第八十三話 強襲
濃密だった夜もやがて明け始めた頃、フィリーとソフィアは僕の部屋からそっと抜け出し、みなが寝静まる内にそれぞれの部屋に戻っていった。
ひとり残された僕は、彼女達の残り香に包まれて二度寝しようとベッドに寝そべるが、妙に目が冴えて眠れない。
暫く頑張ってはみたものの、諦めてベッドから起きて身支度を始める。
今日は、捕虜救出作戦の当日だ。
まだ微かに朝焼けの残る時間に、僕、フィリー、ソフィア、ラミィ、ブリュンヒルデの5名が、完全武装でワイバーンに跨る。多人数が乗れる背負子を背負ったエスタレイウスには、元調査隊隊長のクリンチェを座らせた。
彼には、現地への誘導を担当させる。
ワイバーンにまたがる時、フィリーとソフィアが、少し痛そうな仕草を見せた。
僕は慌てて、事前に用意していた柔らかいクッションを2人の鞍上に置き、その上に座ってもらった。
2人の恥ずかしそうな仕草に、ふと昨夜のことを思い出して、つい僕も顔が赤くなってしまう。
そんな僕らの様子を、悪そうな笑顔で見つめるラミィと、更にそのラミィを見て複雑な表情を見せるブリュンヒルデであった。
ともあれ、出発の時刻となり、エスタレイウスを先頭に早朝の空に舞い上がった僕等は、一路、目印となる沼沢地の中洲を目指す。
そこは以前、調査隊がリザードマン達に襲われた時に野営していた場所だ。
飛行開始からまもなく、その中洲らしき場所が見えてくる。
そこには上流側と下流側にそれぞれ独特な形の石の塊があって、空から見ると、丁度川上に舳先を向けた巨大な船の様に見えた。
僕はワイバーンをエスタレイウスに近づけて、クリンチェに下の中洲を指差すと、彼は頷き、その中洲目ざして下降のハンドサインを送って来る。
僕はエスタレイウスの巨大な頭部に近づき、彼に中洲への下降を依頼した。
ゆっくりと高度を下げるエスタレイウスは、クリンチェに気を遣ってなるべく優しく着地する。僕等のワイバーンも、その周辺に軽やかに降り立った。
まずはここまで順調に辿り着く事ができた。
「リザードマン達が火を使わないのは、ほんと厄介だよね」
僕等は車座になって焚き火にあたり、飛行で冷えた身体を温めていた。
その煙を見上げながら、フィリーが呟く。
確かに彼女の言う通りで、炊事の火でも使ってくれれば、上空からその煙を目印に村の場所を特定出来る。しかし、残念ながらリザードマン達は火を忌み嫌い、一切使わない。
ゆえに、上空から目視で見つけるしか無いのだ。
中州に至る道中、僕は空から湿地帯を注意深く眺めてみたが、この沼沢地は河川部分を除くと鬱蒼としたマングローブ類の森がどこまでも広がるばかりで、目標の村を発見するのは想像以上に難しそうだった。
クリンチェは自分の荷物から地図を取り出し、皆の前に広げる。
「あくまでも目安にしか過ぎませんが…」
と断りながら、
「対象の村への地図は作成済みで、この中洲からの距離や方向は把握出来ています。
まずは、村の方向へワイバーンでなるべく低速・低空で飛行し、彼らの村を発見次第、何かしらの目印を付けて、エスタレイウス殿に降り立って貰うのが良策かと思います」
クリンチェは続けて、
「彼等の住居は、『家の木』と呼ぶ特殊な樹形の木に作られています。
その木は大きなハート型の葉っぱが特徴ですので、低空でゆっくり飛ぶことが出来れば、恐らく見分けられるでしょう」
事前に幾ら準備をしたとしても、やはり実際に現地に来ないと分からない事が多いものだ。
僕はクリンチェにうなづき、
「有難う。その作戦で行こう。
しかしそれだと、あなたには小回りの効かないエスタレイウスではなく、ワイバーンに乗って場所の特定をお願いしたいのですが…」
「もちろんです。私が嚮導として皆さまを誘導させて頂きます」
クリンチェは、調査隊の元隊長として、仲間の救出に関して出来る限りの事をしたいと考えている様だった。
焚き火を使って干し肉とスープの簡単な食事を終えて完全に身体を暖めたあと、クリンチェのワイバーンを先頭に、僕等は再び空に舞い上がる。
