第八十七話 マジラ・ヤ・ジョト
ツワーナ村をカヌー2艘で出立した長老ズマリーディ以下4名の一行は、迷路のように複雑に入り組んだ狭隘な水路を迷いもなく進み、数日掛けて彼等が首都と呼ぶ中心都市マジラ・ヤ・ジョトについた。
流石にリザードマン達が首都と呼ぶだけあって、この沼沢地のなかで最大の陸地に立地するその都市は、全体が堅固な土塁で囲まれ、さながら城塞都市のような威容を誇っていた。
そしてその土塁の一部は港として開かれ、多数のカヌーが接岸できるように桟橋が作られていた。
櫂を握るオドエーツェが港内に舳先を向けると、ほどなく警備役のリザードマンを数名乗せた小舟が漕ぎ寄せできて、姓名などを誰何してくる。
『我々はツワーナ村からやって来た、長老ズマリーディと巫女のメツィアプーラ、及びその随行者だ。
おれの名はオドエーツェ、そこなるものはヘレターレと言う』
オドエーツェが答えると、警備役の一人が気さくな感じで、
『ツワーナ村かぁ、随分遠くからお出ましだな。
役目柄、一応長老の証であるメダルを確認させて貰うがよろしいですかな?』
リザードマンの実質的な支配者階級である長老には、首都の長老議会より、各自に手のひらほどの大きさのメダルが付与されていた。
長老ズマリーディが、首から下げたそのメダルを提示すると、
『確認させて貰いました、遠路はるばるご苦労です。私達についてきて下さい』
と、オドエーツェ達の舟を先導して、巧みに空いた桟橋へ誘導してくれる。
警備役達は、下船時に長老や巫女に手を貸すなど敬意を持って親切に接して来るが、それは別に彼等が特別な訳ではなく、リザードマン達は同族に対して家族や兄弟に近い感情を持っていた。
それは、沼沢地という限られた地域で何百年と争いなく過ごしてきた彼らなりの文化と知恵であった。
桟橋から上陸を果たした長老ズマリーディ一行は、防衛上の理由から複雑に折れ曲がった階段を上下して、ようやく城内に入れた。
その城内では、ツワーナ村とは比較にならないほど沢山のリザードマン達が往来しており、オドエーツェは思わず感嘆の声上げる。
『話には聞いていましたが、これ程の賑わいとは思いませんでした』
そんなオドエーツェに対して長老ズマリーディは、
『それが、お主をこの度連れてきた理由のひとつだ。
オドエーツェよ、この首都にて大いに見聞を広めるべし』
『はい、長老のお導きの通りに』
と素直に頷くオドエーツェは、自らの巨躯を用いて人混みの中で長老や巫女の歩みを助けつつ、首都の街並みや人々の様子に油断なく目を配って歩く。
そんな後ろ姿を眺めながら、長老の孫娘のヘレターレは、粗暴なだけではないオドエーツェの一面にあらためて触れた気がしていた。
確かにオドエーツェには、一部の若者から熱狂的に慕われるだけの魅力のような何かを持っているようだった。
やがて一行は、長老が首都にて常宿としている民宿に着く。
彼等はいったん荷物を置いて落ち着くと、最高意思決定機関である長老議会の議長への面談を申し入れるため、オドエーツェとヘレターレが使いとして長老議会の議場に向かった。
祖父に何度も連れられてきたことのあるヘレターレが先に立ち、2人は首都中心にある長老議会議事堂に真っ直ぐ辿り着くことが出来た。
その建物は、巨大な円形の木造建築物だった。
『これまた、物凄く立派な建物だな…』
4階建て相当の高さを誇る議事堂の大きさに驚くオドエーツェ。
ヘレターレはそんなオドエーツェには構うことなく、議事堂正門の守衛室に来意を告げ、事務的に長老議会議長への取次ぎを依頼した。
ほどなく守衛により正門が開けられ、中から白い長衣をまとった議員の一人が2人を迎えに出てくる。
ヘレターレも何度か顔を合わせたことのあるクーネセンツェという中堅の議員だ。
お互いに簡単な挨拶を交わし、ヘレターレがあらためて来意を告げて議長との面談を申し入れると、明日の朝の朝食後に再び来るように指示される。
ヘレターレは再来を約し、クーネセンツェに謝意を告げて議事堂を後にした。
そのヘレターレの物慣れた対応に、オドエーツェはいたく感心する。
『さすがは長老の孫娘なだけはあるな。堂に入った立ち居振る舞い、正直言って、見直したぞ』
長老の使いが無事果たせたことで、オドエーツェは肩の力が抜けたのか、気楽な感じでヘレターレに話し掛けた。
ヘレターレはそんな彼を見ることは無かったが、やはり普段の時よりは少しだけ打ち解けた感じで、
