~プロローグ~
社会人になって12年、随分不幸になってしまった。まるで仕組まれた罠か何かのように洋々たる前途を奪われてしまった。のぞみは溜息をついて自分にある可能性について思考を廻らせてみた。もう自分には何もないのだな、とふと口をついて出た。もう自分には何もない。12年前にあったさまざまな可能性が綺麗さっぱり消去されている。いやぁ、本当に酷いな、この世は生き地獄だ。
のぞみは1983年の5月に高知県の片田舎に産まれた。1994年7月にはじめて人を殺すのではないのかという想いに苛まれて塞ぎ込んだものの夏休みが過ぎるとすぐに元気を取り戻した。自分が発達障害だとは思いもしなかった。鉄道に強烈に惹かれ、中高時代は旅行ばかりしていた。高校を卒業して東京の河合塾東大文類クラスで浪人した。実に有意義だった。それまでの人間関係の中では得られなかった知的好奇心の震えを感じた。寮では毎晩科学や法律やその他多岐にわたる分野の話で盛り上がっていた。幸せだった。
2002年の4月に立命館大学法学部に入学した。東大には遠く及ばなかったが大学生活も幸せだった。自分の将来は洋々たるものだという確信があった。のぞみは法学に馴染むことができた。しっくりきた。全ての講義で単位を落とさなかった。常にGPA4以上で学費は免除され、公務員試験か司法試験を受けないかという話を大学の方からもらうことが出来、公務員試験を選択し、公務員試験では最難関といわれる国家Ⅰ種法律職に楽勝で合格した。
2007年の4月に法務省に入省した。超学歴社会の霞ヶ関においては準キャリアといわれる法務省でもまぁ上々だなと思っていた。しかし3ヶ月で嫌になってしまった。何故馬車馬の如く超勤ばかりしないといけないのであろうか。退職を決意したが次の就職先を決めないと不安であり、それまでに4年もかかってしまった。転職すれば安らかで充分な生活がおくれるものと思っていた。
2011年の4月にJRに入社した。JRも元国鉄だけあって総合職制度はばっちり残っていた。のぞみは総合職待遇で入社した。満足だった。夢のJRだった。しかし3ヶ月で嫌になってしまった。前職で身体を壊していたこともあって9ヶ月休んだ。最初の休職だった。休職が明けて2018年12月に至るまで随分欠勤した。この場所は果たして正しい場所なのかと思いながら7年以上を過ごしている。