そして一定の間隔を置いて雁行に広がり、目印となる樹木を見逃さない様になるべく低空を飛んだ。
ワイバーン達の出発を見送った後で、クリンチェに鞍を譲ったフィリーが、エスタレイウスの背中に乗り込む。
エスタレイウスは彼女が席につくのを確認したあと、ゆったりと上昇を始め、先発隊からの合図が出るまで上空で待機に入った。
一方、僕等が目指すリザードマンの村では、村の中央に位置する巨木の根本の広場に村人が集い、指導者である長老とシャーマンを中心に会議を開いていた。
議題は、明日の満月の夜を控え、村の若者が捕らえてきた人間の捕虜達をどうするか、という事だった。
まずは、捕虜を捕まえた急進的な若者グループのリーダー格、オドエーツェが立ち上がり、発言の許可を求める。
オドエーツェは、人族と比較して遥かに体格の良いリザードマンの中でも、更に頭一つ抜き出た長身で、恐らく身長は2.5mに達していた。顔つきは、一般的なリザードマン同様トカゲに似た厳つい顔に、頭頂部から背中にかけてヒレをはやしている。
その偉丈夫であるオドエーツェに対して長老が頷くと、彼は集まった全ての村人に聞こえるように、堂々と大音声で語りだした。
『尊敬する長老殿、ならびに村の家族達に思い起こして欲しい。この神聖なるツワーナ村の真ん中で、かの者共が我らが忌み嫌う火を使ったことを。その罪は、如何なる事情を考慮しても、決して許されざる行為だ』
彼の力強い発言に、頷く村人も多い。
『ゆえに、古来からの風習に従い、火の禁忌を犯した者は、火によって汚れた魂ごと全て無に帰すべきである。
すなわち、かの虜囚達を、火刑を持って処罰することを提案する』
若者の一部から、賛同の意を表す、自分の胸を叩く乾いた音が複数上がる。
長老は片手を上げて皆を静めると、他に誰か意見は無いか?と更なる発言を求めた。
その言葉に応じて、次に長老自身の孫娘であるヘレターレが立ち上がる。
女性のリザードマンは、男性に比して小柄で丸みを帯びた体つきだった。
また、硬い鱗に覆われた男性と違い、身体の大部分は滑らかな肌に覆われている。顔つきも、かなり人族に近い。
長老はヘレターレに発言を許可する。
『尊敬する長老殿、ならびに村の家族達に問いたい。オドエーツェの言うことは確かに尤もな意見ではあるが、しかしながら今一度、その時のことを思い返して欲しい。
彼等は確かに禁忌を犯した。だがそれは我等を辱める為でも、ツワーナ村を穢す為でもない。ただ我等の饗応に応えるべく、彼等なりの善意で為したものでは無かったか?』
一部の若者から、不同意を表す地面を叩く鈍い音が上がる。
ヘレターレは更に続けて、
『善意に基づく行為を、しかも単なる無知ゆえの過ちを極刑を持って報いる事が、果たして理智と融和を重んじる我々の取るべき道なのであろうか?』
彼女は村人達を見回して、
『私は提案する。彼等を開放し、自らの国に帰らせ、二度とこの地を踏むことを許さない追放刑に処することを。
無知には、理智と恩情を持って報いるべきである』
再び、地面を叩く鈍い音が響く。
長老はまた片手を上げてそれを制し、更なる発言者を求めた。
だが、暫く待ってはみたものの、続いて発言するものはいなかった。
長老はおもむろに、
『村の家族たち諸君、議論は尽きた。
あとは、我等の先祖に問いて、決断を下そう』
そう言うと、傍らに控えるシャーマン、すなわち《巫女》に頷くと、全身を装飾と入れ墨で飾り立てた彼女は、おもむろに呪文を唱え始めた。
村人達が見守る中、一心不乱に呪文を唱え続けるシャーマン。
やがてその唱える声が高まり、またその高まりに合わせて全身の震えが大きくなると、何度も両腕を天に突きだし、そうして地面に崩れ落ちた。
彼女の荒い呼吸がおさまり、辺りに静寂が戻ると、彼女はスックと立ち上がり、自らの聞いた先祖の言葉を皆に告げ始めた。
曰く、
『我が系譜に連なる子等よ、聞くがよい。
この聖なる地で為された禁忌は、禁忌をもって浄化すべし。
明日の満月の夜に、この地にて行え』
長老が言葉を続ける。
