第八十四話 策略
エスタレイウスやワイバーン達と共に郡都アルロンに戻った僕等は、リザードマンの村から救出した調査隊メンバーを代官ヴィクトル=レーマンスに預け、ひとまずの役目を終えた。
しかしながら、そもそもの調査隊の目的である外洋に面した輸出入用の港を発見することも出来ず、その実現の目処も今の所全く立っていなかった。
おまけに、今回の救助作戦でリザードマンと派手にやりあってしまい、その報復の恐れさえあるのが現状だ。
仮にリザードマンがこのアルロンに侵攻した場合、ほぼ丸腰と言って良い状況であり、まともに戦えば恐らく1日とて持ち堪える事は出来ないだろう。
ザルツァ率いるバーゼルからの増援部隊と、西ローデンシウス街道敷設工事から転進しているシオンのオーク部隊のアルロン到着も、半月ほど先の話だ。
不本意極まりないことだが、少なくとも彼等の到着までは、僕等一行はこの地に留まらざるを得なくなってしまった。
僕は侯都バーゼルにいるエルリックと連絡を取り、当面の善後策を練る事にした。
レーマンスから代官屋敷の執務室を借り受けて、僕はエルリックとの交信のためにブリュンヒルデを呼び出す。
彼女の持つ、アプサラスメンバー間の通信手段を借りて、侯都と連絡を取るためだ。
執務室前の衛兵がブリュンヒルデの来訪を告げ、早速彼女に執務室へ入ってもらう。
ところが、部屋に入ってきた時から、いつものブリュンヒルデとは感じが違っていた。
うまく言えないが、いつもなら飄々として我関せずといったイメージのブリュンヒルデが、なぜか物凄く機嫌が悪そうな感じなのだ。
彼女は豪奢な金髪を靡かせながら執務室に入ると、僕と目を合わすことなく応接のソファーに腕組みしたままドカッと座り、スラリと伸びた脚を組んで黙りこくってしまった。
とてもじゃ無いが、彼女に対して何かを頼めるような雰囲気では無い。
僕は、その彼女の無言の威圧に完全に気圧され、容易に話しかけることさえ出来なかった…。
ブリュンヒルデと僕とのそんな緊迫感溢れる場面から、時を少し遡る。
最近魔族から小悪魔に転職したに違いないと思われるラミィが、姉に連れられてフィリーの個室を訪ねていた。
フィリーは突然の姉妹の訪問に驚きつつも、快く二人を迎え入れて、ソファーに座るよう勧める。
ソフィアは憔悴しきった様子のラミィを支える様にしながら、姉妹2人で並んでソファーに腰をおろした。
フィリーはラミィのただならない様子に驚きつつも、ともかく話を聞こうと自分も椅子に座って2人に対面する。
「急にすまない、フィリー。ただ、妹の件で大事な相談があって…」
そうソフィアが切り出すと、フィリーは、
「もちろん、私で良ければ話を聞くよ?」
と真剣な表情で答える。場の空気を読むのは若干苦手だが、仲間に対して常に真摯に接するのはフィリーの美点だ。
彼女の快諾に力を得たソフィアは、
「多分、フィリーにとっては面白くない話になってしまうかも知れないが…」
と前置きをしながら、
「実は、その、昨晩の我とフィリーとユーキとのこと、ラミィが気付いてしまい、何と言うか、かなりショックを受けたようで」
ソフィアは、力無く自分により掛かる妹の背中を優しく撫でながら、
「簡単に言うと、ラミィは特務部を抜けたいと言ってるんだ」
そのソフィアの言葉が終わらない内に、ラミィの聖女のような優しい面差しの頬に、清らかに見える涙が一筋流れ落ちた。
侯国行政上の制度的な関係で言えば、ラミィは、姉ソフィアやブリュンヒルデなどと共に、ローデンシウス侯爵(即ちユーキ)の身辺警護を担当する特務部に所属している。
今までも、彼女は臥龍山脈や呪われた森など、様々な場面でユーキ達と共に戦い、建国からずっと侯国を支え続けてくれていた。
そのラミィが特務部を辞めると言うのだから、間違いなく大問題だった。
想像以上に重大な話に動揺しつつも、フィリーはとにかくラミィに対して、
「ねぇ、ラミィ、もし良かったら、あなたの気持ちを聞かせてくれない?」
と、優しく尋ねた。
フィリーの問いかけに、俯いていたラミィは顔を上げて、姉のソフィアを見る。すると、ソフィアもまた、話を促すように軽く頷く。
ラミィは軽く深呼吸してフィリーに向き合う。
「さっき、お姉様が認めました。その、昨晩のこと…」
フィリーがソフィアを見ると、ソフィアは『ごめん』と口の形で謝ってくる。
まぁ、昨日のことは遅かれ早かれみんなに伝わってしまうだろうし、それに私もソフィアも悪い事をした訳じゃない。
そうフィリーは思いつつ、
「それは、ユーキと私達が昨晩、その、一晩中一緒に居たってことよね?」
と自ら確認すると、ラミィはコクリと頷く。
続けて?と、フィリーが話の続きを促すと、ラミィは、
「あの、もちろんフィリーはユーキ様の婚約者だし、お姉様が私達姉妹の中でも一番ユーキ様を慕っていました。
ですから、そういった事態が起こることは、随分前から覚悟していたつもりだったのですが…」
ラミィは一瞬言葉に詰まりながらも、
「でも、今回あらためてそんな事になってみると、私、自分で思っていた以上にユーキ様をお慕いしていた様で…、その、とにかく、辛くて…」
