第六話 王都の熱い夜
この話は、旧第二話の後半部分となります。
さて、魔王討伐成功に関する様々な祝賀行事もようやく終わりを告げ、いよいよ僕が領地であるクレーヴィアに出立する日を明後日に控えた夜のこと、僕は大神官ルナに呼び出された。
僕の屋敷での会合から一週間ほど経っていたが、その間、ルナとは顔を何度か合わせたものの、まともに話す機会もなく今に至っていた。
彼女の機嫌が治っていることを心の底から祈りつつ、僕は彼女の屋敷を単身訪れた。
顔見知りの門番は、僕の顔を見るや否や直ぐに中に通してくれた。
石畳で舗装された長いアプローチを通って母屋に到着すると、なぜかいつもの家令ではなく、余り表に出ないはずの家政婦長が僕を迎える。
そしてそのまま、かなり奥まった応接室に案内された。
今まで何度もこの屋敷に出入りしていたが、そこは初めて訪れた部屋だった。
立派な造りの一人掛けのチェアで淹れたての紅茶を飲んでいると、入り口とは別のドアからルナが現れた。
いつもは後頭部に太い三つ編み一本で纏めている髪を、今日は何故か祝宴に参加する時の様に高く結い上げ、衣装も見慣れた普段着ではなく、薄い生地のドレスのようなものだった。
それは彼女の細い首筋や、スタイルの良さが妙に強調される格好だったので、僕は何となく気恥ずかしい思いにかられる。
勇者パーティーでは外で水浴びする機会も多く、お互いの裸を見たことさえ何度も有ったはずだが、今の状況にかなり戸惑ってしまう。
それはルナにしても同じなのだろうか?
薄暗い室内なのではっきりとはしないが、うっすらと彼女の頬が上気しているようにも見えた。
「今晩は、ユーキ」
そう言うルナの表情を窺うと、機嫌は悪く無さそうだった。
僕は当たり障りの無さそうな挨拶を返しながら、少しホッとした。
が、ルナが目の前の椅子に座ると、別の新たな緊張が走る。
彼女のドレスの脇には結構深いスリットが入っていて、彼女の細くて白い足が無防備に覗いていた。おまけに香水とおぼしき甘い香りが微かに漂い、文字通り目のやり場に困った僕は、手元のティーカップに全神経を集中しつつ無理やり視線を落とした。
「それで、出立の準備は整ったの?」
僕は動揺を悟られないように、なるべく平静を装いながら、
「うん、まぁね。
大公家から来てくれた家令がとても優秀でね。
僕が何もしなくても出発の段取りから道中の手配まで、全てを完璧に遣ってくれてるから。
おまけに僕が遣るべき手続きや挨拶回りの先なんかも手取り足取り教えてくれて、ほんと、助かってるよ」
ふーん、と、自分から聞いたくせに、ルナは余り気のない返事を返してくる。
そのあまりの素っ気なさに、僕は少し混乱する。
……一体彼女は、何のために僕を呼び出したんだろう?
僕の疑問が彼女に伝わったのかは分からないが、彼女はふと立ち上がって部屋の隅へ歩いていき、ベルを鳴らして人を呼んだ。
すると、先程の家政婦長が何やら小包を彼女に渡し、再び出ていった。
ルナは僕の目の前に戻ると、僕にその小包を差し出した。
「これを、あなたに渡したくて」
「これは?」
良いから開けてみて、と言う彼女の言葉に従い丁寧に包みを開くと、魔力によって鈍く輝く指輪が出てきた。
僕はこの指輪を知っている。『身代わりの指輪』と呼ばれる魔道具で、一度だけ身につける者の身代わりとなって命を助けてくれる貴重なモノだ。
欲しがる者も大勢いるが、古代の遺跡等からごく稀に発掘されるものだ。当然、値段など付けられない本当の意味でのお宝だった。
「これは……?」
「我が家に代々伝わる物よ。あなたとパーティーを組んでた時に、私がずっと身に付けていたものなの。
でも、安心して。綺麗に洗って丁寧に拭いてもらったから清潔よ。」
「いや、そういう事じゃなくて、つまりこれは君の大切な家宝ってやつだろ?