『この度の裁定を下す。我等父祖の言葉によりて、明日、この地にて、彼等を火刑に処す。
我が家族等よ、裁定に従い、再び気持ちを一つにしてことに当たるべし』
決定がなされた。
そうである以上、さきほど異を唱えたヘレターレも含めて、村人全員が大人しく従うしかない。
集会は解散となり、彼等それぞれが普段通りの1日に戻る。少なくとも明日の夜までは、いつも通りの時間が過ぎていく筈だった…。
最初に異変に気が付いたのは、母親の手に引かれた幼子だった。
木々の間から見たこともない大きな鳥を見て、母親に告げようと彼女の手を引くも、近所の主婦との話に夢中な母親は振り向いてもくれない。
その子が再び空を見上げた瞬間、平和な村の朝の静けさが突然破られた。
聞いたこともないような大きな爆発音と共に、巨大な火柱が村の四方に聳え立つ。
村人達は一瞬にして恐慌状態に陥り、母親は幼子を抱えあげて逃げ惑った。
と、そこに地響きが重なり、地面がまるで水面のように震え、その衝撃に人々はつまずいて倒れ込んだ。
そして立ち上がろうと顔を上げた時、彼等は等しく見た。
小山の様な途方もない大きさの、伝説級の成龍の威容を。そして、魂までも竦み上がるような、その龍の雄叫びを。
もはや老若男女の区別なく、生物としての生存本能の命じるまま、人々は少しでも成龍から離れるべく龍とは反対の方向へ我先にと駆け出した。
その混乱の中、跳ねっ返りのオドエーツェ率いる、急進的な若者達は違った。
彼等は、倒れた人々を助け、母とはぐれた子供を抱き上げて、何とか全員を無事に逃がそうと奮闘していた。
そしてそれは、長老の孫娘であるヘレターレにしても同じだった。
先程まで議論で深く対立していた2人であったが、村の危機に際しては共同で事にあるのが、リザードマンの風習であった。
成龍の出現から間もなく、今度は飛龍の群れが村に飛来する。
リザードマン達に残された道は、ただひたすらこの村を離れ、逃げ出す事だけだった…。
「なんだか、ちょっとやり過ぎちゃったかな…」
リザードマンとの戦闘を覚悟していた僕等であったが、結果はエスタレイウスのひと吠えで村人達全員が居なくなってしまった。
僕は澄ました顔のエスタレイウスを見上げ、そしてその足元に踏み潰された、かつてはリザードマンの住居だった残骸を見つめる。
なぜだか、自分達が物凄く悪い事をしてしまったような、とても気まずい気分だった。
「おーい、みんなこっちにきてよー」
フィリーの声が聞こえ、僕は近くにいたブリュンヒルデとクリンチェと共に声のした方向へ向かった。
そこでは、木の幹や根を巧みに組み合わせて作られた半地下牢があり、フィリーやソフィア、ラミィがその中の人々を助け出そうと四苦八苦していた。
「早く助けだしてあげたいんだけど、とにかく怯えて出てきてくれないの」
見ると、確かに捕虜達は身を寄せ合い、完全に怯えた目で、震えながらフィリー達を見つめていた。
僕はクリンチェに彼等への対応を任せる。
「みんな、遅くなって済まない。この方達はローデンシウス侯爵閣下とそのお仲間達だ。
私達は君達を救いに来た。もう安心してくれ」
捕虜達は、見知った顔のクリンチェを見て、ようやく安堵した様だった。
強張った表情が笑顔となり、お互いに抱き合い、相互の無事を喜び合う。
それから、フィリーやソフィア達の手を借りて、全員が無事に救出された。
目的を達したら、長居は無用だ。
開放された元調査隊のメンバーをエスタレイウスに乗せると、ワイバーンと共に郡都アルロンに帰還する。
上空から振り返ると、僕等に襲撃された村は、エスタレイウスの巨体に押し潰された場所がポッカリと穴を空け、着陸の目印代わりに僕や魔族姉妹が立てた巨大なファイアーウォールの跡にも、無惨な焼け跡が広がっていた。
その余りの惨状に、リザードマン達に心の中で詫びながら、僕はエスタレイウス達に追いつこうとワイバーンを北西に向ける。
こうして僕等は、さしたる苦労をすることもなく無事に仲間達を救出することが出来た。