そこまで言うと、ラミィはポロポロと涙を流し始め、妹想いのソフィアは彼女の肩を抱きしめた。
ラミィの話を聞いて、フィリーもまた、自分では充分覚悟をしていたはずの話に、実は未だ葛藤していたことに気が付かされた。
ユーキの周囲には、ラミィの様に彼を支えてくれる有能な女性が多い。そして客観的に見て、その多くが彼にそれなり以上の好意を寄せていた。
そんな彼女らの気持ちを離れさせないためには、ソフィアの様に、ユーキと家族の契りを結んでいくのが一番有効なことだとフィリーは考える様になっていた。
一夫一妻制が当たり前のエルフのフィリーにしてみれば、本当はそんなハーレムみたいなことは、生理的に受け入れ難いことではあった。
しかし、こうしてラミィの気持ちを聞けば、やはりラミィもまた家族の一員として迎え入れるのが、ユーキの将来にとって最善の策なのだろうと思う。
彼女は、一昨日にユーキが立てた誓いの言葉を思い返す。
―――フィリーを、一番大切にすると誓います。
私は、そのユーキの誓いを信じることに決めたんだ。そう自分に言い聞かせたフィリーは、再びラミィに優しく問いかける。
「ラミィ、正直な気持ちを聞かせてくれてありがとうね。でも、もう一つだけ聞かせて」
フィリーは一呼吸整えたあと、
「ラミィもまた、私達の家族になる覚悟はある?」
ラミィは泣き止み、内心のガッツポーズをひた隠しながら、無垢な瞳でフィリーを見返す。
「それは、どういうことですの?」
フィリーは真剣な面持ちで、
「昨晩、私とソフィアは、言ってみればユーキとひとつの家族になった訳だけど、あなたもまた、その家族に入る覚悟はあるのかっていうこと。
私の言ってる意味、わかる?」
「それは、その、…私がユーキ様の3番目の…家族にということかしら?」
フィリーは肯定の意で、ひとつ頷く。
ラミィがソフィアを見ると、ソフィアも優しく微笑みながら頷く。
ラミィの頬が薔薇のように色付き、曇っていた表情が一気に明るくなる。
そして、先程とは全く違う種類の涙が、再びその頬に流れ落ちる。
「はい、もちろんです!…嬉しい」
そんなラミィの様子を目の当たりにして、フィリーは自分がどういう顔をして良いのか、複雑な心境だった。
が、とにかく言葉を続けて、
「あなたが家族になってくれれば、私も心強いよ。それに、あなたも覚悟して欲しいのだけど、多分これからも家族は増えていくと思うの」
フィリーはラミィとソフィアの双方を見つめると、2人とも深く頷く。
「例えばヒルデ。彼女はもう、半分以上家族みたいなものだけど…」
フィリーが苦笑すると、ソフィアとラミィも顔を合わせて似た表情をする。
何しろ彼女はすでに、一方的にではあるがユーキの妻を公言して憚らないのだから。
「さて、そうと決まれば、これから3人でユーキの所に行って報告しようよ。
一応ユーキも当事者だからさ」
フィリーが少しおどけて言う、ようやく3人で笑い合うことが出来た。
そうして、フィリーとソフィア、ラミィの3人は、仲良く連れ立って、ユーキの執務室に向かうことになった…。
時と場所が今に戻り、再び緊迫感溢れる僕の執務室。相変わらず無言のヒルデを前に、僕は硬直し続けていた。
と、そこにノックの音がして、執務室の衛兵がフィリー達3人の来訪を報告してくる。
僕は怯えながらヒルデの顔色を窺うと、
「別に、入れてやれば良い」
クールに言い放つヒルデに従い、僕は3人に入室許可を与えた。
フィリーを先頭に、ソフィアとラミィの魔族2姉妹がぞろぞろと入ってくる。
フィリーは、先に入室していたブリュンヒルデを見て、少し驚いた表情を浮かべる。
一方、最後に入ってきたラミィは、誰にも見られない様に姉の陰に隠れて、こっそりサムズアップしていた。
それを見たブリュンヒルデは、なにかをこらえるように更に厳めしい表情を作った。
フィリーがブリュンヒルデの隣に座り、その向かいに魔族2姉妹が座る。
僕は、長テーブルの短い端に面した椅子に、縮こまって座った。
正直に言えば、なぜか僕は法廷に引き出された被告人の気分だった。
裁判長、ではなくフィリーが、最初に口を開く。
「これから話すことは、私達全員に関わることだから、ヒルデが居てくれて丁度良かった」
ヒルデは驚いたように、
「我にも関係ある話なのか!?」
その大きめのリアクションを見て、ヒルデの向かいに座っていたラミィが、ヒルデに白い目を向ける。
ラミィの口が、『少しわざとらしい』と言っている様に見える。
ヒルデは軽く咳払いし、
「それは、どういうことだ?」
と、いつものクールな感じに戻った。
フィリーは、そんなブリュンヒルデの態度に特に何も感じてない様子で、淡々と話を始めた。
フィリーの話とは、つまりは先程の家族のはなしだ。
ラミィが3番目に決まったので、ヒルデが4番目で良ければ、ユーキの家族に迎え入れる、というものだった。
その話をしている間、誰も僕の意志の確認をしてくれないので、僕は賢明にも沈黙を続ける。
いや、こういう風な雑な扱いをされるのは慣れているけどさ。
でも、結構僕にとっても大事なことだと思うんだけど、なぜ誰も僕の意見を聞いてくれないんだろう?
