第八十九話 大戦の予感
アルロンの街には宿屋が2つ有る。
一つは役人や商人向けの、個室メインの少々お高い宿屋「春の陽光」亭。そして、もう一つは大部屋に詰め込むスタイルの、安さ重視の「沼の端」亭。
ケイティーレは、迷わず安宿の方に2人を案内した。
「沼の端」亭は、冒険者ギルドに近いこともあって冒険者御用達の宿だった。
一応全員が冒険者の格好をしている以上、彼女としてはなるべく周囲に溶け込めるようにと配慮して「沼の端」亭を選んだつもりだった。
しかし、その宿の周辺ですれ違う剣士や騎士など比較的体格の良い男達の中でも、オドエーツェの巨体は恐ろしく目立っていた。
『それにしてもあんたは、どこに行っても想像以上に目立つな?
まるで、海辺にそびえ立つ大灯台みたいだ』
その揶揄するようなケイティーレの発言に、
『お前、その言い方…』
とオドエーツェが不満を言うと、
『言い方?うーん、そんなら、洗いたてのシーツについた真っ黒いインキの染みとか?』
と言って、ケラケラ笑うケイティーレ。
そんな2人の戯れ合いを眺めながら、ヘレターレは先程酒場で見かけた、フルプレートアーマーの女騎士の事を考えていた。
仮に、あの女騎士が故郷ツワーナ村を襲った一味だとすれば、あの酒場に一緒に居た連中も実行犯である可能性がある。
どうやらあの連中は店の常連の様だから、あの店で張っとけばまたやって来るだろう。
しかし、気になるのは金髪長身の男だ。
思い返せば、奴は途中から私達を警戒して周囲にも注意しているようにも見えた。
もし奴らが警戒を強めるならば、今後の調査は慎重に進める必要がある。
何れにせよ、まずは先程ケイティーレが記録してくれた奴らの会話の中身を確認してからだと思い直し、2人に続いて宿屋の受付に向うヘレターレだった。
宿屋「沼の端」亭の受付で、ケイティーレは手慣れた感じで交渉し、割安でひと部屋を3人でシェアする商談をまとめる。
受付の親父は、愛想笑い一つせず一階のひと部屋の鍵をケイティーレに渡しながら、
「ベッドは2つだから、一人はソファでも使ってくれ。まぁ、そこのデカい兄ぃちゃんには小さすぎるかも知れんがな。くれぐれも備品とか壊さないよう気をつけてくれよ」
「分かった、ありがとう」
鍵を受け取り薄暗い廊下を通って部屋に入ると、意外なほど明るく清潔な室内が迎え入れてくれた。
『あのオッサン、愛想はないが掃除は完璧だな』
ケイティーレは軽口を叩くと、
『見ての通り、ベッドは2つだ。あんたらで使ってくれ。あたいはソファで寝る』
始めに寝床を仕切り、ひと通り荷物の置き場所などをテキパキと割り振るケイティーレ。
さすがは冒険者としての経歴が長いだけのことはある。
オドエーツェが重い鎧を外すのを二人掛かりで手伝ったあとで、ヘレターレは早速、ケイティーレに先程の会話の内容を教えて貰う事にした。
『良く聞き取れなかったところもあるが、だいたいこんな感じだ』
と言ってケイティーレがまとめた所によると、例の女騎士はほとんど喋らず、主に黒髪黒瞳の剣士と魔族の女2人、それにエルフの女の4人で話していたという。その内容は、その日のランチで何を食べるか?という事から始まり、その後は何かの順番をしきりに話して、途中ワイバーンの鞍が痛かったとか何とかって会話が聞こえたとのこと。
飛龍の名を聞き、オドエーツェとヘレターレは思わず顔を見合わせる。
が、ヘレターレはなるべく平静を装い、
『ところで、最後に金髪の男が何か注意らしき事を言っていたが、その発言をなるべく正確に教えてくれないか?』
ちょっとまって、とケイティーレはメモに目を落とし、
『うーんと、あ、あんまり騒ぐと周りに迷惑だから落ち着けとか、そんな感じかな。急いでメモってたから、一言一句一緒かどうかまでは保証できないけどね』
『なるほど。重ねて聞くが、周りを警戒していた、という感じはあったかな?』
ケイティーレは少し思い返しながら、
『いや、そんなんじゃ無いと思う。ごくごく普通の感じだったな』
それを聞き、ヘレターレは少し安心する。
