」
彼は続けて、
「その戦略目標の完遂に最大の障壁と為りうるのが、召喚勇者と魔族の存在です。
この度の侵攻に先立ち、その召喚勇者らと接触した我が方の密偵をここに呼んでいるので、皆様にご紹介します」
そう言ってガオラトールが陣幕の入口に控えていた衛兵に目配せすると、衛兵は幕外に何事か声を掛け、その呼びかけに応じてヘレターレと巨漢のオドエーツェが幕内に入って来る。
そして、入口近くで立膝となり、その場に控えた。
「では、そなた達が見聞したことをこの場にて申せ」
ガオラトールが促すと、弁の立つヘレターレが、
「我らはザハラウーツェ議長の命により、約一ヶ月に渡りアルロンに潜伏してこの街の防備の実情等を観察して参りました。
まず、現在アルロンには、この地を含むクレーヴィア地方全体を治める召喚勇者ユーキ=ローデンシウスが滞在し、またその取り巻きである魔族2名とエルフ1名の存在を確認しております。
他にも、少なくとも一頭のエルダードラゴンと、複数のワイバーンが居る可能性があります」
エルダードラゴンの名が出ると、歴戦の諸将にも微かな動揺が走る。
彼ら蜥蜴族の上位種と呼ばれる龍族の中でも、成龍は別格の強さだ。こんな開けた平坦地で成龍とまともに戦うことが有れば、この人数でも勝利出来るかどうかといった所だ。
「ただし、エルダードラゴンもワイバーンも、この一ヶ月で一度も見かけてはおりません。
我々が脱出する直前まで調査を続けましたが、もはやこの地を去っている可能性もあります」
参謀のガオラトールは、
「一応確認だが、その成龍がいない可能性というのは、確実な話なのか?それともそなたの推測なのか?」
と問いただすと、ヘレターレは
「確証はありません。あくまでも私の推測にしか過ぎません」
ガオラトールは重ねて、
「召喚勇者と魔族の件だが、彼らの実力とはいかほどなのか?」
ヘレターレは、
「召喚勇者の力については、巷間で色々と噂は聞きましたが、正直に言って分かりません。
ただし、一つだけ確かなことは、いま皆様の目の前にあるアルロンの巨大な城壁は、元々は木製の脆弱な柵でした。
それを、皆様の軍勢を視認したその瞬間に、あっという間に作り上げたのは、召喚勇者と魔族の2人です。
我々の脱出がもう少しでも遅れたら、あの厚い城壁の中で囚われていたかも知れません」
「他に、そなた等が探った情報で、敵の情勢に関わる情報はあるのかな?」
大将軍モリフェーオが重々しい口調で尋ねると、
「敵の守備兵は、おおよそ300人程度と思われ、この街の兵役可能な男を臨時に徴兵しても、恐らくは1,000に満たない数かと。
また、どうやら敵は北方の本拠地方面から援軍数千人を送って来ているようです」
モリフェーオは傍らのガオラトールに対して、
「聞いたか、直ちに北方に広く斥候を放って、援軍の動向を探るように」
ガオラトールは頷くと、素早く周囲の部下に指示を出し始める。
それにしても、と、モリフェーオは心のなかでつぶやく。
召喚勇者に魔族にエルフ、果てはエルダードラゴンに数千人規模の援軍の存在…。
もしかして、我々は最悪の相手に最悪の手段を取ってしまったのだろうか?
モリフェーオは努めて不吉な予感を振り払うと、具体的な作戦立案に意識を集中させた。
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