そんな僕の心の中の愚痴に関係なく、フィリーはヒルデに回答を促す。
「我はもとより、ユーキの妻だと思っている」
と、ヒルデは語り始める。
「しかし、我が目も節穴ではない。昨夜のフィリーとソフィアのことなどすぐに気が付いた。
ゆえに、今日はユーキが我のことをどう思っているのか、問い詰めるつもりであった。
返答次第では、実家に帰ろうかとも思っていた」
ヒルデは続けて、
「だが、冷静になって考えれば、確かにそなた等は我よりも先にユーキと知り合い、彼をずっと支えて来た仲だ。
恐らくユーキに対しても我と同じ気持ちであろうから、我がそなた等とユーキが情を通じたことに、いちいち腹を立てるのもおかしな話なのかも知れん」
ヒルデは、フィリーとソフィアを見つめながら、
「もしそなた等が我のことを受け入れてくれるのなら、我も異存はない。
そなた等と共にユーキの家族となり、一緒にユーキを支えようぞ」
ヒルデのその宣言を聞いて、フィリーはヒルデの手を取って立ち上がり、
「貴女は、ユーキにとっては掛け替えのない人。その貴女が家族となってくれれば、本当に心強いよ。
これからもよろしくね」
と、軽い抱擁を交わす。
ヒルデも少し照れ臭そうにしながら、
「こちらこそ宜しく」
とフィリーや魔族2姉妹に頭を下げる。
その後の彼女達だけの話し合いにより、今夜はラミィとヒルデが僕のベッドに来ることになった。僕に向かってフィリーはひと言だけ、
「順番だけはキチンと守りなよ」
と、まるで犬の躾のように言い捨てた。
そのまま黙って聞いていると、
・日替わりで、毎日ローテーションに従い担当する
・お互いはお互いの担当日を尊重し、抜け駆けはご法度。違反者はローテーションから一ヶ月外される
・体調等の理由で担当を外れたい時は、自身が責任を持って、フィリーから順番に代役を依頼する
等のルールがテキパキと決まっていく。
そして、ルールは今後の拡張性まで話が及び、
・正規のローテーションは6名までとする
・今後、正規以外のメンバーが増えた場合には、7日目の1日を、その準レギュラーでローテーションを組んで担当する
・その他不都合のある場合は、正規メンバーで相談し、フィリーが最終的に決裁する
何だかとてもシステマチックで、学校の日直を決めてるかのような感じがした。
そうして一通りの事が決まると、ブリュンヒルデ以外は用件が済んだと言わんばかりにさっさと退出していった。
残ったヒルデには、本来の用件である侯都のエルリックとの連絡の仲立ちをお願いする。
当然、既に機嫌の治ったヒルデは快く対応してくれて、そして彼女も『順番』を意識してか、直接対話モードの際に、前回とは違って、単に僕と手を繋ぐだけの行為に留めた。
エルリックとの事務的な連絡を終えたあとで、ブリュンヒルデは暫く僕の手を離さずに、むしろ指を絡めてくる。
そして、軽く頬を染めながら、
『今宵こそ、よろしく、頼む』
と恥ずかしそうに呟く。
いつもの強気な感じとうってかわったその可憐な感じに、僕の心臓は馬鹿みたいに早鐘を打ちはじめる。
本当は彼女を抱きしめたい衝動に駆られるが『順番』は大事だと理性で思い留まる。
言うまでもないが、さっきのフィリーの『順番だけはキチンと守りなよ』という言葉のお陰ではない。
僕は頷き、
「こちらこそ、よろしく」
と、彼女の繊細な手にもう一つの自分の手を重ねる。
間近にみるヒルデの顔は、いつにもまして神々しいほどの美しさを湛えていた…。
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