『別に、何度か果たしたことのある用事を済ませただけだ。
それよりあんたこそ、この間成龍に村が襲われたとき、他の仲間と共に積極的に村人の避難を手伝っていたな。
それこそ見直したぞ』
オドエーツェは、
『それは、お前も同じだろ』
と軽く笑い、
『ま、お前も俺に対して色々思う所はあるかも知れないが、少なくとも俺は、この首都にいる間はお前を先輩として立てる積りだ。
宜しく頼むぞ、先輩』
ヘレターレは立ち止まり、そんなオドエーツェの顔を初めて真正面から見つめながら、
『…好きにすれば良い』
と言い捨てて、さっさと歩き出す。
その女性らしい靭やかな後ろ姿を見つめながら、黙っていればいい女なんだがな、と、心の中でそっと毒づくオドエーツェだった。
翌朝、長老ズマリーディと共に4人が約束どおりに議事堂を訪れると、昨日と同じ守衛がヘレターレの顔を確認した後、正門を開けて中に入れと促す。
建物内では、既にクーネセンツェが彼等を待ち構えていた。
『長老ズマリーディ、お元気なようで何よりです』
クーネセンツェはズマリーディと軽く抱擁を交わしたあと、
『議長がお待ちになっております。こちらにどうぞ』
と4人を建物内の奥にある議長室へ案内してくれた。
議長室の前の扉を守る守衛にクーネセンツェが名前を告げると、守衛が扉を開けて一行を通す。
立派な調度品が飾られた広い執務室の奥の机では、リザードマンの政治的なトップに位置する長老議会の議長が、白い長衣姿の幾人かの議員と打ち合わせしていた。だが、クーネセンツェの姿を見ると会話を打ち切り、机の向こうからこちらにやって来た。
議長は、オドエーツェほどではないが、かなり立派な体格をした壮年のリザードマンであった。
彼はズマリーディと軽く抱擁を交わすと、他の議員の退出を待ってから、あらためて口を開いた。
『クーネセンツェから聞きましたが、この度はツワーナ村で大きな災難があったとのこと、お見舞い申し上げます』
議長のザハラウーツェは丁寧に頭を下げる。
ツワーナ村長老ズマリーディは、
『ご挨拶、痛み入ります。幸いなことに、ここに居る若い2人の努力もあって軽いけが人だけで済みました。
実は、その事で議長の耳に入れたき事があり、ここまで参った次第です』
ザハラウーツェは、居住まいを正して話の続きを促すと、ズマリーディはオドエーツェを振り返り、
『オドエーツェ、議長へご説明差し上げろ』
突然話を振られたオドエーツェは一瞬動揺するも、長老の指示通りに、なるべく順序立てて分かりやすくツワーナ村に起こったことを議長に説明した。
しばらくの後、議長は難しい顔をしながら、
『仮にそなたの見立てが正しく、成龍の力を味方につけた人族がこの沼沢地に野心を抱き始めたとすれば、確かに非常に憂慮すべき事態だと言える』
そう言って、自らの思考に沈むこと数分ののち、
『まずは人族の地に赴き、出来る限り事実を調べる必要があろう。
確か、人族の里にて[冒険者]なる仕事をしている娘が、先日からこの首都を訪れているとの報告を受けてる。その者を通訳として、そなたら2人にその調査をお願い出来まいか?
もちろん、必要な資金や装備は全てこちらで用意させていただくので、その点は安心願いたい』
口調は依頼の形を取ってはいるが、議長の言葉に対してオドエーツェとヘレターレが逆らえるはずもない。2人とも、『議長のお導きのままに』と了承の旨を即答する。
『さて、我等とて万が一の事を考えればそのための準備を怠る訳にはいくまい。
議員クーネセンツェよ、[大号令]への準備を怠りなく備えておくように。
私は議会に、そなたへの全面的な協力を要請する』
議長の[大号令]という言葉の重大さにクーネセンツェは緊張しつつも、『議長のお導きのままに』と頷く。
ちなみに議長の言う[大号令]とは、戒厳令と総動員令が一緒になったような非常事態宣言であり、その発案は議長のみが権利を有し、議会の承諾により効力を発揮するものだ。
オドエーツェは、己れの発言が引き起こした想定外の余波に身の竦むほどの緊張を覚える一方で、未だ見たことのない人族の地へと想いを馳せる。
この議長の決断は、このあとローデンシウス侯国にも大きな影響を及ぼすことになるが、そのことをユーキ達はまだ知るよしもなかった…。
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