金髪長身の男が自分達を警戒していたと感じたのは、思い過ごしだったのかも知れない。
更にケイティーレは続けて、
『あと、一つ気になったのは、あの黒髪黒瞳の剣士、あれは多分、召喚勇者じゃないかな?』
そこでオドエーツェが思わず、
『召喚勇者?あの魔王を倒したって言うあれか?』
と口を挟むと、ケイティーレは呆れたように、
『それ以外の召喚勇者ってこの世界に誰かいるのかい?もちろんその召喚勇者様さ。
魔王を倒した後で、確か侯爵になってどっかの地方の領主になったとか聞いたが。
もしかしたら、それこそこの地方の領主にでもなったんだろうか?』
その発言に、ヘレターレは深く考えざるを得ない。
今までの話を総合すれば、恐らく奴らがツワーナ村を襲った実行犯でほぼ間違いないと思われる。
そして、仮にケイティーレの見立てが正しいとすれば、我が村を攻撃した一味に召喚勇者がいる、という事になる。
確かに、そう考えた方が腑に落ちることが多い。
例えば、リザードマン側が知りたかった事の一つである、人族のためにあの巨大な成龍が力を貸した理由だ。
召喚勇者なら、その恐るべき力で、あの成龍を従えることも出来るかも知れないと思われた。
オドエーツェは考え込むヘレターレに、
『なぁ、もしあの成龍や飛龍だけじゃなくて、その召喚勇者が背後に居るとすれば、それってかなりマズい状況だよな?』
そんなオドエーツェの言葉にケイティーレが、
『成龍や飛龍…、それにあんたらの出身はツワーナ村…』
と呟き、
『そう言えば、この地に来る道中、ツワーナ村が龍の群れに襲われたって噂を聞いたが…、もしかしてあんたらの調査ってそれに関することか?』
ヘレターレはオドエーツェを睨み、
『失言だな、オドエーツェ』
オドエーツェは太い首を器用に竦めて、
『悪りぃ、つい口が滑った』
ヘレターレはため息をつき、ケイティーレに向き直ると、
『ケイティーレ、我々の調査に関して、余計な詮索をしないことが、今回の報酬の支払い条件だったはずだ。
それを忘れた訳じゃないだろう?』
ケイティーレは慌てて、
『もちろん、それは分かってる。
ただ、もしあんたらが調べてることがリザードマン全体に関係する何か重要なことだったら、あたしだってリザードマンさ。出来る限りのことをしたいと思うのが普通だろう?』
それに、と彼女は続けて、
『なんにせよ、目的も知らずにただ通訳だけやるよりは、キチンと目的が分かってたほうが色々協力出来ると思うんだけど?』
これまでのケイティーレの言動を見てきて、彼女はなかなか優秀な冒険者だし、裏表のない素直な性格だとヘレターレは思っていた。
或いは、彼女の言う通り、調査の目的を伝えた方がより効率的に仕事を進められるかも知れない。
ただ、長老議会議長ザハラウーツェからこの仕事を請け負う際に、彼の腹心であるクーネセンツェから、くれぐれも他言無用と釘を刺されている。
ケイティーレに調査の目的を伝えたくとも、ヘレターレ達にはその権限が認められていない、というのが実情だった。
ヘレターレはケイティーレを真っ直ぐ見ながら、
『済まないが、私の口から調査の目的を伝えることは出来ない。
ただし、先程の貴女の推測を敢えて否定することもしない。それが、今の私に言える全てだ』
馬鹿ではないケイティーレは、ヘレターレの言外の意味を推し計り、どうやらヘレターレは自分の推測を肯定したようだと捉える。
『分かったよ、ヘレターレ。今はそれで十分だ』
ケイティーレは納得し、鉾を納める。
そうして、ヘレターレは再び考え込む。
初日から実行犯に遭遇できたのは大きな収穫だったが、知りたいことを全部分かった訳では無い。例えば、奴らは何者なのかという正確な情報や、特に知りたいのは、なぜ奴らが急に沼沢地に手を出してきたのかという所だ。
どうやら奴らは自分達の事を警戒しているわけでは無いらしいので、それならば、また明日以降、「蜥蜴の尻尾」亭で奴らを待ち受け、奴らの背景を探れば良い。
そう判断したヘレターレだった。
ほんの少し時を遡り、ケイティーレ達が「沼の端」亭の一階のひと部屋に入った時刻。