そんな大事なものを何故僕に?と言うか、受け取れる訳無いだろ?」
僕が指輪を差し返すと、彼女は悲しそうな顔で俯いた。
「……本当は、私もユーキについていきたい」
俯く彼女の表情は分からなかったが、膝におかれた彼女の拳がギュッと握られた。
「でも、王都の大神官の一人として、私はここを離れる訳には行かない。
だからせめて、あなたにこれを持っていて欲しいの。私があなたを直接守れない代わりに」
真っ直ぐすぎる彼女の視線を受け、僕は些かたじろぐ。
ルナは間違いなく僕の大切な仲間だ。僕が逆の立場であったなら、やはり危険な地に出向く仲間へ出来る限りの餞別を贈ると思う。
ただし、眼の前に置かれた指輪は、彼女の言う通り、彼女の家系である『ネーヴィル家』に代々伝わる家宝なのだ。絶対に、僕が簡単に受け取って良い品ではないと思うのだが……。
「ユーキ、私ね、多分近い内にお見合いをさせられることになると思うの。
だから、私の最後の我が儘だと思って、これを受け取って。
……お願い」
えっ?っと一瞬驚くが、考えてみればそれも当然の話かも知れない。
彼女は僕より一つ上の19歳だ。僕の感覚では、彼女はまだ充分に若くて美しいと思う。
でも、日本でならお酒も飲めない年齢だが、15歳を過ぎればすぐに結婚するのが普通のこの世界で言えば、既に婚期を逃し掛けているとも考えられる。
この世界でいう結婚適齢期の全てを、彼女は魔王討伐という殺伐とした任務だけに捧げてきたのだ。
その彼女の真剣な願いを拒否することなど、僕には出来なかった。
「分かった、ルナ。これは有り難く頂く。それが君の望むことなら」
有り難う、と、ルナは優しく微笑み、僕の手を引いて立たせると、指輪を手に取り僕の指にそれを嵌めた。
僕のすぐ目の前に彼女の濃いブロンドの髪が、燭台の灯りに照らされ美しい輝きを放っている。
何というか、とにかく距離が近すぎて、心拍数がおかしな具合に跳ね上がる。
「それともう一つ、どうしても聞いて欲しいお願いが有るの」
見上げる彼女の顔は、本当にすぐそこに有った。
だから、潤んだ瞳も、上気した頬も、ハッキリと分かった。
「ユーキ、私を、抱いて欲しいの……」
━━━完全に頭のなかが真っ白になる。
初めて戦場に立った時でさえ、もう少し精神的余裕が有ったと思う。
何しろ、全く自慢にはならないが、これまで僕は前世を通じて女性経験がゼロだった。
それは、文字通りのゼロ。口付けはおろか、デートの類いや、もっと言えば女性の手さえ意識して握ったことも無いのだ。
パーティーメンバーのエリウルは、大きな街に着くと必ず夜の街に繰り出し、翌朝ご機嫌な様子で帰って来たものだ。
こんなことになるなら、どれだけ女子達に冷たい視線を向けられようと、エリウル先輩と一緒に人生の経験を積んでおくべきだったのかも知れない。
完全に硬直した僕の身体を、ルナの細腕が優しく、だが確りと拘束する。
鳩尾の少し上の辺りには、彼女の乳房という名の柔らかい凶器が押し当てられていた。
正直、この状況から逃げ出したい衝動と、彼女をこの場で押し倒したい欲望の狭間で、僕の思考はぐるぐる回転し続けていた。
逡巡を続ける僕の思考より先に、彼女は次々と先手を打ち続ける。
彼女は両手で僕の頬を挟み、軽く背伸びして僕の唇を奪う。その切ないほど柔らかい感触が、僕の最後の躊躇う気持ちを綺麗に吹き飛ばした。
僕だって男だ。ルナのような美人で優しい子にここまでされれば、ねぇ?
「ルナ、本当に僕で良いのかい?」
「馬鹿、……私はあなたが良いの」
そこで会話が途切れ、共に異性の経験のない男女が、ぎこちないキスを交わす。
そして、柔らかいソファーに崩れるように倒れ込むと、お互いが試行錯誤しながら、やがて本能に従って然るべく身体を重ねて一つになった……。
どうしてこうなってしまったのか定かでは無いが、その夜僕は、ルナのお陰で本当の意味で大人になった。
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