その直後、白金髪のエルフの美少女が、長身のイケメンと共に「沼の端」亭の受付に姿を表した。
彼等は受付に座る親父に金貨数枚を握らせ、他言無用と断ったうえで、一階の部屋の何処かをしばらく借りたいと申し出る。
その相場の何倍もの金を前に、親父はおもむろに鍵を取り出し、
「とりあえず一週間だ。それ以上泊まるなら一週間毎に同じだけ貰おう。
あと、揉め事はお断りだ。備品やら家具やら、くれぐれも壊さないでくれよ」
とだけ言って、再び帳簿に目を落とす。
エフルの美少女と長身のイケメン、すなわちフィリーとエスタレイウスは、渡された鍵を使い、素早い身のこなしで受付に近いひと部屋に滑り込んだ。
部屋に入ると、フィリーはひと通り部屋の中を見回して、居心地の良さそうな窓際の椅子に腰掛けて精神を集中させる。
しばらくして、静かに呪文を唱え始めると、風の精霊を使ってヘレターレ達の泊まる部屋の探知を始めた。以前、山賊街道で虎髭団の本拠地だった洞窟を、入口から探った時と同じ魔法だ。
彼女の脳裏に、朧げな部屋の様子と共に、彼等の会話が伝わってくる。
そして今回は、彼女は同時にもう一つの術式を展開し、同じく風の精霊を使って、同室のエスタレイウスの脳裏にも、集めたイメージを共有させていた。
エスタレイウスはその会話を、フィリーやユーキ達が使う大陸共通語に翻訳して記録していく。
リザードマン達が使う蜥蜴語は、龍族が使う龍語と構文や単語が近いらしく、エスタレイウスは、ヘレターレ達の会話をほとんど理解することが出来たのだ。
珍しい組み合わせの二人であるが、今回はそれぞれの能力を使い、協力して密偵の任務についていた。
そもそも、なぜユーキ達がヘレターレ達に目を付けたかというと、最初に違和感を感じたのはブリュンヒルデだった。
彼女が「蜥蜴の尻尾」亭に足を踏み入れた時、ヘレターレが自分を見た時に見せた驚きの顔を見逃さなかったのだ。
更にブリュンヒルデがそれとなく観察していると、メンバーの一人はユーキ達の会話を記録している様にも見えた。
その違和感はエスタレイウスも感じていた様で、「蜥蜴の尻尾」亭から出てからすぐに彼がユーキにリザードマン達への注意を促すと、その場で優秀なレンジャーであるフィリーが彼等へのマークを申し出て、また通訳としてエスタレイウスが同行することになったのだった。
しばらくして、リザードマン達の会話が途切れたのを確認すると、フィリーは一時的に探索を中断してエスタレイウスのメモに目を通す。
そこには、ケイティーレがヘレターレに、ユーキ達の会話の内容を報告する様が克明に記録されていた。そしてまた、彼等が召喚勇者の存在に驚く様も。
もはや、彼等がユーキ達の事を調査するために潜入した密偵であることは明らかだった。
「まぁ、ヒルデの予想通り、完全に黒だったね?」
フィリーは可愛く尖った顎先に軽く指を当てながら、
「とりあえず、エスタレイウスは一度ユーキの所に戻って、そのメモの内容を報告してもらっても良いかな?
私は引き続き、彼女達をマークしてるから」
「引き受けた」
エスタレイウスは簡潔に答え、直ぐに部屋を出ていく。
そしてフィリーもまた、再びヘレターレ達の監視に戻ることにした。
ヘレターレ達に人族の調査を命じてから一ヶ月ほどが経ち、リザードマン達の首都マジラ・ヤ・ジョトの長老議会議長ザハラウーツェは、腹心の部下であるクーネセンツェ議員から議会工作の最終的な報告を受けていた。
『現状、[大号令]発令への根回しは殆ど完了しております。有力議員の賛成の確約は取り付けましたので、あとは発令後に消費が見込まれる物資の備蓄量の確認と不足分の手配等です。
ですが、首都備蓄分だけでもかなりの余剰が見込まれ、準備は概ね終わっていると言って良いと思います』
簡潔に現状を報告するクーネセンツェ。
ただし、彼としては次の質問を聞かない訳にいかなかった。
『議長、どうにも納得しかねるのですが、例のツワーナ村の1件ですが、それが[大号令]の準備が必要なほどの大事なのでしょうか?
やはり私には、それ程までの事とは思えないのですが…』
クーネセンツェの認識としては、ツワーナ村が人族に襲われたと言っても、たかが辺境の一村での小競り合いだ。人的損害はなく、かつことの経緯を考えれば、むしろこちら側が先に手を出した結果だと言っても良い。
また、ヘレターレ達からの報告によれば、襲撃者の首謀者はあの召喚勇者とその一行であり、その武力は決して侮れない。
例の襲撃以降、彼らが自分達に対してそれ以上の敵対行為をしてきた訳でもなく、どうしてもクーネセンツェには、過去に殆ど発動されたことのない[大号令]を検討するほどの話とは、とても思えなかったのだ。
ザハラウーツェはクーネセンツェを正面から見つめながら、
『確かに、ツワーナ村の1件だけなら、さほど大騒ぎすることでは無いだろう』
しかし、と言って彼は執務テーブルの後ろにある、首都を見下ろす大きな窓の外を眺めながら、
『だとすれば、なぜ有力議員たちが[大号令]に対してほとんど反対をしなかったのか、不思議に思わんかね?』
それこそが、クーネセンツェが感じていた違和感の正体だった。有力議員たちは議長側からの[大号令]の話を聞いても大きな反対はなく、むしろ積極的に支持する者さえ居た。
また、その[大号令]に備えるための物資の貯蔵も、先程の報告通り殆ど完了しているのだ。
それはまるで、何年も前からこの日に備えていたかの様だった。
『クーネセンツェ議員、ここ10年ほど前から、我々は南部地域における忌まわしき半魚人共の侵攻に悩まされてきたのは知っているだろう?』
ザハラウーツェは窓から目を離さず、
『奴らが南部沿岸地域を中心に我らのテリトリーを襲うようになってから久しい。特に近年の奴らの襲撃は、より大規模かつ執拗になってきており、ここ数年で、この母なる沼沢地の南部一帯に我らが住めなくなった村が急速に増えてきている』
クーネセンツェはザハラウーツェの話に頷きながらも、
『確かに半魚人共の侵攻は深刻な問題になっていますが、ですが、それが今回の[大号令]とどの様な関係があるのでしょうか?』
『これは、まだ私や一部の有力議員たちしか知らないことなのだが、一週間ほど前、南部最大の城塞都市クワ・イマラがついに奴らの手によって陥落した』
『え?あの、難攻不落と謳われた城塞都市がですか!?』
クーネセンツェが驚きの声を上げる。
ザハラウーツェは頷き、
『今の所、それ以上の侵攻の動きはないが、クワ・イマラが落ちた以上、いずれは奴らがこの首都にも侵攻してくるのは目に見えている。
そして、より深刻な問題は、奴らの侵攻に合わせるが如く、南部地域全域で我らの主食たる沼魚の漁獲高が激減していることだ。
残念ながら、もはや南部地域一帯が、我らの住処とはならなくなってしまった、と言っても過言ではない』
ザハラウーツェは深いため息を吐き、
『無論、南部地域から人々を北部に移住させる計画なども検討してみたが、知っての通りこの首都も含まれる南部は北部より人口が多く、北部地域には避難民全員を受け入れる余力もない…』
ザハラウーツェはクーネセンツェを振り返り、
『誇張ではなく、このまま座して何もしなければ、我々は滅亡するかも知れないのだ…』
余りの衝撃に言葉を失うクーネセンツェへ、ザハラウーツェは静かに語り続ける。
『もはや逡巡している暇はない。南部地域の人々の移住先を確保するために、我々は具体的な行動を起こさなくてはならない』
『それってまさか…』
『そう、そのまさか、だ。
南部地域一帯が住めなくなり、北部地域に受け入れの余地が無いとすれば、我々は、この沼沢地に隣接する唯一の可住地域である、人族の土地を確保しなければならない。
仮にツワーナ村の一件が無かろうとも、我々は遅かれ早かれ人族の地に手を出さざるを得なかったのだよ。
誠に遺憾ではあるがな…』
淡々と語られた内容の余りの重さに、クーネセンツェは軽い目眩を覚える。
無論、彼は必死で[大号令]の準備をしてきた積りではあったが、まさか、その発動が既に予定されていたことなど想像すらしていなかった。
しかもそれは、間もなく人族との間に、大きな戦が始まる事が決められていた、という事だった。
ザハラウーツェは、クーネセンツェが事態を正確に把握するまで間を開けた後、
『クーネセンツェ議員、明日の定例議会で[大号令]宣告の発議を行う。その準備を頼みます。
また、調査に出してるヘレターレ達には、出来る限り人族の軍備状況を調査しつつ撤収するように依頼して欲しい』
『かしこまりました。至急の伝令鳩を仕立て、彼らに知らせましょう』
その他の細々とした打合せを行い、クーネセンツェは[大号令]発議の準備を進めるべく、議長室を後にした。
彼は、リザードマンがこの地の覇権を握って以来の大戦の予感に、ともすれば身体の震えを抑えきれずにいた。
だが、とにかく今は実務に集中すべきだと自分に言い聞かせながら、彼は[大号令]発議と可決後の様々な段取りを頭の中で組み立てていく。
こうしてリザードマンと人族の戦へのレールが、静かに、だが確実に敷かれていったのだった…。
※最後までお読み頂き、まことに有難うございました。
皆様の率直な『☆評価』をお願いします♪
毎週土曜までに更新しますので、よろしかったらブックマークの一つに加えてください(^^)